2003年 1月

useful or useless へ戻る
TAKUYAのトップページへ戻る

2003年1月29日(水)   デジカメ付きPDA   29日付け日経朝刊
 ソニーが200万画素のカメラを搭載したPDAを2月8日発売する。フラッシュ付き。10cmの接写が可能。液晶画面がファインダーとなる。USB付き。7.5×14.1×2.22cm。8万円前後の見込み。−以上日経より。

 携帯電話機能と無線LAN機能は当然備わっているはず。PDAの一般的な問題はPCとしての機能が不十分なことである。特にキーボードが無いので入力機能が弱いことか。PDAがいまひとつ流行らないのは手帳の使い勝手と比べて大して便利でもないからだ。ハードにたよっているうちは辞書機能と音楽再生機能をつけてもそこそこ売れる程度か。
 今から十数年前に考案した携帯端末のビジネスモデルでは、キオスクなどに端末を置いて配信システムを構築し、新聞ニュースのようなコンテンツを売るというものだったが、当時の技術レベルではハード的な問題が多々あった。現在はハード的な環境がほぼ整ったのでようやく爆発的に売れる可能性が高まってきたと言える。以下、PDAビジネスのビジネスモデルを現代の環境に合わせて再整理してみた。

 PDAを売る方法について。液晶画面は文庫か新書サイズ。できるだけ軽量化する。
 次に、Iモードのような規格化されたWEBコンテンツを充実させる。ハードではなくコンテンツを売る、と言いたいところだが現在この点でみんな苦労している。Iモードのように情報料を通信料金に乗せるだけではなく、さまざまな支払方法を用意するのだ。JRのスイカのようなプリペイドカードで払う。現金100円はらって1ヶ月間の無線配信サービス(千円払って1年間の配信)、キオスクに置いた端末で10円で新聞より新しいデータを瞬時に転送する。複数のメディアと複数の支払い方法が多様な情報を抵抗無く購入する動機になる。
 もう一つは、PDA端末から外部に情報を流出させないような確実なロック機能を設けることだ。近い将来、110番すると警察に携帯電話番号が把握されるようになると報道されたが、すでに携帯からの110番が減っているのではないか。Iモードのように情報を購入する都度相手に個人情報を知られる可能性が生じることは、利用者には大きな抵抗感がある。
 次に、ウィルスに対する万全の対策だ。システムを変更できないようにする。このためには汎用性を犠牲にしても良い。
 さらに、著作権保護機能だ。PDAに収納した情報の内、音楽、小説など著作権のあるものは、外部へのデータ転送ができないようにする。PDAのメモリ−が一杯になったらこれらデータを捨てるしかないが、その代わり格安で配信する。
 以上4つの方策について。最大のリスクはかなりの投資を要する「コンテンツの作成」だ。新聞とは競合するから、通信社や出版社とタイアップしてコンテンツ作成のリスクを分散させる必要がある。ベンチャーで起業するなら、通信社や出版社から買ったデータをPDA向きに規格化しプロバイダを通じて配信する。JRなどに手数料を払って、スイカなどのプリペイドカードで情報料を受け取る。その他の情報の配信元にも情報料を支払う。この金の流れを掌中にすることが最も重要だ。

2003年1月28日(火)    もんじゅ設置許可は無効  28日付け日経、朝日
 高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の行政訴訟の控訴審で名古屋高裁金沢支部は原子炉設置許可を無効とする判決を言い渡した。判決理由で川崎和夫裁判長は「安全審査に重大な誤りがあった場合、放射性物質が原子炉の外に出る具体的危険性を否定できず、人間の生存が脅威にさらされる」と、原子力行政の安定性より住民の安全を優先させる判断を示した。さらに「もんじゅの申請に見逃しがたい不備があるのに、原子力安全委員会は無批判に受け入れた」と国の姿勢を批判した。 −以上日経朝刊による。

