オウガバトル外伝
〜an Anecdote of Ogre Battle Saga〜
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 少女の瞳
 
 これは何かの間違いだ… そうでなければ悪夢としか思えない。
 見渡す限り炎の海。全てのものが赤々と燃え上がっている。
 作戦は成功したのだ。
 しかし、しかしだ…… 炎の中、逃げ惑っているのは、一般人じゃないか!
 男、女、そして子供たち。彼らは決してゲリラなどではなかった。
 あれは嘘だったのか? 村全体がゲリラの拠点と化しているという情報は。
 男は自分の目の前の光景が信じられなかった。
 どこで間違ったのだ…… まさか、奴が……!?
 
 民族浄化政策。
 枢機卿が掲げる政策にどこか釈然としないものは感じていた。
 しかし現実に歯向かう敵を目にすると、国を守るため、民を守るため、
 友を守るため、自らの命を守るためと言い聞かせて戦い続けてきた。
 今度もそうだ。
 過激なゲリラ活動を展開する連中が、この村全体を占拠しているという。
 その連中を燻り出し、根絶やしにすることが今回の作戦だった。
 少なくとも、昨日の作戦会議で、奴はそう言い切った。
 元々、馬が合わない奴であるが、作戦に私情を挟むような自分ではない。
 一部隊を率いるリーダーとして、それを遂行すればそれでいいのだ。
 
 燃え盛る炎は兵たちの理性も燃え尽くしてしまう。
 逃げ惑う人間を闇雲に殺害していく。
 冷静になれば分かるはずだ、彼らが敵ではないと。
 しかし、そう理解した途端、とてつもない罪悪感に襲われるに違いない。
 兵たちはそれを恐れ、戦い続けているのか。
 
 「やめろっ! やめるんだ――――!!」
 男は我に返って、兵たちを止めようとするが、無駄だった。
 普段は竜騎士としての実力を持つ指揮官に従順な彼らも
 極限状態の中、狂気にとらわれた殺人者と化している。
 燃え盛る炎の中、殺戮は延々続くかと思われたが、終わりはやってきた。
 そう、全ての人間が息絶えた時、死の静寂と共に……
 
 そこには輝かしい勝利感もなければ、達成感もない。
 誰もが口を閉ざしていた。
 彼らも分かっていたのだ。これが不毛な殺戮であったことを。
 
 どれぐらいそうしていたのだろう。
 全ての兵が引上げた後も、男は焼け尽くした村に佇んでいた。
 目は虚ろだった。 底知れぬ虚無感だけがあった。
 
 夕闇に包まれる家々の焼け跡に影がわいた。
 竜だ。まだ子供の。 ……そう言えばここは竜使いの村だったか。
 ぼんやりとそんな考えが浮かぶ。
 しかし、男は思わず目をみはった。
 子供の竜、数匹の傍らに一人の少女が立っていた。
 どこかに隠れていたものか、服も顔もススを浴びて汚れていたが、
 その大きな瞳だけは、固い意思を秘めていた。
 それはこう言っていた。「許さない」と。
 
 わずかな時間、少女は男を睨んでいたが、竜たちと共に、
 どこかへと去っていった。
 男は何か声をかけたかった。労わりか、慰めか、それとも弁明か。
 しかし出来なかった。
 少女の瞳が拒絶していた。
 それはどんな戦傷よりも、刑罰よりも、男を痛めつけた。
 俺は取り返しのつかないことをしてしまったのだ……
 
 
 
 男がウォルスタ解放軍に参加したのは、それから数年後だった。
 あの村の出来事以来、彼は戦うことの意味を見出せなくなっていた。
 奴は嘲笑した。
 そんなことは気にするな、よくあることじゃないかと。
 今すぐ、斬り捨ててやりたい。
 俺がそう思っていることも、奴には分からないのだろう。
 それでも軍を離れられなかった。離れても行くところがなかったのだ。
 
 ガルガスタン、バクラム、ウォルスタという3国の均衡が保たれている間、
 ガルガスタンはひたすら自国の体制を固めることに邁進していた。
 その中で、男は自分が体制の中心から外されていくことを感じていたが、
 一向に構わなかった。
 どこかに消えてしまいたい…… そう思いさえしていたのだ。
 
