SF Magazine Book Review

1995年5月号


『タイム・パトロール/時間線の迷路』ポール・アンダースン

『JM』テリー・ビッスン

『戦う都市』アン・マキャフリー&S・M・スターリング


『タイム・パトロール/時間線の迷路』ポール・アンダースン

(1995年2月28日発行/大西憲訳/ハヤカワ文庫SF/上下各600円)

 ふとテレビをつければ、アシモフのロボット三原則がコマーシャルで流され、科学雑誌ではなく、男性週刊誌でも大真面目にタイムトラベル特集が組まれている今日この頃。「SFが見えなくなった」と言われて久しいような気がするが、SF的な要素は確かに世の中に遍在している。そのため、逆に「SFという書物」の持っていた特権的な役割が喪われつつあるというのは、皮肉なことだが事実であろう。「本の雑誌」三月号のコラムで鏡明氏は「(SFの)コアの部分が空白になっている」というような発言をしていたが、それでは、どのような書物がSFの中核を担っていけばよいのだろうか。
 などとつらつら考えていた所へ、タイミング良くポール・アンダースンの近作『タイム・パトロール/時間線の迷路(上・下)』が刊行された。時間警察ものの元祖とも言うべき《タイム・パトロール》シリーズであるが、第一作が雑誌に発表されたのは一九五五年。本書は九〇年に刊行されたシリーズ最新作であるから、数が少ないとは言え、この連作は何と三〇年以上もの間、同主人公、同設定で書き継がれていることになる。
 タイム・パトロールの無任所職員マンス・エヴァラードは、歴史改変を企む〈称揚主義者〉を追って紀元前二〇九年のパルティアへやって来た。現住民になりすまして様子を探り、彼らの隠れ家を発見する。正しい歴史では、バクトラの戦いでパルティア王国に敗れ、東進をあきらめたはずのセレウコス朝シリアの王が、この世界では勝ってしまう。これがどうやら〈称揚主義者〉の陰謀によるものらしい。彼らの計画を打ち破るべく、エヴァラードの活躍が始まる……。
 この対称揚主義者のエピソードに加えて、紀元前一万三千年の北アメリカ大陸で原住民同士の争いに干渉すべきかどうかで悩む若き女性パトロール員ワンダの話、そのワンダ達の協力のもとに一二世紀のイタリアで再び歴史改変を阻止する話、以上三つのエピソードが、本書にはまとめられている。的確な考証により描き出された過去の世界、巧みに計算され尽くしたプロット、適度に深みのあるキャラクターなどが相まって、読みごたえのある作品となっているが、特筆すべきは、背景となるその時代のリアルさだ。建築物、衣装はもちろん、人々の習俗、日常生活に至るまで、アンダースンは該博な知識を基にして、一つの世界を史実に忠実に、生き生きと再現してみせる。もちろん、過去の世界を緻密に再現するだけなら、それは良く出来た歴史小説に過ぎない。過去の世界がリアルになればなるほど、時空を超え歴史に干渉し得るという設定の迫真性が増していく所に、本シリーズならではの面白さがあると言えるだろう。
 一つのエピソードの中でいくつもの時代を主人公達は往復する。最初は戸惑うかもしれないが、じっくりと読み進めて行けば、決して混乱することはない。本シリーズには、アシモフのロボット三原則のような厳格な制約があり、それがきちんと守られているからだ。 この制約を簡潔にまとめてみると、
1 歴史を改変してはならない。 
2 改変された場合でも、歴史は自然に元に戻る。
3 ただし、重要な歴史的事実を変えてしまった場合はこの限りではない。
 とまあ、こんな具合になるだろうか。3の「重要な歴史的事実」がどこに当たるのかは、実際に歴史が変わってみないとわからないから、事前に防止できないところがミソである。2から必然的に派生する「多少なら現実と異なるタイムラインも許される」というところが、またうまい設定で、『タイム・パトロール』を読んだとき、主人公が一九世紀ロンドンに実在したホームズに会う場面で思わずニヤリとさせられた覚えがあるが、その場面などもここから説明できるわけだ。
 他にも百万年未来に住むデイネリア人の存在や女性パトロール員とのラヴ・ロマンスなど、本書の魅力はまだまだあるのだが、不要な講釈はこの辺りでやめておこう。何はともあれ、洗練され、安心して楽しめるSFとしてお勧めの一冊である。「SFの基本型」と評されるアンダースンの作品だが、やはりこの辺りを「コア」として紹介がどんどん進むことが今のSF出版に望まれていることなのかもしれない。

