SF Magazine Book Review



作品名インデックス

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1998年6月号

『スロー・リバー』ニコラ・グリフィス

『重力から逃れて』ダン・シモンズ

『イエスの遺伝子』マイクル・コーディ

『地球最後の日』フィリップ・ワイリー&エドウィン・バーマー


『スロー・リバー』ニコラ・グリフィス

(1998年3月31日発行/幹遙子訳/ハヤカワ文庫SF/840円)

 新鋭ニコラ・グリフィスの長編第二作にして九六年度ネビュラ賞受賞に輝く『スロー・リバー』は、一人の女性が生のどん底に落ちてそこから這い上がっていくまでを、情報化とナノテク化が進んだ近未来のイギリスを舞台にして描いた力作長編である。新人とは思えない落ち着いた筆致で、ゆったりと流れる川が汚物を浄化していくように、倫理的にかなり際どい描写を交えながらも、それらを包み込んで読む者に暖かな気持ちを与えてくれる、奥行きの深い作品となっている。
 アムステルダムの大富豪ヴァン・デ・エスト家の娘として何一つ不自由なく育ったローアは、十八歳の誕生日を迎える数週間前にモンテビデオのホテルで誘拐されてしまう。遺伝子操作の結果生み出された微生物を使用した下水処理システムを完成させ、微生物とその養分の特許を有することによって莫大な富を手中にしたヴァン・デ・エスト家の人々にとって、身代金を払うことはさほど困難ではない。にもかかわらず、身代金は支払われなかった。父母に捨てられたと絶望したローアは、誘拐犯を殺して自力で脱出するが、深い傷を負ってしまう。裸でうずくまるローアを助けてくれたのは、スパナーと呼ばれる女性であった。違法行為を繰り返し自堕落な生活を続けるスパナーとともに暮らすようになったローアだったが、自らの行為に嫌気がさし、まっとうに暮らすために身分を偽って下水処理場で働くようになる。ところが、その下水処理場で突然事故が発生。ローアは何とか人々を救うため、自らの豊富な知識を駆使して対処するのだが……。
 近未来ものとしては、下水処理システムのリアルさを除けば特に目新しさは感じられないのだが、とにかく読ませる。小さい頃からのローアの生い立ち、誘拐事件後のスパナーとの共同生活、下水処理場での新たな生活、この三つの時系列を短いエピソードの積み重ねで描くという構成の妙もさることながら、世間知らずのお嬢様が正体を隠したまま社会の暗黒面を体験し最後に新しい自分自身を確立するという一人の女性の成長物語としての側面がより強く印象に残った。この手の物語は、悲惨さをどれだけリアルに描き出せるかが成功への鍵になると思うのだけれど、ハッキングやアダルトビデオ販売はおろか、恐喝、売春などによって生計をたてているスパナーたちの暗黒世界の描写のリアルさは、ジェイムズ・エルロイが描くところの四〇年代LAにも匹敵する悲惨さを感じさせる。海千山千のスパナーがいたからこそローアはこの暗黒社会を乗り越えられたわけで、そのスパナーと別れてローアが一人で生活を始める場面から始まる本書を読み進めながら、読者は思わず、頑張れ、ローア! と拳を握りしめて応援している自分に気づくことだろう。やさしい隣人との触れ合いに涙し、職場で最初は馴染めなかった同僚たちにやがては連帯感を感じるようになるローアの姿は、我々読者にヒューマニスティックな感動を呼び起こさずにはいられない。ただし、それは作者が人間の持つ残酷さ、悲惨さを真っ直ぐに見つめているが故である。本来ならば安住の地として存在するはずのローアの家庭ですら、近親相姦と憎悪の渦巻く地獄として描いてしまう作者に、甘さはまったく感じられない。ローアの恋愛遍歴がすべて女性とのものばかりであるという「奇妙さ」も極めて自然に感じられてしまうのは、物事を見つめる作者の正直で強靭な眼差しのせいなのかもしれない。
 身代金が支払われなかった理由と姉の自殺の謎が結末で一挙に明らかになるミステリ的な要素あり、レズビアンの性を大胆に扱ったポルノグラフィー的要素あり、大富豪の娘が正体を隠して放浪を続ける貴種流離譚的要素あり、下水処理場での事故を描いたテクノロジー・パニック小説的要素あり、と様々な物語の面白さを兼ね備えた本書は、ネビュラ賞受賞の看板がなくとも是非とも一読をお勧めしたい一冊である。

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『重力から逃れて』ダン・シモンズ

(1998年3月31日発行/越川芳明訳/早川書房/2300円)

