楽しきかな、山登り。嬉しいかな、鳴神山。

(2002/1/12、群馬県桐生市)


2001年のアマチュア無線仲間の忘年会の席上でビールを傾けながらJI1TLL須崎さんと北関東の山についていろいろと話す機会があった。自分は12月中には群馬・水上エリアの山を登ろうと狙っていたが結局雪が心配で諦めたのがいかにも心残りで、何処かないだろうか、などと須崎さんと話したのであった。席上でよっぽど須崎さんに山への同行をお願いしようと思ったが自分ごときの山に付き合っていただくのも恐縮で喉まで出かかったのだが言い出せずにいた。が、年が明けて須崎さんから「お誘いの」メールを頂いた。これは素晴らしいお年玉とも言え、北関東の山へご一緒して貰えるとのこと。一人では不安も多少なりともある雪の北関東の山も須崎さんが一緒であれば心強かった。

メールを何度かやり取りして、当初狙っていた水上エリアの山は積雪量もさることながら天候に危惧もあるという事から諦め、最終的に安蘇山塊の西端ともいえる群馬・東毛地区の鳴神山に目的地を決定。自分としては山の名前の美しさから、ずいぶん前から惹かれていた山だった。当然の事ながら山岳移動の師ともいえるJK1RGA・河野さんにもご一緒をお願いした。

朝5時に新横浜駅で河野さんをピックアップして、10分後に片倉町で須崎さんと合流、高速横羽線から首都高速湾岸線を経て一路東北道を目指した。順調に流れて行く。しかし、仲間と山行に出かけるというこの心の高まりは一体なんなのだろう。小学生の遠足に行くときのバスの中と言えばいかにも喜びと興奮に満ち溢れた空間であったが、すくなくとも自分の中には数10年前のその空間と全く同種の高揚感がある。まったくあきれたもんだ。
(岩肌が両岸から迫り沢はゴルジュとなった。)

途中事故渋滞もあったが好調に東北道にのる。河野さんは昨年から仕事が忙しく、疲れがたまっているのであろうか、後席でぐっすりと眠っている。一昨年まではJK1RGAといえば週末の南関東の50メガではその声を聞かない日はなかったのであるが、昨年は忙しくってそれどころではないと河野さんは常々言われていたがその通りなのだろうか、気持ちよさそうに眠られているので、朝食の予定にしていた蓮田SAをパスして羽生PAまで流す。

羽生で一服してさらに進むと行く手に俄然三毳山が大きくなった。なかなか素晴らしいその姿に今日の山行への期待がいやおうにもなく高まってくる。佐野で高速を下り引き続き半ば高速道路のような50号線を使い桐生市へと快適なドライブが続く。須崎さんが430MHzの伊勢崎レピーターにアクセスしている。北関東の「山と無線」メンバーが常時ワッチしているという。果たしてメンバーは居なかったが他の常連が須崎さんを呼ぶ。「へー,レピーターってこんな使われ方しているんだ!!」アマチュア無線とはいえいろいろな形態があり、50MHzという限られた世界しか知らない自分には大変興味深い。特にレピーターが使われている中心的なバンドとも言える430MHzの運用を殆どしないせいかレピーターが実用されているのを初めてワッチしたとも言える。須崎さんと河野さんがレピーターが出来た頃の話しをされている。山にも無線にも20年以上のキャリアを持つ両氏から学ぶことは大変多い。

道は山田川に沿って谷に分け入っていく。通常鳴神山は東側の木品側から入山されるのだが今回は周回コースであり車道歩きの距離の短い西川の川内側からの入山とした。バスの終点である吹上バス停のやや下の広場に駐車をする。朽ち果てた重機が置かれており、ここなら問題ないだろう。

皮登山靴の足裏に伝わる舗装路の感触が固い。久々のこの感じ、今回は雪の稜線を歩くのが楽しみで雪用の皮製登山靴を履きスパッツそれに軽アイゼンまでザックに収めてきたのだが、今の所雪の「ゆ」の字の気配すらない。ちょっとがっかりだ。

舗装車道が尽きてやや荒れた林道となった。それが尽きると登山道となる。登り初めはやや辛い。ゆっくりと歩くが、トップを歩かさせてもらっているので健脚の二人に申し訳無く感じる。沢沿いの植林だがじきに谷に沿って右手のほうに曲がると両岸の岩がぐっと狭まってくる。今、ここだな。地形図上に自分の場所を把握する。ここがガイドブックにも書いてあったゴルジュであろう。ゴルジュと言っても悪場はなくこの程度であればルートを探しながら楽しんで進める。左右から圧迫される感じだが喉を過ぎれば急に小広い地形となった。地形学の教科書を見ているようなもんだ。

そのまま谷を進むと高かった両側の稜線も手に取るように近づいてきた。残念ながら積雪は一切無いが途中沢水が凍った箇所を通過する。幾層にも重なった氷のミルフィーユのような感じで、間に木の葉がサンドされたままとなっている。

