2005年10月

2005年10月5日(土)  1Lの涙「木藤亜也」幻冬舎文庫
 運動機能が次第に失われてゆく難病の少女の日記。世話になるだけでなく人の役に立ちたいとずっと願い続けて25歳で亡くなった彼女は、数万の読者を得て私などよりよほど大勢の人の役に立っている。そのことが彼女のためにうれしい一方、幸いの少なかった彼女のために読む者もまたたくさんの涙を禁じ得ない。
2005年10月16日(日)  放送と通信の融合について/会社は株主のものか
 昨年はライブドアの日本放送(=フジサンケイグループ)株買収、今回は楽天と村上ファンドのTBS株買収。いつも話題になるのは、放送と通信の融合という買収側のいう社会的なメリットと、公開されている株式を買収して経営権を支配することは反社会的かどうかという2点だ。放送は公器だから乗っ取りは許されないという意見もあった。

 放送と通信の融合について。今回は楽天イーグルスを保有する楽天と横浜ベイスターズを保有するTBSが、もし経営統合されると野球協約に違反するためどちらかを売却するか球団を統合する必要があるそうだ。たとえば昨夜だか野球好きのワイフが憤っていたのだが、パリーグのプレーオフがテレビ放送されていない。放送は限られた時間のなかで同じ情報を同時に多数の相手に伝える手段だから、なるべく多数の人間が必要とする情報を送り手が選択せざるを得ず、ゴールデンタイムに5%も視聴率が稼げないことが確実なパリーグの中継を流すわけにはいかないのだ。受け手から見ても、日本のTV放送の場合せいぜい10チャンネルぐらいの中からチャンネルを選択する自由と、個人的に録画しておいたものを後で再生するぐらいの自由度しかない。
 
 通信については、現在の個人の通信環境はなんとか動画が伝送できる環境となってきたし、楽天は4000万人のクレジット番号を所有しwebで決済が可能であるから、個人に対して直接、映像コンテンツを売ることが可能な環境はだいたい整っていると言える。ドラマや映画、スポーツ番組は公開当日は高く、時間とともに安く通信回線で売られるようになる。視聴率1%は130万人であるが、1時間ドラマに一人当たり100円払わせることができたら、1億3千万円だ。一方従来のような挿入型のコマーシャルは無料通信視聴の条件となったり、あるいは巧妙に番組の中で宣伝されるようなことが増えてゆくのだろう。そうなると放送は、緊急性や同時性が必要な情報に限定したり、さわりだけタダでみせるいわば映画館の予告編の様な役割を果たす。または始め3回はタダで見せておいて、あとは有料で売る。あるいは同時性が売りの視聴者参加番組やオークションのようなものが主体になるわけだ。

 このように通信と放送の融合についてはいまやだれでも容易にイメージできるようになってきたが、既得権益を持つ放送業界は豊富なコンテンツを武器に通信事業へ乗り出すどころか、できるだけ今の仕組みを変えたくないようにみえる。役所は、放送事業(電波)は公器だから国家がしっかり管理する必要があり、言うことを聞かないような新参者に放送事業はは渡せないというのが本音だ。すなわち、ライブドアや楽天の言う通信と放送の融合については放送業界も官も本音は反対なのだ。

 だからその次には、株式の買収による企業支配が善か悪かという話がいつも出てくる。つぶれかけた会社を救うためにみんな納得の上で株式を引き取るのはよいが、元気な会社の株を買い占めて力づくで支配下に置くのは日本では違和感がある、と経営者達は口をそろえて言う。

 そこで、会社は誰のものかという話だが、私も日本有数の企業を長年間近にみていていまや確信に近い考えを述べると、日本では会社は社員のものなのだ。役員は株主のために働いているのではない。株主はよほどのことがなければ役員を解任したりはせず、役員人事は役員自身が決めるのだ。役員の最大のミッションは組織の存続であり株主に一円でも多く利益を配当することではない。一部上場企業の役員は平均1,400万円の年収をもらい、退職前の数年間役員という肩書きをもらい、会社の持続的な発展のために組織はできるだけリスクをとらず、個人的にも責任を問われるような危ない橋は渡らずに、何事もなく任期を全うすることに全力を尽くすのだ。だから昇進競争は減点法で、組織の存続にとって危なそうな、すなわちリスクをとりにいくような人間を外してゆくプロセスなのである。

 株式を買い占めて会社を支配することは、社員のなれの果てである役員の存在、すなわち社員みずからが築き上げてきた組織モラルを脅かす外乱なのである。それは同様に秩序ある業界や監督者たる官、運命共同体たる関連会社にとっても嫌悪すべき事柄なのだ。そしてそれゆえに、おそらくおおかたのサラリーマンにとっても嫌悪感を抱かれる事柄なのであろう。
2005年10月23日(日)  靖国
 靖国神社は日本国家(天皇)に殉じた戦没者(自衛隊殉職者を含む)を祭神としている。近代以降に死んだ軍人(および軍属)が弔われており東京裁判で戦犯として処刑された軍人も合祀されている。最高裁などによる判例では、首相または官僚の靖国参拝は政府の宗教的活動にあたり、政教分離の原則にてらして違憲とするのが主流である。ここから、無宗教の新たな慰霊の場所を建設すべきという議論が出ている。

 またアジア諸国は、A級戦犯を合祀する靖国に日本の総理大臣が参拝することは戦犯を追悼するもので、戦争犯罪そのものを認めない姿勢の表れであると批判をしている。 しかし、A級戦犯合祀や政教分離は靖国問題の本質ではない。この問題の難しさは靖国が、先の大戦を自衛やアジア解放のための聖戦と言いくるめ、天皇への忠誠を原理とする皇国史観と結びついた存在であることだ。

 戦前、アジア諸国は欧米の列強が圧倒的な武力を背景に経済侵略(植民地支配)を行っていた。これに出遅れた日本が大きな摩擦を引き起こし参戦の原因となった。当時日本が大義名分とした「アジアの開放」とは、欧米列強を排除して代わりに日本がアジアを支配するという覇権宣言に他ならない。そしてその思想的なよりどころは国民に意図的に植え付けられた、皇国史観とアジアの同胞に対する選民意識である。だからアジア諸国で日本人が組織的に非人道的な行為を繰り返したことは間違いなく、この点はナチスドイツと変わるところがない。

 当時の未熟な資本主義経済が安価な原料と労働力と市場を海外に求めた侵略戦争によって、アジア諸国で失われた人命と日本人自身の人命について、深く反省し償うことがこの靖国問題以前の、アジア諸国と対等で友好的な関係を構築する前提である。反省し償うこととは総理大臣が口先でお詫びをいうのではなく、義務教育の場で用いる教科書に多くのページを割いて事実と背景を教育し、次世代にしっかり伝えてゆくという姿勢を国内外に明示することにほかならない。

 靖国神社(WIKIPEDIA)靖国神社問題(WIKIPEDIA)靖国神社問題Q&A靖国参拝とA級戦犯合祀(大原康男)靖国合祀とは(在韓軍人軍属裁判を支援する会)



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