祈る女


サードステージ『祈る女』☆☆☆

円形に作られた舞台には、本物の椅子や机、絨毯が並べられている。この感じはどこかで見たことがあるなー、そうだ! 「ねずみとり」の舞台に雰囲気が似ているんだ! よくよくかんがえてみれば、推理劇の時は、写実的なセットが使われることが多いような気がする。ということは、今日の舞台も・・・と思っていたら、やはり内容はサイコミステリーでした。登場人物がそれぞれ、何を考え、行動の指針としているのかわからない、裏に隠された事実関係もわからない、そんな拠り所のない物語が、効果的な音楽と余韻を残した暗転につながれて、展開していきます。

加納幸和がいいです。寡黙で気難しいと見えたスキタが一転、無邪気に遊び出す。で、次の瞬間にまたもとのたたずまいに戻る。そのときには、得体のしれなさが倍加しています。池田成志は、これでもか、というばかりに周囲を挑発し、追い詰めていきます。いやーな奴を実に嫌らしく演じてます。やっぱりこの人は、アクが強いですねー(^^;) 山下さんは、ハイソな夫人役。成志さんのギャグを震えながら必死にこらえている姿が印象的でした。(^_^;)

この芝居、きっちり台本があるのだけど、中に所々、「遊び」のシーンが入っており、その場面では役者さんが素に戻って、存分に楽しめる、という趣向(?_?;) が凝らしてあります。戸川純さんは、その部分では、いきいきと安心して見られたのですが、シリアスな場面では、本来の持ち味が十分には生きていませんでした。木野花さんの脚本であれば、(作っていく過程で変わっていくので)そんなことにはならなかったと思えるだけに残念です。

照明と音楽は実に効果的に使われていました。特に照明は、人と人とが接近して、何かが始まる直前に、それを覆い隠すように静かに消えていきます。この間が何ともいえず効果的で、ミステリアス性を増幅しています。さらにこの暗転を使って「仕掛け」がひとつ使われています。木野花さんは、自分が脚本を書かないときは特に、演出上の新しい試みをするのが好きな人ですが、今回もひとつやってくれました。印象に残っているのは(←話がそれています)一人二役の入れ代わりを明転のままやってのけたこと。役者が少なくて苦し紛れだったのかもしれませんが、あの切れ味は見ていて痛快でした。

今回の仕掛けは、暗転の前後でイマジナリラインを越えてしまうという大技です。本来現れる筈のない場所に人が現れ、めくらましをして、次の瞬間サスペンスを盛り上げる、という、映画監督なら、ヒッチコックが使ったような大技でした。今にして思うと、あの場所に鏡が置いてあった、というのが正当な解釈になるのかもしれませんが、見た瞬間はショックが大きいです。円形劇場ならではの演出であったといえるでしょう。

あとは設定の妙ですね。スキタが匂いに人一倍敏感で、耳も敏感という設定。遠くで聞こえている筈の赤ん坊の泣き声、降り出した雨の音。薬の匂い。芸術を人一倍愛しながら病気で失明していく恐怖。神の不公平。それらがぜーんぶ、ラストのつぶやきの伏線になっていくわけです。私、戸川純が去っていったときには本気でおこっちゃいましたもの。(^^;)


サードステージプロデュース「祈る女」☆☆☆

【作】鈴木勝秀 【演出】木野花
【美術】小松信雄 【照明】倉本泰史
【出演】戸川純、加納幸和、池田成志、山下裕子
【会場】青山円形劇場 【期間】1995/1/19 〜 2/5
【観劇日】1/28 14:00

時かけ



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