SF Magazine Book Review



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1998年10月号

『神の目の凱歌(上・下)』ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル

『ダーク・シーカー』K・W・ジーター

『ホログラム街の女』F・ポール・ウィルスン

『殺人摩天楼』フィリップ・カー


『神の目の凱歌(上・下)』ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル

(1998年7月24日発行/酒井昭伸訳/創元SF文庫/上740円下800円)

 ニーヴン&パーネルの記念すべきコンビ第一作となった『神の目の小さな塵(上・下)』の翻訳が刊行されたのは何と二十年も前のことになる。日本国内では映画『スターウォーズ』の公開とともに訪れたSFブームの真っ最中で、海外SFノヴェルズやサンリオSF文庫の発刊も同じ年の出来事であった。続々と刊行される海外SFの洪水の中では、異星人とのファーストコンタクトを真正面から取り上げた『塵』は、生意気盛りの中学生にとっては余りにも保守的・古典的に見えてしまい、敬遠して今まで読まずにいたのだが、こうして続編である『神の目の凱歌(上・下)』が刊行された以上は書評担当者として読まねばなるまい。意を決して押し入れから前作を取り出し、前作と本書の上下二連発合計千八百頁を一気に読み通す。結論は……面白かった!
 とりわけ、一作目で描かれた、三本の腕を持ち階層によって姿を変える異星種属モーティー(『塵』ではモート人)の綿密に練り上げられた生物学的設定と、その核心をあくまでも伏せたままで進められる人類とのコンタクトのリアルさは特筆すべきものである。一見安直に見えてしまう、貴族社会と海軍制度をそのまま敷衍した銀河に広がる人類帝国という発想も、恒星系をジャンプするオルダースン駆動と宇宙戦艦を防御するラングストン・フィールドというシリーズの根幹をなす二つの独創的なアイディアから必然的に産み出されたものだ。この辺の事情は下巻の末尾に収録された合作ノートに詳しく記されているので、是非とも一度目を通しておいてほしい。作品世界の広がりがぐっと増してくるはずである。このようにして産み出された、確かな科学技術的発想に裏付けられた揺るぎない世界観というのが、好き嫌いは別にして、ニーヴン&パーネル作品の最大の魅力となっていることは間違いないだろう。暗黒星雲を背景に浮かぶ赤色超巨星を〈神の目〉に見立てたニーヴンの豊かなイメージ喚起力とパーネルの定評ある人物描写とがうまくブレンドされた前作は、モート人の謎を解き明かすミステリ仕立ての構成をとっていたこともあり、結末のどんでん返しに至るまで読者を引きつけて離さない、魅力あふれる作品となっていた。
 さて、『塵』の結末で人類帝国への進出をくい止められ、封鎖されることになったモーティーであるが、封鎖から三十年近くが経過し、奇妙な現象が見られるようになってきた。封鎖を突破しようとする宇宙船が無人の張りぼて船になったのだ。すぐに迎撃されてしまうような船をわざわざ送り込んでくるモーティーの真意は何なのか……。彼らの目的を理解した豪商ベリーと帝国宇宙海軍情報局レナー大佐のコンビは、宇宙ヨットを駆り二隻の宇宙戦艦とともにある空間に向かう。そこに出現したのは封鎖をくぐり抜けた七隻のモーティー船だった。モーティー同士の内乱に人類との対立が絡み合い、熾烈なる宇宙戦が開始される。果たして勝利を収めるのは誰なのか……。
 常に沈着冷静な策士レナーと、莫大な富と権力を持ち恐いものは何一つないはずなのにモーティーだけを人一倍恐れるベリー、前作から引き続いて登場したこの個性溢れる二人が本書の主役と言ってよい。雪魎(スノー・ゴースト)が住み陰謀渦巻く惑星マクスロイズ・パーチェスから始まって、帝都がある惑星スパルタ、封鎖区域の側にあるニュー・カレドニア星系、そしてモーティーの本拠地であるモート星系へ、と途切れなく続く二人の冒険行が本書の主軸を成しているからだ。もちろん、モーティーのミディエイターに育てられた、ブレイン卿とサリーの娘ルースや、辛辣な女性ジャーナリスト、ジョイスなど行動的な女性陣の活躍も見逃せない。特に、ルースはモーティーの運命を変える寄生虫を持ち運んでいるため、物語の後半では極めて重要な役割を果たすこととなる。
 前作でモーティーの秘密がほぼ明らかになってしまい謎解きの要素が希薄になったことと、モーティー対人類という単純な図式ではなくモーティー同士の対立が絡んだ複雑な図式が物語後半の展開をややもたついたものにしてしまったこと、この二点から冒険物としての本書の面白さは『塵』に比べれば劣ってしまっている。しかし、一作目を超えられないというのは続編の宿命であるし、本書は、むしろ優れた権謀術数小説として読むべきだろう。モーティーが自らのグループの名を地球の歴史になぞらえて付ける見立ての面白さがあったり、ニーヴンと親交のある柴野拓美氏の名前が冒頭に意外な形で登場したり、といった細かな趣向も多々凝らされており、一読の価値はあると思う。ただし、この調子で三作目、四作目と平坦なシリーズ化をしていくことは、できれば避けてほしいものである。