 ダン・シモンズの『重力から逃れて』は、架空の元宇宙飛行士を主人公にして、個人的な人生の浮き沈みと宇宙開発の興亡とを重ねあわせ、リアリスティックに描き出した、なかなか味わい深い作品である。
 一九七一年に月面に降り立った過去の英雄も、もう五〇歳を過ぎた。元宇宙飛行士の主人公リチャード・ベデガーはNASAを退職した後、航空宇宙会社に勤めている。二十八年間連れ添った妻とは離婚したばかりで、一人息子のスコットは大学院を放り出してインドで精神修行中。会社の出張にかこつけてわざわざインドまで息子に会いに来たベデガーだったが、父親を軽蔑する息子の態度はつれない。ともに月に向かった同僚のトムはテレビ伝道師となり、デイヴは下院議員となった。自分のなすべき道を模索するベデガーだが、インドで息子の友人マギーと出会ったときから運命の歯車が回り出す。やがて二人は恋におち、そして……。
 というような粗筋紹介では、つまらない中年男の自分探しの物語にしか見えないかもしれないが、これが実に小説として巧いのである。読み出したら、もうぐいぐい引き込まれることは間違いない。筆者はどちらかと言えば『ハイペリオンの没落』よりも『ハイペリオン』の方が気に入っているのだが、その理由が本書を読んで良く分かったような気がする。本書は全五章からなる連作長編の形をとっているが、どの章も一つの作品として完成されている。例えば、一章では、チャレンジャー号の惨事と自分の家庭崩壊を体験して重苦しさに包まれていたベデガーが、乾いた牛糞の香りが漂い水死体が打ち上げられるインドでの非現実的な体験を通してほんの少し重力から解放される様子が描かれ、二章では、一転して、生まれ故郷イリノイ州でのパレードの主賓として招かれたベデガーの幼年時代の思い出が克明に描かれる、といった具合に各章は単独で読んでも十分楽しめるのだ。舞台やモチーフを様々に変化させながら、それでいて主人公ベデガーの心の重さとそこからの解放といった主題は一本芯が通っている。一つ一つのエピソードと全体とに有機的な関連を持たせる巧さが際立つという点で本書と『ハイペリオン』は共通しているように思う。また、父と子の絆の深さを語り、人は自分にとって意味がある「力の場所」を一生かけて巡礼しているのだと主張する本書が、極めて力強い人生の意義の再発見の物語となっていることも見逃せない魅力の一つだろう。もちろん、チャレンジャーの事故で始まりスペースシャトルの再開で幕を閉じる本書が、(批判を踏まえた上での)宇宙開発に対する肯定の書となっていることは言うまでもない。読み終えたときに、ずっしりとした確かな手応えを感じることができる佳品である。

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『イエスの遺伝子』マイクル・コーディ

(1998年3月31日発行/内田昌之訳/徳間書店/1800円)

 新鋭マイクル・コーディのデビュー作『イエスの遺伝子』は、もしもイエス・キリストの遺伝子が現代に残されていて、その遺伝子が解読できたら……というバイオテクノロジーの趣向と、殺人鬼との戦いというサイコホラーの趣向とを組み合わせた新しい形の遺伝子スリラーだ。
 西暦二〇〇二年。一つの体細胞から人間の遺伝子すべてを解読できる装置ジーンスコープを発明してノーベル賞を受賞した天才遺伝学者トム・カーターは、そんな発明は神への冒涜であると考える秘密結社の手先によって暗殺されかける。身代わりに妻を殺され彼女が脳腫瘍にかかっていたことを知ったトムは、自分の娘も脳腫瘍をわずらう危険があるのではないかと心配し、ジーンスコープで娘の遺伝子をスキャンする。結果は最悪。娘は一年以内に発病してしまうのだ。苦悩するトムが思いついた起死回生のアイディアとは、キリストの遺伝子を探し出し、病気を治す部分を取り出すことだった。果たして、キリストの遺伝子は見つかるのか、また、秘密結社からの魔の手を逃れることはできるのか……。着想の面白さと最新のテクノロジーを駆使した魅力的な小道具、宗教と科学の葛藤を軸にしたスピーディな物語展開などがあいまって、あれよあれよと言う間に読み終えてしまう上質の娯楽作となっている。クライトンの再来という評判も納得の出来栄えだ。

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『地球最後の日』フィリップ・ワイリー&エドウィン・バーマー

(1998年3月27日発行/佐藤龍雄訳/創元SF文庫/620円)

 かつてはジュヴナイル版で出ていたワイリー&バーマーの『地球最後の日』が、完訳版で刊行された。地球に巨大惑星が接近し、人々が懸命に脱出を図るというこの物語は、クラーク『神への鉄槌』と共に映画『Deep Impact』の原案になるとのこと。今読むと古めかしい点も目につくが、夾雑物のない純粋なパニック小説として結構読ませる。キスより先へ進めない主人公たちのロマンスが、かえって新鮮に見えるかも。

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