 解放軍のリーダーは若かった。
 年齢だけでなく、その心、理想さえも。
 男は彼に求められ、まだ果たすべき役割があることを知った。
 どのみち、捨てかけていた人生だ。
 この若者の力になろう。例えそれがあの日の罪滅ぼしにならないとしても。
 
 
 
 男はまたも戦うことが出来なかった。
 数年の時を経て、また目の前にあの少女がいた。
 見た目はすでに大人の雰囲気を漂わせているが間違いない。
 あの瞳だけは見間違えるはずがなかった。夜毎、夢に見たあの瞳。
 少女は何のために戦うのか。
 自分を殺すためだろうか。それも仕方ない、それが運命ならば。
 しかし、少女の力は解放軍の前にはあまりに無力だった。
 少女は生き延びた。
 解放軍の方針ということもあるが、男がそう頼んだからでもある。
 
 さほど警備が厳しくない営倉で、少女は膝を抱えたままうずくまっていた。
 差し入れられた食事に一口も口をつけてもいない。
 あまりに静かなので、警備の人間も拍子抜けしたが、戦いに敗れた
 ショックもあるだろうし、仕方ないだろうと思い、それほど気にしていなかった。
 
 その営倉を男が訪れた。
 男は警備の者に、少し2人にしてくれと頼んだ。
 少女は美しかった。
 儚いまでの脆さと、果てしない強さが共存している不思議な少女だった。
 警備の者にすれば、他の男なら何か下心でもあるのだろうと考えるところだ。
 しかし、この男がそういう男ではないことは、よく知っている。
 警備の者は黙って営倉を離れた。
 
 営倉のドアを開けて、男が入ってきても、少女は顔を上げなかった。
 昔のことだ、少女は覚えていないかもしれない。
 「……覚えているわ」
 少女の第一声に男は凍りついた。
 
 少女は少しだけ顔を上げ、男を見上げた。
 やはり、あの瞳だ。
 「……炎の中で、父さんも母さんも焼け死んだ…
  自分たちがなぜ殺されるのか、わけも分からないうちに……」
 男は動けなかった。
 
 「私はまだ子供だった。あなたの顔を覚えていたわけではないわ。」
 
 「……誰かに、聞いたのか…?」
 少女は厳しい目で男を睨みつける。
 「血の匂いがするのよっ! ……あの時とおんなじ匂いよっ!」
 男の胸に鋭い痛みが走った。
 少女の言葉は彼の胸をえぐった。
 そして少女は隠し持ったナイフで、彼の胸をえぐった。
 少女は、ナイフを捨てると、営倉を抜け出した。
 まるで突風のように、ものすごい速さで、それは少女の心の疾走でもあった。
 今の今まで、少女の時間は止まっていたのだ。
 あの日あの時から、ずっと。
 
 草木を踏みしだく激しい音を聞きつけ、警備の者が戻ってきたが、
 彼らもまた凍りついた。
 「……すごい、血じゃないかっ!」
 「だ、大丈夫かっ!?」
 男の目は、なかなか焦点を結ばなかった。失血のせいだ。
 それでも、胸のナイフを抜き取ると、途切れ途切れにつぶやいた。
 「……だ…、だいじょう……ぶ、だ。 ……急所は、はずれて…る…」
 「し、しかし」
 助けようとする警備の者を払いのけながら、男はきいた。
 「…あ、あの子は…… どこ…へ… 行った…?」
 警備の者は、助けを借りようとしない男に困惑しながらも答えた。
 「西の森の方へ向かっていったようだ。」
 「森……か… ま…ずいな……」
 
 確かにまずい。
 解放軍が進むところ、どこも戦場となる。
 戦場につきものなのが、敗残兵とそれを狩る野盗どもだ。
 落ち延びた敗残兵は、野盗にとって格好の獲物だった。
 その旨みを知っているからこそ、奴らは常に解放軍の近くに潜んでいるのだ。
 しかし、警備の者は、男が何を「まずい」と言ったのか理解できなかった。
 森に逃げ込んだのは、男を刺した捕虜同然の少女だ。
 何があっても、放っておけばいいはずなのだから。
 
