SF Magazine Book Review



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1999年1月号

『スノウ・クラッシュ』ニール・スティーブンスン

『時空ドーナツ』ルーディ・ラッカー

『バビロン行きの夜行列車』レイ・ブラッドベリ

『原始の風が吹く大地へ』ピエール・プロ


『スノウ・クラッシュ』ニール・スティーブンスン

(1998年10月12日発行/日暮雅通訳/アスキー出版局/2400円)

 サイバーパンクについては既に様々な議論が交わされたわけだが、その定義として一番しっくりくるものは、ルーディ・ラッカーの言う「たくさんの情報を盛りこみ、コンピュータ革命から生まれた新しい思考形態について語る、読みやすく洗練されたSF」というものだろう。九二年に発表され、一躍話題の的となったニール・スティーブンスンの『スノウ・クラッシュ』は、その意味において、まさしくサイバーパンクの直系と言うべき作品であり、かつてのギブスンが持っていたような勢いの良さが感じられる、スピード感に満ち溢れた作品である。

 強大な国家は既に崩壊し、バーブクレイヴと呼ばれる小さな国家が緩やかに結びついている近未来のアメリカ。ピザの配達人をしている有能なハッカー、ヒロ・プロタゴニストは、仮想空間メタヴァースにおいて、スノウ・クラッシュなる新種のドラッグを試してみないかと誘われる。かつての恋人ジャニータからは「レイヴンとスノウ・クラッシュには近寄らないで」と言われて、困惑するヒロ。レイヴンとは誰で、スノウ・クラッシュとは何なのか。独自に調査を進めていくうちに、彼は、ケーブルTVシステムを傘下に収めるメディア王L・ボブ・ライフの恐るべき企みに巻き込まれていく……。

 ギブスンを始めとする原サイバーパンクに登場する電脳空間がワイヤーフレームで描かれたCGのようなぎこちなさを残していたとするなら、本書によって、ようやくサイバーパンクが描くところの仮想空間はレンダリングされたリアルな3Dのレベルに達したと言えるだろう。そのリアルなメタヴァースの中で、世界最高の剣士を名乗り日本刀を振り回す主人公ヒロの姿は、どことなく滑稽で、脳天気ですらある。他にも、コバンザメのように他の車にくっついて品物を運ぶ〈特急便屋〉をしている十五歳の少女Y・T、ガラスの短剣を持ち歩きサイドカーには核弾頭を装備している殺し屋レイヴンなど、本書に登場するキャラクターは、皆どこかのタガが外れた、一風変わった人物ばかり。彼らが巻き起こす突拍子もない騒動やラヴロマンス、荒唐無稽ギリギリのアクションをニヤニヤしながら楽しめばそれでよいのかもしれないが、やはり、本書最大の読みどころは、新種のドラッグ、スノウ・クラッシュをめぐる謎解きにあるのではないだろうか。

 詳しく書けないのがつらいところだが、このドラッグは人間の精神に作用する一種のコンピュータ・ウイルス、つまりはプログラム、ひいてはバイナリ・コードなのである。コンピュータ雑誌のQ&Aコーナーに「コンピュータ・ウイルスって人間にもうつるんですか?」という質問がたまに載っていて失笑を買うわけだけれども、本書では、何とこれが本当にうつってしまうのだから驚きだ。なぜうつるのかについて、作者はシュメール文明から聖書、チョムスキーの深層構造に至るまで、あらゆる知識を援用して架空の理論を構築している。この理論が実に面白いのである。あまりにも馬鹿馬鹿しいアイディアを、大真面目に、したり顔で展開してみせるというワトスンやベイリーにも通じる奇想SFの精神も、スティーブンスンは立派に受け継いでいるようだ。

 神話との接近、過剰なオリエンタリズム、電脳空間への没入(本書の言い方では、メタヴァースにゴーグル・イン! だ)など、ギブスンの諸作との類似点は確かに多いが、本書には、ギブスンのヴィジョンをすら、もはや古典として取り込み、その上に新たな物語を構築してみせる、スティーブンスンのオリジナリティがある。時代の必然が生んだ、書かれるべくして書かれたモダン・タイムズ・サイバーパンク。必読である。

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『時空ドーナツ』ルーディ・ラッカー

(1998年10月15日発行/大森望訳/ハヤカワ文庫SF/620円)

