SF Magazine Book Review



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1997年12月号

『フィアサム・エンジンン』イアン・バンクス

『あいどる』ウィリアム・ギブスン

『ディープ・ブルー』ケン・グリムウッド


『フィアサム・エンジンン』イアン・バンクス

(1997年8月31日発行/増田まもる訳/早川書房/2300円)

 ミステリもSFも書くイギリスのベストセラー作家イアン・バンクスによる英国SF作家協会賞受賞作『フィアサム・エンジン』が刊行された。両方ともこなす作家にありがちなSF風味のミステリではなく、本格的なSFとなっていることにまずは驚かされること請け合いの傑作だ。
 人類が地球を離れてから数千年が過ぎた。地球に残された人々は、工学者や技術者などの様々なクランに別れ、中世さながらの国王の統治のもとに暮らしている。高度なテクノロジーをただ享受するだけで怠惰な生活を営む地球の人々のもとに異常事態が発生した。〈暗黒星雲〉が近づいてきたのだ。千年間は続く〈暗黒星雲〉の到来によって、太陽の光が弱まって世界は凍りつき、生命は滅びるだろう。酸素発生プラントを急遽建設する以外に上手い解決策を誰も思いつけない中、何か必要なものが〈礼拝堂〉に残されているはずだという理由から、国王及び枢密院側と技術者クラン側との間で〈礼拝堂〉をめぐる争奪戦が始まる。そんなある日、〈滑る石の平原〉と呼ばれる所で不思議な現象が観測された。三十二個の巨石が突如動き始め、完全な円形を形成したのだ。この現象は一体何の前兆なのか、重要/特権汎連帯クランの主任科学者ホルティス・ガドフィウム三世は早速調査に向かう……。
 遠い未来の地球に迫りくる暗黒星雲。謎に満ちた巨石の動き。実に魅力的な設定であり、また、これから何が始まるのだろうとわくわくさせられる完璧な導入である。その後の展開も、危機を乗り越えようとする人々の姿を描いて大団円に辿り着くまで、読者を飽きさせることなく次から次へと繰り出されるアイディアの洪水、めまぐるしい場面転換に翻弄されながらも、あれよあれよという間に読み終えてしまうほどの面白さ。これこそサイエンス・フィクションの醍醐味とも言うべきスケールの大きさと想像の限りを尽くしたイメージの豊かさ、そして何より物語の面白さは『ハイペリオン』に通じるものがあるように思われる。外宇宙の危機という設定だけを見ると古風なSFと思われるかもしれないが、一種の電脳空間であるクリプトスフィアとそれを巡るテクノロジーが本書では重要な役割を果たしており、決して現代性は失われていない。
 クリプトスフィア内部で生じる混沌が、ほとんどの人々がダイレクトに接続している電脳空間を汚染していくために、人類は暗黒星雲とクリプト内部の混沌という二つの危機に直面している。この危機を乗り越えるためにクリプト内部で生まれた人格である少女アシュラと、現実世界で暗殺されクリプト内存在となったセッシーン伯爵、巨石を調査する科学者ガドフィウム、ヒゲワシにさらわれたアリのエルゲイツを追ってクリプト内に入っていく少年バスキュール、以上四人が視点人物。この四人の物語が交互に語られていくため、ともすると最初は理解しづらい面もあるが、徐々に相互の関連がわかり人物の役割が飲み込めていくにつれ、物語の面白さが増していき、登場人物がすべて勢揃いする最後の章での謎解きは、複雑に絡んだ糸の結び目がすっとほどけていくかのような爽快さがある。題名になっている〈フィアサム・エンジン〉も、一体どこで出てくるのだろうと思って読んでいくと、何とこの最終章で始めて登場し、謎が明かされるのだ。
 現実世界でもクリプト内部でも八度の生が与えられるため、セッシーン伯爵は何度も暗殺され、生と死を繰り返す。また国王アディジンは、クリプトによって王たるべく容姿・性格などをデザインされている。ゲーム感覚で捉えられる生やプログラムされた生の軽やかさが、物語を加速し、逆にクリプト内の体験の重さを保証している。本書は、アシュラの言葉を借りれば、すべての登場人物が「クリプトを放浪してカオスの海を泳ぐ」旅をして成長していく物語でもあるのだ。それは、旅の過程が、地下のイメージで捉えられるクリプト(墓所)から始まってファストタワーの頂上までの上昇する運動になっていることからも明らかであろう。そして、その物語は、クラークの『銀河帝国の崩壊』がそうであったように、主人公の成長と人類の新たなる進歩が重ね合わされた感動の結末を迎える。文句なしに九七年度のベストに挙げたい作品である。

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『あいどる』ウィリアム・ギブスン

(1997年9月5日発行/浅倉久志訳/角川書店/1900円)