 朝日は一面トップの大きな取り扱いであったが、28日記事を見る限りではつっこんだ分析はみられない。問題は科学者や技術者が自らの責任を放棄し、科学技術のリスクや脆弱性についてあらゆるレベルで議論してこなかったことにある。リスクを知っていても原子力関連施設の建設を進めることが、科学者にとってはみずからの権勢を高めることであったし、技術者なら所属組織の利益にかなった。大資本たる電力会社や国家権力たる官僚機構に支配され荷担しアメを与えられてきたのだ。そのリスクが長年の間嘘を重ねて隠蔽され、それらが明るみに出た結果、原子力発電に携わる科学者、電力会社、重電3社、官僚機構、関連法人や団体の全てが大幅に縮小したり停止したり、批判にさらされたりし、今や影の薄い存在となってしまった。
 科学者や技術者の責任が重大である。宇井純が沖縄大学を退官したとのこと。いまや企業にすり寄ろうとしている大学では、彼のような自立した科学者のスピリットを育てることができるであろうか。科学技術が企業論理に支配されることのリスクを回避することができるのか。

2003年1月27日(月)   02年貿易統計(速報)財務省発表− 27日朝日新聞夕刊
 輸出はアジア向けが拡大、輸入は米国からが大幅減少の結果、貿易黒字は9兆9302億円と51.3%の大幅増。輸入では長年米国が最も多かったが中国が初めて最大の輸入相手国となった。
 輸出は52兆1053億円(前年比6.4%増)で過去最高。アジア向けが22兆4415億円(前年比13.7%増)で半導体や鉄鋼、自動車が好調であった。米国向けは前年比1.0%増にとどまり欧州向けは2.0%減少した。
 輸入は42兆1751億円(0.6%減)で3年ぶりに減少した。米国からの輸入は7兆2165億円(5.9%減)で機械関係が好調な中国からの輸入は7兆7249億円(9.9%増)となり、米国を上回った。ただし中国との貿易では輸出も32.3%伸びたため貿易赤字は2兆7456億円となった。 −以上朝日新聞より。

 アジア・オセアニア経済圏について。日本は中国とともに並大抵ではない苦労をしてアジアの途上国の経済発展を支援し、決して支配することなくその資源や人を活用することによって、日本の経済を維持・存続してゆくしかない。モノの流れが太くなりヒトのつながりも緊密になったが、個別企業のグローバル戦略のベースになるような国レベルの戦略が必要。今や行動を始める時だと思う。やっぱり外務省がだめなのか。

2003年1月23日(木)   「経」1月号 清水博(東大名誉教授)より
 先のことは殆どわからず、人が見通しが効かないカオスの中で生きているような状態が今日の社会の状態である。カオスが生まれているのは二種類の力が相反する方向から同時に社会に働いているからである。その一つは世俗的な世界から受ける力であり別の一つは精神的世界からの影響力である。
 世俗的な力とは、グローバル化した市場主義経済の大きな力である。この力は「もっと多く所有したい」という人間の「持つ欲望」によって生まれている。「多くを持たせることが、多くを持つことになる」という市場主義経済の原理に従って、各国、各企業は「さらに多くを持たせるための熾烈なゲーム」を世界を舞台に展開している。市場の拡大と支配を目指して、いかに素早く新商品を開発し、いかに安価に生産し、いかに効率よく売り込んでいくかという競争が展開されているのである。あらゆる情報の通路から「もっとたくさん持ちたい」という刺激が絶えず送られてくる。エーリッヒ・フロムはこの状態にある人間の状態を「持つために在る」と呼んだ。
 日本の社会では人々は子供の頃から、この流れに身を任せて生きるように教育されている。青年に、誰かが「君は何のために生きているのか」と尋ねたとしよう。もしその青年が十分に知的で自分の状態を正確につかんでいるとしたら「持つために生きている」と答えるのではなかろうか。同じ質問を明治初期の青年にしてみたら、どのような答えが返ってきたであろうか。

