_
 2002年12月の日記 
_

No.78

 2002/12/1(Sun)
 
う〜む、お父さんの表情はイマイチかも
 
 
昨日、撮ってきた写真の現像が仕上がってきた。
 工事業者さんに頼んで撮ってもらったので、あんまり何枚も頼むのは気が引けたので3枚だけ。
 どれもなかなか綺麗に映っている。
 特にお母さんはどの写真も美人に映っているなぁ〜
 それに比べてお父さんの表情はイマイチ。
 眼鏡も度数がキツイ方の眼鏡のせいか、目元がはっきりしなくて、へんてこりん。(ToT)
 
 しかし、次に家を見に行くのは20日の日だから、年賀状用の撮り直しはできないので諦める。
 まぁ、お母さんが綺麗だからいいよね。^^;
 2人が大きく映っている写真が、家も車もバランス良く入っているので、これで決定にしよう。
 でも、正面からの写真だと、まだまだ全然お腹が大きいって分からないね。
 
 年賀状では、名前はまだお父さんとお母さんだけ。
 優輝も載せようかと思ったけど、まだちょっと早いしね。
 
 

_

No.79

 2002/12/4(Wed)
 
狭くなってきたのかな?
 
 
写真を撮った時には、まだまだそんなに大きくないかな〜と思っていたお腹だけど、
 ここ2、3日で急に大きくなってきたような気がする。
 もうそろそろ、10ヵ月目だもんね。
 
 だんだん狭くなってきたのか、最近は蹴るというよりも、ぎゅ〜ん、ぎゅ〜んという感じで、
 足で押し広げているような動きが多いみたい。
 そのせいで大きくなってきたのかな?
 
 1日、会社に行って帰ってきたら、お母さんの足もパンパンに張るようになってきた。
 大きくなってきたのが、ヒシヒシと分かるようになってきたね。
 
 

_

No.80

 2002/12/7(Sat)
 
専用のタンスだぞ
 
 
粗ゴミを出したり、オーディオ製品のリサイクルの手続きをしたり、古本を売ったりと、引越しの作業も
 ちょっとづつ進んできた。
 オーディオ製品は、お父さんが大学生のころから社会人なりたてのころに買ったものばかりだから、
 大した値段はつかないけれど、それでも引き取ってくれる業者があるなんてありがたいね。
 愛着がないわけじゃないけど、これからは優輝と遊んだりする時間の方が大切だし、新しい家具も
 増えたりするからね。そう思って思いきって処分することにしてみた。
 テレビは29型ワイド⇒25型普通に、単体のデッキやスピーカーは、小さなラジカセにチェンジ。
 これで、新居も結構スッキリするんじゃないかな。
 ラジカセの方が、優輝が行くところ、どこでも持っていけるしね。
 
 その上で、新しい家での家具のレイアウトを考えてみた。
 まだ初めのうちは、1階のリビングと和室が生活の中心になりそう。
 家具も、大きなタンス以外のほとんどのものは1階に置けそうだし。
 
 レイアウトを決めてから、足りない家具を新しく買うことにした。
 枚方家具団地に行って、探してみるとなかなかいいものが見つかった。
 探していたのは、テレビ台と細身の整理ダンス、そして優輝専用のちょっと小さ目のタンス。
 家周りの色んな整備にかかった出費がちょっと痛かったので、今回は3点で8万円に抑えた。
 なかなか、いい買物が出来たかな。
 
 タンスは、ミッキーマウスとかのキャラクターものも可愛いんだけど、もう少し長く使うことも考えて、
 絵とかのデザインは入ってないシンプルなものにすることにした。
 引き出しの取っ手は出っ張っていないタイプで、丸い窪みになっている可愛いのにした。
 タンスのほとんどがお母さんの領域になっていて、お父さんの服は衣裳ケースのが多いのに、
 もう優輝は専用のタンスがもらえるなんて、スゴイぞ〜!
 大事に使うんだぞ。ちょっとぐらい落書きしてもいいけどね。
 

_

No.81

 2002/12/8(Sun)
 
色んな思い出ともサヨナラ(と言うのは大げさかな^^;)
 
 
今日は新聞・雑誌など紙のゴミの収集日。
 引越しが控えているから、なるべく不要なものは処分しておかないとと思い、いつもよりたくさん捨てた。
 それにしても出てくる、出てくる、捨てられずに残していたもの。いつかは使おうと思っていたもの。
 
 10年以上記録を続けていた音楽ヒットチャートの膨大な資料、
 前の会社に務めていたころに作った映画作品の資料、
 アントニオ猪木の異種格闘技戦をはじめとする、月刊ゴングからの切り抜きページ、
 ガンダム大辞典、ザブングル大辞典、ダンバイン大辞典、
 
 どれも一時ははまり込み、そのうちに振り返ったり、まとめ直したりしようと思っていたものたち。
 でも今は、これから始まる、家族との新しい1ページ、1ページの方がずっと大切になっていくと思う。
 そう思うと、ほとんど躊躇することなく、どんどん捨てることが出来た。
 色んなものをバッサリ捨てて、また一歩、父親へ近付いたのかなという気もした。
 ちょっと大げさかもしれないけど、思い出というたくさんのチケットと引き換えに、
 大事な大事な我が子との新しい思い出を作っていくのかもしれない。
 
 今までは30年、これからはもっと長い。
 幸せだなぁ〜と思える人生にしていきたいね。
 

_

No.82

 2002/12/12(Thu)
 
お父さんの誕生日
 
 
12月12日はそう、お父さんの誕生日。
 取り立てて何か珍しいお祝いをするわけでもない。
 いつもと同じように、お父さんとお母さん2人分のケーキを食べてお祝いしてもらった。
 いつもと違うのは、優輝も一緒に喜んでくれているかもしれないということぐらいかな。
 優輝の誕生日は何日になるのかな?
 お母さんが11月11日で、優輝が1月11日だったら、ちょっとすごいね。^o^
 

_

No.83

 2002/12/13(Fri)
 
お母さん、おつかれさま
 
 年賀状が無事に完成。と言っても、年賀状を出し終わったというわけではないけど、
 新居と車をバックにして撮影した写真を折り込んだ年賀状が仕上がってきたのだ。
 実際の写真の1/2サイズぐらいに圧縮されていると、気になっていたお父さんの冴えない表情も
 あんまり気にならなくなっていて、とりあえずホッとした。^^;
 来年の年賀状には優輝も一緒に載ろうね。
 