 男は、傷口から流れる血を止めようともせずに、営倉を抜け出した。
 警備の者が止めようとしたが、どこにそんな力が残っていたのか、
 男はそれを払いのけ、槍を手に馬にまたがるや、西の森へ向かっていった。
 
 
 
 少女が気がついた時は、周りを10人ほどの男たちに囲まれていた。
 どの男も、薄汚れた格好をして、下卑た笑いをもらしていた。
 中でもひときわ大きな体の男が、割れんばかりの声をあげた。
 「アッハッハ〜ッ! 今夜はとびきりの獲物が手に入ったぞ!
  それも自分の方から勝手に飛び込んできやがった!」
 周りの男たちも、口元から涎を垂らしながら、哄笑をあげた。
 後ずさりする少女の腕を、男の手が掴む。
 必死に腕を振り払おうとするが、男の力が強く服の袖が引きちぎれた。
 その音がさらに男たちの脳髄をドロドロと溶かしていく。

 別の一人が抱きしめるように襲い掛かった瞬間、
 男の頭は真横から何かに貫かれ、勢い余って吹き飛ばされた。
 それはどこからか飛んできた槍だった。
 間を置かず、駆け込んできた馬の馬蹄が一人の男の頭を砕いた。
 少女はそれがあの男だと気付き驚愕した。
 (な、なぜ!? ……刺したはずなのに! ……何をしにきたの!?)

 野盗たちは、血まみれで現れた男を新たな敵と判断するや、
 迷うことなく襲い掛かってきた。
 男も馬上から応戦するが、槍は先ほど手放してしまい、今は剣のみだ。
 馬上が有利なのは槍を手にしてこそだ。
 蝿がたかるかのような、集団の中では意味を持たない。
 馬を失いながら、それでも男は少女を自らの背後にかばいながら、
 3人まで倒したが、新たな傷を受け、さらに加速した失血が、
 容赦なく意識を奪おうとする。
 
 (……これまで……か)
 男が最後に聞いたのは、大地を揺るがすような響きだった。
 そしてそのまま意識を失った。
 
 大地を揺るがし現れたのは、4匹の竜だった。
 少女が解放軍に囚われたとき、生き残った竜もまた、檻の中に収容された。
 少女の足音を聞きつけた竜は、その檻を破壊して主人の後を追ったのだ。
 突然現れた竜に驚いた野盗は、慌てて逃げ出そうとしたが、
 次々とその牙や爪にかかり、体当たりで弾き飛ばされ、数を減らした。
 少女は助かったことを知った。
 
 何人かの野盗が逃げ去った後、少女は不思議なものを見た。
 苦痛にあえぐ顔で死んでいる男たちの中にただ一つ、
 満足げな表情で死んでいる男がいたのだ。
 それは、あの男だった。
 
 (なぜ、なぜなのよ!?)
 少女には分からなかった。
 
 少女を取り囲んだ竜の1匹が、角でその男の頭を軽く押した。
 男はわずかだが、声をもらした。
 (……まだ、生きている…)
 少女はしばらく、光る瞳でその男を見下ろしていたがやがて何かを決意した。
 
 
 
 男が目覚めたとき、若い男の顔が目に入った。
 「ようやくお目覚めですか、心配しましたよ。」
 男は言葉の意味がよく理解できなかった。
 頭の中には茫洋とモヤがかかっている。
 「警備の者から、そろそろ目覚めそうという連絡を受けたんですよ。」
 (そうだ…この若者は、解放軍のリーダーだった)
 
 「西の森で意識を失って、もう10日も経ったんですよ。」
 若者の言葉にようやく、男の意識も同調し始めた。
 (……死ななかったのか…)
 頭の隅に何かが引っかかっていた。
 (そうだ)
 
