中国の旅、青島・北京
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この2月の連休を利用して、前から行きたいと思っていた計り知れない魅力ある大国、中国は青島・北京の旅を会社の人達と行ってきました。やはり予想に違わず魅力いっぱい濃縮されており、悠久の歴史がずしりと感じられ、5000年という歳月を費やしていながら、ゆっくり動く大国に唖然。反面、都心部では近代化の波が押し寄せ、貧富の差が大きく乖離している現状。
犬も猫も一匹も目撃されず(北京市内ではペット禁止)。田舎では食料と化しているのだろうか?。何せ世界人口60億と云われる中に中国は13億、つまり5人に1人が中国人となる勘定だ。生きる為になんでも食うし、万能鍋と言われる中華鍋に染み込んだ全ての味が交じり合い、油で炒め直し、そこに醸し出される味付けは天下一品!余りの美味さに食いすぎ、免疫のない胃袋を刺激する一こまもあり。
交通ルールあって無いようなもの。人と車、自転車、三輪車、混ぜん一帯として走る。横断歩道もなければ人は何処からでも渡ろうとする。しかも堂々と!でもぶち当たらない。お互い微妙なテレパシーを感じながらすり抜けている。見ている方が恐い。
気温は低め、−1℃〜−8℃位。防寒対策さえすれば、全然問題ない。寧ろ空いているから、一番良いかも。
北方系の人間は大男でがっしりした体つき。青島など南方系は小柄が多い。
総体的に元気な若者が多く、向学心に燃え、目が輝いていた。日本のような茶パツ・ガングロしたバカ者、バカ娘は一人もいない。一人っ子政策で大事に育てられる子供達。親の愛情が子に注がれ、それに応えようとする子供達。天安門広場に訪れる家族にヒシヒシ伝わってくる。
将来、いや近い将来、今の日本ならいずれ抜かれアジアでも三流の国へと蹴落とされてしまうだろう。
そう思わざるを得ない程日本の平和ボケに慣れきってしまっている国民と無能な政治家に畏怖の念を感じて帰ってきました。

平成13年2月10日早朝、関空発福岡経由で一路青島へ。約2時間15分
ーーー −−−−−ーPM12:30分到着後、小魚山公園、青島山砲台、青島ビール工場見学。
ーーーーーー ーーー夕食は、青島名物海鮮料理を食べる。青島ビール飲み放題
二日目(2月11日):早朝、青島空港から北京へ約1時間15分。北京空港から市内観光及び万里の長城へ。
ーーーーーーーーー昼から天安門広場に登り、故宮を見学。北京一の繁華街 王府井大街を歩いた後、夕食を
ーーーーーーーーー名店「全聚徳」にて本場北京ダックを賞味する。
三日目(2月12日):再度天安門広場にタクシーで訪れ、100万人入ると云われる大広場を実感する。
ーーーーーーーーーーー午後1時にホテル出発後、北京空港より日本へ帰国。19:00関空着

青島(チンタオ)
関港を飛び立った飛行機は一旦福岡経由で、そこから約2時間強で青島に着いた。途中朝鮮半島上空から見える白く雪に覆われた大地を見ると、暖かい国から寒い国に行くのだな〜と実感が湧いてくる。
近代化された青島
青島は、緯度的に関西とあまり変らないので寒くはない。青島空港を降り入国手続きを済ませると現地ガイドが待っていた。
今回のツアー客は13名、ころ良い人数だ。いよいよ旅の始まりだ。マイクロバスで青島観光に走り出す。
ところが、少し走るとどうも日本の交通ルールと勝手が違う事に気付く。右側通行の違いは解るが、信号が赤でも平気で右折したり左折したり、悠然と人が広い道路を横断したり、道路の真ん中を自転車が走っている。更にこちらの車も片道3車線をウインカー出さず右に左に車線変更を頻繁に変えながらハイスピードで走って行く。遅い車もあれば速い車もマチマチだ。
余りの恐ろしさに、最初一番前の席に座ったが、途中から後方に座り直す(^ ^ゞ ポリポリ
ひょっとしたら、いずれ衝突事故に巻き込まれるに違いないという危機感がそうさせた。車内で、円から元の両替サービスがある。1万円を交換。本日のレート1元=14.5円で。
小魚山公園より見た景観
市内観光した後、最初に訪れたのは小魚山公園。欧風建設が一望できる景観良い公園で、1898年〜1914年ドイツが租借権を獲得、その時造られたエキゾチックな建物が多数現存し、その後ドイツに代り日本が1922年までその権利を引継ぎ、建物は無事保存されている。

