師走の前日光の山歩き 篠井連峰と羽賀場山 

 (2008年12月27日、28日、栃木県宇都宮市、鹿沼市)


年末の日本への一時帰国がやってきた。例年通りKさん(JK1RGA)、Iさん(JL1BWG)、Sさん(JI1TLL)と連絡を取り、日本の冬の低山を歩く事を計画。メンバーの拠点でもある横浜周辺から近く、冬枯れの低山と素朴な山村風景賀ある場所はどこだろう・・。いくつかの選択肢から前日光の山々が挙がる。700,800メートル級の山がゴロゴロしており、津々浦々の山々を歩かれているSさんにもまだ未踏のピークが残っているエリアでもある。日光の山間の一軒宿・小来川温泉に宿を取り初日は篠井連峰、二日目は一等点の山・羽賀場山を歩くことにする。


篠井連峰

12月27日、一年ぶりにKさん、Iさんと再会。Kさんは夏前から酒を減らし健康管理をされたとの事で、中年腹の突き出た自分に比べ羨ましい体型をされていた。ダイエットは自分には大きな課題なのだがなかなか長続きもせず、いつも楽なほうに流れてしまう。情けない限りだ。Iさんも昨年同様お元気そうだ。

朝の東北本線で北を目指す。メンバーいずれも神奈川や山梨方面の山には明るくとも北関東の低山は馴染みが浅く東北本線で山に行くことなど滅多にない。沿線風景も馴染みが無く利根川の大きな鉄橋に驚き、古河あたりから南に見える立派な山が何だかも分からない程だ。Iさんに「筑波山ですね」と言われるまで、あの山が昨年このメンバーでの登った山であるにもかかわらずなかなか気づかなかった。

宇都宮で予約していたレンタカーをピックアップし日光街道を北に向かう。週末の午前中、人は思ったよりも少ない。統一感のない街並み、音のなる交差点(横断歩道)など、しばらく日本を離れている自分にとっては奇異に思える。ビルと小さな家屋が並んで連なるのも地方の都市の典型的な風景でもあろう。すぐに街を抜けると田園風景となる。連なる並木道がいかにも旧街道らしい。

篠井町の子供の森公園の駐車場を目指す。ここをベースに周回するというのが計画だ。広い駐車場に車を停めて出発。10分ほど車道沿いに北へ歩き中篠井登山口を探すがわからない。Iさんが先行。それらしき箇所の民家で布団を干していた小母さんにKさんが道を尋ねると裏手との事。戻りかけると家の横を通っていけますよ、とこんな開けっぴろげの感じが如何にも山里の素朴さらしく、あぁ、やっぱり日本はいいなぁと感じる。

道は明瞭で杉林に分け入るがすぐに右手から林道が合流してくる。合流をたどり再び踏み跡に従い登っていく。緩い登りから谷あいを進むと分岐があり直進し尾根を突き上げる道は男山方面とある。まずは榛名山に行きたいので右のトラバース道をとる。行く手はトラバースから谷筋に転じ、やや荒れ気味の沢を辿るようになる。石がゴロゴロする上に淡く雪が残っており歩みに気が取られる。更に両手の谷が詰まってきて正面にも左右からぐるりと取り囲むように急斜面が近づいてくると沢の源頭部だ。薄暗く寒々しく湿った斜面を雷光型に突き上げていくその目の上には、立ち上がる木立ちのシルエットを透過し明るく眩む太陽光線が踊っている。稜線だ。暗から明へ。がらりと異なる風景の違いへの期待感に満ち溢れる。沢の源から稜線に上がるこの感覚、いつもわくわくさせられる。

稜線は、乾いた冬枯れの登山道だった。遠景がもやっているのは冬の割には暖かいせいだろうか。西へ数百メートルも進むと高まりがありこれが榛名山のピークだ。嬉しいことに筑波山も良く見える。祠のあるピークでIさん・Kさんと奥の手交信をし、先へ進む。

