遥かな尾瀬へ、残雪のスキー行・至仏山 

(2004/4/30、5/1、群馬県利根郡片品村)


(鳩待峠からやや登る。行く手に目指す至仏が大きく、ゆったりと姿を現した。)
Ricoh GR-1 Fuji SensiaII

3月に出掛けた北八ケ岳・麦草峠と上信国境・湯の丸山へのスキー行は結果的には「後を引く」山となった。北八は結局は国道のピストンでありツアー要素はさておき滑りを楽しむという事は出来なかった。湯の丸山はシール登行を味わいスキー登山の満足はあったがいかんせん山頂への往復では行程が短すぎた。どちらともバックカントリースキー気分をうわべだけ味わった、という感があった。何処かへ、行きたい。

自分にも楽しめるコースで、もう少し本格的なルートはないだろうか。ガイドブック片手に毎日の通勤電車に揺られる。自分にとっては経験の皆無に等しいバックカントリースキーツアー、実際にどこへいこうかとなると、天候や積雪などの自然状況、コース上の難所、自分の技術に対する判断など心配は尽きない。本の紹介ルートを自分が実践するコースとして現実化していくのはしっかりした視点で物事を考えていく必要があった。そうこう言ううちに急速な勢いで冬は遠ざかり気候はすっかり春めいていく。自分でも行けそうに思えた上信国境の根子岳ツアースキーへの適期もあっという間に過ぎてしまった。焦りが心の中にあった。

五月連休に焦点を絞ろう。その時期、自分の足でも行けそうなルート候補は何処か。候補として月山、八幡平、南八甲田などが浮かぶ。とはいえ土地勘のないこれら東北の山にいきなり遠征するのも気乗りがしなかった。懐具合も現実的な悩みでもある。こうして近場の関東近郊の山として尾瀬が浮かび上がった。至仏山は5月でも充分滑れるバックカントリースキーツアーの定番のようだった。同じ尾瀬の燧ケ岳よりもアプローチが近くルートそのものの難易度も低いとの事だった。

尾瀬といえば水芭蕉、それ目当てに混雑を極める観光客。自然破壊対策としての入山規制・交通規制。そんな印象で近寄りがたかったが、残雪期の尾瀬は入山者も限定されるし五月連休には鳩待峠までの道路の除雪も完了しかつ自家用車で入れとの事。時期を選べば尾瀬も遠い山ではなかったのだ。

よし、至仏か。行ってやろう・・。五月連休の天気予報は前半が良いとの事、4月30日、5月1日を山行日と決めた。不安でもあるがわくわくもする。駅のホームでゴルフの素振り練習姿勢をとっているオヤジさながら、自分も気づけばテレマーク姿勢のポーズをところ構わず無意識にしているのには我ながら苦笑を禁じえなかった。

* * * *

関越道の赤城高原SAで仮眠。朝5時半出発。夜は気づかなかったが右手には子持山が大きい。数年前の1月に軽い粉雪を踏んで立ったその山頂が意外に近い。そしていつか機会があれば登りたいと思っている戸神山と上州三峰が親しげに目の前に立っている。その奥には純白に輝く武尊山が気高く立っているその雄姿には思わずピリリと電気が走ってしまう。照りつける真夏の日差しに精根尽きてその山頂に登りついたのは昨夏の事だったが、いまや白銀の雪化粧をまとったそのピークは自分には更に全く遠い存在に思える。もっとも今から登る至仏山とて純白の雪山のはずだ・・・。山への期待、そして不安。雪の山だ、無事に行けるか、しかもスキーを履いて・・。不安が高まり出来ればこのまま帰ってしまいたい。一方車は好調そのものでそんな事とは無関係に走り続ける。

尾瀬・戸倉の集落を抜けると一気に山深い。谷筋に斑だった残雪も高度を上げるにつれて尾根筋にも目立ち始めてきた。急ハンドルで登っていく。路肩駐車の車が増えてきた。鳩待峠到着。さっそく管理人が駐車料金の徴収にやってきた。一日2500円、以降一日1000円とはやはり馬鹿に高い。路肩駐車も頭によぎるが駐車禁止の反則もつまらないだろう。