 世界の人々が「もっと多く持ちたい」という欲望を刺激しあって、がむしゃらに走り出したのは「我惟う、故に我あり」というデカルトの思想を土台にして、近代文明が西洋で生まれてからのことである。この思想は長いあいだ宗教によって頭を抑えられてきたヨーロッパの人々を精神的に解放し、合理的精神によって科学技術を発展させることとなった。しかし科学技術の異常な発達と共に、この思想の裏に隠れていたマイナス面も次第にはっきりと現れてきたのである。
 その一番大きな問題点は「我」が無意識のうちに「我」という「殻」に引きこもった形になっていることであると私は思う。自分の世界の中に引きこもっているために、「我」が「我以外の世界」と本当の意味で出会うことがない。
 「我以外の世界」とは「我の外側の世界」である。いうなれば、我が「我は我なり」という自己中心的な形をつくって自分自身の中に引きこもっているから自他の間に隔たりをつくる形となるのである。したがって「我」が何かをもつときには自分が引きこもっているところ−我の領域−に取り込んだ形で持つという状態になる。そのために、いろいろな持ち方がある中でも、占有という形が選ばれることになる。また「我」は自分の中に引きこもっているために、「操作をする」という方法で周囲に関わっていくしか方法がない。
 「持つ」「操作をする」の次に来るのは「外側の世界」を「支配する」ということである。このようにデカルトの思想を拡張して行くと、結局その裏に隠れている支配の思想が表に出てくるのである。デカルトの近代思想は「操作する我」と「操作を受ける外側」という非対称な世界を作り出してしまう。そのために「我」の自由は「我の外側の不自由」という形の「存在の非対象性」が次第に浮かび上がってくる。
 実際世界の現実を素直に見ると、アメリカという巨大な「引きこもりの我」が世界を支配する形がすでにほぼできあがっている。そしてこれまで隠されていた支配の形がブッシュ政権になって露骨に表面に出されるようになってきた。例えばテロは「我」の自由は「我の外側の不自由」という状態が生み出した「我の外側」からの反応である。近代思想で言う自由とは、要するに「我」が操作をする自由のことである。従って操作をする「我」のほうから見れば、テロは自由の否定ということになるが、操作をされるテロリスト側から見れば自由の回復ということになる。

 「持つために在る」という「我」の在り方に関係して生まれた諸問題は、「持つ、操作する、支配する」という近代文明の方法では解決できず、近代文明が行き詰まりを迎えているのは確実である。新しい文明とは「持つために在る」ことを強いる文明ではなく、人間の生き甲斐を大切にする文明でなければならない。それはフロムの言葉を借りれば、「在るために持つ」という文明である。そのためには、「『我』が持つ」から「共に在る」に向けて文明の主潮を大きく転換させなければならない。そしてこの変化は既に始まっている。
 日本にはムラ社会という独特の引きこもり状態があり、これに結びついた利権が「共に在る」という世界に開かれた状態へ移行する上での大きな障害になっている。さらに重要な問題は、引っ張り合いの一方の巨人の存在が無視されて、「アメリカ的なるもの」の側の存在だけが強調されている点である。
 無視されているのは、近代文明から新しい文明への大きな転換期に生きているという事実、つまり文明が不連続に変化をするために、一人一人が価値観の転換を要求されているという事実である。この大転換をどう実現していくかという最も核心的な問題が、日本の社会では殆ど取り上げられていないのである。 −以上 清水博による。

 明治の青年は知的な青年だとしても、「日本」と「我」の区別が付かないのではなかろうか。しかし「在るために持つ」文明への転換という主張は、環境問題を念頭に置くまでもなく広く共感が得られそうだ。だが「いかに在るべきか」という問いに答えられるのか。「在る」のは「文化」か「我」か「人」か「自然」か。
 [解説] 清水博 金沢工業大学場の研究所所長、東京大学名誉教授(生命関係学)、人体科学会役員。 「場と関係子」の研究で名高い。清水は生物物理の研究から始めて、「関係子概念」を利用して物質の場ではない「一般化した場」を定義し、自然科学と人文社会科学(とくに経済社会)にまたがる複雑系研究の基礎的方法論を呈示した。