 ルーディ・ラッカーが一九七六年に執筆した処女長編『時空ドーナツ』は、この時点で既にコンピュータ・ネットワークによる電脳空間を描き出し、うなじについたソケットにコードを接続して電脳空間に埋没する退廃的な人々をも描き出しているという、その表面的な部分においてだけでなく、内容的な面からも、元祖サイバーパンクの称号を与えられるにふさわしい記念碑的な作品である。

 主人公ヴァーナーは、物理学と数学に興味を持つ若者で、コンピュータ・ネットワークに魂を与える方法として、循環スケールのアイディアを思いつく。外に拡張する球と内に収縮する球は、どこか一点で出会い、融合するのではないだろうか。クルトフスキ教授が開発した仮想場発生機を利用してマシンを作り、時空を超えた旅に出発するヴァーナーとミック・ストーンズ。果たして彼らは無事帰還することができるのか……。

 シカゴの公園の男女からカメラが上空へパンして太陽系、銀河、宇宙へとスケールが十の累乗で拡大していき、急速に男に戻って今度は細胞の中へと入っていく有名な『パワーズ・オブ・テン』という短編映画があるが(CD−ROMとしてダットジャパンより発売中)、本書のメインアイディアである循環スケールとは、その最後と最初をつなげてメビウスの輪にしたようなものである。『縮みゆく人間』の結末や『火の鳥・未来編』のクライマックスに感動した人なら必ず楽しめるはずだ。このミクロとマクロの結合、〈無〉こそ〈すべて〉、というのはラッカーの諸作に繰り返し現れるテーマであり、本書は、まさしく彼の本質を凝縮した一冊なのである。

 本書のテーマを、ザッパ流に言い換えれば、ワン・サイズ・フィッツ・オール。七五年発売の歴史的名盤であり、ザッパのすべてが凝縮されたアルバムのタイトルでもある。個人的には数あるザッパのアルバムの中で最も好きな作品であり、このタイトルがピタリとはまった所で本書に引用されていたのには何だかうれしくなってしまったねえ。猥雑さとユーモア、体制への反抗、フリークアウト、といったザッパの特色は、そのまますべてラッカーにも当てはまる。リズムと歌詞とで鮮やかに世界を分節化し、揺さぶってみせるのがロックの本質だとすれば、科学と言葉とによって世界を分節化し、揺さぶってみせるのがSFの本質だという言い方もできるだろう。サイバーパンクの先駆としてだけでなく、何よりSFの本質を見事に抽出している傑作として、一読をお勧めしたい。

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『バビロン行きの夜行列車』レイ・ブラッドベリ

(1998年10月8日発行/金原瑞人・野沢佳織訳/角川春樹事務所/2600円)

 ブラッドベリの執筆活動が最近活発で、アメリカでは二年連続で短編集を出しているなどと聞くと、もうそれだけでうれしくなってしまう。まずは最新短編集『バビロン行きの夜行列車』が刊行された。かつてほどの冴えはないにしろ、幻想と怪奇に満ちた味わいを存分に楽しむことができる好短編集だ。もともと孤独な老人の心理を描かせると巧い人であったけれど、本書では、幽霊がかつての友人を訪ねる「やあ、こんにちは、もういかないと」、昔の恋人に毎日手紙を送る老人の話「窃盗犯」、昔の恋人との悲しいすれ違いを描いた「いとしのサリー」など老いをテーマにした作品に傑作が多い。秀逸なアイディア・ストーリー「なにも変わらず」、乾いた血の匂いが漂う「くん、くん、くん、くん」などは往年を思わせる鋭い出来栄えだ。集中のベストは、生と死を一つの家の一階と二階で見事に対比してみせた「分かれたる家」。巨匠復活の意を強くした。

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『原始の風が吹く大地へ』ピエール・プロ

(1998年10月5日発行/水谷修訳/草思社/2500円)

 サンリオ文庫世代には懐かしのフランス作家ピエール・プロが書いた『原始の風が吹く大地へ』は、百七十万年前の人類の祖先を描いた作品だ。綿密な考証のもと、残酷な場面も手を抜かずにリアルに描き出しており、なかなかの力作である。太古の風に吹かれてみたい向きには、一読の価値はあるだろう。

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