文科系のパソコン本 by 藍上 雄



パソコンが普及すれば活字メディアは崩壊する、なんて説が昔ありましたよね。でも、本屋に行けばパソコンの解説本は山積みになってます。その多くは、ソフトやハードの使い方マニュアルなわけですが、他にも、プログラミング理論とかの専門書もありますし、パソコンの歴史とか業界の内幕物とかビジネス書みたいなのもあります。根っからの文科系人間としては、ワープロとか表計算のソフトの解説本は必要だから買うこともありますが、あんまり難しいのは関係ないなあと思い込んでました。で、本棚を見回すと、パソコンそのものというより、それにまつわるあれこれ本がけっこうあったんですね。これが、なかなか面白い世界なもので、物理学の素養がなくてもハードSFは楽しめるってことでしょうか? いわば、文科系のパソコン本。目に付いた範囲から、個人の趣味で選んだだけなので、あまりまともな本は紹介できません。

Part1 《ファーストコンタクト》

人間誰でも生まれつきパソコンが使えるわけはないので、必ず出会いの時がある。それが有名人(でなくても)とかだと、その過程をエッセイ、マンガにするってのは、よくあるパターンで、たいていのパソコン雑誌にはのってますわな。初心者に親近感をもってもらうとか、入門書のつもりなのだろうが、その効果は怪しい気がする。それならちゃんとした解説本を読んだほうがずっといい。たいてい『私はこうしてパソコンが使えるようになりました』本はつまらない。パソコンは取っつきやすい機械ではないから、誰だって最初は戸惑いトラブルに巻き込まれますがな。自動車免許だって取得するのは面倒くさいけど、いちいちそのいきさつを本にされても、もはや珍しくもなんともないのと同じ。そうだよな、自分とおんなじだよな、でおしまい。

しかし、中にはパソコンにはまり込んでしまってるのもある。これはいい。パソコンに限った話ではなく、他の趣味でも、恋愛でも、最初は冷静だったのが、だんだんと過剰な熱意が沸き上がり、異常な行動をとってしまい、果ては人生が変わっちゃう場合だってある。このパソコンへの過剰な情熱が感じられる本は、《ファーストコンタクト》の衝撃に似た面白さがあります。

あとで思い返すと最初に出会ったのが、『墜落日誌1』(寺島令子/アスキーコミックス/92年)。今となってはよくあるエッセイマンガなんですが、『チルドレン・プレイ』からファンだったので普通のマンガと思ってた。読んでみたら、ゲーム専用機に飽きた作者がパソコンのゲームをするためエプソンの98互換機を購入してからのドタバタなんで、当時パソコンに無縁のため難解な用語連発の内容の殆どは理解できんかったが(ゲーム中心だし)、こんな世界もあるんかと驚きました。まさしくハードSFやなって、今読み返すとそんなこともないんだけど。だからといってパソコン買おうなんて気はまったく起きなかったのは、貧乏だったから。

趣味でも恋愛でも、出会い→混乱→熱狂→安定の過程をたどるといいますが、まさにこの1巻目は出会いから熱狂に当たるので、面白かった訳だ。その後、2巻目が94年、3巻目(ペンティアム編)が97年に出ましたが、巻を追うごとにだんだんと作者が成長していくので(あたりまえだが)、1巻目の地図のない森に迷い込んだような落ち着きなさとわくわく感は影を潜めてしまったのでした。

これに味をしめて類書を捜すようになったのではなく、その後Macユーザになり、専門雑誌とか解説本をみてるうちにたまたま出会ったのが、『パソコンはまぐり』(岬兄悟/光栄/95年)。SF作家のエッセイ集だからと買っただけです。以前TTでも紹介したが、パソコン導入時のトラブル話から始まるので、よくあるパソコンにからめた身辺雑記かと思いきや、後半はWindows3.1のオンラインソフト紹介になる。それも、オンラインソフトをダウンロードして試してみるのが楽しくて楽しくてしょうがないというから、ちょいと背筋が寒くなるのですね。子供が遊んでるゲームを手伝っているうちにのめりこんでしまい「お父さん、もう帰ろうよ、こわいよー」泣き出される、そんな感じの「はまる」ことの恐怖がホラー小説以上に味わえます。

その後、異常な入門書『男のパソコン入門術』(ジャストシステム/96年)や、インターネットで巨大なファイルをダウンロードしている間だけしか仕事ができないと書かれた『インターネット危機一髪』(廣済堂出版/98年)と、ますます進行しています。

