_
 2003年1月の日記 
_

No.99

 2003/1/1(Wed)
 
はじめてのお年玉
 
 
お昼前に伊丹の実家へ、例年通りに年賀のあいさつをしに行ってきた。
 いつもと違うのは、俺一人で…ということ。
 おせちなどをご馳走になったあと、病院へ行った。
 病室に入ったとき、お母さんは、昨日お父さんが差し入れしたバームクーヘンを食べているところだった。
 今まではお菓子を食べる気力もなかったのだから、これも回復してきた証拠。
 お母さんの表情は、すっかり明るくなっている。
 まだ少しだけ、たんが切れないのが残っているぐらい。
 
 食事もいつもと少し違って、昨夜はお吸い物におそばが入っていたし、
 今朝はパンの代わりにおかゆ、お昼にはお頭付きの鯛が出てきたという。
 それも全部食べたというから、もう安心だね。
 
 兄と妹夫婦と一緒に、優輝に会いに行くと、4時前なのに泣いてはいなかった。
 今日はずっと目を開けていて、色んなものを見ているような感じだった。
 どうかな? 面白いものは見えたのかな? お父さんとお母さんだよ、分かるかな?
 
 どうなることかと思った出産だったが、退院まであと少し。
 その目処がついたこともあって、伊丹の実家で迎えた正月も明るいムードになって良かったなぁ。
 そうだ、優輝にって、おじさんからお年玉をもらったぞ。
 初めてのお年玉だね。
 優輝の貯金通帳も作らないとね。
 
 

_

No.100

 2003/1/3(Fri)
 
やっとお母さんに抱っこしてもらえたね!
 
 
朝、布団の中にいるうちにお父さんは3回もめまいを起こしてしまった。
 昨日も1回あったし、4〜5日前から右耳のあたりがモワモワとしていたので嫌な気はしていたけど、
 どうやら三半規管の調子がちょっとおかしいみたいだ。
 元々、遊園地の乗り物に乗っても気分が悪くなるぐらい三半規管が弱いお父さんにとって、
 この10日間で800キロを走行したのは、ちょっと厳しかったらしい。
 で、今日は安全のために電車で伊丹まで行くことにした。
 
 病室に入ると、そこには小さなベッドに寝かされた優輝が、お母さんと一緒にいた。
 今日からだとは聞いていたけど、実際にその姿を見てホッと一安心。
 「いっぱい、抱っこしてあげた?」
 「うん、10時と1時にもお乳あげたよ。」
 もちろん今日が初めての授乳なので、目標30分のところ、1時間はかかってしまうのは仕方がない。
 まだ母乳だけでは足りなくて、粉ミルクも少し足さないとお腹いっぱいにならないという。
 それだけ飲んでいれば、優輝の方は心配なしだね。
 
 今までの面会はガラス越しだったり、時間制限があったけど、これでお父さんも遠慮なく触れることができる。
 優輝は今日一日は、ミルク飲む以外はほとんどぐっすり寝ているという話で、この時もずっと寝ていた。
 頭を何度も優しくなでてあげた。
 お父さんとお母さんが一緒に優輝に触れるのは初めて。ちょっと感動。
 
 4時の授乳の時間がきたので、お父さんは部屋で待つことに。
 1時間以上たって、ようやく戻ってきた。
 授乳に悪戦苦闘していたのかと思ったら、それもあるけど、うんちもいっぱいしていて、オムツを換えたりと
 色々忙しかったらしい。
 ミルクを飲んだ後にゲップもさせないといけないんだけど、それもなかなかしない。
 でも、看護婦さんの話だと、おならをしていればゲップしてなくても大丈夫と言う。
 幸い、優輝はおならをよくしているらしいので安心。^o^
 
 戻ってきた優輝は目をまんまるに開いて、あたりのものを見回している。
 お母さん曰く、「今日一番のご機嫌な顔しているよ」
 お腹いっぱいになったからなのかな。オムツも換えてもらったしね。
 お父さん似と、みんなが言うけど、こうして見ると、お父さんはこんなに目が大きくないなぁ。
 むしろ、顔つきはお母さんに似ているんじゃないのかな?
 