 そして今日はお母さんの産休、育児休暇前の最後の出勤日。
 とっても真面目なお母さんは、誰からも頼りにされているみたいで、なかなか休みに入ることが
 出来なかったけど、さすがにそろそろお腹も重くなってきているので、なんとか間に合ったというとこかな。
 会社の人からお花ももらったし、元気な赤ちゃんを産んでくださいねという声も掛けられたとのこと。
 お母さんが11年勤めてくれてなかったら、まだまだ一戸建てなんて、夢だったねぇ。
 お母さんに感謝♪
 
 これからは優輝のために、会社で使っていたエネルギーも回してあげてね。
 会社でも元気一杯に動いていた優輝は、会社に行けないのがちょっと寂しいかな?
 

_

No.84

 2002/12/14(Sat)
 
実家に帰らせてもらいます。
 
 
いよいよ出産予定日まで1ヶ月を切ったこともあり、今日からお母さんと優輝は伊丹の実家行き。
 午前中に必要な生活用品や服、ベビー用品などの荷物をまとめてみたら、結構な量になった。
 車なかったらどうしてたんやろ?と思うと、ちょっとコワイ。^^;
 
 お昼から家を出て、まず先に久御山のアカチャンホンポに行って、追加で買うものを見ることにした。
 お目当てはベビーカー、ベビーバス、ベビー石鹸、ベビー布団。
 前に買物に来た時は、他のものを揃えるだけで時間がかかってしまったので保留にしていたのだ。
 前に一度、来ていたこともあり、品物を選ぶのも結構スムーズに進められた。
 
 ベビーカーは買うかレンタルにするかで悩んだ。
 新生児の時に使うA型と、ちょっと大きくなってから使うB型があるけれど、A型を使う期間は半年もない
 というような話も聞くので、その間はレンタルの方がいいのかな?なんて思ったからだ。
 でも、レンタルでもあんまり金額は変わらないし、2人目の時にもまた使えるかもしれないから
 AB両型兼用タイプを買うことにした。
 B型に比べて少し大きくて重いのが難点と言われているけど、12月にアプリカから発売された新製品は、
 そんなに大きく感じるほどではないし、持った感じも重い感じはなかったので、これにすることに。
 まぁ、実際には優輝の体重もかかってくるから、もっと大変なんだろうけどね。
 
 ベビー布団は前回は置いてなかった、可愛いのが増えていたので、これにした。
 ベビーカーとベビー布団は取り寄せだったので、到着次第、伊丹の実家に送ってもらうことにした。
 
 買物を終え、いざ実家に向かって出発したのが4時だったのだが、普通なら1時間半ぐらいで着くはずが、
 とんでもない渋滞が続いていて、3時間半もかかって夜7時半に到着。
 こんなに連続で運転したことなかったので、ちょっと疲れた。(ToT)
 
 お母さんと優輝に会えるのも、しばらくは1週間に1回か2回ぐらいのペースになってしまうので、
 ちょっと寂しくなるね。
 最後に優輝にも話しかけてから、お父さんは帰路へ。
 いい子にしてるんだぞ。
 
 

_

No.85

 2002/12/15(Sun)
 
もしもし、優輝くんですか?
 
 
いやぁ〜、今日も忙しかった。
 オーディオ製品をはじめとした色々な不要品を、リサイクル業者に引き取りにきてもらった。
 ほとんどの業者が、処分費用がかかると言っていた中で、1業者だけゼロ円以上の提示があったので、
 そこにお願いして来てもらったのだ。
 かなり古いものばかりだったのだが、3000円で売ることが出来た。
 どれだけがリサイクルされて売られるのか分からないけど、単純に捨てられなかっただけ良かった。
 
 業者はご夫婦で来られたのだが、作業をしながら、色々と赤ちゃん絡みの話も出来て面白かった。
 この業者さんの娘さんが産まれた時は6ヶ月の早産で、体重はなんと1000グラムしかなかったそうだ。
 毎日、毎日、危篤状態が続いて大変だったらしい。
 優輝は無事に3000グラム近くで生まれそうなので良かった。
 
 それにしても、オーディオ製品やTVが運び出されると、部屋が異様に広くなった。
 なんだかガラ〜ンとした感じになったのと、TVがなくなったことで、余計にお母さんと優輝がいないのが
 身にしみてきた。
 仕方なく、パソコンでCDを聴きながら、引越用の片付けをすることに。(ToT)
 
 夕方、実家に電話してお母さんとお話。
 その後、受話器をお腹にあててもらって、優輝とお話をしてみた。
 ちゃんと聞こえたかな? いつもと違う声の感じに戸惑っていたかもしれないなぁ。
 
 しかし、朝はパン、昼もパン、夜はピザの一日。
 これではマズイ。^^;
 
 

_

No.86

 2002/12/17(Tue)
 
実家の病院へ
 
 
お母さんと優輝は今日、実家・伊丹の市民病院に通院する手続きをしに行った。
 今まで通っていた病院よりも規模的には、ちょっと大きいかな。
 お母さんもこの病院で生まれたんだよ、優輝。
 お母さんは双子だったので、体重が2400グラムしかなかったけど、
 優輝は目標の2900グラムまで行けそうかな?
 
