正月の里山歩き - 湘南・鷹取山 

(2008/1/3、神奈川県中郡大磯町)


一年ぶりの日本への一時帰国もその滞在はあと数日を残すのみとなった。日本に居たときは例年正月2日ないし3日になるとアマチュア無線家の新年行事とも言える「ニューイヤーパーティ(NYP)」に参加すべく近郊の山へ移動運用に出かけていたが、こうして今年の正月は2年ぶりに日本に居るので例年のごとくNYPに参加しよう。離日は近いがまだ日本に居るうちにしっかり遊んでおこうということだ。無線運用への参加もさることながら日本にいる間は出来るだけ好きな里山歩きを楽しみたいと言うのが実体だった。

例年のNYPがそうであったように3年ぶりの参加になる今年もアマチュア無線のローカル局仲間である7K3EUT氏との里山ハイキングを考えていた。EUTさんは自分がアマチュア無線を開局してすぐに知り合った方で、無線局常置場所(つまり家)が近かった事もあり、ローカル仲間として親交を温めている方だ。例年ニューイヤーパーティはEUTさんとの里山ハイキング移動運用が恒例となっていた。そんなEUTさんも今は仕事の都合で関西へ転勤しており、お互いにこうしてアイボールできるのもなかなかタイミングが合わないものだ。正月休みの帰省に感謝する。

正月3日、ゆっくり目の10時半に地元、横浜・鶴見の駅でEUTさんと合流する。今日の行き先は神奈川県中郡大磯町の鷹取山(219m)。場所的には湘南平の北西に位置するが湘南平同様に平塚の裏山という位置づけだろうか。あたりには湘南平・高麗山をはじめ曽我丘陵などの丘陵地があり格好の里山歩きフィールドでもある。横浜駅まで出て東海道線の快速に乗り換える。駅のホームで昼食用に崎陽軒のシウマイ弁当を仕入れる。海外に在住していると大半の日本食や食材は手に入るとはいえ実際は様々な食べ物が懐かしくなるもので、この崎陽軒のシウマイ弁当も日本に戻ったら食べたいものとして挙げていたものだ。シウマイも美味しいし具の豊富さも気に入るところで、また何よりもプラスチック容器全盛の今に未だ経木の箱を使っており、この木の蓋の裏についた湿った米粒を拭って食べるのが美味しい、という妙な楽しみ方の出来る駅弁でもある。

そんな楽しみをザックにつめて東海道線は湘南路を走る。穏やかな正月の相模湾が目の前に広がるとゆっくりと相模川を大きな鉄橋で走りぬけ平塚駅到着。鷹取山方面へ走るバスは一時間に一本、自分達以外は2,3人と言う客を乗せバスは閑散とした平塚市街を走り抜ける。平塚八幡宮もさほど混んでおらず正月三日だとさすがに人出は少ないのかもしれない。花水川を渡ると如何にも神奈川の田園ともいうべきのんびりした道となった。とある停留所で停まるとそこでバスを待っていたおばあさんがこのバスの行き先を尋ねている。どうやら自分の目的地とは違うようで、今度はそこへの行き方を運転手に問いはじめた。聞かれる運転手もこれまた懇切丁寧に教えている。その間、のんびりと時間が流れる。誰もせかさないし文句も言わない。おばあさんがようやく納得したのを確認してからゆっくりとバスは出発。しばらく走った停留所にはまた同様に道を尋ねる乗客が居る。再び停まりゆっくりと説明。

あぁ、何か良いなぁ。こんなに良い国だったっけ。妙にのんびりとした運転手と乗客とのやりとりに忘れていた日本の田園風景を感じることが出来る。少なくとも横浜ではありえないスローな会話で、しかも今現在は個人主義・自己主張の国、フランスに住んでいる分だけにこの無防備さにほっと安心する。自分が地方の里山に惹かれるのはこんな素朴な人との接点がそこかしこにまだ沢山残っているからかもしれない。

(バス停をおりるとネギ畑が広がって
いた。鷹取山の入山口は何処だろう?)

生沢でバスを降りる。農水池なのか古びた池があり弁天様が祭られている。街道に沿って細長く葱や大根の畑が続き、その奥には小田原厚木道路の高架橋が、後には新幹線の高架橋が風景を横切っている。地形図によると川に沿って少し北上し小田原厚木道路の高架をくぐったあたりから北に尾根に乗るように書かれている。ところが高架橋をくぐりそれらしい踏み跡を探すが民家へ至る道ばかりで見つからない。少し北上すると今度は民家の奥から犬がいきなり吼えてくる。これもこの手の田舎には欠かせない光景ではある。

地形図を片手に行ったり来たりする。地元の住人が農作業でもしていれば道を聞けるところだがさすがに正月のせいか昼下がりの農村はシーンとしてひと気もない。焦る。里山ではなかなか入山地点が見つからないという事はままあるが、今日は地元民もおらず苦戦する。しばらくたって通りかかった車に尋ねると、なんと入山地はバス停の反対側、弁天池の対面の道と判明。この地形図の示す点線は何だったのだろう。戻ってみるとなるほど弁天池の向いにはしっかり道標まで立ち「関東ふれあいの道・鷹取山へ」のコースが示されている。なんと、関東ふれあいの道だったのだ。はなから地形図のコースを信ずる余りバスを降りてもそのすぐ反対側にあった道標は目に入らず、結局1時間近くロスしたわけだ。EUTさんに申し訳ない。

