SF Magazine Book Review

1997年4月号


『女王天使』グレッグ・ベア

『大いなる旅立ち』デイヴィッド・ファインタック

『Xのアーチ』スティーヴ・エリクソン

『死後の世界へ』M・スコット・ペック


『女王天使』グレッグ・ベア

(1997年1月31日発行/酒井伸昭訳/ハヤカワ文庫SF/上下各720円)

 既に本誌九六年二月号で第二作「凍月」が紹介されているグレッグ・ベアの《ナノテク/量子論理》シリーズ第一作『女王天使』(上・下)は、快調なテンポで読ませるサイコホラーSFである。
 西暦二〇四七年一二月、二進法上での世紀末を人々が意識し、新世紀への期待が高まるとき。ナノテクの発達によって可能となった身体変容を行う者が存在し、セラピーを受けることがほぼ市民の義務となって犯罪の発生率がぐんと下がっている、そんなとき、ロスエンジェルスにおいて一般市民八名が惨殺される大量殺人事件が起きた。捜索に当たるLA公安局のマリア・チョイは自身の皮膚を黒く変色させた変容者である。容疑者は詩人で、かねてからヒスパニオラ(現在のドミニカとハイチ)の独裁者と親しくしていたエマニュエル・ゴールドスミス。ヒスパニオラへ脱出したとの予測のもと現地へ赴くマリアであったが、果たしてそこで待ち受けていたものは……。
 というマリアによる犯人捜しを基本の物語として、そこに被害者の親からの依頼を受けてゴールドスミスの脳の中に潜入し罪を犯した原因を探る心理学者マーティン・バークの探求の物語や、恒星間宇宙無人探査機(AXIS)によるアルファ・ケンタウリの探索の物語などがからんで、精神世界から遥かな宇宙までを舞台にした壮大なストーリーが展開される。殺人を犯した後のエマニュエルの超然とした態度などに、『羊たちの沈黙』のレクター博士を連想させるところもあり、どのような異常心理が語られるのか興味津々で読み進めていったが、結局は衝撃的な精神外傷に帰着してしまう結末にはいささか不満が残った。ただし、謎解きではなく、エマニュエルの荒涼とした精神世界を探索できる国として具象的に描き出すことにベアの主眼があるのだと思えば、そうした欠点も気にはなるまい。実際、精神世界を探る旅のイメージ喚起力は素晴らしいものがある。
 それほど交錯することなく並べられたいくつかの物語であるが、意識のメカニズムを探るというテーマは全てに共通している。人間の意識を潜脳して探るという手法にしろ、無人探査機が意識を獲得するという過程にしろ、トップダウンとボトムアップの違いはあるが、意識を一つのシステム(または生命)として解明可能であるというベアの明解な認識が、本書の展開をよりスピーディかつ解りやすいものとしていることは明らかであろう。神秘に満ちたヴードゥー教も象徴として効果的に機能しているとは言いがたいし(こちらが読みとれていないだけかもしれないが)、本書は素直にストレートなサイエンス・フィクションとして読んでおくのが正解かもしれない。

ページの先頭に戻る


『大いなる旅立ち』デイヴィッド・ファインタック

(1996年12月31日発行/野田昌宏訳/ハヤカワ文庫SF/上下各700円)

 新人デイヴィッド・ファインタックによる現代版スペース・オペラ《銀河の荒鷲シーフォート》が、『大いなる旅立ち』(上・下)で幕を開けた。
 西暦二一九四年。国連宇宙軍軍艦〈ハイバーニア〉に乗り組んだ若き先任士官候補生ニコラス・シーフォートは、上級士官が不運な事故により死亡し、引き続き艦長が病死したため、あろうことか〈ハイバーニア〉の指揮官になってしまう。経験未熟な艦長を心配し地球への帰投を勧める皆を尻目にニコラスは、目的地ホープ・ネーションへの旅を続けることを決意。規律を乱した下士官の処刑、バグを持ったコンピュータのシステム再構築、恐るべき異星人とのコンタクトなど様々な苦難を経て、何とかホープ・ネーションへとたどり着いた〈ハイバーニア〉だったが……。
 という具合に、物語は一人の青年士官候補生の成長を生き生きとした筆致で描き出す。個人的な感情と厳しい規律との間で悩み、何とか切り抜けていくニコラスの誠実な姿勢に、いつしか読者は共感せずにはいられないだろう。SF味は余りないが、人物描写にすぐれた個人の成長小説である。