 先週で仕事をひとまず終わって休みに入ったはずのお母さんは、
 昨日もお昼から会社に行っていた。
 今日はお父さんが会社に行っている間に、ちょっとだけ家に片付けをしに来てたけど、
 今週いっぱいぐらいは、お昼から会社に手伝いや片付けをしに行くらしい。
 まぁ片づけが全部終わらなかったとは聞いていたけど、ちょっと心配だなぁ…
 責任感が強いところがお母さんの長所なんだけどね。^^;
 時期が時期だけに、あんまり無理しないでね。
 
 

_

No.87

 2002/12/20(Fri)
 
引越し休みに突入
 
 
21日〜23日の3連休だけでは、ちょっと引越し作業には厳しそうなので、
 20日と24日も会社を休むことにして5連休にした。
 これだけあれば、わりと余裕で作業できるんじゃないだろうか?
 5連休のスケジュールはこんな感じだ。
 
 20日(金)
  午前  新居にて電話工事とガス開栓の立会い
  午後  運転免許変更関係で、市役所→警察署→陸運局
 
 21日(土)
  荷造り  お母さんが一応、手伝いに来る
   手伝わなくていいと言ったんだけど、自分の分がほとんど手付かずだからって
 
 22日(日)
  午前〜  引越し本番
  夕方  風呂掃除(掃除しないことには、風呂に入れないし)
 
 23日(祝)
  午前〜  部屋掃除、荷物の整理
  午後〜  伊丹に行ってクリスマス・パーティ
 
 24日(火)
  午前  不動産屋に行って、旧居のカギを返却・諸手続き
  午後  TV・ラジカセ・電話、自転車などを購入しにあちこちへ
 
 う〜ん、我ながら完璧なスケジューリング。^^;
 まぁ、そんなにうまく行かないもんなんだろうけどね。
 
 で、今日はさっそく高槻の新居に朝から行ってきた。
 家周りの色々な整備を業者にお願いしていたが、その結果も初めて見ることになる。
 カーポート、門扉、リビングから庭に下りる所の踏み台、カーテン、カーテンレール、電灯、絨毯、
 フローリングのコーティング、エアコン…
 全部で170万円ほどかかったので、ちょっと高いなぁと思っていたのだが、その仕上がり具合を見て、
 ああ頼んで良かったなぁと思える出来栄えで良かった。
 早く、お母さんと優輝にも見せてあげたいなぁ。

 あちこちを確認していると、すぐに電話工事の業者がやってきた。
 電話も配管だけしか通ってないので、工事は結構な大仕事のよう。
 結局、9時〜10時半ぐらいまでかかった。
 フレッツISDNなので、TAもないとつかえないらしい。
 とりあえず電話だけは持ってきていたのだけど。
 まぁ、接続は問題なく完了しているということなので大丈夫だろう。
 
 続いて、ガスの業者が来るまで待っている間に、表札をつけることにした。
 番地の札を門柱に貼り付けたのだが、レンガが少しデコボコしているため、
 思ったようには、うまく貼り付けられなかった。(ToT)
 まぁ、こっちはそれほど重要でもないので、いいとするか。
 表札は重さも結構あるので、デコボコのある門柱では、ちょっとつけられそうにない。
 そこで当初の予定を変更して、玄関ドア脇の壁(タイル地)につけることにした。
 こっちは平らなので、なんとかうまく貼り付けることができた。
 
 貼り付けたと同時ぐらいにガス業者もやってきた。
 レンジ、湯沸器、床暖房、カワックと、使用器具が多いので、説明を聞くだけでも結構時間がかかったけど、
 分かりやすい説明で助かった。
 お風呂にも少し湯を張ったが、やはり汚れている。^^;
 22日には、やはり掃除をしなければ。
 床暖房は、本当にポカポカしていい感じ。
 リビングにコタツも置く予定なので、これは楽しみだ。
 
 お昼ご飯を食べてから今度は市役所へ。
 住民票をもらってから警察署へ行って免許の記載内容変更手続きと、新しい車庫証明をもらいに行った。
 警察署はちょっと独特の空気があって、息苦しい感じ。^^;
 でも窓口の人はみんな親切で、手続きもスムーズに進んだ。
 ただ、車庫証明はできるまでに1週間かかるということなので、陸運局へ行くのはまた今度ということに
 なった。そりゃそうだよなぁ。
 時間的にも陸運局は閉まる時間だったし、ちょうどいいか。
 
 余った時間で、枚方市役所に行って、水道料金の精算を済ませてきた。
 最悪、電話でも手続きできるんだけどね。
 ふ〜、今日も色々と大変だった。
 でも、どこに行っても、駐車がスムーズにできるようになってきたのは嬉しいね。
 やっぱり数をこなすと上達するもんなんだなぁ。
 
 昨日はちょっと電話できなかったけど、実家に帰ってからは、こちらの毎日を報告するのが
 日課になってきている。
 今日1日のことを報告するために、夜になってからお母さんに電話したがどうも様子がおかしい。
 かなり、ひどい風邪をひいたみたいで、しんどくて腰も痛いらしい。
 実家とはいえ環境が変わったことや、仕事を休むことで気が抜けた影響なのかな。
 せきが出ているので、お腹に響かないようにしているというが、それも大変みたいだ。
 会社には今日も行くつもりだったらしいが、さすがに休んだという。
 
 病院(産婦人科)に行って看てもらい、赤ちゃんに影響のないような風邪薬をとりあえずは、もらってきたと
 いうこと。
 あと1ヶ月近くあるし、優輝にうつらなければいいけど。
 お母さんもそれが一番、心配みたい。
 
 明日は荷造りをしに来ると言っていたが、もちろん来なくていいと言っておいた。
 時間がなかったり、分からないものがあってもも適当に詰め込めばなんとかなるだろう。
 荷造りなんかより、お母さんと優輝の体の方がずっと大切だもんね。
 あんまり、しんどそうなので、今日の報告もほどほどにしておいた。
 
 ちょっと心配だなぁ…
 
 

_

No.88

 2002/12/21(Sat)
 
持つべきものは母親
 
 
さあ今日は一人だけど荷造り頑張るぞー!と気合を入れたところで、忘れ物に気付いた。
 今日、ブックオフが引き取りに来てくれる本やCDを詰め込んだ箱に、
 身分証明書のコピーを入れるのを忘れていたのだ。
 スキャナとプリンタでも作れるけど、どちらも梱包済みだ。^^;
 仕方なく、コンビニに行ってコピーを取り、ついでにお昼と晩に食べる弁当も買った。
 (当初はお母さんが来る予定だったので、何か買ってきてもらう予定だったのだ)
 
 買物から帰ってきて、念のために伊丹に電話した。
 間違っても荷造りの手伝いをしに来ないように釘をさすために。
 体調はやはり良くないらしい。
 腰が痛くてあんまり眠れなかったと言うし。
 大丈夫かなぁ……
 