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『JM』テリー・ビッスン

(1995年2月25日発行/嶋田洋一訳/角川文庫/680円)

 GW映画公開に先だって、『JM』(原作はハヤカワ文庫SF『クローム襲撃』所収のW・ギブスンの短編「記憶屋ジョニイ」)のノヴェライゼーションが刊行された。奇妙な味わいのロード・ノヴェル『世界の果てから何マイル』の作者テリー・ビッスンが手掛けたとあって、どんな作品になるか期待して読んでみたのだが、結果としてはかなり原作者ギブスンの色の濃いものに仕上がっている。
 二〇二一年。世界中の街には、情報機器の過剰によって引き起こされる神経衰弱症候群の患者があふれている。脳に直接データをアップロードして運ぶ記憶配達人ジョニーは、北京からニューアークへデータを運ぶよう依頼された。しかし、依頼されたデータは記憶容量のほぼ二倍。何とか詰め込んだものの、早く取り出さないと彼の命が危険にさらされる。そこへデータ奪取を狙うヤクザが乗り込んで来た……。
 硬質でクールだった原作に比べて、本書は随分と柔らかく、読みやすくなっている。ヘリやミサイルまで登場するヤクザとの攻防戦や、狙った獲物を磔にして殺していく路上教誨師との死闘など原作にはなかったアクション・シーンもたっぷりで、映画の出来映えが今から楽しみだ。追加された場面・設定は多数あるが、何より驚いたのは電脳空間(サイバースペース)が登場し、ジョニーが元カウボーイ(電脳空間に入り込むハッカー)だったという設定の変更点。スプロールという単語も飛び出し、さながら今までのギブスン作品の集大成といった趣さえある。ところが、ジョニーが運ぶデータの正体が世界そのものを変えて行くというラストに至っては、もはや原作のテーマを一八〇度転換させた、全く別作品と解釈すべきストーリー展開と言ってよい。原作では、データの中身を知らないジョニイに極めて脱ヒューマニズム的な価値が付与されていたことを考え合わせると、やはりこれはギブスン自身の転回点を示すものなのだろう。そうした意味でも興味深い一冊であった。

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『戦う都市』アン・マキャフリー&S・M・スターリング

(1995年2月24日発行/嶋田洋一訳/創元SF文庫/上下各530円)

 今年は彼女の当たり年かと思わせるほど翻訳の続くマキャフリー。《歌う船》シリーズ三冊目、S・M・スターリングとの合作『戦う都市(上・下)』が順調に刊行されている。
 シメオンという名の脳(ブレイン)は、船ではなく宇宙ステーションに接続されており、そこは一万五千の人が生活する一つの都市となっている。新しく赴任してきた筋肉(ブローン)との反りが合わず、苦労するシメオン。何とかうまくやっていくうちに大事件が発生。宇宙海賊に襲われた惑星から船が逃げ込んできたのだ。後から海賊が追って来ることは間違いない。一計を案じたシメオン達は、わざと海賊を呼び込むのだが……。
 相変わらず快調なテンポで読ませるが、脳(ブレイン)と筋肉(ブローン)のやり取りが、今回はただの夫婦げんかに見えてしまっていささか辟易させられた。あと、敵の海賊の描写が、余りにも定石通り(女性蔑視の民族中心主義者で暴力好き)な所もいただけない。ミリタリーSFを得意にしているというスターリングとの合作は、裏目に出てしまったたのではないだろうか。

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 最後に、早川のSFフェアが今月号の出る頃には行われていると思う。エリスンの傑作短編集『世界の中心で愛を叫んだけもの』を始め、ウィンダムの古典的名作『呪われた村』、キャリンの快作『サターン・デッドヒート』などが復刊されるということなので、未読の方はお見逃しなく。

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