すでに板にシールを貼って準備万端の同好の士が多くいて心が躍る。ツボ足のパーティも多い。入山者は多そうだ。これなら、大丈夫だろう・・・。単独行とはいえ、周りに入山者がいると妙に安心する。不安要因の一つは消えていく。

行くぞ。8:20、カチリとロッテフェラーの3ピンを閉めて、緩やかなブナの林の中を登りはじめる。悪くない。シールが心地よく効いて登行がはかどる。おぉいいなぁ、全くいいなぁ。スキーを履いての第一歩はいつも期待に胸が膨らむ。これから始まるオデッセイ、一体何が待っているのか・・。右手に純白の至仏山が大きく、思わず息をのむ。大きい。真っ青な空の下、その存在を誇示するかのような雄大さ。あそこに、これから、登るのか・・・。あそこまで3時間か・・。

緩やかなブナの尾根。ここを滑降するのも気持ちよいだろう。斜面は緩く雪は一部シャーベットの様子。転ぶと厄介だ。傾斜の緩い登り道。息は上がらぬもやはりじわじわとザックの重さは肩にのしかかってきた。汗がたらりと垂れる。目がしょっぱい。

(シールをつけたスキーでの登行。
小気味よく雪面をとらえ足が進んだ。)

今回は至仏からスキーで滑降したのち尾瀬ヶ原でテント泊を考えている。もともと荷が重くなる幕営山行ゆえアマチュア無線の装備を含め装備は厳選したつもりでも、雪上キャンプのため増えた装備もある。結局出来上がったザックの重量はあまりかわり映えはしなかった。とはいえ幕営山行はやはり楽しみだ。テントは小屋泊まりよりも自分自身が自由になる感覚があり、山を歩くという行為に旅をするという要素が一枚加わるような気がする。一日山を歩いてテントを広げその中に横たわれば、ゆっくりと自分を包み込んでくるのはいいようもない充実感であり、それは日常生活には体験しえない感覚だ。もちろん独りの夜は自然の持つ静寂に正直恐怖を感じる。が、過ぎてしまえばそれも良い緊張感だったと思うのは毎回のことでもあった。そこに今回はスキーという要素が加わる。「旅」としての楽しさが膨らんでくれる。ザックの重さは、期待の大きさでもあった。

しばらく頑張ると自分より5分くらい前に出発した10人程度の若いスノーボーダーの集団が休憩中だった。皆一様にダボダボのボードファッション、スノーシューを履いて背中にボードといういでたち。通り過ぎぎわこちらから挨拶をするが特に返事もない。山屋とは異質の空気。

更に進むとやはり10人くらいの鮮やかなウェアをつけた高年パーティに追いついた。こちらはアイゼンを履いて頑張っている。先ほどのボーダーよりも元気が良いのが面白い。そこに数メートルの下りがあり滑り降りると「いやー格好いいねぇ」と冷やかされる。気恥ずかしい。

徐々に傾斜が強くなる。1867mピークへの登り。直登ではシールが利かなくなり斜登行へ。このピークは巻けるはずだ。ゆっくりと右手をトラバースしていく。が、にわかに辛くなってきた。額から汗がサングラスの内側に滴り落ちた。視界が滲む。汗をぬぐう。一歩。ザックを担ぎなおす。また一歩。「旅」も楽ではない・・・。

スキーのヒールピースに手を伸ばしクライムサポートを立てる。少しは楽になる。がやはり辛さは変わらない。一本立てよう・・・ザックを下ろしがてら視線を上げる。目指す至仏はまだ遠いが手前の稜線の陰から燧ケ岳が顔を出しているのに気づいた。おぉ、結構登ってきたのだ・・。よし、頑張るのみだ・・。再び緩くなった斜面。シールは相変わらず小気味よく雪を捉えていく。更に登る。樹林帯がまばらになってきた。森林限界だろう。おっ、超えたか・・!ここまで思ったよりもあっけない。広々とした白一色の稜線に出る。オヤマ沢田代だろう。もっともその山上の小湿原も今はただの雪原だ。その雪面から思い出したようにシラビソが顔を出している。積雪量が推し量られる。目の前に小至仏山が近い。雪が飛んでしまったのだろう、稜線の西側は黒い岩肌が露出している。その色合いが妙に生々しい。真っ白な稜線の遥か前をぽつんと一人歩いている。スキーをザックにつけた単独行。西から吹いてくる風の音が心の中に風紋を残していく。独りの山は、自分自身を見直す時間でもある。サングラス越しにみる空は黒味を帯びている。快晴だ・・。

