奥秩父へ、お手軽キャンプと山歩き

(2001/8/14、山梨県東山梨郡・長野県南佐久郡)


お盆休みだ。8月初めの数日間の会社の休みは自分で勝手に夏山に使ってしまった。ここまで自分勝手ながらもお盆くらい家族を何処かに連れて行かなくては、と思う。かといって宿泊施設は無計画ゆえに何の予約もしていない。予約無しでいけるのは、キャンプだ。結婚してから妻とは何度かキャンプに行った。あの頃は新婚である。妻もさして興味の無いアウトドアにも付き合ってくれた。一応?従順な彼女であった。「亭主の好きな赤烏帽子」という訳だ。子供を産んで、家庭の主役は今や家内であり子供だ。日帰りのハイキングにはだましだましも連いてきてくれるがキャンプである。果たして未だに赤烏帽子を好んでくれるものか・・。

キャンプに行こうと水を向けると果たして反対は無い。尤も上の娘が生まれて一度丹沢の沢の上流に日帰りバーベキューに行った事がある。家内も物心ついた長女も、虫が大嫌いだった。いや,家内の虫嫌いが見事に娘に伝わっていた。そんな訳で鉄板焼きどころではなく人間の周りに飛びまわるアブや虫に彼女達はパニックであった。下の娘は上の子に輪をかけて虫嫌いだった。虫の居ないアウトドアはない。夏のアウトドアは苦い思い出・・。まぁいいか。行ってしまえばこちらの勝ちなのだ・・。それよりも山で食べるメシの美味さを、山の静けさを、満天の星空を、素晴らしい空気を、野グソの爽快を、彼女達に見せたい。味あわせたい。価値観が、吹っ飛ぶぞ・・。

何処に行こうか。車でサイトに乗りつけ電気設備から下水まで整備されている「オートキャンプ場」なるものには何の関心もなかった。本当かどうか知らないが花火やカラオケまで出てくるという。であればとんでもない話だった。それに幕営料(キャンプ代?)も5,6000円するという。デッキチェアにツーバーナー、ロッジ型テントにテーブルという絵に書いたようなキャンパーには躊躇いがある。やはり飯は地べたに座りストーブで煮炊きといきたい。なあんて単に貧乏性なだけなのだろう、どうも発想が貧困になってしまう・・。

稜線上の眺めの良い場所というのも良いが、ここはやはり山小屋の幕営地が良いだろう。水もあるしトイレもある。ただし四人分の幕営装備をもって山歩きするという芸当は出来ない。奥秩父の大弛小屋はどうだろう、林道が横切っているもののここは奥秩父主脈縦走路だ。ここなら半分「山屋」の世界でもありオートキャンパーとは無縁では・・。

* * * *

中日に出たとはいえお盆休みの中央高速は相変わらずの渋滞だ。が今日は大弛小屋まで行ければよい。大月の手前で渋滞はなくなった。勝沼で下りて長い林道を走る。悪路で知られた川上・牧丘林道も山梨県側は95%舗装されている。曲がりくねって高度を稼いで着いた大弛峠。ファミリーキャンパーはいるもののロッジ型テントも無く、一安心。小屋に幕営料を納めに行く。数年前ガスと残雪の稜線を金峰山から歩いてこの小屋に泊まったのだった。薄暗い小屋をのぞくと自分がシュラフを広げた場所をありありと思い出した。雪の縦走に疲れていたものの五月の夜は寒く、吹き込む隙間風に眠りは浅かった・・・。

黒い針葉樹林の中にテントを張った。林道がすぐそこを走っているとはいえ、このテン場はいかにも山にきたという気持ちにさせてくれる。このテントは10年あたり前まではバイクツーリングなどで良く使用していたもので、改めて広げてみると随分と広い。普段の幕営山行に使っている一人用テントとは大違いで、こんなリッチなテントでツーリングしていたのか、などと改めて感じてしまう。どちらもコンパクトを心がけるも、自分の背中に背負って自分で歩くための荷物と、バイクという機動力のあるものに積んで走る荷物にはおのずとそのコンパクトさには違いがあろうというものだ。久々に引っ張り出したらポールの中のゴムひもが緩んでおり、ポールのセットがしずらかった。

テントを楽しみにしていた子供達は大喜びだ・・。さっそく中に入り込んで「ごっこ遊び」を始めた。シュラフが珍しいのかもぐりこんだりしている。「カイコボックス、あったかいなぁ」などと言っている。シュラフの事を「カイコボックス」とはなかなか良いネーミングだと、感心してしまう。