パソコン関連書には、こんな素敵なジャンルがあり、そういやあの本もこの本もと初めて意識するきっかけになったのが、『DOS/Vブルース』(鮎川誠/幻冬社/97年→幻冬社文庫/97年)。シーナ&ロケッツの鮎川誠が、パソコンを「たいしたロックンロール・マシーン」と捉え、出会いからホームページを立ち上げるまでを綴ったエッセイ。コンピュータは「何をやりたいのか自分で決断して、そのためには何をやらないといけないのか、自分の選択にかかってくる」から、「それってロック・スピリットそのもの」だそうで、まわりにMacユーザが多い中、DOS/V機を選んだのはこだわりがあり、ギターにたとえるなら、Macはフェンダー、DOS/Vはギブソンなのだそうだ。いいですねえ、この思い入れが。熱いよなあ。個人の解放の道具としてのパソコンっていう往年のコンセプトが重なってくるんだよなあ。

文庫になってから読んだのだが、兄弟本の『マッキントッシュ・ハイ』(山川健一/幻冬社/97年→幻冬社文庫/97年)。これは、初刊の方で読んだけど、ちょっと高尚すぎて、すみません。ちなみ表紙は著者の手がデザインされているのだが、同居人が「気持ち悪い」と一言。

パソコンビギナーは誰もが出会い→混乱の状況になりますが、そこであきらめたらお終い(いわゆるパソコン難民)だし、ビジネスに利用してる場合は、混乱が収まって一通り使えるようになればそれで十分。その先の熱狂状態になるには、個人として、パソコンを使いたい、パソコンであれもしたいこれもしたいという衝動の激しさが必要なのでしょうね。欲望のおもむくまま過剰な情熱を注ぎ込む姿が美しい。《ファーストコンタクト》は、一生に一回きりだからなー。

最近は仕事でWindows系パソコンばかり使ってるので、なんとなく手に取ったのが『お気楽ママのドタバタWindowsライフ』(田澤由利/アスキー/96年)。ちょっと敬遠したい書名。普通読む気にならんよな。出産退職した主婦がパソコンを利用して仕事を始め社会復帰するという、近ごろはやりの題材ではあるのですが、著者にパワーというか強引さがあるので、出会い→混乱→熱狂の過程をきっちり踏んで、楽しめてしまった。子供の写真や音声、動画の取り込み、葉書作成、なんてのは今やあたりまえですが、パソコンの自作、家庭内LAN、子供が発熱してるときにCD-ROMドライブを衝動買いしたり、赤ちゃんをおんぶしてマシンのセットアップしたり、子供を幼稚園に預けている間に名古屋と幕張を往復したりとエスカレートしていく様は、けっこう所帯じみた話題が多いけど、過剰な情熱を感じるので、こういうのもあっていいかな。

衝動買いに焦点を絞ったのが『電脳奥様』(後藤ユタカ/毎日コミュニケーションズ/98年)、はいぱーおくさまと読む。MacFan誌連載のエッセイマンガで、Macと周辺機器の衝動買いを「やってもーた」と表現。パソコンは決して安くない買物だから、物欲の対象になるんですね。人間の物欲は果てしないからなあ。最近は、Macなんかだと古い機種が収集の対象になってるし。ああ、俺も金があればあれも買ってこれも買って。しかし、先立つものがないので、今日も使うあてのない安いソフトを買って気を紛らわそうっと。

とにかく、このジャンルはどれだけのめり込んでるかが命なんだけど、逆に全くやる気がないと別の面白さがでてくる。『ぱそこんのみつえちゃん』(青木光恵/アスキーコミックス/95年)は、タイトルに「ぱそこん」とはあるんだが、パソコンに関しては向上心ゼロ。たしかに、パソコンなくたって生活できるしね。かといって、パソコンを敵視もせず馬鹿にもせず、使えたらいいけどー程度、あ、英会話みたいなもんか。脱力感がいい。

初心者の失敗談を集めた『パソコンたちあがってますか?!』(宝島社/96年)『ああ、パソ恨!』(アスキー/96年)とかありますが、ジョーク集みたいなもんですからちょっとちがう。なによりそこには情熱がない。逆に、マニアゆえの失敗談『東京トホホ会』(アスキー/96年)『続東京トホホ会』(アスキー/97年)となると熱いんだけどこっちが無知なのでよくわからん。あんまり専門的になると別の世界の話だから、あくまでパソコンは道楽ってのが気楽でいいですね。

(次回はありません)



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