先をいく単独行の豆粒のような姿を追ってスキーをすすめる。曖昧に残るツボ足の跡が小至仏山頂へと導いている。が、ここまでの登りでもうたくさん。巻かせてもらおう。先達の踏み跡に従う。小至仏直下のトラバース。右手眼下はワル沢の雪の大斜面がまるでカールの様な雄大さ。上から見ると結構な斜度に見える。ワル沢も滑降コースとはいえ滑落はしたくない。そう思うと足に力が入ってしまい、却ってスキー板が横づれしてしまう。冷や冷やだ。左手頭上には小至仏のピーク。これもいざ直下から見るとその頂上が見えないほど高い。雪崩でも起きたら、と腹の底がむずむずしてくる。なかなかトラバースが終わらない。疲労も手伝っているか。早くここを抜けたい。焦る。焦ればスキー板が横づれしてしまう。また焦る。またづれる。木立のない真っ白な風景は距離感を狂わせる。

もくもくとスキーを進める。トラバースが終わった。体の力が抜ける。一本立てよう。ペットボトルの水があっというまになくなっていく。ゴクッ、ゴクッと喉を動かす。水ってこんなに旨かったっけ。稜線の少し下にいるせいか風もない。爽快な空気。テレマークブーツのカフがあたる脛の部分がこすれて痛い。前回の山行でもそうだったがまだ足に馴染んでいないのだろう。大事になる前に絆創膏を貼っておく。来し方をぼんやりと見るが遠方は霞んでいて視界が伸びなかった。近くを見ると丁度先ほどのスノーボーダーの集団が小至仏へのトラバースにかかりはじめたところだった。

重いザックを掛け声を出して背負いなおした。ショルダーベルトを引っ張ると重いとはいえ肩にフィットする。さて、行くぞ。もう山頂はすぐそこだ。やや頑張ると雪が切れハイマツが顔を出した。スキーで歩くわけにはいかない。春の雪の水分を含んで濡れ雑巾のようになっているシールを外側にして、板をザックにくくりつけた。

ハイマツと岩の間を縫って歩く。ざわめきが目の前だった。至仏の山頂、2228m。11:30。

抜群の展望だった。目の前にはパノラマがあった。眼下に箱庭のような雪の原が広がっていた。尾瀬ヶ原だ。手前は狭く奥に展望を伸ばすにつれ懐が広がっていくその原の中を小さなせせらぎの流れがまるで木の葉の葉脈のように通っているのがコントラストを与えていた。その雪原の果てにすっきりと盛り上がっている立派なピークは燧ケ岳だ。その左奥の大きな高まりは会津駒ケ岳だろう。尾瀬ヶ原・燧・会津駒、そしてその周りにも純白の山また山。役者が揃いすぎていた。一枚の山岳絵巻。この風景。サングラスを外し汗をぬぐって目を開けてもまだ目の前に広がっている。本当に来たのだ。尾瀬に来たのだ。残雪期の尾瀬に。これは、本当の話だ。

(オヤマ沢田代を過ぎる。小至仏山が目の前に。
先行する山スキーヤーが、遥か先に豆粒だった。
稜線をわたる風の音に、独りの思いが高まった。)
(至仏山頂には雪がな
かった。会津と只見の
山が白く深かった。)
(至仏山頂からやや
下って。尾瀬ヶ原と
燧ケ岳が一枚の山岳
絵巻を作っていた。)

