青空の下、大満足で遊んだ山・日光白根山 

(2004/6/5、栃木県日光市、群馬県利根郡片品村)


(大きな薙を落とす白根山。
迫力溢れるその姿はぐっと
来る眺めだ。ゴンドラ駅から)

手じかに登れると思っていながらなかなか登る機会のなかった日光白根へ登ろうと思い立つ。6月にはいった最初の週末。のんびりしているとすぐに梅雨入りするだろう。それに月の後半には仕事の関係で出張も控えている。いけるときに、行かなくては。半ば義務感もある。頑張ろう。

かねてから日光白根へいつか行きましょう、と話していた河野さん(JK1RGA)を誘うと、同行の快諾を得た。ご本人はツツジ咲く丹沢・檜洞丸を予定されていたようで、行き先変更とは申し訳ないことをしてしまった。それでも、これでなんとか出かける事ができそうだ。最近は、一人で行くときは、どうも寝坊したりだるくて取りやめたり、という事が多い。二人旅ではそうは行かない。一安心。10年前は、一人で出かけるときも山といえばパッと目が覚めていたのだが。

朝4時半、河野さんと合流し、第三京浜から環状8号線経由で関越道に乗る。交通は順調だ。沼田で関越道を下りる。二人で話しながらのせいか、ここまであっという間だ。目の前に戸神山、上州三峰、横に子持山が立っている。目になじんだ光景だが良く考えればほぼ一ヶ月前にも尾瀬・至仏山に登るためにここに来たのだ。こうしてみると結構まめに来ているような気もする。

丸沼高原スキー場のゴンドラ利用。刈払われた山の上をスキーゴンドラで上がっていく。眼下にはかなりの急斜面のスキーコースが広がっている。狭くて急なコース設計のゲレンデで、自分のテレマークの足前では無理なコースだろうな、と考える。ぐんぐん登ると頂上駅。ここで日光白根山が目の前にどかっと立っている姿に接した。高い。岩の塊が目の前に。ガレがぐいっと盛り上がっておりその上に三つのピークが立っていた。それは圧倒的な威圧感で迫ってくる。絶壁の呈。大きな薙が3本、崩落している。文献によると明治六年の大爆発で出来た「お釜大割れ」と呼ばれる薙との事、明治六年といえば地球規模で言えば古くない話だ。まだまだ生きている火山なのだろうか。

シラビソの深い林の中をゆっくりと歩きはじめる。ひんやりとした冷気はさすがに海抜2000mでもある。しばらくは高低差のない原生林の中だ。道は自然探索路として良く整備されており指導標も豊富に立っている。ゴンドラで手頃に来れる事もあって軽装のハイカーも多い。残雪があるとのネットでの情報を基にトレッキングシューズではなく皮製登山靴で来た自分たちだが、靴はともかくもザックの中に入れてあるアイゼンはいかにも無用の長物だ。

七色平避難小屋は登山道からやや外れた箇所にあった。目の前には小さな湿原が広がっている。小屋は古びているが頑丈そうだ。中の壁には昭和43年という落書きもある。登山道に戻り暫く行くと道はゆっくりと白根山のすそを反時計回りにトラバースしはじめた。軽い空腹を覚えたので一本立てるついでに菓子パンを半分食べる。ペットボトルのお茶がまだ冷えており美味しい。いつしかシラビソの林を抜け出してダケカンバの中を行くようになるといよいよ来たか、という気がしてきた。何箇所かガレを横切り高度を上げていくと目の前に錫ケ岳が立派な姿で立っている。皇海山から袈裟丸山へ続く白錫尾根は足尾の主脈だがその稜線を歩く人は多くないという。人寂しい山だろうが、錫ケ岳は根張があり登行欲が涌いてくる。とはいえ自分には手ごわい山なのだろう。

森林限界を超えてザレた砂礫の中を登るようになった。真っ青な空に冷涼な風が吹いてきて日差しは強いものの汗一つ流れない。展望は素晴らしく錫ケ岳もさることながら武尊山と至仏山がともにまだ斑雪を被ってくっきりと自分を主張している。一年前の真夏に登った武尊山では山頂直下でバテバテだったこと、一ヶ月前にテレマークスキーで登った至仏山はその山頂から静寂の尾瀬ヶ原へのザラメ雪の滑降に酔いしれたこと、そんなことが瞬時に思い浮かばれる。そんな山の一ページに今日は白根山が加わると思うと嬉しくて仕方がない。

そんな思いにラストスパートは気合が入った。滑りやすいザレを一頑張りで山頂の一角に登りついた。さすがに百名山。人が多い。人を縫うようにして祠の立つ岩峰に登り立つ。胸のすくような大展望だ。振り返るとさすがに何度も爆発を繰り返した火山だけあって山頂は複雑な形をなしている。クレーターのような窪地がいくつもありその一つを渡り岩をよじると山頂標識の立つ最高峰だ。ここは猫の額の様に狭く写真撮影のパーティが順番待ちしている。自分たちも撮影を終えるがさすがにここではアマチュア無線運用も出来まい。やや離れた隣の岩峰に移り、運用の準備をする。

