冬枯れの足尾にて

(2000/12/9、栃木県鹿沼市)


足尾・安蘇の山は殆ど行ったことが無く好奇心をそそられる。簡単に登れそうということで鹿沼市の夕日岳・地蔵岳を選ぶ。鹿沼市は50MHzでは余り聞かない。しかも夕日岳は鹿沼市では最も高い山のようだ。無線も楽しめるのではないか、という気もする。

由緒ありそうな古峯神社の広大な駐車場に車をとめる。奥のほうは白く凍結しており、地元ナンバーが1台とまっているだけで寒々しい。ここから地蔵岳直下のハガタテ平まで延びるコースを使えば地蔵岳は近い。しかもその半分は林道歩きだ。しかしそれでは単なる山頂へのピストンに過ぎず、もう少し歩きたい。それしか道がないのならともかく、ただの山頂ピストンは自分の本望ではない。面白みが無い。そこで古峰原高原から地蔵岳に延びる稜線に登って、それを伝って地蔵岳へ行こう。

2.5万分の1図「古峰原」によると古峯神社から車道を1Kmほど登ったところから稜線上の1328.7mピーク(行者岳の名がついている)に向けて登山道の表記があるので、これを辿って稜線に出ようと考える。
(柔らかな日差しを浴びた藪尾根。
枝を分け枯れた下草を踏んだ。
誰も、居ない。鹿の群れと、自分
だけの静かな山。)

歩き始めてすぐ右にきれいな三角形の地蔵岳を遠望する。さらに歩き標高850m付近で右手に派生するゲート封鎖された林道に入る。轍も無く廃道の感がある。地形図ではこの道が沢を渡る手前に登山道が始まることになっている。登山道入り口はどこだろう・・、それらしい箇所は無い。右往左往する。地形図の登山道表記と現実が違っていることはよくある。おいおい、今日は藪漕ぎか?ええい、いいや。自分には地形図がある。こいつを信じる。意を決して適当に藪の中に足を踏み入れた。幾層にも落ちた落ち葉や苔蒸した倒木、奔放に伸びる枝が広がり、これは稜線まで本当に藪歩きだな、と覚悟する。なに、稜線まで標高差500m、登ってやるぜ、と自分を励ます。こうでも思わなければ、自分には無理だろうから。

ふわふわとした感触の地面で、こんな時期にもかかわらず蜘蛛の糸が顔にかかってくる。降りかかる枝は人間が歩くことを想定していないのか好き放題にのびているが、払いのけると細い枝はポキンとあっけなく折れてしまう。冬枯れのこんな季節なのでこの程度で済んでいるのだろう。

じきに沢を迂回して高度を稼いできたさっきの廃林道に飛び出た。地形図どおりだ。これを300mも登ると再び橋となり沢を渡る。ここから再び沢をつめて行者岳から南東にのびる尾根の途中に回りこむように上がれば良いのだろう。入り口がわからないので橋を渡ってすぐの箇所から苔のついた岩がごろごろする沢筋に強引に踏み込んでみた。小枝がうるさいが荒れた沢ではない。地図によると行者岳南東尾根の末端の枝尾根が北に向け直接この沢に落ちてくるはずであるが、成るほどそれらしい急斜面が左手上方から急速に迫ってきた。これを回り込んで尾根に上がりたい。目を凝らしながら僅かに進むとかなり崩れてはいるが道形らしきものを発見。やはりかつては登山道だったのだろうか。

とここで足元にいくつも転がる黒光りする小さな豆粒を発見した。鹿だ。鹿の糞だ。鹿がいる。急に怖くなった。よもや熊はいないよな。こんな時期、もう冬眠しているのだろうか。それとも冬眠前で食べるのに貪欲な時期か・・。ドキドキと鼓動が高まるのがわかる。そうだ、今まで使ったことも無かった熊よけの小さなカウベルを取り出しザックにつけた。ついでにホイスッルを首にかけた。自分に出来るのはこれだけだ・・。

沢に落ち込んできた先ほどの枝尾根の末端を越えたあたりには沢筋が扇状に広がる小広い地形が待っており、越えたばかりの尾根筋に回り込むように南に延びる谷にそって高度を稼ぐ。すぐ目の上には黒いように青い空が手に届きそうで雑木のシルエットが映える。稜線まであとわずかだ。地形図通り。ピーィッという鋭い鹿の鳴き声が届いた。びくっとして顔をあげると2匹の鹿が頭上の稜線を駆けていく。こちらもホイッスルを鳴らす。ピリッと鹿の鳴き声に似た音が出た。

稜線に上がれば明瞭な踏み跡があるか、という淡い期待は尾根に出るとともに消えた。獣道らしきものがあるような気もするが明瞭ではない。まあいい。この尾根を辿れば行者岳へ出られるはずだ。尾根さえ外さなければ大丈夫。腕時計の高度計の標高を現在地点のそれに修正する。鹿の糞が豊富で、気配を感じる。神経が過敏になっているせいか、とても感じる。ホイッスルを連呼する。