しばらくは声もなくただボーっとして風景に見とれてしまう。初めての尾瀬を雪の季節にしたのは正解だった。とにかくここまで登ってきた。スキーにシールをつけて、頑張ったではないか。先ほどのボーダー集団も元気の良い高年ツボ足パーティも含め山頂には30-40人程度。大型ザックは少なく大半は日帰りのようだ。多くはスキーヤーだがその足元は殆どがジルブレッタやフリッチをつけた山スキーでテレマークが殆ど居ない。何人か居たテレマーカーも短くファットなカービング板で自分のようなステップカットの細板は居ないようだ。こんな板で山岳滑降に耐えられるのか、不安にもなる。

そういえばアマチュア無線の運用をしなくては。今回ザックの軽量化のために外した装備に50メガの無線設備一式がある。一方非常時を考え144/430のハンディ機は装備から外せなかった。この山頂から50MHzが出来ないのは残念だがスキーと幕営のためには犠牲も仕方なかった。C710で1200MHzでCQを出すと一発で杉並区からコールがあった。こちらの出力は300mW弱。直線距離にしてざっと140Km。マイクロウェーブ帯での運用経験は少ない自分だが、これには驚いた。相手局は至仏にも何度か登ったことがあるという山好きのOMだった。話が弾んでこれで無線は満足。

そろそろ行くか。期待よりも不安が大きい。それをさりげない表情でかき消そうとしてもそうはいかない。手短におにぎりを一つ食べる。シールを剥がす。緊張してか3ピンが上手くブーツの穴にはまらない。ザックを背負う。よいしょ、と声にならない声が出た。スキーヤーの視線を感じる。行くぞ・・本当に行くぞ。いよいよだ。滑降開始だ。上手く行くか。するりと滑り始める。ザックの重さでバランスがとれない。単に下手糞なだけだ。それでも斜度が緩いのでテレマークターンもなんとか回る。駅のホームでイメージトレーニングをしたおかげか。

数度ターンを交えると緩やかな斜面の端に出て眼下に尾瀬ケ原が広がった。ワル沢を滑るのも良いが山の鼻に下りるのには遠回りになるので夏道の尾根を滑降する計画だった。取り付き点は何処だろう。斜滑降でやや北に回り込む。と一面の雪の斜面。トラバース気味に先へ進むと山の鼻へ直接下りていく尾根上にはもう雪がない! しまった・・。何処へ行こう。ぐるりと見回すと前方北の斜面・ムジナ沢にはまだ雪がべったりと伸びている。ままよ、ムジナ沢を行くぞ。ここもワル沢同様至仏の滑降としてはポピュラーなコースだ。心配はないはずだ。

無木立の雪の斜面を斜滑降で北上していく。がしばらく行くとその先でやはり雪が途切れているのが見えた。ムジナ沢上部まで数百メートルか。行くしかない。滑落しないようにスキーを進める。幸いに先達のスキーの跡は残っている。大丈夫、ここを滑った人はいるのだ。雪が途切れる。板を脱いだ。改めて見てみる。雪のないそこはかなりの急斜面だ。ハイマツに露岩が混じる。その鋭角さに急に恐怖がわいてきた。ここからは歩きだ。ゆっくり行けば大丈夫。自分を励ます。

スキーをザックにつける。途端に重心が高くなった。足元のプラブーツはやはり歩行用ではない。足裏に岩の感触が伝わってこない。手を露岩について体を傾ける。スキーの重さで体がふられる。慎重に、行くのだ。腰をおろして、下りるのだ。おりからの風。妙に強いな。ヒュルヒュルと。恐怖心があおられる。不安は風音のせい?いや、気のせいだ。ゆっくり、行くのだ。落ち着いて、行くのだ。

手足を使ってゆっくりと降りていく。再び雪の斜面。あとは大丈夫だろう。ほっと一安心。だが滑降はこれからが本番だ。板を履く。ザラメ雪だ。シャリシャリとした独特の感覚。この雪は滑りやすいはずだ。テレマークターンを試みると思いっきりバランスを崩し転倒して滑り落ちる。ザックが重くバランスがとれない・・、いや年期不足だ。それに自然の雪はゲレンデとは大違い。必要以上に自然の雪を怖がっているのかもしれない。スキーは気負けすると腰が引けてしまう。とはいえ見上げると下りてきた斜面がかなり急に、威圧的にのしかかっている。見下ろす沢筋もまだ深い谷の様相。誰も居ない、こんな雪の中。不安を感じる。心臓の音がここまで伝わる。