2003年1月23日(木)  名目GDP −日経23日付け朝刊より
 2001年名目GDP順位。単位億$かっこ内は前年比増減[%]内閣府公表@米100,822億ドル(2.6%)A日本41,757(-12.3%)B独18,549(-0.8)C英14,226(-1.1%)D仏13,110(0.4%)E中国11,590(7.3%)F伊10,896(1.5%)G加7,054(-1.6%)Hメキシコ6,177(6.3%)Iスペイン5,836(3.9%)。名目GDPの国際比較は為替レートの変動の影響が大きい。
 購買力平価での名目GDP。2001年、単位億$世銀調べ@米99,069億ドルA中国55,057B日本34,445(前年比1.5%UP)C印25,459D独21,136E仏14,834F英14,629G伊14,139Hブラジル13,389I露12,959。国内の物価水準が低い中国は、国民の購買力が大きくなる。−以上日経朝刊より

 GDPを見ると、あらためて日本の経済規模と国際社会におけるあらゆる面でのリーダーシップの無さのギャップを考えさせられる。もっとも日本の政治や個人の幼稚さをみると、子供がカネだけ持っていてるようなものか。子供が力を持つと怖いから、持たないと言うところだけが賢明。

2003年1月22日(水)  プラズマTV消費電力半分−日経産業新聞22日付け1面より
 パイオニアは消費電力を現行最新機種の半分に押さえたプラズマディスプレイを開発し、年内を目処に販売する。プラズマディスプレイを使用したTVシステムでは50インチ型の消費電力は、パイオニアの従来機種385W、日立396W、松下543W、ソニー601W。参考としてシャープの液晶(37型)は189W。
 プラズマディスプレイの原理:多数の電極を備えた二枚のガラスをわずかな隙間で重ね、内部に特殊なガスを封入する。電極からガスに電圧をかけてプラズマ放電を起こし、紫外線を発生させる。ガラスに塗った蛍光体が紫外線と反応して光り映像となる。画面サイズは50インチ以上のブラウン管や液晶では無理なサイズでも約10cmの薄さで作れる一方高い電圧が必要なために消費電力が大きいのが欠点。
 プラズマディスプレイテレビの価格は70万円から80万円。ディスプレイ部の重量はパイオニアの従来機種では39kgだが、30kg以下をめざす。   − 以上日経産業新聞による

 50インチタイプのプラズマディスプレイが普及期であるが、消費電力が大きいことと重いことはあまり知られていない。プラズマディスプレイは表示の応答性が早く視野角が広いので10年ぐらい前の高級パソコン(ラップトップパソコンと言われた)や注文生産の工場などの監視用ディスプレイとして古くから使用されていた。当時はオレンジ一色だったが、カラーとなってTVのディスプレイとして販売されたのは2年ぐらいまえか。
 液晶の欠点は表示の応答速度が遅い。すなわち早い動きの映像に追随できない。視野角が狭い。視野角とは上下左右から画面を眺めたときに色調が変化したり見えなくなるので、実用上使用可能な視認角度のこと。画面が大きいものは製造上の歩留まりが悪くなって著しく高価になること、輝度が低いこと、寿命が短いことなどである。
 ブラウン管は言うまでもなく大型で重い。電磁波の問題もある。このほかビデオプロジェクターがある。高輝度の画像を大きなスクリーンに投影する。大型になるほど画面が暗いので部屋の照度を下げる必要がある、投影位置による画像全体のひずみがあること、高輝度ランプの光を液晶のフィルターを通して造影しているので液晶の寿命が短いこと等である。
 問題は、製品の欠点が売る側から殆ど伝えられないことである。しかし買った人が使い始めるとこれらの目立つ欠点はすぐにわかる。そういうものだとあきらめる人が大半だろうが、欠点を明示しないことは一種の詐欺である。例えばソニーのプラズマを買った人は600Wのヒーターを部屋に持ち込んだようなもので、エアコンの能力の大半が失われるほどの熱源である。一日8時間視聴するとして年間の電気代は4万円近い。製造物責任法(PL法−製造業者は製造物の欠陥により生じた損害を賠償する責任がある)というのがあるが、製品の品質を購入者に正確に伝えることを義務づけるべきではないか。プラズマディスプレイの場合は環境税の対象にするのも良いかなあ。