次に訪れたのは、ドイツ軍が作った青島山砲台。山をくり貫いて造られた迷路のようになった多数の部屋。まるで牢獄のような分厚いコンクリート壁に仕切られ、少々の方弾を浴びてもびくともしない造り。私だけ興味深くカメラを写しながらいつも最後尾を歩くので、途中はぐれると皆が何処にいるのか分からなくなるほど同じ部屋が扇条になっている。何か怖さを感じる。
砲台の上は、長方形の小窓が外の様子を一周見渡せ、360度回転する鋼鉄の砲台が鎮座。更に外部に砲台と解らせないよう小さな煙突が四方に分散され、隠されている。かつて日本軍も同じ砲台を利用したのだろうな〜。
沖縄三人娘
次は、青島ビール工場。ここもかつてドイツ人の手で作られたビール工場。味は円やかで飲みやすい。生ビールのような舌触りで、ビールとしては唯一中国18名酒に名を連ねる絶品。
Shangiri-La Hotelの様子
そして、夕食は青島名物海鮮料理で舌鼓。青島ビールも飲み放題。今回参加したツアーの人達と始めて同じテーブルに席を並べ、すっかりお友達になる。その中に、沖縄から参加した3人娘が私のホームページを見た事があるとの事にすっかり気を良くし、「写真を載せようか〜」と言うと「載せて載せて〜」と言いながら可愛い顔を寄せ合う。(^ ^ゞ
ホテルは、青島でも最高級の香格里拉大飯店(Shangiri-La Hotel)。静かで落ち着いた雰囲気は実に良い。
ただ、少し過剰防衛では・・・?と思ったのは、奇麗な雰囲気をカメラに収めたいと思って写真を撮っていると、撮っては駄目!とガードマンらしき者に制止された事。(過剰防衛なのか、単にうるさいだけなのか?処変れば考え方も変る)
でも、撮ってやった(^ ^ゞ ポリポリ。 良い宣伝になるのに〜(^_-)

北京と万里の長城
翌朝早く(6時ホテル発)青島空港から北京空港まで移動(1時間15分で)。北京は首都国際空港、奇麗で近代的であった。
ここで、またツアーから派遣された別のガイドさんが待っていた。若くて美人であった(^.^;;;
その足で一路万里の長城に直行。空港から市内に延びる6車線の高速道路、両端に植えられたポプラ並木、オリンピック誘致へのプラカード、100m間隔に並んだ物々しい警備(後で解った事だが、この日はカナダのクレティエン首相が訪中する予定になっていた)。寒く(−2℃)て灰色がかった乾燥した空気。マイクロバスは北京市内に入らず迂回するように北に進路をとる。
この間、走る車、悠然と横断する人、ボロボロのトラックが荷物満載して喘ぎながら走っている光景など、青島と変らず。
全体的に田舎に入れば車が少ないので、バスは時速100キロ位の速度で飛ばす(全ての道路にスピード表示は無いのだ)
万里の長城
(ここに、数枚の写真あり)

やはり外気が寒いのか1時間近く走ると雪がチラホラ残っている。路面も両端凍結している。北京から北西に80キロ、やっと万里の長城、慕田峪(ぼでんよく)に着く。長城は全長6000キロにも及ぶので、観光個所はいろいろある。ここの慕田峪は、急峻な山岳地帯にあり、ロープウエーがあるから楽に登れる。登り口付近では、薄汚れた安物の土産(テーブルかけ・Tシャツ・その他雑貨など)を強引に勧誘してくる。ガイドからも相手にせぬよう言い含められていた。観光客には有料トイレである。入り口で5角(日本円で約7円)取られる。