格好にこだわらず、スピードをコントロールしながら行くぞ・・。転ばずに下りること。それがキーだ。何度かターンを繰り返す。皮肉にもテレマークではなくアルペンのシュテムが一番自分には安定している。ヒールフリーだが板が軽いこともあり内足をひきつけて谷足に揃えることが容易に出来る。ナベ底のような源頭部から喉が狭まり沢の形状が顕著になってきた。ターンのたびに板の後端に押された雪が丸く固まり小さなデブリとなって谷底へ転がり落ちていく。コロコロと転がっていくその音に不安が高まる。

(ムジナ沢中程から。下るにつれて
疎林が頭を出し始めてきた。まだ、
もう少し頑張らなくては・・・。)
(ムジナ沢の滑降が終わった。下りてきた
斜面を振りかえる。満足感と山に対しての
愛おしさもわいてきた。)

谷の中まで下りるのは避けその裾を滑っていく。細い箇所は横滑りや階段下降も交える。無木立の雪面からダケカンバが顔を出してきた。それを避けながら板をまわしていく。誰も居ない山を独り滑降していく。不安。滑っているときは夢中。が止まるとたちまち不安。無事に下りられるか。充実感は目下のところ不安の前に顔を出す隙もない。

大分下りてきた。尾瀬ヶ原が近づいてきた。よし、いいぞ。ショートターンが決まると嬉しい。がそのあとには決まって転倒。右ターンだと転びやすいのは何かクセがあるのか。横着して上半身はポロシャツ一枚だったのですっかり右側面が濡れてしまう。沢が狭まってくると樹林が深くなってきた。黒木を縫って滑っていく。滑るコースを目で決めて尾瀬ヶ原目がけて行くのみだ。

緩くなった沢を抜け出した。終わった。着いた。とうとう滑降終了。終わったにもかかわらず心臓の鼓動が収まらない。足の震えも止まらない。振り返ってムジナ沢を眺める。あぁ、あそこを下りてきたのか。ムジナ沢がいとおしい。目線でなぞるその斜面の詳細に対してすら愛着がわいてきた。こんな思いは初めてだ。充足の思いが、じっくりと、確実に、心を満たしてきた。肩に重いザックすら心地よい。ここまでスキーで「旅」をしてきたんだ。転びながら、怖がりながら、ここまで来たのだ。

あとはゆっくりと雪原となった尾瀬ヶ原を進むのみだった。前方に山の鼻の小屋がぽつんと見える。頭の中は真っ白で空っぽだ。惰性で進んでいると満足と充足の思いが放心感と空腹感に変わってきた。ボーっと、もうなにもする気にもならない。歩くのも、イヤだ。とにかく、無事に下りたのだから・・。

放心した気持ちで漕ぐスキーは進まない。ようやく山の鼻へ着いたらクタクタだった。四,五張りのテントからは酒盛りの歓声と美味しそうな匂い。まだ時間は13:50。が、今日はこれ以上は何もしたくない。これからテントを張ってぼんやりと。大きな山懐に包まれてのんびりと。雪の尾瀬ヶ原を眺めながらただ時の経過に身を任すだけだ。

至仏山荘に幕営の届け出しにいく。まだシーズン前で無料とのこと。営業開始準備に忙しい小屋の食堂にははビール・ジュース・食料のダンボール箱が山積みだ。まだ営業していなからと言う従業員を拝み倒して500ccを2本調達。これにありつけないと大事だという殺気立った自分の顔に尋常ならざるものを感じてくれたのかもしれない。