駐車場の横にある公衆トレイに行った長女がホウホウの態で戻ってきた。トイレが気持ち悪くて用が足せないという。ポットン式のトイレは、確かに今や山にでも来ないとお目にかかれない。ある種のカルチャーショックを呼ぶのかもしれない。しかしこの程度で騒ぐとは許せない、という気もする。仕方ないのかなぁ・・・。結局彼女はテントの裏の林の隅で用を足したようだった。

日が落ち始めぬ前に小さなフライパンを取り出して焼肉。冷えたビールが喉にしみる。生焼けのピーマンも椎茸も、多少赤いままの肉だって、とても美味いのは何故だろう。こんな適当な食べ物、家ではまず食べる気がしないが・・。子供たちも目を輝かせて食べてくれる。さもない話だけでも充分楽しい。あぁここにいる四人、最初は自分と妻とだけだったのだけどなぁ。不思議なもんだ・・。

腹一杯食べてみんな胴回りが一回り大きくなったけれど、危惧したテントの大きさもまだまだ子供も小さいこともあり四人でなんとか丁度良い。「カイコボックス」にくるまり引っ付きあうように雑魚寝する。海抜2300mの夜は結構冷えるようで皆、寝たり起きたりのようだった。

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(北奥千丈岳からお隣の国師ケ岳を望む。
こちらは山梨県、あちらは長野県)
(大弛小屋のキャンプ場。海抜2300m。
朝は冷え込んだ)

さて翌朝はお決まり?の山だ。テント一式を撤収してから、嫌がる家内をなだめすかして?北奥千丈と国師ケ岳へ。以前五月連休時に金峰から大弛小屋まで歩き、翌朝豪雨で登るのを諦めた因縁の両ピークだ。岩と木の根がごろごろする道だが、この重厚で鬱蒼とした、苔むした森林はやはり奥秩父!車であっけなく来たけどまぎれも無くここは奥秩父。あー、やっぱりいいよなぁ。この重たい感じが好きなんだよな・・・。

4歳の二女も頑張ってくれたおかげで北奥千丈と国師の両ピークとも無事登頂! 北奥千丈の山頂は素晴らしい眺めで金峰の五丈岩、雲海から顔を出す八ケ岳が良く見えた。国師ではこれ又お決まり??の6m運用も無事こなし満足。途中でガスが流れてきてパラパラと来たので心半ばで運用はすぐに止める。が、それでも短い間でもパイルアップがあり、ロケの良さを感じる。もっとじっくりやれば更に楽しめるポイントではないだろうか・・。

下山中に雨が土砂ぶりとなる。樹林帯の中とはいえ、もうどうしようもなく濡れてしまう。ヌレネズミになってしまったが、心の奥には余裕があった。というのも車にさえ戻れば着替えはあるし、何よりも下界に下りれば温泉もあるのだ・・。おーい、あせって転ぶなよ、と先行する長女に声を掛けながら歩く。しかし二女も家内も、嫌がらずに良く歩いてくれた。好むとも好まざるとも、多少は山歩きに慣れてきたのかな・・。

車に戻りせわしくワイパーを動かしながら下りていくとガスが晴れ青空が広がっていた。牧丘町の町営温泉「牧の湯」に立ち寄り、湯とサウナ、そして湯上りのビールと仮眠を堪能する。酔いが覚めてからぶどう狩りを少し楽しんでから横浜に戻る。大月の街が近づいたころ、周りが暗くなった。

無計画派の安・近・短のお盆休み、奥秩父へ、お手軽キャンプと山歩き。それなり皆満足してくれたのではないだろうか?

* * * *

しばらくたって夏休みの宿題に追われる長女。作文をやらなくてはと言う。書きかけの原稿用紙を覗くと、このキャンプの事が書かれていた。山のメシの美味さ、山の静けさ、素晴らしい空気が記憶に残ったのだろうか、どうも野グソの爽快ばかりは思ったようにいかなかったようだけど。うん、それでも行ってよかったなぁ、少し、嬉しかった。彼女にも二女にも、このキャンプが、記憶に残ってくれるといいな、と考えた。



(終わり)

アマチュア無線運用の記録

北奥千丈岳・2601m・山梨県東山梨郡牧丘町・1200MHzFM、1局運用
国師ケ岳・2591m・長野県南佐久郡川上村・50MHzSSB運用・自作SSB/CW機(4W)+ダイポール・9局交信


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