先程の沢から上り詰めた箇所まで戻り更に直進する。男山も小さなピークで日光連山の眺めがなかなか素晴らしい。ここでも奥の手交信をすまし、稜線を東に進む。

小さな山ではあるがアップダウンもそれなりで、雑木林の稜線をこうして歩けることがとても嬉しい。日本の山を歩くのは一年ぶりなのだが風景に違和感を感じない。ヨーロッパで暮らしその田園を歩いたとしても、そこで出会う風景は自分には味わい深いとはいえ、やはり異文化がその根底にある事を感じる。自分がその文化で育ったのではないと言う疎外感、異国人としての視線で風景に接している自分を常に感じ取る。その点やはり日本の風景には、それが自分の生まれ育った地方のものではないとしても、自分自身が入れ子になりうまい具合に風景にはまる感覚、いや逆で、風景が、空気が、自分の中にうまく違和感なくすっと入ってくる・・・そんな感覚を強く感じる。多分自分が今日本に住んでいないから当たり前すぎて感じた事もなかったそんな事を強く感じるのだろう。この入れ子感覚がなんとも心地よく、そして嬉しい。

(本山山頂から北に、雪雲に隠れた
日光連山を望む。)
(日光街道付近から眺める篠井連峰) (ルート図。データ提供JL1BWG氏。
カシミール3D附属5万分の1図上に展開)

立ち止まり風景を眺めていたら二人に遅れをとってしまった。追いかけるように進む。鞍部まで下りた尾根道は再び登り始める。先行するKさんの見慣れた赤いカリマーのザックが木立の中に見えた。慌てると息が上がってくる。

篠井連峰の最高峰、本山(562m)へは古びたロープの張られた広い急斜面を枯木立につかまりながら一気に上り詰めていく。上り詰めた稜線を左手にややすすむと山頂だ。木立が薄くなった山頂は展望は良いが風も良く通る。目の前には、女峰山だろうか雪化粧の日光連山が大きいがその山頂部は黒い雪雲の中に隠れている。寒くなったので上着を着込む。

ここで昼食をとりがてらアマチュア無線運用だ。50MHzのサービス。Iさんがヘンテナを設置しCQを出し始める。関東平野北端の前衛の山だ。ロケは決して悪くないはずなのだろうがなかなか呼ばれずに苦労されているようだ。東白川郡から電波を出していたビッグガンとようやく交信が出来たようで、自分もその後にオペレーションを代わってもらいお声がけをしてなんとかポイントを稼ぐことが出来た。

ここから縦走路はさらに南東に伸びている。先程の合流地点のすぐ先で道は急な岩の崖の上に出てしまった。やや戻り先程の登路を下り気味に回り込むと崖の下に出る。目の先には連峰の次のピークである飯盛山が、まさにおにぎりのような形で立っている。このあたりで時間が気になってきた。初日の今日は午前中の所要で参加できなかったSさんが午後3時過ぎに宇都宮駅に到着の予定で、そろそろ切り上げたほうがよさそうでもある。

幸いなことにこのコースには頻繁に下界へのエスケープ路があるので、最初に現れたエスケープ路に従って下山につく。稜線から杉林に、そそてやや荒れ気味の沢を下っていくと右手に子供の森のキャンプ場の裏手から伸びてきた舗装路に出た。

小さな尾根歩きではあったが展望も良く、自分にとっては原点回帰したかのような感覚を味あわせてくれた山だった。

* * * *

Sさんとは半年前の夏のヨーロッパアルプス山行でご一緒させていただいた以外に、つい数週間前にも丁度Sさんのドイツへの出張の乗り継ぎ時間を利用して、アイボールをパリの空港でしたばかりである。今度は宇都宮駅での再会とは地球も全く狭いものだ。パリの登山道具店で買ったミレーのザックを早速愛用されているようだ。

無事合流を果たし4個のザックを載せたレンタカーで西へ向かう。小来川温泉は篠井連峰とは反対側の、宇都宮からみて北西に、鹿沼市の黒川の谷を分け入った所にあるのだ。コンビニで今晩の酒のつまみや明日の昼食を調達。ガイドブックで見たことのある古賀志山を通り過ぎる。Sさんはこの山にも登ったことがあると言う。走り出した頃は明るかったもののひたひたと忍び込んでくるような山の暗さにあっという間に道が包まれてしまう。前方に端正な山のシルエットが浮かび上がるがカーナビがそれが笹目倉山だと伝えてくれる。なかなか良い山のようだ。それを過ぎると目指す宿で、谷あいの小さな一軒宿だった。

宿泊客は我々だけのようで早速湯に入り夕食へ。山も楽しいが、実は山仲間とこうしてくつろぐのがもっと楽しい。宿のドテラを着込みコタツに入ればこれ以上言う事もない。酒とつまみで山の夜は更けていった。