テントを張ると贅沢な我が家。銀マットの寝床は雪の上。今晩の寝心地は良いだろう。ビールが喉を焼き頭を酩酊とさせる。今日ここまで半日の出来事が走馬灯のように頭に浮かぶ。瞼をとじる。シールを利かせてブナの林を登る自分。沢筋にシュプールを残す自分。広い雪原を歩く自分。期待、不安、そして満足。まるでビューワーでスライドフィルムを見るかのようにいくつものシーンと心の動きが浮かんで消える。わずか数時間前の夢のような経験。短いようで長かった、充実した時間。

ぼーっとテントに横たわる。雪の林の中の、静かな場所だ。大きな山懐に囲まれた尾瀬ケ原。そこはひと気もなく白一色。混じる木立が黒ぐろとしている。水墨画のようなモノトーン。ゆったりとした時間の中に身を任せるこの満ちた思い。

夕方、酔った頭でふらつきながらひと気のない雪原を少し歩いてみる。水芭蕉の時期には鈴なりになるという尾瀬、この時期は静かで良いものだ。倒木に腰掛ける。手のひらに丸く収まる小さなハーモニカ。調子っぱずれの「夏の思い出」を吹いてみる。「遥かな尾瀬」とその詩で歌われるその場所は長く自分にも憧れではあった。メロディを奏でながら詩のとおり「遠い空」を仰いでみる。真っ青だった五月の空も傾く日の前にその鮮明さが消えかけていた。自分が滑ってきたムジナ沢もその山の襞の陰影が曖昧になってきた。遥かなその山上の雪原で一日の終わりを迎えようとしている。日が至仏の山頂の向こうに隠れてしまうと急に寒さを感じた。テントに戻る。ジフィーズを炊いて二本目の缶ビールで夕食。山のメシは質素ながら豪華な一時。そしてもうあとはシュラフにもぐるだけだった。

* * * *

さすがに夜半はかなり冷え込んだ。真夏用のインナーシュラフも持ってきたのは正解だった。テントのジッパーを上げるとほの白い。サーっと冷気がテントの中に入り込んできた。あわててジッパーを戻してシュラフに潜りこむ。今日は尾瀬ヶ原をスキーで散歩して、あとは鳩待峠まで戻るだけだ。

湯を沸かしレモンティーをいれる。甘酸っぱさに目が覚める。隣のテントが撤収したのを感じて、こちらも準備をする。昨夕隣にテントを張った山慣れた風の夫婦はテントを残したまま景鶴山へ予定通り出た後のようだった。残雪期にしか登れないそんな山に計画を立て登るのも羨ましい。雪で濡れたテントの撤収。リズムをつけて片付ける。ザックをデポ。さあ、雪原に漕ぎ出そう。この二本のスキーで。

サブザックひとつの軽装。体も軽く、素晴らしい。ステップカットもよく効いてこの軽快なスキー板が最も得意とするフィールドだ。この広い雪原に、誰も、居なかった。静寂を独り占めする喜び。目の前に燧ケ岳が大きく威厳を持って立っている。振り返る至仏はその裾野を大きく広げて雄大に立っていた。威厳と雄大、対照の妙を成す尾瀬の両峰。威厳に満ちた燧の山肌も、いつかスキーで滑降してみたい。そんな思いを胸にする。

(山の鼻の幕営地。
山懐の別天地。)
(至仏は悠然とした大きさをみせてくれた。
正面右手のムジナ沢を滑ったのだった。)
(至仏と対面する燧ケ岳。男性的なシルエットで
至仏と対照をなす。いつの日かの滑降を。)


雪原は一部茶色く変色しているが雪の薄い個所だ。下は池塘かも湿原かもしれない。遠巻きにスキーを進める。無雪期は一大湿原と化すこの原をこうして自在に歩けるのも残雪期ならではだろう。雪原の端へ行ってみると沢が流れておりそこには雪解けの清冽な水が脈打っていた。沢底まで見透かせる透明さの前に一瞬そこに水という物体があるのかもわからなかった。こんな風景に慣れてしまうと美しさに対する判断基準が変わってしまう。百の風光明媚な観光地より一の山の風景だ。

気持ち良い散策。快調に足が進む。山頂からの滑降も素晴らしい。そしてこんな雪原のトレッキングもスキーの楽しみと言えるのだろう。前に燧、後ろに至仏。誰も居ない、静かな尾瀬ヶ原。白い雪原、黒い木々、青い空。モノトーンの饗宴。