ページの先頭に戻る


『Xのアーチ』スティーヴ・エリクソン

(1996年12月18日発行/柴田元幸訳/集英社/2500円)

 トマス・ピンチョンをして「独立宣言以降のアメリカのいかなる文章にも増して大胆で、クレイジーで、パッションに満ちている」(本書解説より)と言わしめた当代随一の物語作家スティーヴ・エリクソンの第四長編『Xのアーチ』は、今までの彼の作品の集大成とも言うべき力作であり、バラード・ランドにも匹敵する強烈な個性を備え、いつもの彼の長編と同様に、独自の想像力に裏打ちされた強固な幻想と現実が激しくぶつかり合って異様な熱気をはらんだ作品である。
 主たるストーリーの流れは三つ。一つは、一九世紀後半、後にアメリカ大統領となる南部の大地主トマス・ジェファーソンとその黒人奴隷であり愛人でもあったサリー・ヘミングスとの愛と自由をめぐる物語。一つは、いつとも知れぬ時とどこともわからぬ場所にある永劫都市のホテルで起きる殺人事件の容疑者サリーと中央教会の公文書庫で働くエッチャーとの愛の物語。そして、さらに一つは、一九九九年一二月三一日と二〇〇〇年一月一日との間に失われた一日を求めて世紀末ベルリンにやって来たアメリカ作家エリクソンと闇の女の物語。これらの物語が時間と空間を超えて自在に入り乱れ、分岐したかと思うとまた戻りなどしながら進んでいく様は、まるで奔流のごとき凄まじい勢いである。
 ともすれば、その流れにのまれてしまいそうになる登場人物の動きの中で、黒人奴隷サリーと彼女を所有しようとするトマスとの葛藤は、とりわけ目を引く。と言うより、時空を超えて展開されるそれぞれの男と女の物語は全てサリーに結びついていくことになるのだ。彼女がトマスに連れられて来た革命下のパリで、彼女は自由な人間としてパリにとどまるか、奴隷としてトマスとともにアメリカに戻るかの選択を迫られる。この自由をとるか愛をとるかの決定的瞬間、自由と愛との二つの弧が一つの点で交わる。これこそが「Xのアーチ」、題名の由来である。概念として、エリクソンは自由と愛を「所有物ではなく個人で存在すること」と「所有物として愛されること」の二つに分けており、決して両者が一人の個人の中で融合することはない。永劫都市でサリーはエッチャーの愛に慈しまれ自由な個人として存在しながらも、「彼女のなかの奴隷的な部分」はそれを理解できない。エッチャーに愛されながら、彼女はトマスを忘れられないのだ。
 自由と愛以外にも、黒色と白色、心と歴史など、異なる言い回しによる同様の二項対立が繰り返し登場しては交差し、また離れていく。サリーの心の葛藤が歴史を書き換えていき、エッチャーは真実の歴史が記された「無意識の歴史無削除版」を手に入れる。ディックが『高い城の男』で到達した高みに、エリクソンは易々と達し、しかもそれを乗り越えたと言っていいだろう。ディックとマルケスの幸福な結合とも言うべき圧倒的な迫力に満ちた魔術的リアリズムに眩惑されること間違いなしの傑作である。彩流社から『現代作家ガイド2 スティーヴ・エリクソン』がタイミングよく刊行されているので、そちらも参照していただきたい。

ページの先頭に戻る


『死後の世界へ』M・スコット・ペック

(1996年12月18日発行/森英明訳/集英社/1900円)

 アメリカの高名な心理療法医M・スコット・ペックによる小説『死後の世界へ』は、自らのカウンセラーとしての豊富な経験をもとに人々の魂の問題を追求した異色作。
 主人公ダニエルは肺ガンで亡くなった後、死後の世界で目覚める。肉体を失って光のような存在となった人々の精神だが、生前のコンプレックスや習慣からはなかなか逃れられない。肥満の人はそのままの姿で、会社づけの人はそのまま会社の中で過ごすというように、肉体から解放されることは難しいのだ。ダニエルは異文化間介入委員会で人々の精神の解放のために働くことを決意する……。
 死後の世界を描いてはいるが、これは現実を戯画化したものであって、そこで扱われているセラピーの問題は、十分現代に通用するものである。作者の思想を小説の形をとって表現した作品と言えるだろう。

ページの先頭に戻る


作品名インデックス

作者名インデックス


Back to SFM Book Review Homepage