Flowers for Zelazny by 磯 達雄



 ゼラズニイの死亡記事が新聞に載った日、僕は用があって東松山の実家に帰っていた。夜になって、中学生から予備校生までの時代を過ごした自分の部屋に戻ると、僕は本棚にぎゅうと詰まったSF本の背を眺めながら、ゼラズニイのことを考えた。

 自分がゼラズニイのファンであることは疑いもない。が、実はゼラズニイについて文章を書いた記憶があまりない。インタビューや評論の翻訳のたぐいはいくつかやったが、自分の文章として書いたものは、レビューですら、たいしてやってないような気がする。小浜さんに『てんぷらさんらいず』になんか書いてよ、と頼まれたときも結局書けなかった。
 覚えているものと言えば、『TUBE』の6号に書いた『アンバーの九王子』のレビューぐらいか。『TUBE』とは、僕が中学生の頃、同じ学校のSF好きの連中が集まって、ファンジンごっことして出していたコピー誌である。そこで書いたのは、確か“セピア色のヒロイックファンタジー”とかなんとか。

『TUBE』は本棚の下の引出しにしまってあるはず。と、開けてみるが6号だけない。どこにいったのか。あちらこちらの引出しを開けるうち、今度は文通していた女の子からもらった手紙の束が出てきた。
 彼女と手紙のやり取りをするようになったのは高校1年のころだった。たまたま見かけた『スターログ』の文通希望欄に「ロジャー・ゼラズニイが好きな人、お便り待ってます」とあったのを見て、僕が出さなきゃ誰が出す、という思い込みを抱いて、手紙を書いたのだった。文通なんてそれまでやったこともなかった。
『アンバーの九王子』を読んで以来、僕はゼラズニイにハマっていた。『地獄のハイウエイ』、『伝道の書へ捧げる薔薇』と次々と手を伸ばすうち、ペダンチックで、歯の浮くような、キザったらしい文章に、僕は虜となった。当時のゼラズニイと言えば、黒縁メガネの青びょうたんみたいな肖像写真しかなかったが、それがまた格好いいと思った。

 彼女に出した最初の手紙は、真世界シリーズの続篇はいつ出るんでしょうねえ、という内容だったと記憶する。すぐに返事が来て、その後、手紙のやり取りが続いた。
 待ち望んでいた真世界シリーズの2巻『アヴァロンの銃』が出たのは高校2年の時。むさぼるように読んで、傑作と確信した。ああいう至福の読書体験は、もう味わえないことかもしれない。
 高校3年になって4巻と5巻が出たが、大学受験に専念するために、買ったまま読まずに我慢した。国立の二次試験を東北大学まで受けに行って、試験が終わった当日、帰りの夜行列車でその2冊を読んだ。東北本線の急行車両の中で、起きているのは僕だけだった。一睡もしないまま、朝には読み終わった。家に着いて朝刊を開くと、P・K・ディックの死亡記事に出くわした。

 ディック作品の登場人物は、チェスのゲームにたとえれば、何者かに操られて盤上を動き回るコマのひとつである。一方、ゼラズニイの小説で活躍するのは、自らコマを動かす指し手だ。『光の王』のサムしかり、『わが名はコンラッド』のコンラッド・ノミコスしかり。超人的な能力の持主が、いかにゲームを支配するかが、物語の骨組みとなる。
 そこにあるのは、世界を全体のまま獲得したいという強烈な欲望だ。不完全な世界しか手に入らないなら、そんな世界はいらない。世界を癒す者が一瞬のうちに世界破壊者に転化する『イタルバーに死す』を、僕は密かに愛した。駿台予備校2号館の屋上でタバコをふかしながら育んだ、想像のテロリズム。
 文通相手の彼女は甲府に住んでいたので、直接会ったのは予備校に通うようになってからだった。御茶ノ水駅の交番前で待ち合わせて、近くの喫茶店に入った。彼女は『ローラリアス』を持ってきていた。それを僕に見せながら、ファンジンをつくりたいのだ、と言った。

 ゼラズニイの死亡記事が新聞に載った日、彼女からの手紙を見て、僕は少しどぎまぎしたが、読み返しはしなかった。それでなくても、今は既にぼろぼろになっている。
 本棚から『伝道の書を捧げる薔薇』を取り出し、僕は読み始めた。「その顔はあまたの扉」、「12月の鍵」、「伝道の書」と続き、「この死すべき山」を読んでいる途中で眠ってしまった。
 夢は見なかった。

(1995年6月18日・了)



TORANU TあNUKI 58号 目次



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