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大萩康司サロンコンサート


 
2001.10.15(月曜日) 19:00開演  

福岡大名MKホール

レポーターはコージさんです。
今回はコージさんの奥様の感想も寄せて頂きました。
女性らしい視点がとても新鮮です。(^^)
尚、頂いたメールはそのまま転載されて頂いております。
万一内容に関してご意見等ありましたらお手数ですが、管理人YASUまでメールにてご連絡願います。




  ****プログラム****

 

(0)悲歌             (ブローウェル)

 1.そのあくる日         (R.ゲーラ)

 2.悲しい歌           (C.ファリーニャス)

 3.ショティッシュ・ショーロ   (ヴィラロボス)

 4.ショーロス第1番       (ヴィラロボス)

 5.母に捧げるグアヒーラ     (N.ロハス)

 

         < 休憩 >

 

 6.舞踏礼賛           (ブローウェル)

 7.キューバの鐘のなる風景    (ブローウェル)

 8.エストレリータ        (ポンセ)

 9.澄み切った空         (Q.シネーシ)

        < アンコール >

10.十一月のある日        (ブローウェル)

11.タンゴ・アン・スカイ     (ディアンス)

12.そのあくる日         (R.ゲーラ)

13.パッサカリア         (ル・コック)

 

感想(パートT)

 セカンドアルバム「シエロ」発売記念と銘打ったサロンコンサートが、去る10月15日に、福岡のファン約80名を集めて行われた。大萩康司は、中学、高校時代を福岡のギタリスト中野義久氏に師事しているから、地元コンサートと言っていいと思う。数ヶ月前にはカネンガイザーが同じステージに立ったことは記憶に新しいが、聴衆は今回の方が多いようだ。恐らく80%は十代、二十代の若者ではなかったかと思う。TVに出た影響だろうか。3分ほど遅れてステージに、にこやかに登場。プログラム曲の前に、先日カルレバーロが亡くなったので哀悼の意を捧げたいと、楽譜を見ながら、ブローウェルの「悲歌」を弾いてくれた。なかなかきれいな音だ。明るい音と言ってよいが、音量も十分である。

なるほど、これはなかなかやる。技術的にも音楽的にもすでに相当なレベルであることが、

この1曲から読み取れる。続いてプログラムの1曲目はCDの1曲目と同じ曲。これ以降、楽譜を広げることはなかったが、替わりにプログラムを横に置いて毎回確認していたのはめずらしい。予定になかったコンサートだったのだろう。このようなバラード風の曲は、演奏者のセンスが問われるが、歌いまわしが実にうまく、聴いていて引き込まれるものがあった。彼の解説によると、彼に献呈されたものではなく、作曲者のゲーラがすでに録音していたのを、もらって来たのだそうだ。自分も録音していいかと聞くと、好きにしていいと言われた、ということのようで、CDの解説の印象とは少し違っていた。それにしてもいい曲だ。今後楽譜が出れば多くの人が弾くだろう。それと、彼が中南米音楽に興味を持ったのは、3年前のコンクールでブローウェルに出会ったときからだそうである。

3曲目のショールス第1番では大きなミスがあり、1フレット分音を完全にはずしたのだが、よくぞ止まらなかった。ミスへの対処もプロとしての技術の範囲。しかし、ミスをして演奏を続けながらニヤリとするのは良くない。ミスしたときに非常に良く見られる光景だが、逆効果だ。何事もなかったように続けることが最も望ましい。拍手をさせない間合いで、次の曲に入ったのは良かった。このまま後半に入るそぶりをしていたが、突然思い出したように、「あ、ここで休憩でした」と立ちあがり、会場がどっと沸いた。