2003年1月21日(火)   企業イメージ140社ランキング−週間ダイヤモンド1.25号より
 読者7,000人へのアンケート調査による。回答者の年齢はほぼ均等に分散。管理職・経営者が50%。地域は首都圏と大阪圏が60%、業種は製造業が30%。140社は知名度や業界での地位、売り上げから選定されている。
 ランキング@トヨタ自動車AソニーBホンダCヤマト運輸DセブンイレブンE花王FキャノンGシャープHセコムIアサヒビールJ富士写真フィルムK日清食品LNTTドコモMTOTONイトーヨーカ堂OサントリーO日産自動車Q三洋電機R日本IBMS京セラS武田薬品工業、となる。電機業界では三十位松下電機産業、四十位東芝、四十四位日立、六十八位富士通、七十三位NEC、八十一位三菱電機である。下位は百三十七位三菱自動車、百三十八位ダイエー、百三十九位日本ハム、百四十位雪印乳業と、スキャンダル企業がならぶ。
 ダイヤモンドの読者であるから、一般の消費者アンケートなら製品イメージに比重が傾くことに対し、会社の業績や業界の発展性に比重が置かれており、興味深い。銀行、保険、証券、百貨店、建設は低迷。日産が2年前のほぼ最下位から十六位へと劇的な上昇。電機業界ではシャープが安定的に上位。富士通、NECが上位から中位へ凋落。三洋が躍進した。上位の企業は一時的な勝ち組に過ぎないように見える。なぜなら最下位組は、昨日の上位企業である。優秀な経営者が強固な企業を作り上げたとしても、それを持続することは困難のようだ。
 ジャックウェルチはGEという伝統有る企業を大きく変革し、業績を飛躍的に向上させた。著書「我が経営」によればその方法のひとつは、査定が最低評価の従業員を毎年十人中一人クビにするという厳しい人事システムにあった。彼自身は円満なリタイア後にも多額の報酬を受け取っていたことが二番目の妻との離婚訴訟で明らかになった。人を支配することを好み自らの権力を極限までに高めた彼にとって、GEは経営者たる自分自身のための企業であったように見える。いったい企業とは、経営者のための企業か、株主のための企業か、従業員のための企業か、社会貢献のための企業か。おそらくこれらのバランスが重要なのだ。経営者の能力や事業環境によって、常にこのバランスを最適な状態に流動化する必要があるのだ。

2003年1月20日(月)  貴の花引退 −NHKお昼のニュースより
 もう一度優勝して引退したかっただろう。これまでさんざんマスコミにたたかれて、彼も残念な思いだっただろうと思う。それにしても貴の花を含めて、なぜ相撲取りは自己表現能力が乏しいのだろう。
 以前ハワイだかアメリカ本土だかの巡業の際のインタビューをテレビで見た。曙と小錦と貴の花がアメリカ人記者の質問に答えるというものだった。曙の話は、穏やかで人間味を感じさせるものだった。小錦は感受性が高く博識で、社会問題についてユーモアを交えながら自分の言葉で発言していた。貴の花は内容のある答えが全くできず、とても愚鈍な印象を与えた。貴の花がいくら因習多き相撲界で日頃から慎重な言動を求められている立場だとしても横綱という現役リーダーではないか。相撲界が人気商売だからか、あるいは利権や因習への批判を恐れる余りか、とにかく「表現すること」を禁止されているように見える。個性どころか心情すら伝えられない力士ばかりでは、今の不人気は当然であろう。
 相撲が野球やサッカーのような人気を取り戻すことはもはや困難であろうが、若い人の支持が得られないようでは将来はない。せめて力士のコミュニケーション能力を鍛えないと人気凋落にますます拍車がかかるぞ。