しかし、まずはそんな事よりも山頂の大展望を味わおう。先ほどの武尊・至仏はさておきまずは燧ケ岳に目が行った。俎ーと柴安ーの二つのピークが猫の耳の様にピンとたって可愛らしい。尾瀬ヶ原から望んだその姿はやや威圧的だったがここから見ると威圧感はなく立派な姿だ。素直に、登りたいという思いが涌く。平ケ岳と越後駒は重なり合って雪の一大山脈の呈を示している。その右隣は荒沢岳だろう。一方の会津駒は燧ケ岳からやや離れてその白銀の峰を示していた。武尊の近くに白いのは谷川岳だろう。目を西に転じるともはや山の姿は明瞭ではなくシルエットのみとなる。そのもっとも南端に高いのは上信国境の四阿山に相違ない。素晴らしいその展望には言葉がなかった。山、山、山ばかり。こんな中、自分の登った山には再会の挨拶を、そして初めて仰ぐ山には”はじめまして”を忘れない。いつか、ゆっくりと登ってみたい山たち・・。

(錫ケ岳。静寂のその峰に
憧れがわいた。)
(白根山頂からは胸のすくような展望が
得られた。左から至仏、平ケ岳、燧ケ岳)
(弥陀ケ池は山上の静寂境だった)

河野さんも嬉しそうに写真を撮っている。展望に満足したので無線を運用する準備に取り掛かる。河野さんは430MHzの5エレを準備している。こちらは50MHzの釣竿を用いたデルタループ。6mマンの大先輩、河野さんを差し置いて運用するのは気が引けてしまうが、河野さんの出し始めたCQを耳にしてこちらも運用開始だ。呼ばれる。呼ばれる。JG1OPHと交信した際に”8エリアのEスポが開きかけている”と言われたが、幸い?本格化していないようでひっきりなしに呼ばれる。各局から、強い、というレポートを戴くがここまで登ってきた甲斐があると嬉しい。白根山は関東以北の最高峰という場所柄か宮城県や新潟県などからもたくさん呼ばれる。宮城県と地上波で59-59で交信する事は自分の普段の経験では味わうこともなくなかなか興奮する。山頂での無線運用に対するウェイトは自分の中では減る一方であったが、たまにこういう経験をするとやはり満足する。日光市は珍しい市でもなんでもないのだがやはりロケが良いのだろう。

無線運用に満足して、閉局する。 下山は登路と反対側に下る。こちらは岩稜帯の中の急降下で一気に標高を下げるコースで、ガレ場に気をつかいながらシラビソの樹林帯までおりていく。白根山もこちらから登ると結構きついコースかも知れないね、と河野さん。岩場から樹林の中に入るとほっとひと安心。足元にバイケイソウの群落が鮮やかな緑色を放っている。座禅山で河野さんと奥の手交信をし、小さな雪渓を下りて弥陀ケ池まで往復。山上の湖は静寂のさなかだ。

ここからはゴンドラ駅まで下りるだけだ。原生林のコースにはまだ残雪が残っているが踵から踏み込むように雪を踏んでいくとザクザクと踵が潜っていく。歩きやすい。ほぼ平坦となりコメツガの中を六地蔵まで歩き、ゴンドラ駅に戻る。駅の近くにはシラネアオイが咲いてたが自生ではなく植えられたもの、と看板に書かれている。稜線で可憐に咲く自生の花はシーズンまであと数週間だろう。

終始強い日差しの中だったが、やはり冷たい風が体にも、そして心にも心地よかった。ゴンドラに乗り振り帰ると順光に白根山がスッと胸のすくような姿で立っている。それが高速で下りていくゴンドラの窓からどんどん小さくなり、山の陰に消えてしまった。

「最高の一日だったね、こんな山をやっちゃうとヤバイね。またすぐ何処かにいきたくなっちゃうから。」と河野さん。そう、本当に素晴らしい一日だった。それにご自分の計画を変えてまで同行していただき、感謝の思いが絶えない。

鎌田まで下りる途中にある露天風呂(白根温泉、600円)に入って、帰浜する。雲ひとつない空の中、大満足で遊んだ一日。こんなに頭の中をからっぽにした事は久々の事だった。翌日の日曜日には関東も入梅。ベストなタイミングの山だったといえるだろう。

(終わり)

(コースタイム:丸沼ゴンドラ山頂駅9:00−七色平避難小屋9:30−白根山山頂・アマチュア無線運用10:50/13:30-弥陀ケ池分岐14:10-座禅山14:15/14:25-弥陀ケ池14:35/14:45-六地蔵15:30/15:35-丸沼ゴンドラ山頂駅15:50)

(バイケイソウの緑が
目に鮮やかだった)
(下山路はコメツガの林
の中、残雪を踏んだ。)
(シラネアオイが可憐
だった)
(今回のルート。GPSのデータをカシミール3D
に落とし同ソフトの付属地図上に展開)

アマチュア無線運用の記録

白根山 栃木県日光市 2578m 50MHz運用、45交信(SSB:43交信、電信2交信)、FT690mkII単体(2.5W)+釣竿デルタループ
座禅山 群馬県利根郡片品村 2317m 1200MHzFM 運用 STANDARD C701


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