 午前中の早いうちに引越し業者のウォシュレットの事前はずしと、
 ブックオフ(宅配便)の訪問を受けたので、いよいよ残るのは荷造りだけになった。
 とりあえず自分の領域はサクサクと進む。なかなか快調なペース。
 そこに、うちの母親から「手伝わなくていいのか?」という電話が入った。
 一人で荷造りしている状況を説明して、でもまぁ大丈夫だろうと答えておいた。
 うちの母親も妻の体調が心配みたいだけど、どっちにしても手伝わない方がいいと思うと言われた。
 俺も元々そう思っていたけどね。
 最悪、間に合いそうになかったら電話するわということにして荷造り作業を継続。
 
 昼過ぎからは、いよいよお母さんの領域に突入。
 わ、分からん…… ^^;
 見たこともないものがいっぱい出てくるし、適当に詰めるしかないのだけど、
 この調子では、食器や調理具、風呂関係、衣服が残っているのでヤバイ。
 前言撤回して早速、母親に電話を入れて車で迎えに行った。
 こういう時、実家が近いのは楽だ。
 
 3時からになったが、母親に台所関係を完全に任せて、お願いした。
 やはりこういうところは女性にしか分からないところが多い。
 さすがに母親は手馴れた感じで、どんどん梱包していく。
 5時半にはほとんど片付き、あとは布団を布団袋に詰め込んだり、整理ダンスの中味を梱包するぐらいに
 なった。
 残り2〜3時間ぐらいかな?
 
 なんとか目処がついたので、実家に帰って晩御飯を食べさせてもらい、風呂にも入らせてもらった。
 おかげで風呂用具も先に梱包できたし良かった。
 持つべきものは母親だなぁと改めて実感。感謝。
 
 うちの母親から妻へクリスマスプレゼントがあるので、実家に持っていってと言われた。
 メッセージカードがついていたので、何か書いてあげなさいと言われたが、
 母親からのプレゼントなんだから、母親が書いてあげてよと言った。
 クリスマスカードなんて書くの初めてやなぁと言いながら、母親が書いてくれたメッセージは、
 「もうすぐですね。頑張りすぎないように頑張ってね」という言葉だった。
 
 9時半に家に戻ってから、伊丹に電話したが誰も出ない。
 伊丹の父と母はいつも早くに寝ているし、妻も体調悪いから、みんなもう寝たのかな。
 あんまりベルを鳴らすと悪いので、受話器を置いた。
 大丈夫かな、お母さんと優輝は。
 
 気を取り直して、整理ダンスの中味を梱包してしまった。
 これで残りは1〜2時間分ぐらいだ。
 引越業者が来るのは朝8時半なので、早起きしてやれば間に合うだろう。
 今日は疲れたし、早めに寝ておこうと思い、11時に寝た。
 カーテンが外されて夜景が見える家で一人寝るのはちょっと淋しかった。
 
 

_

No.89

 2002/12/22(Sun)
 
我が家のはじまり、そして家族のはじまり
 
 
この日のことはきっと一生忘れられない思い出になるだろう。
 この日のはじまりは、思っていたよりずっと早くに訪れた。
 
 昨日、目覚し時計も梱包してしまっていたので、腕時計だけを枕元に置いて寝ていた。
 6時に起きる予定にしていたので、疲れていても7時間寝れば、多分、起きれるだろうと思っていたのだ。
 
 夜、一度目を覚ました時に時計を見ると3時前。
 あと3時間寝れるなぁ…と思い、再び眠りに。
 どれぐらい経ったのか、遠くで電話の鳴る音。
 (しまった…! 寝過ごした! 引越し屋からの電話だ!)と思い、
 眠い頭を振りつつ受話器を取ると、伊丹の父からだった。
 (昨日、妻が手伝いに来れなかったから、心配してくれたのか…)と思いながら
 「おはようございます」と言ったのだが、父は「こんな時間にあれなんだけど…」と切り出した。
 
 時間はまだ夜2時。外は真っ暗だ。
 さっき3時前だと思ったのは、どうやら12時半ぐらいを見まちがえたらしい。
 (実際にこう思えたは、父との電話が終わった後のことだったけど)
 
 父の話では1時過ぎごろに、どうも破水したみたいで、今は病院に来ているという内容だった。
 ええっ!? 眠い頭もいっぺんに覚めてしまった。
 まだ予定日まで20日もあるし、先週まで仕事に行ってたのだから。
 確かに10ヶ月目に入っているけど、まさかという感じでビックリしてしまった。
 
 どうも風邪をひいて、せきをしていたのが響いたんじゃないか?という話だが詳しいことは分からない。
 今は母が付き添って、診察を受けているところだと言う。
 そのまま生まれるのか、しばらく日にちがかかるのかも分からない。
 父はとりあえずもう一度、家に戻って必要そうなものを準備するとのこと。
 5時ぐらいにもう一度電話してくれると言う。
 
 俺は、とにかく様子を見るしかない。
 何もない日であれば、車を飛ばしてかけつけるのだが、今日は引越しだ。
 どうすればいいのか?
 
 午後、新居に荷物を搬入する時には立ち会わざるを得ないが、旧居からの搬出ならうちの母親の
 立会いでもなんとかなるかもしれない。もしかしたら、午前中に切迫した状態になるかもしれないので、
 とにかく残っている片付けを済ませてしまおう。
 急遽、残りの作業をすることにした。
 作業をしながら、自然と声が出ていた。
 「優輝もお母さんも頑張れ。お父さんも頑張るからな」
 
 自分が寝る布団だけを残して、残りの荷物は全て片付いた。
 時間は4時。
 これで、母親の立会いでも、なんとかなるだろう。
 5時に電話があるかもしれないが、このまま睡眠不足で車を運転するのも危ない。
 電話を枕元に置いて、とにかく寝ることにした。
 けど、気持ちが高ぶっているからか、なかなか寝付けない。
 おそらく1時間ぐらいは、寝れなかったような気がする。
 それでも、眠りに落ちてしばらくすると、電話が鳴った。
 今度は、かかってくるつもりになっていたので、すぐに起きることができた。
 時間を確認すると6時。
 
