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Stefano Grondona
Guitar Recital


トッパンホール

 
2004.1. 30(金曜日)19:00 開演  




プログラム
       

組曲ニ短調より
アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ

フローベルガー作(グロンドーナ編)
トッカータホ短調 BWV914より

J.S .Bach作曲(グロンドーナ編)
グランクロシュ氏に捧げるトンボー

フローベルガー作曲(グロンドーナ編)

献辞、スペイン舞曲第5番、ゴヤの美女

グラナドス作曲

休憩


エル・パーニョの主題による幻想曲
ボレロ
幻想的なポラッカ

アルカス
ドビュッシー賛歌

ファリャ作曲
3つの小品

リヨベート作曲

カディス
朱色の塔

アルベニス作曲

アンコール

エストレリータ Ponce
Melodia Grieg
即興曲 リヨベート
哀歌 リヨベート



これだけ時間が経つと、記憶もかなりいい加減になる。以前はそうでもなかったのだがコンサートの記録をつけるのがひどく億劫になってきた。コンサート評を書いている音楽評論家の苦労が少し分かる気がする。特に余り良い印象で無かった時は、尚更・・グロンドーナは今回の来日公演を聞くのが二回目、前回の印象が余りにも強烈だったせいかもしれない。彼ほど綺麗な音で端正な演奏をするギタリストを見たことがなかったから。今回も決して悪かったわけではないのだが僕の中で彼に対するイメージが膨らみすぎてしまって現実とのギャップに演奏中ずっと悩み続けていた。
何が一番不満だったかといえば、彼の音である。前回と違ってひどくメタリックな音質で最初の数曲は全くなじめなかった。これが去年聴いたトーレスと同じ楽器なのだろうか・・ひどく硬質な感じで弦のせいなのか・・よく鳴って入るのだが耳障りな音でなじめない。アキーラの音にも似ている気がしたがどうしてだったのだろう。

前半ではバッハとグラナドスのスペイン舞曲5番が一番心に残った。バッハの作品は難しいアレンジだったが良く弾いていた。フローベルガーの作品もそうだったがギターで弾くにはかなり難曲の部類に入るだろう。個人的にはもっとゆっくりとした音楽を彼の美しい音と端正な演奏で聴きたかったというのが本音。前半最後を締めくくるグラナドスは彼の得意なレパートリー。前回のコンサートでも感嘆させられたが音色、リズム、音楽のどれをとっても完璧というしか無い。躍動感に満ち溢れた彼のギターに再び触れることが出来、ホールに足を運んだ甲斐があったというもの。
二部のプログラムは彼の得意なレパートリーだと思うのだが今ひとつ乗り切れない演奏が続いた。並みのギタリストなら文句無い演奏なのだろうけど前回に比べるとミスも目立ち聴いていて演奏に浸り切ることが出来なかった。アンコールで演奏されたリヨベートの即興曲は聴く機会の少ない珍しい作品だったが技巧的な難しさをものともせず弾ききった左手のテクニックは流石だった。興味深かったのはリヨベートの即興曲を弾き始める前に難所を何度も左手で確認していたこと。音を出してはいなかったが始める前から音楽が聴こえていた・・。彼ほどの技量を持っていてもあの手の曲を弾き始める前は、心の準備というか、指慣らしをしておかないと不安なのか・・ちょっぴり親しみを感じて安心した。でもアンコールでやるにはハイリスク?^^;

ギタリスト、あるいはプロの演奏家という職業は、極めて因果な商売だと思う。弾き手は常に聴き手からベストな演奏を要求されるが演奏者からすればいつも満足の行く演奏が出来るとは限らない。たまたま良かった時に出会えた聴衆は幸せだがもし二度目以降そのギタリストの演奏を聴きにいって同じ感動が得られる保証は無い。聴き手の精神状態によっても演奏の印象は随分変わる。あるいはホール自体の音響、同じホールでも座る席によっても響きが異なるし視界から入る演奏家の姿、情報もコンサートの印象を左右する大きな要素だろう。ある意味、演奏家の努力だけではどうにもならない聴き手側の多様な状況、条件変化によっても演奏家に対するイメージは良くも悪くも変わってしまうのだ。ここに書いていることはあくまで僕の私的なメモだということを改めて記しておきたい。さもないと演奏家の折角の努力や苦労、そして僕とは違う印象を持った多くの聴き手の方々の気持ちに水をかけてしまうことにもなりかねないのだから。