 ウィリアム・ギブスンの新作長編『あいどる』は、前作『ヴァーチャル・ライト』と同様の設定の近未来を舞台にして、『ニューロマンサー』を始めとする三部作で描いた電脳空間と『ヴァーチャル・ライト』で描いたユニークな都市空間とを結びつけるような形で、新たな電脳都市文学を切り開いた意欲的な作品である。しかも、今回の舞台は東京であるから、我々日本の読者には、作品空間を楽しむだけでなく、作品空間と現実の空間を比較して楽しむという二重の悦楽を得る特権があるわけだ。心して読んでいただきたい。
 大地震後の再建が進む東京に、二人の外国人がやって来る。一人は、スリット・スキャンなるスキャンダル専門番組製作会社をクビになり、前作でも活躍した社会学者山崎晋也の勤める会社〈パラゴン・アジア・データフロー〉の面接を受けに来たアメリカ人コーリア・レイニー。もう一人は、ロックバンド〈ロー/レズ〉の大ファンで、バンドの一員であるレズが実在しないヴァーチャル・アイドルの投影麗と結婚するという噂の真偽を確かめるため、親に嘘をついてまで東京にやって来た十四歳の少女チア・マッケンジー。この二人の物語が交互に語られ、登場人物が一同に会するクライマックスまで辿り着く。その構成の隙のなさ、さりげない伏線の巧みさ、短いカットバックを積み重ねて雰囲気を盛り上げる手法、文章の切れ味の良さ、どれをとってももはや一級品と言うべきで、ギブスンのテクニックにはますます磨きがかかっているようだ。初期の作品に見られた晦渋さがなくなり、随分と読みやすくなっていることもつけ加えておきたい。
 物語の構成としては、いつもギブスンの作品に見られるように、聖杯探求が大きなウェイトを占めている。チアは飛行機の中でメリーアリスという女性と知り合い、知らないうちに彼女の持っていた密輸品をハンドバッグに入れられ、運ぶ役割を担わされる。この密輸品こそが、レズと投影麗の結婚に必要なナノテク・アセンブラだったのだ。一方、人物のデータを見て直感的に変化の兆し(結節点)を読み取ることができる能力を持つレイニーは、その能力でレズを調査し、どうして麗との結婚を決意するに至ったかを探ってほしいと依頼される。調査の過程で、両者の結婚に必要な聖杯であるナノテク・アセンブラの在処を見つけ、そこへ向かうレイニーたち。結局、レズはアセンブラ入手に成功するのだが、その結果として起きる出来事に全く盛り上がりがなく、何となくはぐらかされてしまうのも、『ニューロマンサー』以来のギブスン作品クライマックスの特色である。つまり、あくまでも、ドラマを正攻法でなく脇役の視点から見て語るのが、ギブスンならではの方法なのだろう。むしろ、ドラマそのものよりも、そのドラマが語られる都市空間や細部のディテールを楽しむのが正しいギブスン鑑賞法であるように思われる。
 そうした観点からも、本書で描かれる数々の電脳空間の素晴らしさは特筆すべきである。「橋と運河とアーチと壁が作りだす迷宮」(四三頁)と描写される仮想ヴェネチア、香港の九龍城をモチーフとした〈城砦都市〉、木造建築に着物の少女が住むロー/レズ・ファンクラブの東京支部のサイトなど、その実在感溢れる空間の手触りは高解像度で描かれており実に見事。また、ポカリ・スエットを見て〈ポカリ汗〉とは何だろうと考えたりするアメリカの少女チアの目から見た日本の奇妙さも本書の読み所の一つである。チアの成長物語としての側面もある本書であるが、彼女にとっては、実際の東京も仮想ヴェネチアも一つの等価な空間として認識されている。それは、偶然生み出されたAIとも言うべき実在しない歌手の黒い瞳に希望を見出すレイニーの認識と同じものだ。レズと麗との結婚は、電脳空間と実際の空間との華麗なる合一を象徴しているように感じられた。何はともあれ、必読の作品である。

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『ディープ・ブルー』ケン・グリムウッド

(1997年8月25日発行/布施由紀子訳/角川文庫/880円)

 人生を何度もやり直す数奇な運命に陥った主人公を描いてベストセラーとなった『リプレイ』の作者ケン・グリムウッドの『ディープ・ブルー』は、イルカと人間のコミュニケーションを真正面から扱った力作である。幼い頃にイルカと運命的な出会いを果たした四人の男女。イルカのコミュニケーション法を探る科学者、マグロ漁船に乗り組んでイルカ虐待の真実を追うジャーナリスト、その漁船の船長、海底油田の掘削技師が、それぞれの運命に導かれ、ついにはイルカの人間に対するメッセージを受け取る……。イルカの生態を良く研究した上で語られる独自のイルカ文明が興味深く、また、人類とイルカの未来を開く優しいメッセージに心温まる感動の一冊である。

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