 電話を取ると今度は、伊丹の母からだった。
 第一声はあっけなかった。
 「産まれた」
 はぁ!?
 結局、診察している間に陣痛がはじまって、そのまま分娩室に入ったのだという。
 それが3時ごろで、産まれたのが5時33分。
 初産は15時間以上かかるのが一般的なのに、なんという早さなのか。
 今までに、出産に立ち会うかどうかを、2人で詳しく相談したこともなかったし、
 今日どうするかを悩む時間もなく、あっけなく産まれたという報告が。
 
 体重は2444グラムしかなく、血圧・血糖値がかなり低いので、すぐに集中治療室に連れて行かれたらしい。
 お母さんは抱くことが出来たのかな…
 伊丹の母は、「泣いてなかったけど、目は開いていたみたいだったよ」と言った。
 「お父さんにそっくりやわ」とも言われた。
 小さくて確かに心配だけど、妻も産まれた時は2400しかなかったという話を あらためて母から聞かされて、
 大丈夫と言われると少し安心した。
 
 それにしても、引越しの日の朝に産まれるなんてね。
 優輝は分かっていたのかな?
 新しい家に移ったのがいつからか、絶対に忘れられなくなったぞ。
 
 どうなるのかヤキモキしながら引越しするよりは、産まれてしまった方が気持ちは楽になるか。
 後のことは伊丹の父と母に任せて、とりあえずは引越しに専念するしかない。
 うちの母には後で電話しておきますということにして、高槻に荷物を入れたらすぐに病院に行きますと
 言っておいた。
 
 電話を置いて、少し放心状態のような感じに。
 そうか、優輝、産まれたのか… 優輝もお母さんも大丈夫だろうか…
 
 パンを少し食べ、自分の布団袋を詰め終わると7時前になっていた。
 ちょっと早いけど、うちの母親に電話した。
 話をすると母親も驚いていた。そりゃそうだろう。
 「とにかく、おめでとう」
 母親もすごく嬉しかったんだと思う。結婚して6年。
 先に弟夫婦に子供が出来ていたからなおさら心配だったみたいだし。
 病院にいくかどうかは、また伊丹の方と相談しておくからと言うので任せることにした。
 
 鏡に向かってヒゲを剃っていると、なぜか急に目頭が熱くなってきた。
 顔がくしゃくしゃに歪んでいく。
 連絡が全部終わってホッとしたからなのか、それとも鏡の自分を見て、父親になるんだなぁ…と
 思ったからなのか、どっちか分からないけど。
 
 よし! 引越し頑張って、駆けつけるからな。
 
 引越し業者は、ほぼ時間どおり、8時半にやってきた。
 人数は3人だけど、家の前の道が狭いため、車が通ろうとするたびに、4トントラックを移動しなければならず、
 最初のうちは、なかなか作業が進まなかった。
 途中で、駐車場所を換えてからはスムーズに。
 しかしながら、夫婦だけだったとは言え、3LDKに置いてある荷物や家具の量は少ないものではない。
 なんだかんだと全ての片づけが終わったのは昼12時だった。
 舞い散るホコリの中、業者の質問に答えたり、手伝ったりしながら過ぎていった。
 後から思えば、母親の立会いでは無理だったと思う。
 結構、大変だった。
 
 新居の方は1時半から作業を開始すると言う。
 普通に移動して1時間。
 旧居の簡単な掃除をしていくので、こっちはギリギリだが仕方がない。
 
 6年も住んでいた場所なので、感慨が湧きながら掃除するのかなぁ…なんて思っていたのだけど、
 そんな余裕もなかった。
 大急ぎで掃除機をかけて、昼食も抜きで新居へ向かって車を走らせた。
 到着したのはちょうど1時半。ほんと、ギリギリだった。
 
 搬入は業者の地元支社の人も応援に来て、10人ぐらいでの作業だったので搬出よりは早かった。
 しかし俺の方は、搬出よりも大変だった。
 玄関につながる廊下の端に居て、次々入ってくる業者の人が運ぶ荷物を見て、それはあっち、それは
 こっちと、置き場所を指示し、時には部屋の方から呼ばれて、さらに細かい指示を行わなければならない。
 2時間弱、走り回って、なんとか荷物を入れることができた。
 引越し業者も丁寧にやってくれたし、よく頑張ってくれたと思う。
 
 予定ではこれから風呂掃除をするつもりだったが、もちろんそんな暇はない。
 とりあえず電話だけつなげて、両方の実家に電話をした。
 伊丹の実家はおばあちゃんが出た。
 父と母は今、病院に行っているところだという。
 おばあちゃんにもお祝いの言葉をもらった。ありがとう。
 おばあちゃんにとっては、初ひ孫だね。
 
 うちの実家に電話すると、母親は今日のところは病院には行かないということに。
 新生児との面会は、新生児の父母のどちらかと同伴じゃないと出来ないということで、
 今から俺が母親を迎えに行くと病院に行くのが遅くなるからだ。
 つまり、朝産まれた時点で、伊丹の母が見たあとは、まだ誰も優輝を見ていないのだ。
 優輝もきっと寂しくて不安だろう。
 
 睡眠時間も短いし、あまり食べていないし、疲れている。
 急ぎたいけど、慎重に運転をするように気をつけて、4時過ぎに家を出た。
 朝6時にパンを食べてから後、何も食べていない。
 時々、食事をする近くのイタリア料理の店で、持ち帰りのパンを売っていたのを思い出し、それを買って
 車の中で食べた。 美味しかった。
 
 病院に到着したのは6時前。
 時間外来訪の入口を抜けて病室へ向かう。
 病室に入ると、伊丹の父と母が居てくれた。
 妻はベッドに横になった状態で、晩御飯を食べているところだった。
 点滴を受けてるし、あごには大きなマスクもかかっていた。
 思っていた以上に、憔悴した感じで、疲れた表情をしていた。
 ご飯もほとんど、のどを通っていないようだ。
 
 立会いも出来なかったし、駆けつけるのも遅くなってしまった。
 こっちが謝る前に先に謝られてしまった。
 引越しの手伝いが出来なかったこと、大変な時に産んでしまったことを申し訳なく思ったみたいだけど、
 そんなことは気にしなくてもいいんだよ。
 しんどいのに、よく頑張ったよね。
 聞きたいことはいっぱいあるし、話したいこともいっぱいあるんだけど、喉が痛くてしゃべるのも、
 大変なようなので、近くで静かに話をした。
 
