晩夏の高原にて - 黒斑山 

 (2005年8月14日)


駐車場がすでに標高2000mが近いということもあり、晩夏の高原には澄んで涼やかな空気が満ち溢れていた。

車坂峠の駐車場に車を停めザックをまとめると同行のJI1TLLさん(S氏)、JL1BWGさん(I氏)に続いて冷やりとした白樺の林の中に歩を向ける。このお二人、それに1週間前に白馬岳をご一緒していただいたJK1RGAさん(K氏)とは今までに幾度となく山行を共にさせていただいた仲間で、ともに山を歩き山頂でアマチュア無線運用をするという好事家の仲間だ。RGAさんが今回はここに居ないのは残念だが、TLLさん、BWGさんともにスケジュールを上手く合わせていただき、こうして信州の山までお付き合い頂けた。しばしの離日の前に気の置けない山仲間と貴重な時間を過ごしたいという自分の我が儘におつきあいいただき、申し訳ないやら、それでいて嬉しい気持ちであった。

標高が高いせいかカラマツの林と潅木帯の境が明瞭ではなかった。歩き始めてすぐに低木の中を歩くようになる。冷んやりとしていたカラマツ帯の中にくらべ背の低い潅木の中は陽射しを遮るものもなく強く降りかかってくる。丁度お盆の今は夏真っ盛りと言えるだろう、容赦ない陽射しに汗が流れる。バイケイソウの群落を抜けて高度を稼いでいく。

今回目指している黒斑山は浅間山の外輪山に位置づけられ、浅間山が噴火の影響で入山できない事もありその代わりとして登る人も多いと聞く。入山した高峰高原からはその標高差もわずかに500mで楽な高原ハイキングとも言えよう。

林の中、足の速い二人はどんどん先へ進んでいく。自分もマイペースにわずかな負荷をかけ頑張って登っていく。所々で彼らは立ち止まり、花の写真をカメラに収めている。山登り歴の長いTLLさんも、丹沢の自然指導員をされているBWGさんもさすがに花の名前に詳しい。

林が途切れガレ場の中を行くようになるとはや外輪山の山並みが近いようだった。外輪山に出て真正面の浅間山の展望を期待するがあいにくとガスが流れてきて遠景が効かない。外輪山を黒斑山に向けて北上して登っていく。いつしかガスも取れ右手に浅間山のドームが手に取るように近づいた。これがいつも噴煙をだしているあの山のピークなのか。佐久あたりの山麓から眺めた優美な姿もここまで近づいて見ると木立も何も無いただの黒い丘でずいぶんとグロテスクな眺めでもある。

黒斑山の山頂は浅間に向けて切り開きがあるがカラマツと潅木の中の静かなピークだった。盛夏とはいえさすがに標高がある分じっとしていると汗が引いてきた。BWGさんが慣れた手つきで木々の中を選んで50MHzのヘンテナを設営し始める。FT817の5W運用、標高もあり関東地方からもそれなりに呼ばれている。運用を代わって貰う。SSBの変調音が耳に心地よい。わずかながらパイルも味わえた。50メガの山頂からの運用もこれで当分はないだろう。

蛇骨岳へは外輪山の上の心地よい散歩道だった。潅木帯と見晴らしいのよい草の原が交互し、右手にはがくんと落ち込んだ壁の下に湯の平の草原が長閑に広がりその果てから浅間山が一気にそびえ立っている。まだ登山禁止令がでるまえに、TLLさんはあの山頂を踏んで山頂からの無線運用もしたことがある、と話してくれる。火山礫でザクザクの、喉の乾きそうな山ではある。

岩がゴロゴロする蛇骨岳で手短に無線を運用すると、あとは外輪山の腹を巻くように車坂峠まで戻るコースを取って下山する。このコースは始めは下草が煩いものの、カラマツの林に入るとお花畑のようになり、なかなか目を楽しませてくれる。お二人に花の名前を教わりながら峠に戻った。

峠のホテルで温泉に入り、こざっぱりとして横浜に戻る。お盆の中日で道も空いており山仲間二人のご自宅を経由して、あっという間の帰浜であった。

暦上はまだ盛夏の山ともいえた今日の黒斑山。とはいえ心の中ではもう晩夏の風を感じたのは何故だろう。夏も、ことさらこのような高原、お盆時期を過ぎると急速に秋の近づきを感じることがある。一年の間でもっとも生命力に溢れた季節から物静かで落ち着いた季節への移ろいを明瞭に感じる時、強い躍動感が薄れ陰影を持つ透明な静寂さに変わる時、人は季節が移ろい秋が近づいた事を感じるものだろう。そしてそれは一抹の寂しさを人に感じさせてくれる風景でもある。 今日この信州の高原でそんな季節の移行を感じることが出来たのは単なる季節の移ろいだけであろうか。 しばらくは日本を離れることになると言う、もしかしたらそんな若干の感傷的な思いもあったのかもしれない。

盛夏に晩夏の山を歩いた。不思議な季節感の山だった。

* * * *

最後の山行をこなした車をその数週間後に中古車屋に持ち込んで引き取って貰い、後は日本を旅立つだけであった。この車は次女の誕生が分かった時点で買ったものだが、それから約9年経ったということになる。その間には、ささやかな本当に何処にでもあるであろうありふれた我が家にも、多くの些細な事柄がおき、悩み、笑い、喜んだ事だろう。そしてそんな毎日を縫うようにこの車を駆りいくつかの山にも向かったものだった。有名な山、無名な山。大きな山、小さな山、そんな自分の足跡の残るいくつかの山々に対する想いが湧き上がってくるのを感じていた。いやそれは山に対する想いと言うよりもあっと言う間に過ぎ去った10年近い歳月に対してであったかもしれない。

査定を終えた車のドアをパタンとしめると、室内にこもっていた信州の高原の空気が閉まるドアに押し出され僅かに鼻をかすめたような気がした。又何時の日かこの高原の空気をどこかで感じる事があることを、自分は信じて疑わなかった。

(浅間山頂を望む) (外輪山を北上して蛇骨岳へ) (マルバタケブキが鮮やかだ) (無心に蜜を吸う)

(終わり)


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