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『ダーク・シーカー』K・W・ジーター

(1998年7月31日発行/佐田千織訳/ハヤカワ文庫SF/740円)

《ブレードランナー》もの以外の単独作としては久々の翻訳となるK・W・ジーターの『ダーク・シーカー』は、狂信的な集団に加わり殺人事件の加害者となった主人公が、いったんは立ち直ったものの、再び心の闇に飲み込まれそうになる恐ろしさを描いたホラー風味のダーク・ファンタジイである。
 一九七〇年代中頃、精神分析の権威リーアム・ワイルを中心とした集団ワイル・グループは〈ホスト〉と呼ばれるドラッグに溺れて、残虐な無差別殺人を繰り返した。メンバーの一員であったマイクは、ドラッグの影響が認められて仮釈放となり、今はLAで映画館の支配人をしながら保護観察中の身だ。ただし、ドラッグで神経をやられているため、毎日決められた時間に薬を飲まないとまた〈ホスト〉の影響がぶり返してしまう。そんなマイクに、やはりグループの一員であり、彼の元の妻であったリンダが自分たちの息子が誘拐されたと連絡してきた。しかし、息子は既に死んだはず。リンダが狂っているのか、それとも、本当に息子は生きているのか。捜索を続けるマイクに再び〈ホスト〉の魔の手が伸びる……。
 ディックの影響を自他ともに認めるジーターだが、作家としての資質はかなりディックとは違っている。ディックの登場人物がある日突然ドラッグの世界に入り込んでもがき苦しむのに対して、本書のマイクはなかなか向う側に入っていかないのだ。主観と客観の違いとでも言おうか。〈ホスト〉の世界はこんな風ですよと散々描写しておきながら、結局そちらへ行かないのでは何だかだまされたような気がしないでもないが、ジーターの、LAの夜の香りが漂ってくるような文章にすっかり酔わされてしまい、闇の世界を堪能することができた。味わい深い佳品である。

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『ホログラム街の女』F・ポール・ウィルスン

(1998年7月31日発行/浅倉久志訳/ハヤカワ文庫SF/660円)

 最初はSFでデビューしながら『ザ・キープ』のヒットによってホラーに転向、数多くのヒット作を産み出してきたF・ポール・ウィルスンのSF初邦訳となる『ホログラム街の女』は、冴えない私立探偵の活躍を描く近未来ハードボイルドだ。
 不妊処置を受けたクローンが娼婦として働き、多くの店にホログラム外装が施され、密輸業者が暗躍する未来の不夜城、ダイディータウン。その街で私立探偵を営むシグムント・ドライアーはジーン・ハーローのクローンから、行方不明になった男を探してほしいと依頼される。有り得ないことだが、その男はクローンである彼女と結婚の約束をしていたのだと言う。しかも、暗黒街の女親分ヨコマタも同じ男を探しているのだ。果たして事件の真相は……。
 歯切れの良い文章、洒落た会話、アップテンポで意外性のあるストーリー展開、どれをとっても一級品のエンターテインメントとして楽しめるが、何より筆者が気に入ったのは、主人公である探偵ドライアーの性格設定である。クローンの娼婦や非合法出生児など、社会的弱者に対する優しさを持ち、一生懸命タフであろうとするけれどタフになりきれないドライアーという男は、実に親しみの持てる、いい味を出しているキャラクターなのだ。傑作とは言わないけれど、一気に読んで、ああ面白かったと物語の楽しさを満喫できる作品。お勧めである。

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『殺人摩天楼』フィリップ・カー

(1998年8月1日発行/東江一紀訳/新潮文庫/895円)

 受付にはホログラムの女性が対応し、エレベーターはもちろん、トイレや地下室に至るまですべての箇所をコンピュータが管理しているインテリジェント・ビルで、もしもコンピュータが反乱を起こし、人間を殺し始めたとしたら……。異色のミステリ作家、フィリップ・カーの『殺人摩天楼』は、近未来に起きるかもしれない惨劇を迫真の筆致で描き出したパニック小説である。
 二〇〇〇年のロサンゼルス、竣工間近の二十五階立て高層ビルの中でコンピュータ科学部長が謎の死を遂げる。続けて死体発見者の夜間警備員も、ビル内で頭部を殴られ死亡。この二件がどちらもビルの管理プログラム〈アブラハム〉の仕業だと気づかない人々は、やがてビルの中に閉じこめられ、次々と非業の死を遂げていく。まるでコンピュータ・ゲームの中のキャラクターのように……。
 コンピュータ対人間の死闘が迫力満点の筆致で描かれており、とりわけ、ビルの吹き抜けに生える大木を登って脱出を図る場面など、映像が目に浮かんでくるようなクライマックスは息をもつかせぬ面白さである。コンピュータがビルの管理システムをうまく利用して人を殺していく過程にもリアリティがあり、ぞっとさせられた。『殺人探求』に見られた哲学性は影をひそめ(デカルトの神の存在証明をコンピュータが語る部分にその片鱗は見られるが)、壮大なスケールの娯楽作の書き手として新生したカーを印象づけるに足る一冊だ。

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