「まぁ迷うことも里山の醍醐味ですね」ととってつけたような言い訳を口にしながら登り始める。

小田原厚木道路を狭いトンネルでくぐると竹林を5分程度急登となった。上りきると鷹取山から続く尾根に乗った。何と!、意外にもしっかりと尾根道には反対方向からの踏み跡があるではないか。やはり先ほど彷徨った何処かに入山地点があるのだ。悔しい。ちょっとだけそれを辿って一体何処に出るのか探ってみたいという衝動に駆られたがすでに時刻も14時が近く諦める。ここから先は雑木林の心地よい尾根道となった。林相には低木常緑樹も混じり三浦半島のそれに近い。温暖な、海の近くの山なのだ。神社の鳥居を過ぎるとあとは見あげるような急登となった。だがそれも10分程度だろうか。つづら折れで上りきるとそこには神社があり鷹取山の山頂の一角だった。すぐ裏手は北面のゴルフ場から続く車道の終点となっており予め知ってはいたもののややがっかりする。さぁ登頂祝いのお屠蘇だ。プッシュと蓋を開けEUTさんと乾杯。濃い樹林のせいか陽射しが射し込まず泡立つ金色のお神酒もやや寒い。楽しみにしていたシウマイ弁当も震えながら食べる。

目的の一つであったアマチュア無線運用は苦戦する。50MHzでのCQは空振りで静岡市の移動局をコールするが当方が弱すぎて交信不成立。石岡市移動となんとか59-52。ピコ6とワイヤーダイポール、海抜200m級の丘で1W運用とはこんな程度だろうか。とはいえピコ6ではもっと楽しんだ記憶があり、やはり敗因は木の枝に結びつけた地上高さ2m程度のワイヤーDPなのだろう。確かに地上高の稼げないワイヤーDPでは3000m級のピークからでも余り満足な交信結果は得たことはない。これはあくまで非常用と割り切るべきで、やはり同じダイポールでも満足するには釣竿を使って3m以上は上げなくてはいけないだろう。まぁポイントは稼いだからよいとするか。

EUTさんも交信を終えると西日の辛うじて射すだけのこのうす寒い山頂にも用はない。もう午後3時を回っており時間的にはこのまま往路を戻るのが安全だろうが、もう少し尾根歩きを楽しみたかった。それに関東ふれあいの道なのだから道は整備されているだろう。

しばらくは車道を歩く。神社建立のために出来たとしか思えない狭い林道だがいったん下り登り帰すと建設会社の資材置き場のような一角に出る。このまま林道を辿るとゴルフ場に降りてしまうので、北東に尾根伝いに歩くにはこのあたりから方向転換するはずだ。目の上にはちょうど高圧電線が走っており、手にした地形図は残念ながら5万分の1図で精細を欠くとはいえ、その図面もこのあたりでの分岐を示している。それらしい分岐があったので踏み込んでみると、どうやら送電線鉄塔の巡視路のようだった。それでも確かな踏み跡に笹の切り分けの中鉄塔一基分歩いてみるがじきに路面も柔らかく歩かれていない道だと分かる。ただ進む方向はあっているはずだが正規の道ではないようで、迫る夕闇に焦りを感じる。EUTさんには申し訳ないことをした。こんなところで迷うのもたまらないので戻るかと見回すと鉄塔台地の北面には下りの踏み跡がある。数歩辿れば正規の尾根道に飛び出た。なるほど、「関東ふれあいの道」とほぼ平行に歩いていたわけで、ちょっと方向転換への気が早かったのだろう。

ここからあとは伸びやかな冬枯れの尾根道が続いていた。もう一安心。木々の合間から大山と丹沢の表尾根が高く見える。山頂部が黒い雲に覆われており寒気団が入っているのだろうか。EUTさんと四方山話に花を咲かせながら金色に輝く尾根道を辿る。低い丘陵歩きとはいえ自然の中を歩くと言うのはやはり心地よい。

急坂を下ると北面の谷にガラクタが捨てられた一角だ。残念ながらこれも里山の実体。ここまで車が入れるのだろうか。指導標に従い「霧降の滝」方面を回る事にする。尾根から谷に向けて下りきると沢の源頭部は近いのか谷に囲まれた喉の詰まった地形になった。そこから沢沿いの道を下りていく。沢は淀んでいるだけで殆ど流れていない。肝心の滝もよくわからぬままほの暗い渓流を抜け出すと簡易舗装された農道だ。これで今回の行程も無事終了。尾根に登り山頂を踏み、尾根を伝って沢に下りる。そして山麓へ。箱庭のような行程にも一連の起承転結が味わえる事がなかなか楽しい。

松岩寺バス停に出ると始発の平塚駅行きバスはあと10分足らずで出発とはタイミングが良い。あとは鶴見駅に戻って駅前の飲み屋でしばらくEUTさんと楽しむ事になるだろう。近況や仕事の話など話題は尽きない事と思う。小さいながらも満ち足りた里山歩きを味わう事ができ、久しぶりに会う仲間と飲み屋で旧交を温める。人間それぞれ各々の世界で暮らしその中にはそれなりの苦労や悩みもあるだろう。だがこうして心を休める場所があり楽しめる事があるのであれば毎日の苦労も浮かばれると言うものだ。あと数日後にはまた8000キロの彼方のパリまで戻らなくてはならない。慌しいスケジュールの中、ほっと一息の一日だった。


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