軽く散策を終えると後は鳩待峠までゆっくり戻るだけだった。軽くなったとは言えまだ重いザックを背負って、川上川に沿ってゆっくりと進んでいく。しばらくは平坦で快適に歩く。沢の水は豊富で、ワル沢を滑降したのならこの沢は渡渉することになるのだろうか。テンマ沢を越えてしばらく進むと徐々に登りが顕著になってきた。ヨセ沢をわたる手前からはトラバースっぽい道となりステップカットだけでは登りが辛くなってきた。シールを貼る手もあるがもういくらもないだろう。板を外してザックにつける。テレマークブーツの脛の靴づれが痛いがあと少し、頑張ろう。上から気持ちよさそうに滑走してくるスキーヤーもいる。さすがに連休中日といえツボ足パーティも多い。痛い足をひきづって最後の登りを終えて、鳩待峠に戻ってきた。

* * * *

無事に終わった。板をしまいながら遠く樹林越しにながめると純白の至仏山が昨日と変わらぬ悠然とした姿で立っているのが見えた。昨日は遥かに遠い存在に思えたその白銀の峰も今日は親しみをもって眺めることが出来る。あの雪の肌に自分の足跡が残っているのだ。そう思うといとおしくて仕方がない。夢中で登った山。不安の中滑った山。雄大なその懐に包まれた山。贅沢で夢のような二日間。

満ち足りた思いで鳩待峠を後にする。戸倉の集落。尾瀬温泉センターの湯船に浸かって汗を流す。集落の時報のチャイムが「夏の思い出」を奏でている。自分にとっては「春の思い出」となるが、素晴らしかった残雪の尾瀬を旅した思い出は貴重なものになろう。スキーでのツアー山行は不安でもありその最中は夢中でもあったが、短い時間の中に風景と感情の起伏が凝縮されていた。それは日常生活では味わえない世界だった。言葉ではいいあらわせない濃密な時間がそこにあった。下界でのわずらわしさ、社会でのストレス、そんなものとはまったく無縁の割り切った清清しい世界が、そこにはあった。

新緑の鮮やかな片品川に沿った街道を沼田へ向け走らせる。横浜まではまだ遠いが、この遠距離ドライブも山の余韻に漂っていればそれが意外に苦痛ではないことは良くわかっていた。素晴らしかった山のシーンを頭の中にフラッシュバックさせながら車は走り、「遥かな尾瀬」から遠ざかっていくのだった。

終わり


コースタイム
2004/4/30 鳩待峠8:20-オヤマ沢田代10:25-至仏山11:34/12:15-ムジナ沢滑降開始地点12:45-ムジナ沢滑降終了地点13:20-山の鼻テント場13:50
2004/5/1 山の鼻テント場7:50-上田代・上ノ大堀川8:36-山の鼻テント場9:20/9:40-テンマ沢10:05-コセ沢10:27-鳩待峠11:15

スキー装備
Fischer Outboundcrown 178cm + ロッテフェラ- Super Telemark(20mmカーブ)、SCARPA T3

GPSデータより
GPS稼働時間 9:27 (初日:鳩待峠-山ノ鼻の間でON。二日目:山ノ鼻-尾瀬ヶ原散策-山ノ鼻-鳩待峠の間でON)
Moving Time 4:51、Stopped4:36、行動距離16.63km、最高速度32.5Km、平均速度3.4Km、Overall平均1.8Km

アマチュア無線運用記録
無線運用ピーク:至仏山 2228m 群馬県利根郡片品村 
運用バンド・装備:1200MHzFM運用 STANDARD C710 (出力280mW)+ホイップアンテナ、1局交信
交信局との距離:至仏山山頂-東京都杉並区(便宜上杉並区役所との距離と想定)直線距離139.9Km、沿面距離144.0Km (カシミール3Dにて算出)

(今回のコース。ハンディGPSで取得したトラックデータをカシミール3Dにダウンロード。同ソフト付属の地図上に展開したもの。)

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