2003年1月19日(日) 農業問題は?
 水田は圃場(ほじょう)という地面に耕盤という粘土の層を作り、畦(あぜ)がこの耕盤を囲うように盛られる。耕盤の上部は水稲を植え付けるための表土である。原野を水田にするためには、木を切り倒し、根を掘り起こし、斜面を切り土や盛り土によって平面にする。そして上質の粘土を手に入れて敷きつめ、畦を作り、土を入れる。さらに川から灌漑用水路を作り排水路をつくる。場合によっては灌漑用池をつくる。
 例えば関東平野が水田として開墾されるまでは長年月を要した。水田面積が増えると人口が増えた。米の余剰が出来ると都市が発達した。米は小麦より多くの人間を養えるそうだ。水田の地下水涵養作用や水質浄化作用も。米価、後継者問題、農協と農業政策、食料輸入、農薬、有機栽培、減反。取り敢えず農業と水田は守らねばならぬのだろうが、議論が聞こえてこないからかあわからぬことが多すぎる。農業就業人口は平成12年で兼業400万人、専業200万人総数600万人。みんな農業に感心が無くなってきたのは問題。

資料 「水田の構造」 http://lee1.en.a.u-tokyo.ac.jp/ishikawa/水田構造論/水田構造論02.htm
    「水田の水質浄化機能」 http://www.land.en.a.u-tokyo.ac.jp/environment/specification/isikawa3&tokuda.htm

2003年1月19日(日)  コンビニおにぎりの添加物
 最近、「服部栄養専門学校」服部幸應が、博士号を取得すると言う話を週刊誌だかで読んだ。博士号を取得する理由として、インスタント食品やレトルト食品に使用される添加物の害を勉強する必要があるからだという。家庭で作るおにぎりが半日しか持たないのに、コンビニのおにぎりが1週間も持つのは自然ではない、という。センセーショナルな事例を挙げて添加物の害を仄めかしただけで、具体的な事実を明確にしないのは科学的な態度ではないので、彼は本当に勉強したのかと思う。家庭で作るおにぎりが半日しか持たない最大の理由はおにぎりを握る手が汚いからだ。
 確かに料理(食品)にはうまいまずい以外に栄養という側面があるが、衛生や添加物という面もある。O157、雪印や狂牛病などは食品事業のリスクが大きいものであることを知らしめた。例えば添加物の規制は行政の仕事だが、先のような問題が発生するたびに明らかになるのは、行政が消費者の為ではなく業界の利益のために機能していることである。服部氏は「料理業界」をつくり行政を牛耳ってレトルト食品業界やコンビニと戦うべきであったかも知れない。

 「買ってはいけないおにぎり」 http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~k15391/lecture/me1-2002b3.pdf

2003年1月18日(土)  南海地震 −18日のTV番組を見て。
 南海地震が発生すると2時間以内に大阪湾では最大4.5mの高波に襲われる。平均潮位の時には2.5mだそうだ。平均潮位のときには防潮堤を閉門すると浸水を防げるが2時間以内には閉門が不可能とのこと。大阪の地下街にも浸水防止柵があるが、台風の高波を前提として6時間以上の準備時間が前提となっているので南海地震には対応できないそうだ。最大潮位時では市内中心部が2.5m程度まで浸水し、当然地下街は完全に水没する。2日付けの本欄で言った通り、やっぱり湿原だ。