 一緒に来ていた伊丹の父と兄が帰るまでは、ご機嫌だった優輝だけど、6時前ぐらいから泣き出した。
 次のミルクの時間は7時。もうお腹が空いたのかな?
 オムツもまだ濡れてないみたいだし、部屋の温度が寒いわけでもなさそう。なんだろう?
 お父さんもお母さんもまだ新米なので、こういう時はどうしたらいいのか分からない。
 とりあえず、お父さんが抱っこしてみることに。
 すると途端に優輝が泣き止んだ。
 なんか、不思議そうな目でこっちを見ている。不精ひげが気になるのか?
 ちょっとむずがりそうになっても、揺らしたり、歌を歌ってあげると、またおとなしくなる。
 途中でお母さんに交代してもらったけど、お母さんだとなかなか泣き止まない。
 抱き方の微妙な違いがどうもあるみたいだ。
 結局、お母さんが夕食を済ませ、歯磨きとかしている間、1時間近く、お父さんが抱っこしてあやしていた。
 こういう時、真面目で恥ずかしがり屋のお母さんよりも、おちゃらけたお父さんの方がデタラメな歌を
 連発できるのでいいのかもしれない。^^;
 優輝もデタラメな歌に合わせて、おならをプップッと連発する。こりゃ面白いわ。わはは
 
 7時の授乳の時間が近づいてくると、お父さんの抱っこも効果を発揮しなくなる。
 帰らなくちゃいけないこともあって、優輝をお母さんに預けたが泣き止まない。
 「明日、来た方がいい?」
 「調子悪いんだったら休んどいて」
 ちょっと心配だな、お母さん今晩寝れるのだろうか?
 けど、授乳室に向かうためにドアを開けて外に出ると、不思議と優輝が泣き止んだ。
 そのままエレベータまで、見送りにきてくれたけど、大きく目を開いてたね。
 とりあえず、ちょっと安心した。
 
 授乳は3時間ごとということで昼夜の区別がないから、お母さんは本当に大変。
 しばらくは手伝い出来ないけど、家に帰ってきたら、オムツの換えぐらい手伝ってあげないとなぁ。
 
 

_

No.101

 2003/1/5(Sun)
 
回目の結婚指輪
 
 
明日、月曜日に退院予定。
 仕事が初日なのでどうなるか分からないが、もしかしたら迎えに行けるかもしれないので、
 ダンボールに新品のまま梱包されているチャイルドシートを車に装着することに。
 説明書を見ながらやっても、なかなかパシッと決まらない。
 悪戦苦闘しながら1時間ほどで無事装着完了。
 車のリアウインドには「赤ちゃんが乗ってます」のステッカーも貼っておいた。
 いざ病院に向かって出発すると、運転がいつもよりも慎重になっている。
 発進も停止もなめらかに。
 最近、運転中の注意力が散漫気味だったので、お父さんにもちょうど良かった。
 
 病院につくと優輝はスヤスヤと眠っているところだった。
 2日前は大泣きもあったので心配していたが、この2日間はほとんど泣くこともなく、おとなしかったみたい。
 それでも、3時間ごとに起きなくちゃいけないお母さんは、さすがに睡眠不足のようだけど、
 合間、合間に起こされないだけでも良かったね。
 
 4時の授乳が終わると、ようやく優輝の目もパッチリと開いた。
 昨日も夕方は起きていたらしい。
 今日は起きていても、キョロキョロとあちこちを見ているものの、全然泣く気配はなく、
 時々あくびしたり、時々くしゃみしたりするぐらいで、終始ご機嫌のようだった。
 じっと見ていると本当に色んな表情があって面白いなぁ。
 