 産まれたときに、ちょっとだけ優輝を抱かせてもらったというのを聞いてホッとした。
 伊丹の母は泣いてなかったみたいと言っていたが、産まれてすぐに元気に泣いていたということなので、
 それもホッとした。
 
 お母さんと話がもっとしたいけど、優輝との面会時間が6時までしかできないらしいと
 伊丹の父母から聞かされたので、先に集中治療室に行くことにした。
 実際には6時まで面会できるのは、普通の新生児で、集中治療室の場合は、火、木、金のお昼過ぎ
 1時間程度しか面会できないと分かったのは後のこと。
 今日は初めてということで特別だったのだ。
 
 面会するための説明を聞き、面会簿に名前を書く。
 赤ちゃんの名前が決まってなければBabyと書いてくださいと言われたけど、しっかりと「優輝」と書いた。
 その瞬間、また目頭が熱くなってきてしまった。
 
 優輝の状態についても説明を受けた。
 血糖値が低いのでブドウ糖の点滴を受けていること。
 集中治療は7日ほど続ける予定ということ。
 お母さんが風邪が感染していないかも調べているので、もし感染していた場合は、抗生剤を投与しなければ
 ならないこと。
 
 面会する場所に行くと、ガラス越しに、小さな透明のケースに入れられた1人の赤ちゃんがいた。
 なぜなんだろう、一目見て自分の子供だと分かった。
 確かに似ている。でも自分だけじゃなくて、やっぱり2人に似ている気がした。
 よく、産まれたばかりの赤ちゃんは、おさるさんみたいと聞いていたけど、そんなこともなかった。
 髪の毛も結構、たくさん生えていた。
 左手と左足につながれた点滴のチューブがちょっと可愛そうだったけど、元気になるためだもんね。
 
 ガラス越しの面会だけだと思っていたら、お父さんだけは中に入って、
 直接触れますということなので、入らせてもらった。
 手は2重に消毒しなければならなかった。
 昨日、今日の引越し作業で手は傷だらけだったので、すごくしみた。
 
 保育器のケースには手を入れる穴が2ヶ所ある。
 看護婦さんが「いっぱい触ってあげてください」と言ってくれたので、手を入れて触ってみた。
 頭、まぶた、耳、口、腕、足、お腹… 小さいなぁ。
 こんなに小さな体で頑張って産まれてきたんだと思うと感動した。
 しばらく触っていると、ガラス越しに見ていた伊丹の父母が気を使ってくれたのか、
 いつの間にかいなくなっていた。
 優輝の顔がガラス側を向いていたので、看護婦さんがこちらに向けてくれた。
 
 「優輝、お父さんだぞ、分かるかな? 遅れてごめんな。」
 「よく頑張ったな、お母さんも頑張ってるから、優輝も早く元気になろうな」
 声に出して色々、話しかけた。可愛かった。
 
 手も足もよく動かしているし、あくびを何回もしていた。
 指には爪も綺麗に生えていた。
 その手のひらに、お父さんの指を当ててみると、軽く握り返してきた。
 
 胸のちょっと上のあたりを、軽くさすると、本当に赤ちゃんらしい声で、「あー、あー」と声を出したのが
 嬉しかった。
 赤ちゃんて本当にこんな声出すんだ。なんて澄んだ声なんだろう。
 天使みたいと言われるのも分かるような気がした。
 
 目を開けてくれなかったのが残念だったけど、思ったよりも元気そうで安心した。
 鼻水が出てきたのですすっていると看護婦さんが「大丈夫ですか?」と聞いてくれた。
 だけど止まらないんだから仕方ないよね。
 
 いつまで側に居ても飽きないけれど、お母さんも心配なので病室に戻って、
 優輝の様子を教えてあげた。
 まだ自分で歩けないお母さんには悪いけど、今はお父さんが見た状態を、教えてあげるしか
 安心させることもできないしね。
 頑張ったお母さんに早く抱かせてあげたいね。
 
 産まれるまでの話を聞くと、昨夜は腰が痛くて全然眠れなかったので、壁を背にして、しばらく
 座っていたのだが、その後トイレにいったら、破水したらしい。
 それから、少しずつお腹が張っていくような感じで痛くなってきて、3時ごろには、間隔がないぐらいに、
 痛みが連続したんだという。
 分娩室に入って3時間ほどだったが、風邪でせきをしていて呼吸が苦しいことや熱があることもあって、
 かかった時間以上にしんどかったらしい。
 あんなに痛いとは思わなかったけど、でもスルっと出てきてくれたんだよと言って、ニコっとしてくれたのが
 救いだった。
 イキミが足りなかったのか、自力だけでは大変だったので、お尻を少し切られたので、今はせきをすると、
 そっちの方が痛いんだと言う。
 
 産まれそうな兆候があったのか聞くと、別に兆候があったわけではないけれど、木曜日に、
 どうもひどい風邪を引いたみたいだと分かってからは、
 「もう10ヶ月だから、風邪がうつる前に、産まれてきてもいいんだよ。」
 「優輝くんが幸せになれると思うときに産まれてきてね」とずっと話しかけたんだって。
 ちゃんと優輝は、お母さんの言うことが分かっていたんだね。
 産まれる日が新しい我が家のはじまりだってことも、きっと分かっていたんだね。
 新しい家族の出発の日。忘れないよ、お父さんもお母さんも。
 
 引越しも、とりあえず無事に終わったことを伝えておいた。
 何も心配しなくていいからね。
 お父さんはまだまだ大変だけど、お母さんに比べれば全然大丈夫。
 
 7時ごろに妹夫婦も駆けつけてくれた。
 お母さんも、ちょっと落ち着いたのか、優しい表情が出てきたので良かった。
 父母と妹夫婦が帰った後、面会時間が終わる8時まで、お母さんの手を握っていた。
 
 面会時間の終了が告げられ帰る時に、ふと思い出してお母さんに言った。
 「お母さんにプロポーズしたのは、いつだったかな?」
 あっ…という表情のお母さん。
 「すごいね。」と言ってから部屋を後にした。
 ゆっくりと手を振っているお母さんが、とても愛しかった。
 プロポーズしたのは、7年前の12月23日。
 今日でちょうど丸7年だったね。
 