急峻な山間をロープウエーが一気に登り切り、そこに展開される大城壁は圧巻であった。ラッキーにも今日は晴天、四方の峰峰に続く長城を見渡せた。気温は低くそうだが、顔をいるような寒さではない。入り口から右は急坂、左は緩やか。両方とも行きたいが、ここの時間は40分以内とガイドさんに決められていたから、写真アングルの良さそうな右側を選択。ここでも若者が土産物(写真集)を売っていた。寒くないかい?と日本語とゼスチャーで話し掛けると笑いながら手でノー、ノーしてくれる。
雪が所々積もっていた。空いているからここの良さを再確認できる。春には、地元中国人やら観光客で黒山になるらしい。
ひとしきり城壁を進めるだけ進み、途中で折り返して集合場所まで戻る。

故宮
天安門の上より
万里の長城を終わり北京に折り返した後昼食後、いよいよ天安門から故宮博物院を見学する事になる。
ベンガラ色の城壁、黄瑠璃瓦の楼閣、中国のシンボルである天安門は、故宮の正門に当たる。
現在城門は国家行事以外は公開され、上まで登って広大な天安門広場を眺める事ができる。
但し、入門前には荷物持ち込み禁止と厳重なボディーチェックにかけられ、カメラだけは許されている。
中に入ると、警護兵が至る所に並んでおり、不信人物を監視していた。全員大男で威圧感さえある。が、顔を見るとあどけなさが残る青年達で、多分20歳前後であろう。ホントは話し掛けてはいけないのだろうけれど、ついつい寒そうに頭からフードを被っている人民防寒服の青年に、ジエスチャーで寒くないかいと話し掛けると、顔は笑っていないが目が大丈夫ですと返事しているようであった。(^ ^ゞ 。この時はかなり冷え込み−5℃以上の体感気温であった。

天安門の上から眺める広場は壮大である。総面積40万uの世界最大の広場で、100万人収容できるという。
ここから大群衆に向かって手を振りながらその大歓声に応えている様子を想像するだけでも大感激だ\(^O^)/
建物外観は撮影してもOKだが、内部室内の煌びやかに彩られた色彩を撮影しようとカメラを構えると、突然警護兵から制止を受ける。ここは中国、下手に逮捕拘束されると恐いので、すぐカメラを収納する(^ ^ゞ ポリポリ

太和殿(重要な典礼する所)
その後、紫禁城(故宮)入り口の午門まで歩く。兎に角広いから歩く事歩く事・・・!午門は、世界最大の城門とされている。
高さ10m、全長3Kmに及ぶ城壁と幅52mの濠、筒子河に囲まれた総面積72万uの故宮。明、清時代は紫禁城と呼ばれた。北を軸に東西南北見事に建造物が仕切られ、故宮から外部に出る門は四方4ヶ所しかない。偶々方位磁石を持っていたから確認して改めてその時代の凄さに感動を覚える。城内にある60の殿閣には、9999の部屋があると云われている。
明の永楽帝が14年の歳月を費やして1420年に完成させた。以後清の末代まで500年、24人の皇帝がここで暮らす。
明代では9000人の宮女、宦官10万人がその中に住んでいたとくればその大きさの程が解るというもの。

最初は次から次へと現れる見事な殿閣に写真を撮りまくっていたが、このままだと4本持っていたフイルムが無くなってしまう〜。同じようにツアーの人達もフイルム切れしていた。誰かが、皆同じような建物で撮ってもしゃ〜ないわ〜という嘆きか悔しさかに笑い声が聞こえる。しかし、一生毎日こんな中で暮らしていたら、世の中の動きも解らず、退屈する日が必ずくるだろうな〜と思う。ラストエンペラーで子供の皇帝が外の世界を見たくて自転車を走り回ったり屋根に登って外の世界を見るシーンがあったな〜。いくら広いと言えども籠の鳥は嫌なもんだよ(^ ^ゞ
故宮の博物館は4時閉門、たっぷり2時間の見学も終え、出口を出たところで一休み。そこは記念品やら陶器、山水画、書道
など販売していた。最初は買う気も無かったが、印鑑をその場で彫ってくれるという。そんな高価でもないし、記念と実用的を考え牛角で頼んだ。280元だった(^^)

