金ヶ岳から茅ケ岳へ、しっとりとした緑の山を

(2001/06/09、山梨県北巨摩郡須玉町)


(一歩歩めば緑のシャワーがいきなり降りかかってきた)
Nikon New FM2 ニッコール28mmF2.8

茅ケ岳とその横に仲良く並ぶ金ヶ岳の二峰は甲府盆地を車で走ると大きな裾野を広げて一瞬八ヶ岳だろうか、と見誤るほどの雄大な裾野で目を楽しませてくれるが、なかなか登頂の機会はなかった。自分には行きたい山は常にいくつかあるのだが、何処?と問われれば割と短いサイクルでそれがコロコロと変わってしまうという悪い癖があり、行きたい山も思っているうちに登らないとなかなか登れないかもしれない。梅雨の合間の土曜日、雨は降らないと言う。それならば、と目下のところ山リストの上位にあった「茅ヶ岳・金ケ岳」に行こうと早朝に家をでた。茅ケ岳は言うまでもなく日本百名山の著者・深田久弥の終焉の山としてあまねく、いや必要以上に有名な感があるが、山自身も「ニセ八ツ」というやや不名誉な渾名がつくほど雄大・闊達で、そんな山に登れると思うと、嬉しかった。

「茅ヶ岳・金ケ岳」は二山一緒に登るのにあんばい良いのだがいかんせん交通の便が悪い。自家用車は便利だがどうしてもピストン山行となってしまいパス。バスも不便となるとどうしてもタクシーしかなかった。最近アクセスにタクシーを使うのに前ほど抵抗感が無くなっているのに気づいていた。給料が増えたわけでもなく、こうした出費はダイレクトに自分の懐具合に響いて来るのだが、まあいいかと自分を正当化する。わざわざ歩くほどもない単調なアクセスを端折るだけさ、バスが不便なのだから仕方ない、飲み会一回分だ・・・、なに、正当化の理由には事欠かない。結局それだけ老けたのだろうと、我ながら情けない。

韮崎駅では10人以上の登山者が降りた。あさましくもタクシー相乗りをもくろんで片っ端から声をかけるが空振りだ。聞けば皆甘利山に行くと言う。なるほど、その手があったのか・・・。ツツジの山として有名な甘利山、ツツジ祭りを一週間後に控え今来訪者のピークを迎えているようだった。仕方なく東大宇宙研究所の先の金ヶ岳登山口にひとりタクシーを降りた。

既にここは標高1000mある。韮崎の市街地から一瞬にして移動してきたのでカラマツが茂り鳥のさえずる高原然とした場所に今自分がこうして居るのが不自然な思いがある。ともあれ倒れかかりそうな緑のシャワーとこだまする鳥のさえずりを浴びながら、異空間にいきなり放り出された宇宙飛行士のようにややおぼつかなく歩き始めた。

梅雨のさなかという事もあってかさすがに木々はとても瑞々しい。早くも蝉が大合唱しており一瞬夏かと錯覚する。今歩くこの道は金ヶ岳へ直登する道のはずなのだが登山口には立派な「茅ヶ岳へ」という標識のみで金ヶ岳の金の字もない。標高にすれば金ケ岳の方が60mも高い。いくら知名度に差があるとは言えずいぶんな話でもある。もっとも茅ヶ岳山頂から直接この辺りに降りてくるコースがあると聞いていたのでもしかしたらミスコースかもしれない。が、実は当該地域の2.5万分の1図「茅ヶ岳」は持ってきたものの登山口付近をカバーする「若神子」が入手できずに来てしまった。地図さえあればどうって事もないのだが有名な山だから良いだろうと踏んだのが甘かった。まあ最悪ミスっていたら仕方ない、とタカをくくって先へ行く。

高原らしい緑に包まれ清涼な空気の中登るのはいかにも心地よい。端から見るあの雄大な山も実際登ってみるとそれなりに登らさせられる。一通り汗をかいてしまうとあとはたんたんと足を出すのみだ。しばらく登るとツツジが点在し始め緑と紅のコントラストが初夏の爽やかさを見せてくれる。甘利山程でないにせよなかなか見事だ。

尾根の傾斜が明瞭にゆるみ腕時計の高度表示を見てみる。海抜1530mあたり、ああ、今ここにいるな。やはりコースはあっていた。いつしか持参した「茅ケ岳」図上に歩み来ていた。 1550mを超えると一時平坦なコースとなるがこのあたりから岩稜が連続し、今年の1月に登った群馬の子持山に近い雰囲気となる。広大な裾野に山頂近くの岩場。両者とも死火山の独立峰、確かに相通じるものは大きい。岩稜はさほど難しいものはなく適度に基部を巻いたりしながら進む。山頂は目の前のはずだがガスの中遠望は利かない。

しばらく行くと尾根が痩せて左手に圧倒的な高度感をもつ崩壊地に出た。軽く4,50mは切れ落ちている。これがガイドにあった「爆裂火口跡」であろう。ここから更に進むと頭上のガスの合間にもう樹木がないような予感が流れてきた。人の声が漂ってきて、山頂だった。犬連れの1パーティに他数人。静かな山頂だ。茅ケ岳・金ケ岳といえばこのあたりでは人気のコースだが最も賑わうのは4月の深田久弥慰霊祭の時期、それに秋だという。梅雨の晴れ間をぬったとはいえ静かで良い時期に登ってきて良かった、と思う。韮崎駅で買った缶ビールはまだ冷えていた。プッシュと開けて喉に流し込むと頭の中がぐるぐる回る感じで陶然としてくる。

