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1998年11月号

『レッド・マーズ(上・下)』キム・スタンリー・ロビンスン

『凍月(いてづき)』グレッグ・ベア

『極微機械(ナノマシン)ボーア・メイカー』リンダ・ナガタ


『レッド・マーズ(上・下)』キム・スタンリー・ロビンスン

(1998年8月28日発行/大島豊訳/創元SF文庫/上下各840円)

 待望久しいキム・スタンリー・ロビンスンによる火星SF三部作の一冊目、『レッド・マーズ』がついに刊行された。ヒューゴー、ネビュラ他主要SF賞を総なめにした九〇年代を代表するシリーズの第一部であるだけに大きな期待をもって読み始めたのだが、その期待を遥かに上回る感動を本書は与えてくれた。三部作の一冊目でいきなりこんなことを断言してしまっていいのかどうかわからないけれど、間違いなく傑作である。堂々たる風格を備えたネオ・クラシックとも言うべき作品であり、最新の科学知識に裏付けられた火星植民計画のリアルさ、存在感溢れる登場人物の織り成すドラマの重厚さ、綿密に練り上げられた構成の妙、どれをとっても、他の作品の追随を許さない一級品となっている。
 物語の粗筋は、実にシンプルかつストレートだ。二〇二六年十二月、各分野で第一級の科学者・専門家百名を乗せた火星植民船〈アレス〉が地球を出発した。無事火星に到着した彼らは、惑星の調査を進めながら、火星を緑化する道を選択することとなる。しかし、この〈最初の百人〉の中でも、火星環境を保護するため緑化に反対する人々(後のレッズ)や、独自に火星に生命を根づかせようとする人々(ヒロコのコロニー)など、既に多様な方向性を持つ集団が現れており、植民自体が本質的に孕む矛盾が提示される。にもかかわらず、超国籍企業体と国連火星事業局の主導によって続々と移民は行われていく。三十年後には宇宙エレヴェーターも完成し、新条約の制限を受けながらもますます移民が増えていこうとする矢先、ついに移民に反対する革命勢力が反乱を起こした。次々と破壊されるテント型居住区。そして、恐るべきカタストロフが火星を襲う。果たして、革命の行方は、火星の運命は如何に……。
 生物学的レベルから政治的レベルまで様々な分野から考察を重ねて、徹頭徹尾、正攻法で火星植民計画を描いてみせた本書は、まさしく現時点での火星SFの決定版であり、今後の同種の作品の里程標となることだろう。優に論文五本分の専門学的知識を投入しておきながら、決して本書は知識偏重の読みにくい小説ではない。次の二つの点において、本書は実に読みやすく、かつ魅力的な作品となっている。
 一つは、火星の異世界風景が、かつてないほど精密に、視覚的に描かれているという点だ。第三部でナディアが見る火星の日没の異様なまでの美しさはどうだろう。地球の百倍の規模の砂丘を持つ広大な砂漠、長さ数千キロに及ぶ隆起とその上に聳える火山群など、眼前に展開される風景の壮麗さには、思わず息を飲むばかりである。異世界の風景描写に詩情を漂わせるというクラークの技巧をロビンスンは見事に受け継いでいる。宇宙エレヴェーターの崩壊に始まるクライマックスの衝撃的場面の連続(ネタバレになるので詳しく書けないのが残念!)と合わせて、是非ともロビンスンの腕の冴えを存分に味わって、火星の風景を満喫してほしい。
 もう一つは、登場人物が実に生き生きと鮮やかに描き出されている点である。とりわけ、〈最初の百人〉のアメリカ側リーダーであり、情熱的な策士家であるフランク・チャーマーズと、弁舌巧みでカリスマ的な魅力を備えたジョン・ブーンとの、ロシア人女性マヤをめぐる確執は、本書の中核を成す重要な要素となっており、読みどころの一つだ。他にも、人間よりもメカニックを好む女性技師ナディア、破天荒な発想で革命の基盤を作るアルカディイ、謎の失踪を遂げる日本人ヒロコ、など、印象的で忘れ難いキャラクターが本書には数多く登場する。それぞれの人物の視点が交替して物語が語られていくのも、この大長編を読み進む上で、読者を飽きさせない効果的な手法となっている。第四部にはメタな視点もうかがわれ、文学派ロビンスンの面目躍如といったところだろう。
 アラブ人や日本人に大きな役割を持たせる、など異国文化を積極的に描く姿勢を通じて、作者は理想の社会体制とは何かという主題を火星というカンバスで展開してみせている。アメリカ独立戦争を連想させる火星の革命は失敗に終わり、カンバスは、いったんは白紙に戻った。次に描かれるヴィジョンは、一体どのようなものになるのか。二作目『グリーン・マーズ』の一刻も早い刊行を望む次第である。