ショッピング・グルメ
王府井大街の夜景
故宮を終わり、薄暗くなった北京一の繁華街、王府井大街を歩く。東京、大阪に比べれば大した事ないが、北京では最高の繁華街である。今日の夕食「全聚徳」まで繁華街を歩いて行く。実は、青島観光の時こんな事があった。道路を横断するにも勇気が要る。車が止まらないしどのタイミングで渡ったら良いのか解らない。赤信号、皆で渡れば恐くない(^_-)青島一の百貨店に行ってみた。入り口を見てびっくり。な、何と日本で工場入り口によくかかっている分厚い暖簾型の透明塩ビシートを上から釣り下げ、中の暖房を逃がさぬようされている。まさかこんな青島一の百貨店で見ようとは思わなかったな〜 (@_@)
勿論、その中にドアがあるが開放されている。多分人の出入りが多いので1枚ドアだと熱気が逃げてしまうからだ。
何故、最初から2枚ドアに工夫しなかったのだろうか?でも、地元の人は、これが普通なんだろう。
地下食料品売り場に行ってみた。全て中国製にて輸入品はなし。外国企業と中国の合弁会社からの調達ならよい。
賞味期限の曖昧なのもが多数出回っていた。期限も適当なのだろう。100%信用できない(^_-)
小袋に入った液体もの(正油か?)が破れて下の小袋に色が付着していた。不潔感が漂っているが、沢山の従業員が張り付けされているのに除去するつもりないのか無頓着である。確かに食料品は安い。結構買い物客で混雑していた。
貝柱の干し物が売っていたので、見本を食べさせて貰った。まずまずの味だった。日本語は全く通じず、英語も駄目。手を使ってア〜じゃない、コ〜じゃないと内容を聞くが、ピンと来ない。最初は買う気はなかったが、従業員の若い女の子達が4人集まり一生懸命言葉を解読している。だから悪いので買う事にした。但し500gを4分割してくれと言うとこれがまた一苦労。向こうでは、1人500gを4人買うと解釈している。紙に書いてみればすぐ解る。言葉でコミニケーション取るには難しい。

これ何〜〜 !(@_@)
話は戻り、100年の歴史を誇る北京ダックの店「全聚徳」での夕食。店は満席であった。
さすが繁盛店!西洋人も見かける。出されたメニューはみな美味しそうだ!次々と運ばれてくる。
ヘルシー料理としてサソリの唐揚げも出た。見かけはグロテスクだ。でも小さいから凄みはない。女性は食べられなかったみたい(^_-)
土産として持ち帰る人もあった。だが、私他数人の男性はもの珍しさに誘われ少し口に入れた。ポリポリしてビールのアテに良いかも?
暫くしてアヒルの丸焼きが登場。良く見ないと原形が解らず。
テーブル横で手際良くカットしはじめる。薄焼きの餅にアヒルを包んで食べると美味しいらしい。実はこの中にネギとミソを入れて食べたらもっと美味かった事を後で知る。残念(ー_ー)
兎に角料理が全て美味かった〜(^-^)。食べ過ぎで腹がパンパンだ!最後のスープは、チト油っぽかったな〜(ー_ー)

食後、夜景の天安門見学の予定が、カナダ首相の訪中で広場は入れず。仕方なく本日の観光は終わりホテルに直行。
今日の泊まりは、ヒルトンホテル。ここも奇麗なホテルであった。
ヒルトンホテル
ただ、近くの巨大ショッピングセンターが9時まで開いているとの事で、会社の人達とロビー前で待ち合わせしていた時だ。
その時、グシャー!という大きな音が床に響きわたる。何事かと思い、見渡すと金属かタイルの塊みたいなのもが、Mさんの側に落ちていた。Mさんも音でびっくり。上を見上げると、丁度天井の重なり部分からその塊が剥がれ落ちたのが判明。
しかし、この時の対応のマズサだ。フロントに4人係の人がおり、誰一人飛んでくる従業員もいない。離れたところで床を拭き掃除していた他の従業員が来てその物を持ち、見上げている。そしてフロントにこんなもの上から落ちてくたよ〜と渡すのみ。
お客に何かなかったかを先に聞くべきだ!僅か30〜40cm横を通過しただけなのだ。当たらなくて良かった〜!!
この対応のマズサは、今の森首相と同じだ!そう云えば、今日の早朝Shangiri-La Hoteで見たテレビにハワイで米原子力潜水艦と衝突、沈没した実習船「えひめ丸」の事を報道していた。何処のテレビ局か解らぬが、字幕に中国語で書かれていたが、
大よその事は掴めた。こりゃ〜大変な事になったな〜!と中国にいた私でさえ事の重大さを認識していた程だ!

