ユーミンの歌を求めて冬の武蔵野を走る 

 (2016年12月23日、東京都立川市、他)


ブリティッシュロックばかり聴いていた大学生の頃、ロックとは全く別の嗜好で、ユーミンが大好きでした。荒井由実デビュー(1973年)から松任谷由実はパールピアス(1982年)までの10年間にほぼ好みは限定されていますが、この頃のユーミン、歌も素敵でしたし、特に荒井由実時代はみずみずしい感性が感じられ、アレンジもティンパンアレイのバック演奏も抜群に素晴らしかった。(細野晴臣のベースラインにぞくぞく) 未だあの頃のユーミンを聞くとあっという間に学生時代にフラッシュバックします。今年最後のサイクリングはそんなユーミンの大好きな歌の中に出てきた場所を何箇所かを巡ろうと、思いたっての出発です。

府中まで車にランドナーを載せてコインパーキングに駐車。そこから走り始めます。府中といえば「中央フリーウェイ」のビール工場と競馬場、となりますが、さすがにメジャーすぎるのでそこはスルー。スルーとはいえサントリーの工場と府中競馬場は街道から見る事が出来ます。

立川駅からまずは西立川駅へ。この駅は「雨のスティション」の舞台だそうです。とても、好きな歌です。私の子供が小さかった頃なんどか昭和記念公園に遊びに来たことがあります。もう15年以上前の話です。この駅のホーム発車メロディは「雨のスティション」だそうです。気付かなかった。

そこから自転車で10分。今日最大の目的地。バス停「富士見通り」です。このバス停はその昔「ランドリーゲイト」と呼ばれていたそうです。そう、アルバム「紅雀」に入っている「ランドリーゲイトの思い出」の舞台なんですね。

この歌、歌詞、全てそらんじてます。歌詞にある二駅揺られても、って立川駅から西立川駅、そして中神駅だったんだ。ここに立川旧米軍基地のさびた金網が線路に沿ってあったんだ。八王子に住んでいたユーミンは米軍基地の米国人の少女に会うため立川で乗り換えてこのゲートを眺めていたのか・・・。そんな事を改めて感じさせる歌詞。ランドリーゲイトはそんな立川基地のゲイトの一つだったんですね。それが今の富士見通りというありふれたバス停の名前になり、かつ、あたり一帯は新たに開拓された集合住宅群になっていたのは残念で、時の経過を感じました。

まぁとりあえず、ここ見たぞ、ということで通過。余りの風景の変わりように感動は少なかったです。

次に我が自転車は小さなせせらぎを渡ります。玉川上水です。そうこれまたたまらなく好きな歌の舞台になっている上水道です。「悲しいほどお天気」の舞台。ただし玉川上水は長いので、実際にこの上水のどこが歌の舞台になったのかはわかりません。歌の主人公、スケッチブックを抱えた美大生。今は絵も離れ安定した道を選びすっかり大人になった主人公が思いを馳せる昔日。この水道と緑道を歩いていたのか、と思うと感極まります。歌の舞台は美大の在りかからしてもう少し下流のあたりでしょうか。

これでユーミンの歌の史跡めぐりはおしまい。このあとは少し走行モードになり僅かな登りを交えて多摩湖まで走ります。冷たい風の強い日で湖面のさざなみが光り、雲の陰影の濃い、そんな午後でした。

多摩湖から府中に戻り、日が落ちるころ一周45Kmのサイクリングを終えました。ユーミンの歌の舞台を巡る、武蔵野の冬の午後でありました。武蔵野はユーミンの歌の舞台が本当に多くあるのですね。ランドリーゲイトと玉川上水を見て、まだまだ多感だった学生時代の自分を思い出して少し恥ずかしい想いがしました。時の変遷をつなぐ自転車の小旅行でした。

富士見通りバス停。ここにランドリーゲイト
があったのか
上水沿いの小路と歌われた。
夢に見た風景がここに
多摩湖まで登る。さざなみを立たせる冷たい風
に冬の日の陰影が濃厚だった。

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