 後半は、ブローウェルから2曲。舞踏礼賛は最も好きな曲だとのこと。ブローウェルの曲は演奏効果を意識して作られているので、聴き栄えがするが、見事な演奏だった。福田の名演に耳が慣らされているので、それとつい比較しながら聴いてしまうが、福田の演奏の影響を受けているようには思えなかった。「キューバの鐘のなる風景」は、すばらしい演奏効果を持った曲だが、ステージで聴いたことがなかったので、楽譜を見てもどうして弾いているのかが、なかなかわからなかった。今回はじめて目の当たりに見て聴いて、目からうろこが落ちた。彼の演奏には色がある。メリハリがあって立体感があるのだ。その意味では福田の演奏スタイルに一番近いと思うが、決して福田の亜流ではない。続いて弾かれた「エストレリータ」と「澄み切った空」は、彼の感性が十分発揮されていた。「澄み切った空」は、すばらしい曲である。プホールのデュオ曲「センテナリオ通り」を彷彿させる。アンコールは、2曲目が終わっても拍手が鳴り止まず、3曲目には、「今日はもうネタ切れなので」と笑わせてから、もう一度「そのあくる日」を弾いた。それでも拍手が鳴り止まず、今度は「そう言えば今日は古典を弾いていなかったので」と、ル・コックのイ短調組曲(ブローウェル偏)から「パッサカリア」を鮮やかに弾いた。装飾音符が多い曲なので、弾き方次第ではいやらしく聞こえるところだが、このあたりに彼の持って生まれた資質が伺えた。曲ごとに話しをするのだが、木村大よりはうまく話す。声質も良いので、これなら「モンセラートの朱い本」をレパートリにしても問題ないな、などと妙なことを考えてしまった。技術的には安定感があるし、難しい押さえやパッセージも難なく弾きこなすが、1弦上の単旋律を早く弾くときに、かなり斜めから押さえるのが気なるところ。指は良く広がるようだったので、癖かもしれない。技術的なことで感心したのは、低音弦のこまめな消音である。右手だけでなく、弾きながら左手の中指を使って、次のフレーズに入っても低音が鳴り続けないよう消音をしていたことだ。左手の消音は容易ではない。

 実はこのコンサートの4日後、10/19に実に意外な場所で、彼の別なライヴ録音を聴く機会があった。それは7/15に行われた茨城ギター文化館での演奏であったのだが、聴いたのはANAの機内である。10月のクラシックプログラムに選ばれているので、今月乗る機会がある人は、ぜひ聴いてみて欲しい。南米もの意外にも、アンコールでも弾いた「組曲イ短調」の全曲とバッハの「プレリュード・フーガ・アレグロ」も聴くことができる。ライヴだが傷のないクリアな演奏であった。とりわけバッハがすばらしい。彼の音色は、むしろバッハにこそ、ふさわしいのかも知れないと思った。

                                

感想(パートU)

 康司と書いて“やすじ”と読むと今日初めて知りました。主人と同じ名前なのですが、主人は“やすし”と読みます。そんな訳で、聴く前から好感を持って会場に出かけました。

80人ほどの聴衆の前にその康司君が現れ、茶髪でいかにも若者受けする甘いマスク。

なるほど会場のほとんどが若い人たちというのもうなずけます。前日、プログラムと同じCDを聴いて、期待して来たとおり、師事したこともある福田進一の雰囲気が伺えて、今後楽しみなギタリストの1人となりました。

 ところで、ステージ衣装が“黒”という男性ギタリストが多いように思います。今年5月のカネンガイザーも黒のシャツ、9月に熊本で聴いた木村大も黒のスーツ、同じく9月の福田進一も黒のシャツ、そして今回の康司君もまた、黒でした。反対に女性ギタリストは違いますね。例えば村治佳織の衣装なんかは、赤あり、青ありでとても華やかです。どうしてなのかな?黒のほうが無難で、クラッシックには最適なのかしら。聴衆の一人として衣装のほうにも目がいくので、デザインもそうですが、“色”にも気を遣って頂ければ、楽しみが倍増するのに、と思うのは私だけでしょうか。12月の福田進一の衣装にも注目していたいと思います。

 康司君のコンサートに話を戻します。技術的なことはよくわかりませんが、プログラムの中で一番良かったと思ったのは、“そのあくる日”です。限りなく優しくて、甘くて、うっとりしました。それが、アンコールの3曲目で、ネタがつきて、とコメントしてもう一度弾いてくれたので、2度もうっとりすることができました。セカンドアルバムのシエロですが、主人に聞くと「空」という意味とのことでした。秋の澄み切った青空のような康司君の演奏に、今後も期待したいと思います。