桜咲く鎌倉の丘陵にて - 六国見山 

(2004/4/4、神奈川県鎌倉市)


山に咲く桜を見よう、と手近な鎌倉の丘陵地へ出かけることにした。六国見山とはその昔、伊豆、相模、武蔵、安房、上総、下総の六国をその山頂から見渡すことが出来たことからつけられた山の名前との事であるが、山頂には桜の木があるという。展望の良さそうなその山頂で桜を愛でることが出来れば良いだろう。家を出たのは正午を回っていた。

横浜新道を経由して大船へ抜ける。休日の昼過ぎのこのあたり一帯はいつも渋滞しているが今日も長い車列が続いていた。しかしこの混雑、今日で子供たちの春休みも終わりだというのも手伝っているのかもしれない。

鎌倉女子大学から北鎌倉へ抜ける道に入りその途中から高野団地に向けて車を走らせた。宅地の一角に駐車して登り始める。山肌を開いた宅地で、緩い上り坂が続いている。ぽかぽかと暖かい陽気で、それに誘われてか空き地では地元の住人が何人かテーブルを広げて宴会をしている。赤ら顔の皆さん、楽しそうだ。

宅地の一番上は新興住宅地となり建売住宅が並び現地見学会の赤い幟がはためいていた。それを過ぎると六国見山への案内板があり山道となる。地面には桜の花びらが一面に落ちていてほの暗い山に中をあかるく照らしてくれているようにも見える。

(六国見山頂には桜の木があり、遠くの丘陵が望めた)

写真などを撮っていると妻と長女は先に上っていってしまった。二女と一緒に登っていく。この子は自分に似てか少し気管支が弱くここ数日の気候の変動で今朝など少しヒューヒュー言っていたのだが好天に誘われて連れ出してきてしまった。それでも小さな山だけあってたいした登りもないだろうし、本人も屋外は気持ちよさそうで、正解だろう。

手をつないでゆっくりと登る。背の丈ほどのシノダケの切り開きの中を登っていくと上から長女の声が聞こえた。頂上だ。正味10分もない登り道だった。

盛山のようになった山頂には小さな展望台があった。その横には大きな桜の木があり期待通りだ。肝心の花はやや散ってはいたがまだまだ見ごろだろう。とても山とは言えない小さなピークではあるが、それでも六国見とは大げさではない、鎌倉から相模湾の方向は雄大に広がっていてその緑の中にポツンポツンとピンク色が混じっているのがいかにも春の野山らしかった。

お菓子とジュースを楽しみ始めた三人の横で50MHzの無線機をセットする。アンテナを立てていざ運用しようとしたら電池を忘れてきたことに気づいた。こんなこともあるか・・。諦めて一式をザックに仕舞う。暖かな、空気だ。

春めいた空気に子供たちにとって明日はもう新学期の始まりであることを思い出す。早いもので長女は5年生に、二女は明日から小学生だ。子供の学校には登校班というものがあり、高学年が低学年を引率して学校へ登校するというものなのだが、なんと明日以降は我が長女がその引率の責を負い、二女もその輪の中に加わるという。自分の頭の中には高学年に引率され登校していた長女のイメージが未だに鮮明に残っている・・それがもう引率する立場とは・・。

時の経過は早い。自分の毎日は会社との往復で終始しそれは精神的にも肉体的にもかなり自分自身を擦り減らしてしまう日々でもある。そんな日常を前に、もっと早く歳をとって自分の自由になる時間が増えれば、と漠然と考えることすらある。しかしこうしていつの間にか成長している子供たちを前にすれば、嬉しくはあるものの彼らと接することのできる時間、親という名の下で彼らを占有することのできる時間が減っていくという事実に愕然ともする。親と子の関係は自分のようにベタベタとしたものではなくもっと精神的なつながりによる高度な関係に発展していくべきものなのだろうが、少なくとも今の自分にはそんなところまでとてもいかない。まだまだ今のままでいたい。子離れのできない、親なのだろう。

せっかくだからここから少し南東にはずれている三角点を見に行く。地形図上の六国見山のピーク・147m点は実はこの三角点を持って山頂としているのだった。雑木林の中をゆっくりと歩く。リスが木の上を走っていく。三角点をみつけてほっと安心。往路を戻る。

小さな山なのでとりたてて何もする事がなかった。西の空がやや赤みを帯びてきたのを見て腰を上げた。

「先に下りているよぉ」
「気をつけてなぁ・・」

二人とももつれ合うようにシノダケの切り開きの中に吸い込まれていってしまった。妻と並んで立って、自分はぼんやりと過ぎし年月を考えた。

すっかり体だけは大きくなった長女はそろそろ児童から少女への過渡期を迎えていると言っても良かった。もう親とベタベタするの嫌がる時期が来るのは時間の問題だった。そんな姉を追い山道を飛ぶように走り降りていく妹のその小さな背中には明日からは真新しい赤いランドセルが載るのであった。

いつまでこんな風に過ごせるのだろう。子供の巣立ちを自分はきちんと喜び、自分なりに消化出来るのだろうか・・。林の中に小さくなった二人の影。僕は深いため息をついた・・。夕方になって少しだけ空気が冷やりとしてきたようだ。とは言えこの角の取れた柔らかい温度はすっかり春のものだった。もう、4月なのだ。そんな空気の動きを肌で感じながらゆっくりと山道をおりていく。桜散る登山道を踏みながら、なにやら妙に物悲しくなってしまう自分であった。

(終わり)


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