個人的には大変な事と言えば、その夜かなり気温が冷え込んで、おそらく外は−8℃は下らないだろう。
しかし暖房が効きすぎ、弱にしたが一向に下がらない。寝てる途中喉がカラカラに渇き、洗面所に備え付けの無料ミネラルウオーターをがぶ飲みしてしまった。熟睡できぬまま朝を迎える。どうも体調が優れない。胃がむかつく。下痢気味だ。
ホテルの朝食はバイキングだ。一応席に着くがどうも食欲がない。コーヒーとフルーツ少しばかり皿に入れる。
ところが、コーヒーを少し飲んだ時点で身体に変調きたしてきた事を解る。慌ててNさんに断りを入れその席を外す。
ロビーのソファーに深く座り直す。貧血の症状だ。過去何度か経験しているので、その辺の変調具合の症状は良く知っている。
貧血し出すと冷や汗が全身襲ってくる。その時は、座るかしゃがみ込むか兎に角身体を楽にする事だ。立った状態だとまずぶっ倒れるだろう。これが一番危ない。復活まで30分以上の時間がかかる。
事無きを得てソファーにそのまま座っていた時、Nさんが心配して様子を見に来てくれた。その時点では、少し体調も戻りつつも依然として顔色は青かった。
原因は、脂っこいものの食べ過ぎとミネラルウオーターにも要因あったと思う。品質基準の曖昧な国柄だからな〜。それと風邪気味だったのかも。

帰国当日
今日は帰国日である。ホテル出発13時までフリータイムである。
天安門広場
その後、完全復活とまでは行かないが、ムカツキ・倦怠感もないので昨夜入れなかった天安門広場に立って見ようと再度タクシーで行く事にした。
その日の月曜日、中国では休日ではない。朝の渋滞も結構すざましい。交通ルールも曖昧だから、交差点や車線合流地点では車同士のつばぜり合い。頭を先に入れた方が勝ち。じっと空くのを待っていたらいつまで立っても進めない。
至る所で、車同士のこすり合い。益々渋滞が加速される。当初天安門広場を歩き、またタクシーで帰ってくればよいと考えていたが、この渋滞に巻き込まれたら時間が足りなくなる。だから急遽同じタクシーの運ちゃんに待って貰った。筆記による会話で。

この日の朝も寒かった。沢山のお上りさんと一緒に我々も記念撮影をする。若い娘さんにカメラを渡し、ここ押して〜と言ったが、多分カメラを持った事がないのだろう。するとお姉さんらしき人が代わりに撮ってあげるという。背景に天安門広場を入れるのだが、何せ大きいしそれを全部入れれば人物が小さくなる。最初至近距離だったが段々後部に下がり出し、タテにヨコにカメラアングルを変えている。一生懸命撮ってくれているから、こちらから注文も出しづらい。多分人物は小さいだろうな〜(^ ^ゞ
シェーシェー云ってニッコリ笑うと笑い返してくれた。微笑みは万国共通。東洋人特に中国人は無愛想と言われるが、心から有り難うの微笑みをすれば必ず反応はあると確信した。(^-^)
その後、余った時間で皆はショッピングに使ったが私はホテルで休んでいた。
帰りの機内食も全然食べれず、その日一日絶食した。勿論、持参していた胃薬と抗生物質を飲んだので、翌朝には体調が完全復活できた\(^O^)/
短かったけど内容の濃い旅だった。今度は西安から桂林の旅に行ってみたいな〜(^^)
(長文になってゴメンナサイm(__)m )


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