 帰る前にお母さんから預かっていた結婚指輪を返した。と言うか指にはめてあげた。
 点滴でむくんでいた指もすっかり元通りになったみたいですんなり入った。
 「2回目の結婚指輪だね」とお母さんが言った。
 今回の立会いは神父さんじゃなくて、優輝だね。
 優輝は不思議そうに目をクリクリして、じっと見ていた。
 
 「明日来れなかったら、次は土曜日まで来れないから、お母さんの言うことを聞いて良い子にしててね」
 と話しかけると、急に両手をエイッ!という感じで開いて、目をむき出したので、
 お父さんもお母さんも爆笑。タイミング良過ぎるぞ。
 本当に良い子にしててな。
 
 

_

No.102

 2003/1/6(Mon)
 
やっと退院だね
 
 予定通り、今日無事に退院することができた。
 午前中に退院になったので、結局お父さんは出迎えは間に合わなかったけど。
 
 会社に事情を説明してお昼から帰らせてもらったけど、伊丹の実家についたのは3時を過ぎていた。
 う〜ん、全然間に合わなかったね。^^;
 さっそく部屋に入ると、家具のレイアウトが変えられていて、エアコンの風が直接かからないように
 うまく配置されていた。
 こっちも手伝おうと思っていたんだけどね。
 
 優輝は新しいベッドでスヤスヤと気持ち良さそうに眠っていた。
 起こすのも悪いので、じっと見たり、頭を触ってみたり。
 5時ごろになってお乳をあげる時間になったので、優輝を起こすことに。
 病院では見れなかった授乳を初めて見た。
 お母さんのおっぱいが、パンパンに大きくなっているのにビックリ。
 優輝は左の方はうまく飲めるけど、右側はうまく飲めないみたいでちょっとむずがってしまう。
 まだ20CCほどしか飲んでくれないみたいで、後は粉ミルクになる。
 お父さんが哺乳瓶であげるのもこれが初めて。
 目をしっかり開けてゴクゴクと凄い勢いで飲んでいく。
 早く、お母さんのお乳もそれだけ飲めるようになるといいのにね。
 
 夕食を食べてから家路へ。
 長かったようであっという間だった病院滞在もようやく終了。
 これでようやく一息かな…

 
 

_

No.103

 2003/1/7(Tue)
 
退くのも時には勇気
 
 今日はお父さんにとって、ちょっと悲しいことがあったんだ。
 あまり日記には書きたくなかったから避けてたんだけど、一応書いておこうかな。
 
 お父さんはインターネットでホームページを作って、色んな人たちと友達になってたんだよ。
 優輝が産まれたことも、たくさんの人がお祝いしてくれて、お父さんはとっても嬉しかったんだ。
 だけどね、インターネットって色んな人が見ることが出来るから、中には悪い人もいるの。
 お父さんのページにも、そんな悪い人が来てね、ひどいことを掲示板に書いていったんだ。
 お父さんのことなら何書かれても平気なんだけどね。
 その悪い人は産まれたばかりの優輝の命を絶ってしまうんだ。
 本当のことじゃないから、気にせずに我慢すればいいんだ。
 たくさんのいい人たちが励ましてくれて、お父さんも一度はやっぱり続けていこうと思い直したんだけど、
 また悪い人が来て、優輝の命を絶っちゃったんだ。
 
 悪い人を追い詰める方法もあるし、来ないようにする方法もあるけど、それをするには時間が必要。
 お父さんにとって、そんな時間があるぐらいだったら、少しでも優輝やお母さんのために使いたいんだ。
 それに本当のことじゃないって言っても、何回も何回も命を絶たれるのなんて見てられないよね。
 お父さんも心臓つかまれてるみたいに苦しくなっちゃうんだ。
 優輝が産まれて初めて、お父さんもそういう気持ちになるってことが分かったんだ。
 
 今まで仲良くなった人たちに、優輝とお母さんと一緒に写した写真を見せるつもりだったんだ。
 優輝がもう少し大きくなったら、みんなと会う時に連れていこうと思っていたんだよ。
 