傍らに落ちた「山頂まで30分」の標識を見て、落ち葉の堆積したV字状の沢をぐいぐい突き上げるとあっさりと稜線に出た。ここが「肩の広場」で信仰登山を感じさせる石組みの鳥居と神社があった。避難小屋にもなりそうな大変立派な建物である。

目指す鳴神山山頂はここから僅かに登る。双耳峰になっている山頂は東が「桐生岳」、西が「仁田山岳」で、979.7mの地形図上に記載のある鳴神山は「桐生岳」のほうである。桐生岳へわずかな岩を越えて登りついた。喝采が思わず上がった!素晴らしい展望だ。360度妨げるものが無い。終始素晴らしい冬山姿を見せてくれている赤城山もさることながら北西に雪を被った袈裟丸連峰からその奥に僅かに皇海山が望めるのが嬉しかった。北に目を移せば男体山が望める。東にかけては安蘇の山々が重なり合い、重厚な眺めだ。こんな眺めをわれわれ3人だけで満喫できるとはなんたる贅沢。セルフで写真を撮り無線の準備を始めと向こうから声がして7,8人の若人のパーティがやってきた。幕営縦走でもやっているのか、こんな山には不似合いの大きなザックだ。リーダーとおぼしき男性に向かって須崎さんが「高校山岳部ですか?」と問い掛けると果たしてその通りで、途端に須崎さんの顔が輝いた。いかにも精鋭な山屋の風情を醸し出す同氏のルーツはやはり高校山岳部であり、山で若い人に会うととても嬉しいという。「自分も高校山岳部で山を始めました」と話しに花を咲かせている。この引率の教師は 生徒に山座同定をさせたり逆に山の名前を教えたり、となかなか熱心な顧問といえる。今風の格好をした生徒たちではあるが地形図を広げその声に耳を傾ける姿は溌剌としている。漠然としてなにもしなかった高校時代を過ごした自分には、こんな時期から山に惹かれて触れてきた須崎さんや目の前の若人たちがまぶしくも羨ましくもある。

ヘンテナが無事設営され須崎さんが50MHzの運用を開始した。そこそこ呼ばれ始めたのを目にして、河野さんと仁田山岳を往復してくる。こちらは神社の社でもあったのか山頂に石垣があり強風時などのちょっとしたビバークできそうな空間がある。

(秋の後に冬が来る。凍った沢の中
に落ち葉が挟まっていた。)
(鳴神山からの展望は圧巻だった。
袈裟丸山、皇海山方面を望む。)
(風も無く穏やかな光が溢れる山頂。
JK1RGA河野氏・右、JI1TLL須崎氏・中と)
写真:Nikon New FM2/T Zoom Nikkor 35-70mm F3.5-4.5


桐生岳に戻ると須崎さんは交信の真っ最中である。1月の、サクサクと踏みしめながらの快適な稜線の雪上ハイクを目的とした意向とはまったく正反対の、柔らかな陽射しを浴びる山頂はまさに春の山の風情がある。まぁ、こんな山も良いよな・・。ボーっとしていると眠気を呼んでくるが、登山者のほうは入れ替わり立ち替わりやってきて狭い山頂に常時7,8人が集っている。須崎さんのパイルが一段落を浴び自分の番となる。CQを出すと何局かのパイルを浴びる。目前の関東平野は霞に薄らいで良く見えないが、何も遮るものがないであろう、無線のロケとしては素晴らしい。それに桐生市は50MHzでは比較的珍しいのではないだろうか、パイルはやはり快感だ。「山と無線」仲間のJO1EEQ/1やJJ1KAEにもつながり満足感を得、河野さんにオペレーションを譲り昼食とする。展望も無線も満喫した、すばらしい山頂を去るのはやや名残惜しかった。

「肩の広場」に戻る。ここは丁度風の通り道なのか、喉のようなその地形のせいか、名物の赤城からの「上州おろし」が猛烈に吹きつけて体感温度が低い。たまらず通過して吾妻山へ続く縦走路へ足を踏み入れた。

雑木林のなかなか雰囲気の良い道が続く。ここに雪が付いていればさぞや楽しいだろうとも思うが、これだけで充分低山逍遥の気が横溢するし、なによりも須崎さん,河野さんとよもやま話しながらあるくのがいかにも楽しい。右手には赤城山が終始素晴らしい姿を見せてくれる。上越線から見た堂々とした独立峰のイメージがここからみると横に長い、全く別の山に見える。登った事の無い山にはおのずと興味が沸いてくる。又登りたい山がひとつ増えた。

815m峰、811.5m峰と好調に歩いていく。なかなか距離が長く、霞の先の関東平野が近づいてこない。697m峰まで来ると行く手に大形山のピーク681.5mが遠望できた。予定ではこのまま鞍部の金沢峠まで下りて、そこから大形山をピストンしてから峠から西へ、川内町へ下山する予定なのだが・・。鞍部の金沢峠が奈落の底のようになっており、やや気が重い。