待望の50MHz運用。1時間強の運用で18局の運用は自分としては満足の行く成果。やはり標高も1700mを超える独立峰であればそこそこの交信成果が期待できるのだ。Esも出ていなかったもラッキーだった。お握りを食べながら片付けをして次のピーク、茅ケを目指す。

(流れるガスの向こう
に目指す茅ケ岳が
高かった。)
(緑色の持つ深みと鮮やかさに改めて
気づかされた。空気も風も、何もかもが
清涼な緑だった・・)

金ケ岳、茅ケ岳の間には標高差約160mの落差をこなさなくてはいけない。キレットというほどではないがかなり下ろされる。時折ガスの合間からのぞく茅ケ岳が頭上にぐんぐん高くなっていくのを見て、ため息が出た。いかにも梅雨時の山という感じで湿った登山道は滑りやすい。薄いガスが流れては消えていくが縦走路には点々と深紅のツツジの花が落ちており、薄暗い樹林帯の中にその花々が浮かび上がる。それは闇の中に浮かび上がる鮮やかな蛍光塗料のような感じもする。しかしこの鮮明な緑色は一体なんだろう・・。陽があたっていると明かりが木々の葉を透過して弾けるような緑色の下まるでフィルタを抜けてきたような空気のみずみずしさがあたりに漂うし、ガスが流れてくればしっとりとした霧の粒子の中に緑色が溶け込み木々全体が沈殿していくような深みのある風景が展開される・・。

石門をくぐり抜けると茅ケ岳への登りに転じた。途中写真を撮りながらのんびりと歩いたせいもあるが金ケ岳からもう40分以上かかっている。コースタイム30分とは、ちょっと辛い。

遠目にはきつい登りだがじっくり歩けばさほど苦しむこともなく茅ケ岳1704mの山頂だった。静かにガスが流れる山頂には誰も居なかった。金ケ岳往復をもくろむ登山者がデポしたザック数個と2001年深田久弥慰霊祭の真新しい記念プレートが岩の合間に無造作に置いてあるだけで、見慣れた山梨百名山の標識と、串団子標識は霧の粒子に見えかくれしていた。

1200MHzでCQを出すも呼ばれない。関東平野から遠く離れてこのあたりまで来ると出力0.3Wにホイップというお手軽設備では1200MHzはやはり駄目のようだ。仕方なく430MHzで1局のみ交信して下山準備につく。

一服して深田公園へ下山する。女岩コースと尾根コースがありどちらでいくか・・。金ケ岳から戻ってきた登山者が「女岩コースは殆ど林道歩きで面白くない」という。では尾根通しで下りるか・・・。女岩コースにある深田久弥の終焉の地も見たかったが。深田久弥の書は確かに素晴らしく自分にも大きな影響を与えてくれている。彼の書には山への憧憬が満ち溢れていて、読んでいるだけでこちらも山への想いが高まる。百名山だって、確かに100ピークすべてに完登出来れば素晴らしいだろう・・。が、今の時点でそれほど深田教に心酔しているわけでもないし、暗い谷間の林道よりはまずは展望の良い変化のあるコースを歩こうというものだ・・。・・。

明瞭な尾根をぐんぐん下っていく。茅ケ岳・金ケ岳のあの遠めに見るととても雄大なスロープの斜面を下りているのだ・・。50分で林道に出てさらにそれを辿ること20分で深田公園に出た。ここからバス停のある穂坂まではあと40分くらいか、もっとも事前に調べたバスのダイヤではまだ2時間半もバスが来ないのがわかっていた。「折角早く下りてきたし、まあ仕方ないか・・」と結局行きのタクシーの運転手氏の術中にはまったようで携帯電話でタクシーを呼び、予定よりずっと早く韮崎駅に戻る。再び敗北感と自己正当化の取り繕いをしながら中央線の客となる。

しっとりとした緑の山を満喫した一日。本当なら梅雨時でもなければここから茅ケ岳・金ケ岳の雄大な眺めが満喫出来るのだが今日はそればかりは出来ない。記憶の中の雄大な両峰の雄姿を呼び戻し、そこに今日歩いた緑とガスの山の姿を重ね合わせた。きっちりと寸分たがわず両者は合致して、心の中に大きな満足感が広がった・・・。

(終わり)


コースタイム:林道入り口(東大宇宙研究所上)8:55-金ケ岳登山口9:15-金ケ岳山頂・アマチュア無線11:00/12:30-茅ケ岳・アマチュア無線13:15/13:50-林道14:40-深田公園15:00


アマチュア無線運用の記録

金ケ岳 1764m
山梨県北巨摩郡須玉町
50MHzSSB運用、18局運用、自作4WSSB/CW機+釣竿ダイポール
最長距離、群馬県新田郡
茅ヶ岳 1704m
山梨県中巨摩郡敷島町
430MHzFM運用、STANDARD C710+ホイップアンテナ



Copyright:7M3LKF,Y.Zushi2001/7/1


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