2003年1月18日(土)  「鶴見俊介」 −週刊朝日1月24日号
 日本の文化の特色は「残像」のないことで、日本の教育制度がそれを支えた。どの子も母親の胎内でもがき、何も教わらずに成長する智恵を身につけている。それが、いったん教室に入ると、先生が出した問題に「ハイ」と競って手を挙げるようになる。暗記力に優れた子は、それを高校三年まで続けて東大に入る。一部は官僚になり、国会議員になり大臣になる。みな半年先までしかビジョンを描けない。1世紀先の計画を立てる気概も能力もない。こうして日本は落ち続けてきた。
 数年前、中学生たちと討論するテレビ番組に出たとき、「大切にしたいものは何か」との問いに、両親、平和、愛などの答えに交じって、一人の生徒が少し考えてから「ない」と答えたのだ。わたしはこの答えがとても気に入り、彼を知識人の原型とすら思った。わかったふりをせず、お仕着せの価値観も拒否できる発想だ。一見、無関心そうなこの姿勢を軽蔑しては行けない。ここにこそ希望があるのだ。
 この中学生に比べるとブッシュはレベルが低い。同時テロのとき、彼は「われわれは十字軍だ」と言った。中世ヨーロッパの十字軍は敵対宗派の大虐殺をした。さらにブッシュは「私たちアメリカ人」と言った。本来「アメリカ人」にはカナダ人も英語を話さない南米の人も含まれる。ブッシュ達の先祖は400年前に渡ってきた新参者に過ぎない。恥知らずな唯我独尊。ブッシュには先住民の歴史も文化も念頭にない。インディアンの口承の詩には「今日は死ぬのにいい日」という一節がある。死を恐れず、争わずこの晴れ晴れとしたアニミズムは俳諧の世界に通じる。ブッシュのがさつで乱暴な世界は、その対極にある。
 私は自分が犯した間違いは残像として覚えていたい。それが私の「正義」だとも「主義」だとも言わない。正義は統一を求める余り暴虐に行き着く。戦争する国はいつも正義を口実にする。正義などろくなものじゃない。正義をかざすくらいなら私は「悪人」でいたほうが良い。
 −以上、鶴見俊介による。

 鶴見俊介が恐らく数時間語ったであろう言葉を、朝日の記者が見開き2ページに編集した記事はかなり無惨なものである。
 「残像のない文化は、過去に対してきちんとした姿勢で学ぼうとしない文化だ」。鶴見の「残像」とはなぜそうなったかという過程のことだ。今の日本はなぜそうなったか、なぜそうするかということを大切にしない文化だという。そういえば国内で評価されなかった田中氏しかり。   

2003年1月2日(木)  道頓堀川に「地下ため池」−1月1日朝日新聞
 大阪市の下水道は合流式と言って、屎尿などの汚水と雨水を同じ管で集める。合流式では下水管を流れる汚水は通常は下水処理場へ流入するが、雨天時に下水管を流れる水量が増大するとそのまま河川に放流される。つまり雨天時には汚水はほぼ全量が処理されずに希釈されて河川や海域に放流されている。特に雨の降り始めは汚水や下水管路中の堆積物を押し流すために水質が悪く、これを「初期雨水」と称している。
 記事によると道頓堀川には雨水の放流口が集中していて放流時にはかなり水質が悪化する。従って地下50mに直径6m、長さ4kmの貯水管を作り初期雨水を貯水するという。貯めた水はポンプで下水処理場に送り、処理する。二百数十億円をかけて2010年頃の完成を目指すとのこと。
 これとは別に、以前から大阪市下水道局では浸水対策として地下に大放水路と称するでかい貯水池を作っている。「淀の大放水路」というのは直径7.5m、総延長22.5kmの貯水管である。平成3年に工事が始まり現在も工事中である。「なにわ大放水路」は直径最大6.5m、総延長12.2km、最深部地下30mの貯水管で平成12年に完成した。「土佐堀−津守下水道幹線」は最大内径6.25m、総延長6.7kmでほぼ完成している。
 これらの大規模な工事や大深度シールド工法はゼネコンが独占的に受注する。普及率が99.9%に達した大阪市が新たな大土木工事をゼネコンのために作り出している図に見えなくもない。50mの大深度に水を落とすと再び50m汲み上げるためには概算で1d辺り100円ぐらいの電気代がかかる。大阪では古来多くの河川を埋め立てて来たが、その河川をまた作っているわけだ。人間の愚かな営みに見える。大土木工事よりも、こつこつ分流式の面整備を進めるという本質的な事業に取り組むべきだ。浸水地域を遊水池にしていずれは昔の湿原に戻すというのはどうか。

END