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『凍月(いてづき)』グレッグ・ベア

(1998年8月31日発行/小野田和子訳/ハヤカワ文庫SF/560円)

 本誌九六年二月号に掲載されて、〈SFマガジン〉読者賞と星雲賞を受賞し、ファンから高い評価を得たグレッグ・ベア『凍月』が、文庫となって刊行された。ベア自身による詳細な序文もついて、本誌で既に読んだ読者にもお買い得な一冊となっている。
 二一三〇年代、月には結束集団(BM)と呼ばれる家系の集合体がいくつも集まり、地球から独立して、同盟を結んでいた。サンドヴァルBMの創始者の直系である主人公ミッキー・サンドヴァルは、ある日、姉のロウがとんでもない荷物を月に持ち込んできたことを知る。それは、スタータイム保存協会が百年以上冷凍保存してきた四一〇名の"頭"であった。"頭"の中には彼らの曾祖父母が含まれており、ロウは月にある設備を使って冷凍死体の頭の中身を読もうとしているのだ。ところが、ロゴロジー信者から成るBMから、冷凍死体の利用を差し止めるよう要請があった。ロゴロジー信者の真意は一体何なのか。一方、ロウの夫ウィリアムが月の〈氷穴〉で進めている絶対零度達成プロジェクトも、その佳境に入りつつあった。死体蘇生と絶対零度、二つのプロジェクトが交差するとき、恐るべき惨事が起きる……。
 ともすれば冗長になりがちなベアの諸長編に比して、本書は、もちろん中編として書かれたからでもあるが、魅力的なアイディアをコンパクトにまとめていて密度の濃い作品となっている。理想的な政治に情熱を燃やす若き青年ミッキーが、手練れの政治家たちに操られながらも、最後に一矢を報いるという展開もなかなか読ませるし、エセ宗教家に対する痛烈な皮肉も爽快だ。そう思ってみれば、本書の設定は、自身が序文で述べているように、個人主義が蔓延し腐敗した政治家とTV伝道師のはびこる現代アメリカに対してノンをつきつけたものと読むこともできるだろう。
 また、絶対零度を達成したときに物質の新状態が生じ、空間が情報の伝導体になるというユニークなアイディアも、ベアならではのもの。このアイディアが同じ未来史を構成する『火星転移』へと発展していくわけだ。未来史としては『女王天使』と『火星転移』の間に位置する本書だが、単独で読んでも十分楽しめる。ハードなアイディアを軸にして小説的な完成度も高く、ベアの入門書としても最適の一冊である。

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『極微機械(ナノマシン)ボーア・メイカー』リンダ・ナガタ

(1998年8月31日発行/中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF/820円)

 デビュー作である本書がローカス賞処女長編部門を受賞したリンダ・ナガタの『極微機械ボーア・メイカー』は、魔法と見まごうばかりのナノテクノロジーを偶然手に入れてしまった女性の物語である。
 メイカーと呼ばれるナノテクロボットがあちこちにばらまかれ、川を浄化したり、病人の治療に使われたりして、すっかり日常に浸透している近未来、不世出の天才分子デザイナーであるリアンダー・ボーアが造り出した違法な多機能分子機械ボーア・メイカーは、いったん宿主の身体に入り込むと、宿主の生理機能を根本的に変え、どんな奇跡でも可能にしてしまう恐るべきメイカーだ。このメイカーを保存していた男がスンダ自由貿易圏と呼ばれるスラム街で亡くなり、二十一歳の元娼婦フォージタが、ひょんなことからボーア・メイカーを体内に注入されてしまう。無学な彼女は自分が魔女になったのだと信じ込むが、それ故彼女は連邦警察に追われることとなる。一方、夏別荘社で造り出された人造人間ニッコーも、限られた自身の寿命を延ばすためにボーア・メイカーを追う。果たしてフォージタの運命は……。
 八歳の身長のまま成熟させられたフォージタ、真空中でも生きられるように特殊な生体装甲と特殊な呼吸器官を備えたニッコー、など異形の人間が醸し出す異様な雰囲気は、本書を、単に現実の延長上にある近未来ものとは一線を画するユニークな作品としている。猥雑なスラム街、枢房と呼ばれる一種の電脳空間などのありふれた題材も、彼女の手にかかると未来の持つ異質性、ごつごつした肌触りが感じられるから不思議なものだ。圧巻は、森と海を備えた有機的な宇宙ステーション、夏別荘社の描写だろう。生命と非生命の境界を軽々と超えて物語を紡ぎ出すリンダの手腕は、確かに素晴らしいものである。また一人、有望な新人が誕生したようだ。

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