◎一九会道場
日野正一先生ご夫妻
中野野方一九会道場にて
一九会道場は、山岡鉄舟先生の最後の内弟子であった小倉鉄樹先生を師と仰ぎ、大正十一年に、東京帝国大学学生であった千葉四郎氏等により、東京中野の野方町に設立された、禅と禊による、神仏一如、万有一元の教えの体得を目的とする修養団体である。
 小倉鉄樹先生は、慶応元年四月三日新潟県西頚城郡青海村に生まれ、本名を伊三郎という。鉄樹は師山岡鉄舟より授けられた号である。明治十四年十二月三十一日内弟子となり、剣の修行に励んだが、師命により禅を京都に学ぶ。師の没後剣を捨て、生涯参禅究道に励まれた。一九会の名の由来は、鉄舟先生の命日である七月十九日にちなみ、毎月十九日に集い修行を行なった事による。ここに鉄樹先生の一九会道場における、禊修行の信条である「垂示」を掲げ、先生の修行に対する意気込みを改めて感じたいと思う。
「垂示」
「我がこの美曾岐は生死脱得の修行なれば、勇猛心を奮起し、喪心失命を避けず、一声一声正に吐血の思を為して喝破すべし。苟も左顧右眄徒らに嬌音を弄して他の清衆の修行を妨ぐること勿れ。至嘱至嘱。」
 なお芸術院会員で文化勲章を受賞された日本画家の小倉遊亀先生は、鉄樹先生の夫人である。
 昭和十八年鉄樹先生御長逝の後は、先生に二十五年間師事された鉄叟日野正一先生ご夫妻のご指導により、修行が続けられていた。一九会では毎月一度、会員により推薦された者数名が、三日間篭もっての初学修行がある。午前四時半に起床、食事と僅かの休憩時間を除き、午後九時まで正座しての禊修行が行なわれる。全身の気力を振り絞り祝詞の数句を発声するが、疲労により声が衰えると、背後に控えた多数の先輩の気合いと激励を受け続ける。この三日間を行ない通して後に、正式に会員となることが出来るのである。
 関東大震災、戦争にも焼けずに残った中野 野方町の道場は、周囲に人家が建て込む等の事情から、昭和39年、東京都 東久留米市 前沢に移転した。
 日野正一先生ご夫妻が亡くなられた後は、大先輩の石津光一先生を中心として修行が行われている。
多田塾では早大合気道会OBの坪井威樹七段が中心となりOB、現役の早大合気道会員、及び各関係道場の会員も引き続き入会して、修行を続けている。

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