 「…あの子は… …あの子は無事ですか?」
 若者はかすかに微笑んだ。
 「ええ、お供が優秀なようですので。」
 
 (…竜使いだったな、あの子は…)
 男は少し懐かしいような気がした。
 時間の感覚が、まだうまく戻っていない。
 「どう、なりました? まさか、酷い目には……」
 男の質問の意図を察して、若者は答えを返した。
 「心配なさらずに。酷い目も何も、彼女は自由に振舞ってますよ。」
 「……自由?」
 男は状況を理解しかねた。
 少なくとも、まだ捕虜に近い身でありながら、解放軍の人間を刺したのだ。
 何事もなく済まされるとは思えない。
 そもそも、あの森で、俺にとどめを刺すか、逃亡するのが普通だろう。
 
 「そう、自由ですよ。 毎日、毎日、一人であなたを看病していました。」
 今度こそ、男の理解の範囲を超えていた。
 「私を…… 看病?」
 「ええ、西の森からあなたを竜に乗せて戻ってきてからずっとです。」
 (……………)
 
 「あなたとあの子の間に何があったのかは分かりません。彼女もそれについては
  何も話してくれませんでした。でも僕は彼女の目を見ていて思いました。
  ………あなたのことを、任せても大丈夫だろうって。」
 
 男はしばらく目を閉じて何かを考えているようだったが、
 ようやく口を開くと、若者に質問した。
 「彼女は、今、どこに……?」
 若者は窓の外を眺めながら答えた。
 窓から射す光は、オレンジ色に染まっていた。
 「多分、村外れの丘の上ですよ。あなたが快方に向かってからは
  決まって、この時間はあそこに行っているみたいですから。」
 
 「何かあるのですか?」
 「ああ、丘ですか? 何もなかったような気がしますけど。」
 男の目がすっと細くなる。
 何か遠い彼方のものでも見るかのように。
 
 
 
 少女は丘の上が好きだった。
 オレンジ色の夕焼けが、傍らの影を長く長く伸ばしていくのが好きだった。
 何の変哲もない、2つの石が伸ばしていく影が。
 ここは大切な思い出の場所だから。
 
 横で寝そべっていた竜がゆっくりと首を持ち上げた。
 遠くからカチャリと鳴る鉄の触れ合う音が近付いてくる。
 少女は振り向きもせず、丘の向こうをじっと見つめていた。
 
 やがて、その側まで来た男は、傍らの石の前で膝をつき、一輪の花を
 それぞれの石の前に置いた。どこにでも生えている野の花だった。
 竜たちはまた首を地面に垂らして、眠ったかのように動かない。
 男は無言のまま立ち上がり、その場を動かなかった。
 
 どれほどの時間そうしていただろう。
 少女も、男も、竜たちも動かず、ただ石の影だけがその長さを変えていく。
 やがて少女が、小さな声でつぶやいた。
 「失ったものは、取り戻せないわ……」
 男は黙ってうなずいた。
 
 「私、1つ嘘をついていました。」
 沈む夕日を見つめながら少女は続ける。
 「血の匂いなんてしなかった。 ……この子たちには竜騎士が分かるの。
  だからです。」
 ガルガスタンから解放軍に寝返った竜騎士、その名は知れ渡っている。
 
 再び、沈黙が続く。
 夕日が山の向こうに沈み、空が薄紫に染まるころ、少女が尋ねた。
 「何も聞かないんですね。 ……なぜ、あなたを殺さなかったのか…」
 
 男もようやく口を開いた。
 「私は竜騎士、殺すことしかできん…… 君は竜使いだ。
  生かすことを知っている。 ……それしか、分からん。」
 
 「私はあなたを許せません…… けど、憎むこともできません……」
 少女は、はじめて振り向いた。
 その瞳は、男がはじめて見る瞳だった。
 
 薄く整った唇が開く。
 「…見せて下さい。 あなたの生き方を。」
 男はうなずいた。
 
 
 
 少女の時間が緩やかに流れ出す。
 男の時間も緩やかに流れ出す。
 流れは永遠に交わることはないかもしれない。
 けど、並んで流れていくことならできるかもしれない。
 
 どこまでも、どこまでも。
 

 
 
 
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