2007年2月


2007.2.19(日) 「情報爆発とリスク」相澤彰子 日刊工業新聞2007.1.25
 情報の爆発的な増加が危機感を持って語られるようになったが、人が情報を読む速度には限界がある(=情報受容限界)から、現状を維持するためには膨大な量の情報を適度な分量にダウンサイジングする仕組みが必要になる。ところが、大多数が同じ仕組みでダウンサイジングされた情報にアクセスすることは価値観の平均化や固定化など、様々な弊害のリスクをはらんでいる。以下はダウンサイジングのリスクと多様性維持のための技術的課題である。
□現在の検索エンジンのランキングは有名度に基づくものであるが、信頼性など様々な評価尺度に基づく評価法の確立により価値判断の多様性を維持する必要がある。
□情報爆発に伴い、類似する情報の量が増加するため、散在する情報をまとめ上げるクラスタリング技術が必要になる。クラスタリングは特定の視点に基づくグループ化であるから、意味理解を可能とする言語処理技術が基盤となる。
□ランキングやクラスタリングにより情報の多面的な選択が可能になっても、依然として多数のマイノリティーが検索されないままに残る。これらを取り込み利用者に提示するためには、詳細にわたる背景知識が必要になるが、その知識をウェブ自体に求める試みが始まっている。
□ウェブ情報を使った様々な分析は新たな価値創出となるが、ここで情報収集の偏りは分析結果の偏りに直結し分析誤りの原因となる。情報に偏りが無いことを言うためにはウェブの構造把握が必要であるが、常に変化し続ける情報空間には「地図」がない。地図上の距離に相当する関連度についても幾通りもの定義の方法がある。何枚もの地図を広げることによって、よりコミュニティーに密着した分析が可能になる。
(結論)ウェブは科学者が夢見てきた人工知能の実現に向かっているように思われる。ウェブの利用者は人間だけではない。情報家電を初めとする多くの機械がウェブから情報を得るようになれば、ウェブは社会共通の頭脳として機能するようになる。多様性はこの生まれたばかりの知能が生き残るためのキーワードでもある。
/以上国立情報科学研究所教授相澤彰子

 日刊工業新聞には珍しい類の論文である。情報爆発時代のリスクとは発信者と受信者が遠ざかり、発信しても情報が届かない、受信者は何を検索して良いかわからない、というリスクだという。リスク分析とは可能性を広げるための思索であるのだなあ。


2007.2.19(日) 「日本はなぜ戦争に二度負けたか」大森実 中公文庫2001.4.15発行
 大森実:1922年神戸市生まれ。毎日新聞記者としてアメリカ勤務を経て外信部長。その後フリージャーナリストを経てカリフォルニア大学教授。
 戦後日本および米国の中枢にいた多くの人々との交流、取材に基づく日米関係論。日本はアメリカに、太平洋戦争と80年代のバブル経済戦争でも負けた、というのがタイトルの意味である

 既に3月4日であるが、昨年読んだ本なので、2月欄に掲載。この本があまりにも情報が多くかつ、テーマが大きく結論だけを拾っても殆ど意味が乏しいのが、筆が進まなかった理由。
 大森実は、戦後活躍した毎日の記者であるが、あの混乱期ゆえに戦中戦後に日本の中枢にいた多くの人達と会い、貴重な証言を得た。過去の人は過去のことを伝えたいという強い気持ちがあり、大森はかって権力の中枢やその周囲にいた人達から、丁寧に戦前から戦後の混乱期までの事実を集めている。そして記者としての名声を得てアメリカ駐在を経てUCLAの教員となり、今度はアメリカ側の取材を始める。彼を支えているのはジャーナリストとしての熱意と飽くなき批判精神であるが、それは日本と日本人を愛する情熱に支えられたものだと思う。
 敗戦前夜の内閣と御前会議の情景。憲法がどのようにしてできたか。天皇制の存続、GHQの内情。これらのタイド(潮流)をつくった5.15(1932)、2.26(1936)事件にさかのぼり、軍部が影響力を強め、実質的に内閣を支配し、政治不在の軍人統治となった経緯までが前半である。
 アメリカが天皇制を継続し経済支援をしたことと、新憲法を作り民主主義を育てようとしたこと、財閥解体は、アメリカによる戦後日本の政治、経済支配の始まりである。その後の冷戦下での反共、労働運動の弾圧政策、朝鮮戦争を経てからの再軍備、講和条約を経て安保締結の経緯、そしてバブル崩壊までを豊富な情報でつづる。

 「世界情勢を見通せ21世紀を展望できるステーツマンがいれば、日本はすばらしい国になっていた。」とは大森の言である。情報の取捨がジャーナリストの思想であるだろうが、一方情報から思想がつくられるのだ。


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