稜線のやや南側に歩きやすそうな道形のような筋がついており、それを辿っていく。これも登山道の名残か。辿って行くとややトラバースし始めたので方向修正。稜線上に登る。カランカランとザックにつけたカウベルが鳴るが音が小さく頼りなさそうな気がする。気配を感じると大きな鹿が悠然と去っていく。何度かトラバース、軌道修正を繰り返しながら出来るだけ尾根に忠実に歩いていくつもりだ。時折ホイスッルを吹きながら枝を払い進む。
(目指す夕日岳まであとわずか。地蔵岳
と夕日岳との分岐、三ツ目付近にて)
(夕日岳からは男体山と大真名子山へ続く稜線の
眺めが秀逸だった。未知の山への興味がわく。)

本当に無事稜線に出られるのかな・・。大丈夫、自分の位置は明確に地図上につかんでいる。なに、すぐそこじゃあないか。歩けば着くぞ。

崩れやすい土肌を遮二無二登る。やがて傾斜が緩むと明確な尾根道という感じではなく小広い雑木林の中を歩くような雰囲気となった。古峰原高原から地蔵岳へ延びる目指す稜線が見えるようになる。ゴールは近そうだ。気があせる。ここで色あせたテープが木の枝からぶら下がっているのを発見した。続いてもう一つ。道形は完全に消滅しているが・・。

ドッドッドッという地鳴りのような音が聞こえ、10mほど前の林の中を7,8頭位の鹿の群れが駆け抜けた。ビクッとしたが見とれてしまった。足が速い。彼らは森の住人。すごいなぁ。足尾は鹿の山地だ。歩きなれた山梨の東部の山とは雰囲気が違う。懐が深い。

うるさい枝を払いながら登っていく。枯れた下草の茂る、藪尾根。稜線まではあと少しのはずだ。そこには歩きやすい道があるだろう。

再び傾斜が強まりパキパキと枝を踏み高度を稼ぐ。と頭上に看板が見え、目を凝らすと「行者岳」と書かれていた!やったぁ、着いたぞ。目指すピークをピンポイントして登れた。ふーっと緊張感が解けるとともに満足感が湧き上がってきた。決断、不安、怖れ、安堵そして充実・・・。わずか1時間半の間に心の大きな起伏を存分に感じる経験はそうあるものでもない・・。

ここからは尾根道歩きだ。道は良く踏まれておりハイウェイのようにも思えてくる。前方に高い山が見え、あれが目指す地蔵岳か。ずいぶん遠く高いなぁと観念した思いで歩くが、ふと気づいた。地蔵岳の訳が無い。あの形と高さ。あれは男体山だ。そうか、ここは足尾だ。日光の前衛だ。緊張が緩み放心しきっているのか・・。

* * * *

いくつかの小ピークを越えるが何やら疲れきってしまい1351m峰で一服する。「唐梨子山」の山名標識が立っている。ザックを下ろすと”ザッ”と物音。「すわっ、熊か」と振り返るとやってきたのは若い単独行の青年だった。たぶん鬼のような形相をしていたのだろうか、彼は驚いたような顔をして立ちすくんでいた。まださきほどの藪歩きの緊張が解けてないのだ。そういえば今日は尾根道を歩いても「心ここにあらず」、という感じが強い。

精神的にも肉体的にも、こんな気分に成り果てた自分の前には目の前に標高差200mで立ちはだかる地蔵岳は余りに高く、登る気が失せてしまう。

鞍部のハガタテ平に降り立ちトボトボと地蔵岳へのとりついた。もう勘弁、と言いたいところだが無線をやりたい、という一心で登っているようなものだ。登山道が右手にトラバースし始め荒れた沢を横切るとつづら折れとなり高度を稼ぐ。後方に皇海山がすくっと立っている。いつか登りたい、遥かな山という思いがある。地蔵岳の山頂は石の祠がたつ静かなピークで、前方に今日の目的・夕日岳がようやく遠望できた。あれに登るのかとは完全に戦意喪失だがここまできたら行くしかない。
(夕日岳の山頂にて。
時折吹く北風は冷たいが
日溜りが嬉しかった。
静かな、独りきりの
山だった。)
(林道に出ても緊張感が緩むことは無かった。ふと後ろを見ると
西日を浴びた地蔵岳が端正な姿を見せていた。登った山を
振り返り心に浮かぶのは満足の二文字だが、それにもまして
今日はとにかく早く車道に出たかった・・。)

Nikon New FM2/T ズームニッコール35-70mm

夕日岳への分岐、三ツ目到着。ああ、あと少しだ。ここで何か異様な気配を感じ「ヒャッ」と声を出して飛び上がってしまった。いやいや熊でも鹿でも無い。相手もさぞや驚いただろう、向こうから登ってきた単独行だった。もう完全に放電しているのだ。心も、体も。いや放電ではない。心のアンテナが痛いほどの鋭い感度で、立ったままなのだ。