 新居に帰っても、風呂にも入れないし布団も敷けないので、実家に帰った。
 母親に今日のことを報告してから次の日の昼まで眠った。
 
 2002年12月22日 5時33分 長男・優輝が産まれた。
 大切な大切な宝物。優しく輝きますように…
 
 

_

No.90

 2002/12/23(Mon)
 
我が家での生活への道は遠い^^;
 
 
昼まで寝ていたので、今日できることは限られている。
 うちの母親を病院に連れて行くのは、面会ができる明日にしておいて、
 今日のところは新居の掃除をすることにした。
 引越しする前に、家具の天井とかも拭いていたのだが、それでもホコリやゴミは出てしまうものだ。
 新居の床はどこもかしこも、ちょっと歩くと靴下が汚れるぐらいに、足の踏み場がない。
 
 まずは掃除機をかけることにした。
 せっかくの新居なので、あちこちぶつけたり、ひきずったりしないように気をつけて。
 しかし、これだけ部屋数があると掃除も大変だ。
 家具の再配置もあったりして、とりあえず一区切りしたのが5時半ごろ。
 結局、今日のところは風呂掃除までたどり着かなかった。
 でも、これで床の部分はピカピカになったので、気分は良くなった。
 
 病院に行こうかと思ったのだが、8時までに着けない可能性が高いので、今日はやめておくことにした。
 病院でちゃんと看てもらっているし父母もいるから、きっと大丈夫だろう。
 
 実家に帰って晩御飯を食べている時に、母親が話してきた。
 ネスレの点数シールを集めると、赤ちゃんの名前プレートのついた、赤ちゃんと同じ体重のテディベアが
 もらえるというのがあって、ちょうど点数が集まったところだと。
 弟夫婦の時は3600グラムあったけど、優輝は2444しかなくて損やから、もうちょっと多めに体重を
 書いておこうか?と言う。
 そんなことしたら記念にならないので、2444グラムにしておいてと頼んだ。
 優輝が産まれた時は、こんなに小さかったんだぞって、教えてあげられるしね。
 
 優輝もお母さんも元気かなぁ…
 明日行くから待っててな。
 
 

_

No.91

 2002/12/24(Tue)
 
お母さん、重症かなぁ…
 
 
朝9時半に不動産屋に行って、旧居のカギを返して手続きをしてきた。
 6年も住んでいたから、痛んでいる部分もあるけど、こまめに掃除もしてたし、
 どうかな?と思っていたのだが、チェックしてもらった結果、敷金は全額戻ってくるということになったので
 良かった。これから色々、要りようだしね。
 
 その後、病院へ向かったが、渋滞が続いていたので2時間以上かかってしまった。
 母親も疲れたんじゃないかな?
 病室に行くと、妻はベッドに座ってお昼ご飯を食べていた。
 昨日から座れるようになったらしいけど、まだ歩くことができない。
 一昔前は病院食はマズイと言われていたが、味は美味しいそうだ。
 けど、食欲はなかなか湧いてこないという。でも、早く治すためにと頑張って食べていた。
 
 昨日は熱が下がりかけていたけど、今日はまた38.5度もあってしんどいと言う。
 先生の話ではインフルエンザの可能性もあるので調べていますとのこと。
 大丈夫かなぁ…
 点滴も1本増えていたせいもあって、手がむくんできたので指輪が入らない。
 お父さんあずかっておいてと言われたので、薬指に2個並べてはめることにした。
 
 少し話をしてから伊丹の父母と一緒に、4人で優輝との面会に行った。
 前回と同じように、お父さんだけが直接触れることができる。
 うつぶせの状態で心電図のコードとかを背中に張られていたが、面会ということであお向けに変えてくれた。
 2日前より髪の毛が増えたような気がしたが、看護婦さんが言うには、2日前はお母さんの羊水で
 ベッタリしていたから、そう感じるらしい。
 点滴の管は今度は、右手と右足に変わっていた。
 
 優輝はとても元気で、2日前よりもよく動いていた。
 手や足をあちこちに動かしてた。
 時々、両手を口の前に持っていく仕草がとっても可愛い。^o^
 あくびも何度もしていたが、くしゃみも1回した。
 あくびするのかと思ったら、急にクシュンッ!と。
 
 看護婦さんによると、血糖値も上がってきているし順調ですよとのこと。
 今日はミルクのおかわりが欲しいと泣いていたぐらいだというので安心した。
 
 ガラス越しに見ていたうちの母親は、顔をクシャクシャにして泣いていた。
 あとから聞いたけど、保育器に入っている赤ちゃんを見るのは初めてだったし、
 それが健気に手足を一生懸命動かしているのを見ていたら泣けてきたらしい。
 
 こっちは軽く指先で触れているだけなのだが、ガラス越しに見ると、力を入れているように見えるらしく、
 押さえたらダメというような仕草をしている。(声は全く聞こえない)
 「おばあちゃんがなんか言ってるわ。うるさいなぁ」って優輝に話しておいた。
 お母さんも早く来てくれるといいなぁとも言っておいた。
 本当に早く触らせてあげたいなぁ。
 優輝に2つの指輪を見せて、お母さんも頑張っているよと教えてあげた。
 
 病室に戻ってからお母さんに聞いてみた。
 「誕生日を2倍すると、体重になるの気付いてた?」
 「うん、気付いてたよ。体重はかる直前におしっこしてたから、きっと調節したんだよ」
 本当にそうだったらすごいね。
 
 2時半頃、病院をあとにして、新居に向かった。
 母親にも手伝ってもらって、あちこちの掃除をした。
 やっぱりこういう時は助かる。ほんと。
 風呂掃除、床拭き、家具拭きぐらいを済ませて、いったん実家で晩御飯を食べた。
 梱包を解くのは、まだまだかかるけど、焦っても仕方がないしね。
 
 晩御飯を食べた後、新居に戻った。
 まだ、うち以外で完成している家は3軒。
 入居しているのはうちだけだから、町は灯りも少なくて、結構寂しい。
 
 布団を出したり、洗濯をしたりしてから、風呂に入った。
 足を完全に伸ばせるぐらい、ゆったりしたお風呂でいい感じ。
 お母さんと優輝も早く入れるといいね。
 
 

_

No.92

 2002/12/25(Wed)
 
