武甲山に登る 

 2016年12月10日 埼玉県秩父市


同人誌・山岳移動通信「山と無線」メンバーの年1回のアイボール集会、今年は12月に埼玉県吉見町で行われることとなった。これを機会に秩父・奥武蔵にある二百名山・武甲山を狙う。

「山と無線」横浜メンバーのうちKさんは今回は所要で不参加、Sさん(JI1TLL)、Iさん(JL1BWG)とともにIさんの車で秩父を目指した。正丸峠のトンネルを久々に抜けて秩父に入ると山麓から目指す武甲山が立派なるも惨めな姿を現した。かつての立派さの片鱗は隠せぬも、いまや惨めな山肌をなすすべもなくさらしている山。言うまでも無く石灰岩で出来たこの山はセメント会社によってたかって削られ、最終的には標高までも下がってしまった、というとんでもなく気の毒な山として有名だ。

”武甲山は北側斜面が石灰岩質であり、石灰岩の採掘が盛んに行われている。石灰岩採掘により山容の変化が著しく、旧山頂は既に失われてしまった。またこれにより旧山頂にあった縄文時代から近代までにいたる歴史のあった信仰遺跡、巨岩群も破壊され、完全に消滅してしまった。天然記念物の高山植物群生地も大半が失われるなど植生の破壊も著しく、奥武蔵の名峰と称えられた往年の面影は既にない。 ” (以上Wilipediaより引用)

セメント工場で白っぽい道をつめて行くと登山口があり、そこから登り始める。表参道コースと言うルートだ。沢沿いから尾根に転ずると丁目石が現れてそれを応用追うように登って行く。暫く汗をかくと祠のある山頂下の広い地形。日本武尊を祭っていると言われる御岳神社だった。山頂らしき高みはそのすぐ先だった。

高みまで近寄って驚いた。なるほど手摺の下はすっぱり切れ落ちていた。秩父方面の展望はそのお陰?か素晴らしかったが、すぐ下まで重機が入っていた。下界から見た通りではあるが此処まですごいとは思ってもいなかった。

無線運用は430FMを運用。ここは奥武蔵・秩父エリアの最高峰でもある。さすがに飛びは抜群でひっきりなしに呼ばれて30分弱の運用で9局との交信だった。

下山して改めて国道まで下りて振り返ると武甲山は大きく、そして無言のまま立っているのだった。

武甲山の石灰岩の採掘は明治時代から昭和初期にかけて本格化したと言う。自然破壊と言う概念のなかったその時代であれば仕方ないかもしれないが、自分達の登った今日でもしっかり重機がフル稼働してせっせと山を削っているのには驚いた。山は誰のものか?。一義的にはその土地を所有している者の持ち物なので何をしても構わないと言うことだろう。

1336メートルから1304メートルまで標高を失った武甲山。今ではまだ関越道を走ると、高崎線に乗ると、片側はすっぱり削られているもののその大きな山は前衛の奥武蔵の低山の向こうに立派に、そして無残にその姿を見る事が出来る。が、今後も採掘が続けられ、やがてその標高も1000mを切り、いずれは前衛の低山の中に埋もれて、消滅してその存在も忘れ去られるのだろう。古くから地元の人に崇められた名山が鉱山資源の為に採掘されつくされて削り取られて消えたということで、是非後世に記録を残しておくべきではないだろうか。

山麓から見上げる武甲山。その斜面はざっくりと見事に
削り取られ、今も現在進行形で採掘の為削られ続けている
低くなった山頂。この手摺の下は人工的な
絶壁だった。見事としか言いようが無かった。

(戻る) (ホーム)