羽賀場山

(羽賀場山まであと少し) (一等三角点峰とは思えぬ冴えない山頂)

明けて12月28日は雪がちらつく朝だった。天気も芳しくないが予報は悪くない。予定通り羽賀場山へ向かう。この山は一等三角点を有するものの地形図上にはその名が記載されていないという不遇な山でもあり、かつ、安蘇・前日光の山の典型的な例にもれず読図が必要な山、とガイドブックには記載されている。自分一人では不安でも山慣れた仲間がいれば行けるだろう、と選んだピークだった。

手洗という名の集落のお寺の駐車所の端に車を停めさせてもらう。いきなりの檜林の直登がこの山への第一歩だった。最初の標高差100mはこれで一気に稼いでいくのだがいきなりのこれはなかなか辛い。頻繁に山に行かれているお三方についていくことが出来ず遅れ気味で登っていく。薄暗い檜林は展望も利かずただ登るだけの修行のような道でもある。

やや傾斜が緩むと南から伸びてきた尾根に乗ることが出来た。今度はこれを真北に向けて登っていくことになる。読図が必要な山と書かれていたにもかかわらず、想像していた通りしっかりとした踏み跡があり迷うほうが難しい。若干の肩透し。2000年発行のガイドブック(分県別登山ガイド・栃木県の山、山と渓谷社)から8年も経てば道の薄い寂峰にも道は付こうと言うものだ。

鉄塔台地。標高460mと読み取り腕時計の高度計を校正する。再び3人を追いながら高度を稼いでいく。このくらい登ればそろそろこの不愉快な檜林もなくなり、親しみやすい雑木林に転じてもよいはずだが、この山はまだまだのようだ。

二回目の鉄塔台地・標高610m地点は、登山道から左手に少し下がった場所に切り開きがあった。ようやく展望が得られ一本立てる。これまで何度と無く山をご一緒させていただいてきた方々ばかりなので、久しぶりと言う気が全くしない。

ここから海抜690mの主尾根の合流地点までは再び暗い檜林の気が重くなる登りだった。これが雑木林の山だったら、と思わずにはいられない。

主尾根の合流地点は良くある尾根の交点の典型的な例で、ぽこりと盛り上がった小ピークだが地形図上は等高線にも現れない。等高線一本分の10mの標高差がどのくらいなのかはなかなかぴんと来ない。この小ピークから真西にむけて進む。ようやく雑木林が目立ちだし明るい気分になる。やや下り小さなピークを超えるがここで短いながらも嫌な感じの岩場が目の前に高い。この手の嫌な岩場は安蘇の山では良くある例で尾出山や岳ノ山でもお目にかかっている。これが中央線沿いの山のようにハイカーが多いエリアであればロープや鎖などで整備されるのだろうが、歩く人が少ないこのような山はそのままの状態で残っているのだろう。安蘇の山が標高の割には篤志家向けと言われる一因かもしれない。

再び取り付きの難しい岩場が目の前に出た。Sさんが慎重にホールドを確認しながら登っていき、Kさん、Iさんも続く。自分もしんがりで何とか登るとすぐそこが目指す羽賀場山の山頂、標高774m だった。それでも昔は展望があったのだろうか、今では一等三角点がそこにあることも信じられないほどの展望の無さだった。そういえば同じく大鳥屋山も一等点とはいい展望が無かった事を思い出す。

山頂でのアマチュア無線運用。早速Iさんがヘンテナを設営。FT817で50MHzをスイープすると年末最後の日曜日、結構な賑わいのようだった。楽しそうなIさんのオペレーションを聞きながら昼食にする。Kさんも430MHzハンディにハムフェアで入手したと言う長尺ホイップで交信。

50MHzのオペレーションを引き継ぐ。50MHzSSBでCQを出すのは自分のアマチュア無線の原点でもありやはり気分が高まる。マイクを離すと間髪をおかずにコールバック。一年ぶりに味わう山岳移動の醍醐味だ。茨城や横浜の馴染み局とも交信が出来る。430MHzでは昨年の筑波山と同様にJCAさんとも交信が出来た。

下山はあっけなく、気になっていた岩場の下りも無事に過ぎて登ってきた枝尾根との分岐の小ピークに立つ。ここで鳩首会談。Sさんが、「このままここを曲がって往路を辿るのではなく真っ直ぐ歩いてみませんか?」と提案。その道は手にしている10年前の分県別登山ガイドに記載されているコースでもある。古いとはいえガイドブックに載っているのだから行けるだろう。