 でもね、悪い人たちは常識なんて通用しないから、何をするか分からない。
 優輝とお母さんの顔を覚えて、一日中、駅で待ち伏せしているかもしれないし、
 みんなと会う時に、知らんぷりして紛れ込んで来て、何かするかもしれない。
 そんな危険性が少しでもあるのなら、なんとかしなくちゃいけない。
 
 だからお父さんはページを終わらせることにしたんだ。
 泣き寝入り? プライドは? 悔しくないの? 正義感は?
 そんなこと、どうだっていいんだ。
 お父さんが、思いきってそれを捨てることで、優輝とお母さんを守ることが出来るんだったら、
 そんなことは小さなことなんだもの。
 
 「退くのも時には勇気」
 誰かがそんなことを言っていた。
 お父さんも今はそんな気持ちかな。だから後悔はしてないんだ。
 
 優輝が大きくなって、この日記を読むころには、お父さんはまた何か新しいページを作っていると思うよ。
 だって、たくさんの人たちとの素敵な出会いもあるんだからね。
 そんな優しい人たちのように、優輝も優しい人になってほしいなぁ。
 

 

_

No.104

 2003/1/10(Fri)
 
今度はお父さんが病気だ
 
 2日前の夜に、首に変な湿疹が出来ているのに気付いた。
 3ヵ所に3つずつ繋がっているなんて変だ。
 今週からマフラーしたからダニでもいたのか? 3日に行った散髪屋があらっぽかったから剃刀負け?
 新築の家だし、ホルムアルデヒドってこともあるのかなぁ…
 とちょっと気になっていたのだが、昨夜は枕とこすれると少し痛かったので、今日病院に行ってみた。
 
 病名は「帯状疱疹」。「ヘルペス」とも言う。
 ヘルペスと言えば性病として聞いたことがあるので、最初はビックリした。
 しかし本当はそうじゃなくて、水ぼうそうのぶり返しらしい。
 水ぼうそうになったのは1歳頃。33年ぶりのぶり返しとはね。
 
 しかし、お医者さんの説明を聞くと、15%ぐらいの人がかかるわりとありふれた病気らしい。
 水ぼうそうが治っても、そのウイルスは神経細胞の一部にとどまり眠っているらしい。
 普通の抵抗力を持つ人ならぶり返すことはないのだけど、ものすごく疲れていたり、風邪をひいたり、
 ストレスがたまっている時、食生活のバランスが崩れたりした時を狙って、動き出すウイルスなんだって。
 引越、出産、病院通い、めまい、バラバラの食生活、ホームページの閉鎖…
 心当たりあることいっぱいだね。
 こりゃ、発症しない方が不思議かもしれない。

 一応、水ぼうそうに対する抵抗力は持っているから、全身じゃなく、体の一部分だけに発生するのだ。
 気付くのに遅くて、治療が遅れると神経痛として残ることもあるということで、お父さんの発見は
 早かった方みたいだった。
 全治するまでには2〜3週間かかるし、その間はかゆみや痛みが続くというからちょっと嫌だなぁ。
 水ぼうそうと同じで、湿疹はいずれ水ぶくれになって破れるからそれも嫌だな。
 
 でも、もっと嫌なのは優輝に会えなくなってしまったこと。
 この病気は普通の大人には、まず移ることはないのだけど、水ぼうそうにかかったことがない子供には
 すぐに移ってしまうみたいで、しかも発症すると全身に湿疹が出来て重傷になってしまうのだ。
 危なかったね。今日病院行ってなかったら、明日は優輝に会いに行ってたもんね。
 
 残念だけど、お母さんに報告の電話をした。
 ホームページを閉鎖したことも初めて話した。
 優輝に対して書かれた掲示板の内容も話した。
 我慢できなくなって、とうとう泣いてしまったよ。
 一人はつらいなぁ……
 
 会社を休んだ方がいいぐらい安静が必要な病気らしいが、すぐに休むことも出来ない。
 でもなんとか早く治して、優輝に会いに行きたいなァ。
 
 
 
 ……… その後、2004年3月、HP再開。

 

_
_
_
HOME