パパのデモクラシー


二兎社『パパのデモクラシー』☆☆☆☆(11/5,ベニサンピット)

 敗戦直後の日本。まだまだ食糧事情が逼迫していて、闇物資をこばんだ判事さんが栄養失調で餓死した、そんな時代のお話である。とある神社の禰宜様(神主さん)の当面の悩みは、遠慮を知らない特高上がりの居候がすみついて、家族の生活がままならなくなってきたことである。今日も貴重な白米のお粥を食べられてしまい、戦争から帰らない長男の嫁の食べる分がなくなってしまった。そろそろ仕事を探して出てもらうようにしなければ。。。と、そこへ、近所の婦人会の女性が、住む当てのない可哀想な人たちだからといって、6〜7人もの人たちを連れてきたからさあ大変。一人だけでも持て余していたのに、とばかりに丁重に断ろうとするが、彼らは無理矢理二階を占拠して、借りてきたばかりの「民主主義」を主張し始める。
 末の息子はその中のカストリ野郎の影響で素行が怪しくなり、長男の嫁は、「ストライキ」を始め、買い出しの苦労と職探しの苦労を知るにいたっては、神主さんも特高上がりもあっさり宗旨替え。「政府が悪い、食い物よこせ、職よこせ」の大合唱で、ゼネストに向けて盛り上がる始末。そんなとき、出来の悪い養子が復員してきて、「ぼく、お巡りさんの友達ができたよ」と報告。生活に追われる皆ではあるが、そういう喜びは共有できる時代であった。皆は素直に喜んでやるが、実はその友達は旧日本軍の隠匿物資を横流しする闇屋だった、、、

 役者の個性ばかりが強調されるか、あるいは、演出家の意図ばかりが強調される芝居が目立つ中で、舞台の上で「役柄」が映える、当然といえば当然の事ではあるのだが、まことに希有な芝居でありました。目の前にいるのは、役者ではなく役としての登場人物であり、それぞれにそれぞれの事情を抱えていて(生きるのに必死で、その為の手段もそれぞれに模索している、精いっぱいな時代であった)、上下関係は一面的なものではなく、それぞれの人にそれぞれの人間関係があり、その関係も多種多様、一つのエピソードの次には、別のエピソードが織り込まれ、相互に連関して当時の日本の状況を物語るという具合で、舞台全体として観客に迫ってくるという非常に素晴らしい成果をあげています。

 食料がないことから、緊張が生まれ、利害関係の相殺から、ゼネストへの高まり。そこへ突然ふってわいた隠匿物資。ゼネストの中止、東京へ残る者、東京を去る者の悲喜こもごものさなか、物資の売買の相談を隠れてする神主さん。不倫の恋を選ぼうかと悩む長男の嫁。「ぼく、これから禰宜様の事、パパって呼ぶことにするよ」と宣言する義理の息子。とにもかくにも、日本の民主主義はこうして成長してきたのである。

時かけ


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