湖西連峰で忘年山行 

 (2012年12月29日、30日 (愛知県豊橋市、静岡県湖西市)


年末が近づくといつも忘年山行はどうしようか、という話になる。横浜ローカルの仲間と例年忘年の山を続けてきたがそれは自分がヨーロッパに転勤していた2005年から2010年の間も自分の年末一時帰国を利用して続いていた。各局とも自分が開局した1994年から程なくして6mの波の上で知己を得たのでかれこれ20年近い間のつきあいということになる。

(一等三角点の立つ神石山山頂) (神石山から浜名湖を望む)

2012年の年末は浜名湖周辺の山ということに決まった。どうも2005年から10年迄の自分が日本に滞在していなかった時期に、自分自身海外生活の反動ゆえ日本の新鮮な海鮮に渇望してしまい忘年山行は美味しい海の幸が食べられる場所にと、無理を言って固執してしまった。どうやらそれがそのまま自分の帰国後の忘年山行としてそのコンセプトが固まってしまったようだ。浜名湖と言えばやはり海鮮には事欠かないだろう。山からではなく宿(もっといえば食事)で行き先が決まってしまう山行なのだ。

12月29日朝7時、新横浜駅で待ち合わせたのはいつもの面子、Iさん(JL1BWG)、Sさん(JI1TLL)、Kさん(JK1RGA)。ひかりに乗って豊橋駅へ向かう。行き先は湖西連峰。一等点の神石山(324m)に始まる浜名湖西部の静岡・愛知の県境尾根である。

豊橋駅で下車して、鉄道好きな自分は駅前に停まっている名鉄カラーの小さな路面電車(珍しく狭軌)に思わず興味が行くがバスは予定通り待ったなしで出発する。今日のコースは葦毛湿原という湖西連峰西部の小さな湿原から歩き初めて稜線に上がり神石山を踏んで、尾根の反対側の浜名湖へ下りると言うルート。最も高い場所で海抜400m程度、ただ距離は結構長い。

バスを降りて葦毛湿原までは10分ほど。時期が悪かったのか湿原はかれているがそれらしい木道が敷かれている。湿原の奥に登山口があり9:45分、早速登り始める。湖西連峰から西へ延びている枝尾根の北面からのアプローチになる。やや湿っぽい登山道をたんたんとこなしていくと約50分で枝尾根の上に立つことができた。海抜285m付近。眼下の町並みとその先の太平洋が広い。新幹線が一直線に続く高架線路を玩具のように走っていく。フーと一息ついて、さてこの先の神石山は未だ遠い。しかも黒い雲がかかっておりやや天気が心配だ。

いくつかの小ピークをこなしていく。結構地元の人も登っており、彼らの話す言葉はかなり強い方言だ。三河弁なのだろう。静岡県東部に勤務する自分としては静岡の方言はそれなりに話せる自信があるがこれではとても太刀打ちできない。会話をすると一発で「異邦人」であることがばれてしまった。横浜から来ていると知ってとても驚かれる。そうだろう、確かに湖西連峰のみで新幹線に乗ってくるとは物好きを通り越している。

いくつかのアップダウンを続けると左右から里道がいくつも交差してくる。エアリアマップもカバーしないこういう山では2.5万分の1地形図が頼り。送電線鉄塔が尾根の上を通っている。それをなぞるように進むとやや急な登りが現れてほどなく一等三角点の立つ神石山324mだった。11:40、ここで対面に浜名湖の大パノラマが・・と期待していたところだが、静岡県側の天気は優れず雲が深くに遠望も効かない。おまけにポツリポツリと雨粒が降ってきた。これは駄目だねー、と4名で奥の手交信をして山ラン稼ぎ。念のため430MHzで一声だしてみると豊橋市内の走行中の車から応答があった。

さて雨はほんの気まぐれだったようですぐにやんでしまったが空が黒いことには変わりない。まだ大丈夫だろう、と予定通り稜線を北に向けて歩き始めた。ここからが湖西連峰となる。湖西連峰はこの先本坂峠で前半部が終わり、その先から東名高速の通る宇利峠までが後半部、そして稜線は東へ向きをかえ湖北連峰へとつながっていく。この道はアップダウンの続けながら前半部で最も高い400mピークに向けて高度を稼いでいく。400mピーク山頂を通り過ぎたその先で縦走路は折り返すかのように鋭角的に向きを変える。ここがややトリッキーでもある。さて今日はどこで下りるか。本坂峠まで歩くのが充実のコースではあるが下山後の宿までのルートは不便である。手前の大知波峠で下山することにする。

下山ルートが地形図上の破線と異なっていたのでややとまどったが下山路の分岐する大知波峠は平安時代の寺院跡があるということで公園のように整備されておりやや拍子抜けがしてしまった。ここからは東に向けて下っていくと直に車道に出て、あとは天竜浜名湖鉄道の知波田駅まで淡々と歩くのみだった。

16:30、知波田駅で次の列車を見るがなかなか来ない様子。それでは、と駅に書かれていた番号にダイアルをしてタクシーを呼んで予約していた浜中湖北部の宿へ向かった。

(予想外?のチェックインにも豪華夕食)  (天竜二俣駅見学ツアー)

宿はどういうわけか予約が通っていないようで主人が曖昧な返事をしていたが無事にチェックインすることが出来た。急ごしらえのようであったが冷凍物は一切ないと言う夕食がずらりと出てきた。流石に浜名湖だけの事はある。階下の宴会室には地元の宴会が入っているようで厚塗りのコンパニオンさんまで入れての気合の入れようだった。

翌朝、残念ながら雨音で目が覚めた。当初の案では今日は湖北連峰の一等点、尉ケ峰を目指す予定であったがこれでは無理だろう。山は無理ならのんびり天竜浜名湖鉄道で掛川まで行こうか、と予定変更。お土産に持ち帰れぬほどの「三ケ日みかん」を宿から貰う。心地よいミカンの香りでザックの重みも気にならないほどだ。

東都築の駅まで宿の軽トラに乗せてもらう。とここでSさんが目ざとく駅舎のポスターを指差した。天竜二俣駅で駅舎と機関庫を見学するツアー(予約制)があると書かれている。早速Sさんが電話して予約を確認するとしっかり空きがあった。大の大人4人がやったーと声を上げて喜んだ。実は4人とも鉄道や乗り物全般、更に言えばメカ物が大好きなのだ。山が無理ならさっさと転進するところが凄い。

天竜浜名湖鉄道はのんびりとした鉄道で単行のワンマンカー。ディーゼル音も最近のハイブリッドカーになってからは唸りが少なく自分としては残念だがしかたない。天竜二俣駅は天竜川がそばを流れる山間の静かな駅であったが操車場は立派だ。天竜川の材木さばきでこの地、そして旧・国鉄二俣線は重要だったのだろう、その歴史を感じさせるものだった。蒸気機関車用の転車台や給水塔が現存しており今も現役と言う。旧国鉄の遺産を第3セクターで見ると言うのも皮肉を感じさせるが駅舎も含め当時のものがしっかり残っている。時折強い雨の下、傘をさしながら普段見ることの出来ない設備をぐるりと一巡。子供心一杯のオジサン4人は大満足。再び天竜浜名湖鉄道で掛川駅に出て新幹線で新横浜に戻る。

浜名湖で海鮮を満喫し浜名湖周辺の山を巡る旅、後半は鉄道施設の見学という素敵な代案であったが忘年山行がこうして終わるとなんだか本当に一年が終わったと言う気がしてきた。楽しく過ごせた今年一年に感謝して、又来年も良い年であるようにと心の中で思いながら3人と別れ家路に着いた。


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