やや下がり高度を稼ぐ。夕日岳到着。もう歩きたくない。ずいぶん歩いたような気がするがまだPM12:20だ。山頂は北側が刈り払われており男体山から大真名子・子真名子そして女峰山への稜線が良く見える。

ダイポールアンテナを設営し、自作のトランシーバをつないだ。待望の50MHzは読みがあたり鹿沼市移動ということで絶え間なく呼ばれる。秩父の熊倉山に居たJA7TKH/1を呼び、CQを出すとローカル仲間の7M1XPRが100mWの自作機で呼んでくる。山と無線の仲間、JJ1KAEやJI1TLLともつながる。時折吹く北風の中、45分程度の運用で21局とはこの時期にしては素晴らしい応答率といえる。はぁ、無理して登ってきってよかった。

無線を終えストーブで湯を沸かす。毛糸の帽子をかぶり直し男体山を眺めながら甘くて熱いココアを飲んでいると、山とはなんて素晴らしいのだろう、という単純な思いが湧いてくる。

地蔵岳に戻り430MHzで手短に交信をするとあとは下りるだけだ。登りは苦しかった急坂もおりるのなら簡単だ。ハガタテ平に着き、薄暗い杉林の中に延びる古峯神社への最短コースをとる。暗い。またもや獣の気配がする。いや、気がするだけだ。きょうはどうしてこんなに過敏なのだろう。

いや、待てよ・・。甘い匂いが漂ってくる気がする。そういえば熊が出るときには匂いを感じるという・・。ホイッスルを吹く。大丈夫、この匂いは杉林に漂ういつもの匂いだろう。馴れた匂いじゃないか・・。

林道はまだか。あせる。ようやく林道に出る。もう道にも迷うことは無くただこれを辿ればよい、と普段なら緊張も緩むところだがあいにくいつもと違い今日は緊張感がゆるまない。熊はここまで下がるともう出ないだろう。でも野犬でも出たら、どうしよう。カランカランと鳴るカウベルは煩いが、外す気にはならない。振り返ると西日を浴びた地蔵岳がきれいな三角形を見せている。登った山への感慨もわくが、今はただ早く車道に出たい。

車道に出た。車が走っている。ああもう大丈夫。文明の持つ安心感。すべて終わった。車に乗ってドアを閉め、心からの安堵を声にした。

* * * *

(国土地理院ホームページから)・・・車道から1328m峰(行者岳)へのコース

今日の山は稜線までの2時間にそのすべてがあったような気がする。自分には荷が重いのっけからの藪歩き。稜線まで無事いけるかという不安。鹿の群れへの驚き。熊への恐れ。いやこれらは全部山への畏れと不安というべきなのだろう。今日はその思いが頭から離れることが無かった。整備された道ではなく藪を辿って稜線に出た事が山の持つへの畏れの引き金となったのか・・。近郊の山で整備された道を歩いていると山の持つ懐の深さ、原始性を少しでも感じる機会は余り無いからか・・。とはいえ今日の山とてさほど奥深い山ではないのだろう。でも目を閉じれば藪に踏み込んだ廃林道から稜線までのシーンが一箇所も欠けることなく浮かび上がる。今はくたくたになった気持ちだが、もうすぐこれが満足感に変わればいいな、いや変わることだろう。そう思いながらハンドルを握り、横浜を目指した。冬枯れの足尾を歩いた一日だった。

(終わり)


(コースタイム:古峯神社駐車場7:50-標高850m派生林道8:20-廃林道から沢に踏み込む8:50-行者岳9:40/9:50-唐梨子山10:45/10:55-ハガタテ平11:08/11:15-地蔵岳11:45-三ツ目12:00-夕日岳12:17/13:45−地蔵岳14:13/14:25-ハガタテ平14:45-林道出合15:16-古峯神社駐車場16:00)


アマチュア無線運用の記録

夕日岳 1526m
栃木県鹿沼市
50MHz SSB運用、21局交信、最長距離、神奈川県愛甲郡
自作SSB/CWトランシーバ(4W)+ダイポール
標高1526mは鹿沼市の最高峰と思われる。関東平野への無線のロケとしては素晴らしいようだ。自作のトランシーバ(4W)にダイポールという基本的な設備でも良く呼ばれた。
山頂からの日光の主峰群の眺めは素晴らしかった。
地蔵岳 1483m
栃木県上都賀郡足尾町
430MHzFM運用 C710+ホイップ 石祠のある山頂は小広く、静かな雰囲気だった。鹿沼市としても上都賀郡としても運用できる。
時間が無く50MHzの運用が出来なかったのが残念。

Copyright 7M3LKF, Y.Zushi 2000/12/14


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