この登ってきた道をまた下りるのでは安蘇の山にしては手ごたえがない、少しは迷わせて欲しい、と内心思っていた自分には未知のルートに興味がわいた。Sさんが偵察に先行すると踏み跡は最初だけであとはいきなり檜の広い伐採地になった。早くも足元には潅木の枝が煩く典型的な藪ルートのにおいがプンプンしてきた。

急な伐採地をSさんはぐんぐん下りていく。不明瞭ながらも踏み跡らしきものがある、との事で、自分も後に続いた。土が軟らかく一歩一歩がぐっと埋まる。人が歩いていないことを感じさせるこの感触。

これだ!ようやくアドレナリンが上がってきた。 ・・・・・安蘇の山はいつも自分には厳しかった。一本違う尾根を疑うことなく歩かされた尾出山、踏み跡に従っていたら90 度違う方向に導かれた岳ノ山、一歩ごとにくずれる土の斜面を枝につかまり攀じさせられた仙人ガ岳、枯れた枝と土に埋まった赤さびたジュースの空き缶にかつての道を見出させてくれた藪こぎの地蔵岳・・・行けば必ず何かがある、素直には進まさせてくれない、やはりこうでないと安蘇の山とは言えないだろう。なかなかやってくれるではないか。

いささかマゾヒスティックな快感を感じながら下りていく。地形図上では標高660mから一気に50m標高を下げるようになっておりその通りだ。伐採地を下りきると地形図標高610mの等高線に沿って狭い尾根をわずかに西に進む。その先に小さなピークがあるのもまさに地形図どおりだ。ゆるく下る尾根を忠実に踏んでいく。枯れた枝が足元でポキリと折れ埃が舞い上がる。

少し下ると古ぼけた小さな石祠があった。これはガイドブックにも記されているものだ。とりあえず地形図上に自分たちの位置がプロットできている。安心するが問題はここからだった。

この先、ガイドブックには 「道なりに下っていくと486.2メートルピークの手前のコルにつく」 とわずか30字程度で記されているそのコルまでの道が、果てしなく遠かったのだ。

(踏まれていない檜林の中を
歩くのは不気味でもある。)
(文明の足跡に惑わされた。 
失意の送電線鉄塔台地。)

石祠から標高600m地点。ここから尾根を下がると檜の林が左右に広がる。地形図でも等高線で580mから570mの間が広範囲に広がっており平坦地であるのが分かるが、地形図によるとこの台地からは南、東南、東北東、北北東への4本の尾根が派生しているのだ。「486.2mピーク手前のコル」に至るにはこの4本の尾根の中から東北東へ進む尾根を選ばなくてはならない。簡単そうに思えるこの選択も、いくらシルバコンパスを見てもなかなかぴんと来ない。よもや真南に下りる尾根を選ぶことはないにせよ、台地が広いがゆえに尾根の生じる箇所は明瞭でなくしばらく末端まで歩き尾根が明瞭になるその様を確認してから正しいかどうかを判断しなくてはならない。これが冬枯れの雑木林の中であればまだそれも容易だろうが、昼なお暗い展望の利かない檜の中では困難だった。

4人で目を皿のようにして歩くことしばし、ついに確実な手当てを発見した。土流れ止め状に組んだ階段があったのだ。

「やった・・・」 文明を示すサインの持つこの安堵感。4人して明るい気分で下っていく。と突然視界が開ける。切り開きのその先には送電線鉄塔が立っていた。

ほっとして地形図を見る。尾根上を送電線が通過している箇所は・・・。大きな過ちであることに気がついた。辿るべき東北東への尾根ではなくまんまと東南へ派生する尾根に乗ってしまったのだ。東南尾根の標高530m地点が現在の我々の場所なのだ。我々の誤りをあざ笑うかのように切り開きのその先は密生した藪で閉ざされており、道は無かった。

この尾根はこのあと真南へいったん向きをかえ再び東南に折れ標高380m地点あたりまで下りていくとその西に林道が伸びていることがわかる。強行突破?雑木林であればあるいはそういう選択もあるかもしれないが何にせよ目の前の藪が深すぎて、これ以上進む気にはならなかった。