ぐんぐんさがり金沢峠は標高565m、ここから下山するか、予定通り大形山をピストンするか、思案どころだ。自分一人だったらどうするだろう・・・、楽に流れるか、無理して頑張るか。誰かこのまま下りようと言い出さぬかと淡い期待を抱いたが、誰も言わない。そう、辛いけど登りたいのだ。満場一致で空身となって、150mの標高差に挑んだ。須崎さんがトップに出てぐんぐんと進み、たちどころに視界から消えてしまった。きつい。まったくきつい。一途な鉄砲登り。空身とはいえ目の前の河野さんに近づけそうで近づけない。辛くて足が前に出ない。こんなところで日ごろの鍛え方の差が出る。大きくため息をつき足を進めると傾斜が緩み、林を縫って大形山の山頂だった。桐生の市街地が前方に、傾きかけた陽射しを浴びて輝いている。縦走路はこの先、吾妻山までまだまだ続いているが、鳴神山からは随分と長いコースではないだろか。記念写真を撮り144MHzのFMでたすきがけ交信で山ランのポイントを稼いでから、金沢峠まで下りる。下りは本当にあっという間だった。

金沢峠からはほぼ真西に下りるのだが、やや南西に十数メートルも進むと途端に踏み跡が薄くなった。淡い踏み跡を拾ってトラバース気味にやや進むが見通しは悪い。2.5万図を広げると、登山道は目の前の小さな尾根をまっすぐに谷に降りるようになっているが、白くザレて立ち木も少ないこの小尾根をまっすぐに下りるのは猿でもなければ無理だろう。もっとも80mも標高を下げるとやや広い谷が広がるようになっている。三人で地図を広げ、このまま目前の小尾根をそのままトラバースで突っきって、谷筋まで進むことにした。先を見るが険悪な谷ではなさそうで、このままこの谷筋を追えばどこかで正規の登山道に合流するはずだ。谷筋は落ち葉がすさまじく堆積しており一歩一歩歩くと膝あたりまで落ち葉に潜ってしまうのには驚いた。雪ならぬ、落ち葉のラッセルをするとは全く思っていなかった。不安ではあるが、心強い。地形図上の自分の場所がしっかり把握できているし、標高差80メートル程度で割と安全そうな広い場所に出られる目算が立っているからだ。それに一人では無いという事も大きい・・。

絶えず地形図を見ながら進むと先ほどの小尾根が右手から合流したのを確認できた。その先に引き続き右手から小さな谷が合流して、全く地形図どおりである。2.5万分の1図の記載は精緻を極めた感がある。もうこのへんから錆付いたスチールのジュース缶や、林業用と思えるピンクのリボンが巻きついた木などもあり、すっかり人臭い。結局正規の登山道はわからなかったが、不安は全く払拭され、楽しい山歩きのフィナーレであった。

林道に出て、のんびりと駐車した吹上まで戻る。猪を追っているというカービン銃を背負ったハンターに出会った以外、誰にも会うことなく3人で車に戻った。

* * * *

着替えてさっぱりとしてから国道50号に出て一路佐野を目指す。山行の最後には佐野のラーメンを食べるという欲張りな計画である。あっさりとした醤油味の手打ちラーメンを食べながら、楽しい仲間との山行を無事に終えたこと喜びを反芻する。帰りの東北道は順調に流れるが河野さんはやはり疲れ気味なのか、またぐっすりと眠っている。普段元気でいろいろと話をしてくれる河野さんだけにその疲れ具合がしのばれるが、同時に今日の山が心地よい疲労を呼んで、却って疲労回復になるのではないか、そんな事を須崎さんと話しながらあっというまに横浜にもどってきた。

独り歩きの山とは、まったく違う楽しさに満ち溢れた山。楽しきかな、山登り。嬉しいかな、鳴神山。終始ローペースにつきあって頂いた須崎さん、河野さんにこの場を借りてお礼を言いたい。そして・・、又よかったら付き合ってくださいね。

「今晩はビールが美味いだろうね!!」

そう言い合って、楽しかった一日の終わりとなった。

(2002年1月12日、吹上バス停8:40 - 駒形分岐9:00 - 490m地点9:10 - あと30分の道標9:47 - 肩の広場10:15/10:26 - 鳴神山10:35/13:05 - 811.5m峰(花台沢の頭)13:45 - 金沢峠14:30 - 大形山14:50/15:00 - 金沢峠15:10 - 吹上バス停16:15)


アマチュア無線の記録

鳴神山 979.7m 群馬県桐生市、50MHzSSB運用、FT817+ヘンテナ、8局交信
大形山 681.5m 群馬県桐生市、144MHzFM運用



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