大きく深呼吸をして再び先程の570m台地まで登り返していく。尾根を一本間違えたのだ。この階段は何と言う事もない東電の送電線巡視路に過ぎないのだ。わずか40m程度の登りが長く感じられる。Kさんが時計を気にして、「明るいうちに登路の分岐まで戻ったほうがいいのでは」、とコメント。まさにその通りなのだ。だが現在地を失ったわけではないのだ。場所はこの地形図状にきちんと把握できているのだ。あと尾根をもうひとつ。もうひとつ北の尾根さえみつかれば・・・。

再び台地に。原点に戻って慎重に北に進む。北北東尾根と東北東尾根がこのあたりで分岐しているはずだ。最初に右手に伸びるそれと思われる尾根の頭・・。地形図の磁北線にシルバコンパスを載せIさんと覗き込む。マゾヒスティックな快感なんて、余裕を持った罰だろう。さきほどの気持ちは何処へやら、やにわに鼓動が高い。


多分これだろう、と辿ってみると尾根は明瞭になってきて、地獄に仏とはこの事だ、檜林の中から不意に前方に大きな独立ピークが立っているのが見えた。あれが462.8m峰だろう。北北東尾根であれば前方にあれほど明瞭なピークはない。Sさんも「ついに出ましたね」、と明るい声。

ガイドブックの一行の記載事項を辿るのに数十分を費やしてしまった。コルまでは尾根も明瞭なのでぐんぐん下りていく。462.8m峰を前方に見ていれば良いので間違いようもない。

コルは実に明瞭だった。ガイドブックによると このコルから右へ杉林の中を10分ほど下りると林道に出る、とある。が現実に右手に見る谷は頼りにすべき踏み跡もなく柔らかく如何にも足元を獲られそうな急斜面の植林帯で、それは蟻地獄を思わせるような地形だった。岩場ではないものの滑落すると無傷では済まないような気配を感じたのか、誰からもここを下ろうという意見は出なかった。

「もう少し行って、様子を見ますか」 コルから更に進むと462.8m峰の南斜面をトラバースする事になる。踏まれていない地肌は柔らかく崩れそうな嫌な感覚が足の裏に伝わってくる。檜林のもつ独特なあまったるい香りが漂う。嫌なにおいだ。Sさんがそれでもようやく下れそうな箇所のあたりを見つけ先行していく。何とかそれに従い下りていく。落ちて腐った枝をポキポキと踏みしめるとようやく目の前に小さな沢が出てきてそれを超えると朽ち果てた車道に出た。これがガイドブックに記されいていた林道古戸中入支線である。

「フー、終ったぁ。」
「いやー、良かったねぇ」
「最後までてこずらせてくれましたね」

誰からもなく笑みがこぼれた。ザックをあけウーロン茶を飲む。ごくごくと飲む。とても美味い。

確かに、冬のこの季節とただでさえ暗いという植林帯の中での行動を考えれば、もうあと時間が一時間ずれていたら進退きわまったかもしれない。しかし四人の目と知恵があればなんとかなろうと考えての行動だった。こうしてなんとか下りてしまえば山中でのあの不安や焦りも何処へやら。すっかりリラックスした四人であった。展望のなさや思いのほかに多かった檜の植林帯には閉口したが、それでも最後やはり安蘇の山だった。しっかり最後にそれなりの手応えを与えてくれたのだ。

* * * *

小さいながらもいつもの如く充実した山に満足しての帰路に着く。鹿沼のコンビニで聞いた日帰り入浴場「鹿沼温泉出会いの森福祉センター」で一風呂浴びてから宇都宮駅に戻りレンタカーを返す。駅ビルでビールと名物の宇都宮餃子で乾杯。

うまい具合に上野行きの快速に間に合い、ボックス席に座る。師走の最後の週末の夕べ、さすがに電車はすいている。再び缶ビールを飲みながら楽しかった山を振り返る。自分は目下のところ日本には住んでおらずこうして仲間と山を歩く機会も限られてはいるものの、それでも機会あらばこうして会って頂き、ともに歩いていただけるとは感謝の念にたえない。今度次は何処に行こうか。今のパターンであればそれはまた一年後のことだろう。一年なんて、あっという間だ。

年の最後を楽しい山で締めくくることが出来て嬉しい限りだ。ビールで頭がボーっとして、いつまでもしゃべり続ける四人を乗せ、電車は一路上野へ向かって走っていった。

(山行日 2008年12月27日、28日)


羽賀場山ルート図 GPSデータ提供JL1BWG氏。カシミール3D附属5万分の1図上に展開したもの)


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