クリスマスだったね
 
 
新居から初の通勤。時間がよく分からないので、いつもより早く家を出た。
 近い、便利だ。始業1時間前に着いてしまった。^o^
 
 まずはインターネットで自分のページやメールボックスをチェックした。
 なぜか、まだ家からは接続が出来ず、ホームページでの出産報告もできない状態。
 早く、みんなにも報告したいのになぁ…
 その後、仕事のたまり具合を確認。 良かった、思ったよりたまっていない。
 朝一番で、課長に金曜日(今年の最終勤務日)また休ませて下さいと言った。
 えっ?またか?と聞かれたので、事情を説明したら驚いていたがOKをもらえた。
 
 部の人に直接、話したことはなかったけど、赤ちゃんができているということは、
 半分ぐらいの人が知っていた。噂が伝わるのは早いね。
 色んな人にお祝いの言葉をもらったので嬉しかったが、まだまだ喜んでいるだけで
 いられないのが辛いところ。
 
 頼まれていたので、お母さんの会社にも電話して産まれたことを伝えた。
 こちらはもっと驚いていた。なにせ先週の木曜日まで会社に来てたんだから。
 母子の体調を聞かれたので、心配しない程度に説明しておいた。
 見舞に来てもらっても、今は困るだけだしね。
 
 夕方、外出する用事があったので、それを早めに済ませてから帰宅した。
 昨日のお母さんの体調の悪さがやはり気になる。
 渋滞にはまると間に合わない時間だが、ダメ元で病院に向かうことに。
 6時前に出発して、少し渋滞に引っかかったが、7時45分に到着できた。
 残り15分だけど間にあって良かった。
 
 「調子どう?」と聞くと、「肺炎だって」という返事。
 インフルエンザはマイナス反応だったので良かったのだが、風邪をこじらせて肺炎までいっているとは
 思ってなかったなぁ。
 先週の水曜日に会社に行った時に、雨に濡れたままで、冷えてしまった時があったので、
 多分その時が原因だと思うという話。
 
 そうなると、優輝を抱けるのもまだまだ先になるのか…と思っていると、
 今日は優輝に会うことが出来たと言う。
 もちろんガラス越しなのだが、あちこちに検査で連れて行かれる途中で会わせてくれたという。
 「優輝くん、一重まぶただったから、きっとお父さん似だよ」
 「そうかな。でもどっちにも似てたと思うよ」
 これだけ頑張ったお母さんにも似ていて欲しいもんね。
 それにしても、ガラス越しでも会わせてもらって良かったね。
 
 用意していた年賀状には優輝の名前が入ってない。
 追加で貼るシールを用意したので、お母さんにも見てもらった。
 少しでも元気だしてもらえるといいんだけどなぁ。
 ちょっとしか話できなかったけど、やっぱり来て良かった。
 無理せずに頑張ってね、お母さん。
 
 家に帰っても食べるものがないので、いつも行くイタリア料理のお店に行った。
 店の真ん中あたりの席に案内されたが、なんかいつもと雰囲気が違う。
 周りを見てみると、熱々のカップルや、仲良さそうな家族連れでいっぱい。
 店員さんはトナカイの帽子をかぶっている。
 (そうか…今日はクリスマスだった。)
 
 端っこの席で良かったのに、真ん中にいると余計に寂しくなってきちゃったよ。
 言い忘れてしまったけど、メリークリスマス。
 来年のクリスマスは3人で暖かく迎えようね。
 
 

_

No.93

 2002/12/26(Thu)
 
熱が下がった
 
 
明日は休みを取らせてもらったので、今日が仕事納め。
 仕事が終わって帰宅してすぐに、伊丹の実家に電話した。
 昨日まで38度以上あった熱が今日は37度ぐらいに下がったので、お母さんもだいぶ楽だったらしい。
 まだ、せきは残っているけど、このまま快方に向かって欲しいなぁ。
 優輝には特に変わったことはなかったみたいで、こちらも一安心。
 
 インターネットもようやく繋がった。
 さっそく、激動の1週間の日記を載せることにしようかな。
 
 

_

No.94

 2002/12/27(Fri)
 
初めての抱っこ
 
 
午前中、高槻警察署と寝屋川の陸運局をまわって、車の登録関係を全部済ませた。
 これも結構、面倒なもの。
 それにしても、陸運局はおっさんばっかりでむさ苦しかった。^^;
 
 その後、病院へ直行。到着したのは12時半。
 お母さんはちょうど、お昼ご飯を食べているところだった。
 具合を聞いてみると、熱は下がったとはいえ、まだ37.7度あるという。
 精密検査の結果も、一般の肺炎の人が示す数値よりも悪い部分があるみたいということ。
 う〜ん、まだまだ心配は続くなぁ。
 それでも、早く元気になるために、お母さんは頑張ってご飯を食べていた。
 
 会社でもらった動物の可愛いカレンダーを持っていって見せてあげた。
 退院したら、優輝と一緒にしばらくは実家で見ることになるのかな。
 なんでもいいから、ちょっとでも元気付けてあげたいなぁ…
 
 看護婦さんが撮ってくれた写真を使って、バースデーカードを作ってくれていた。
 薄く目を開けて、ちょっとおちょぼ口のすまし顔。
 まだ、お父さんには目を開けたところ見せてくれてないのにね。
 お母さんの言っていた通り、まぶたは一重のようだ。
 自分の小さいころの写真にそっくりだ。やっぱりお父さん似なのかな?
 でもお母さんに似たほうが美男子になるのにね。
 
 1時半になったので、伊丹の母と妹と一緒に、優輝との面会へと向かう。
 今日も、いっぱい触って話しかけてあげなくちゃ…と思って部屋に入ると、いつもと違う場所へ案内される。
 そこには、普通のベッドに寝かされて、何もチューブがつけられていない優輝がいた。
 
 「わあ、もう保育器出たんですね」
 「昨日、出ましたよ。 お父さん、抱っこしますか?」
 まさか、今日抱っこできるとは思っていなかったので、嬉しさもひとしお。
 けど、どうやってベッドから抱き上げるのか、迷っていると看護婦さんが抱き上げてくれた。
 頭の後ろに片手を回して支えながら、もう片方の手を背中に回すようにして抱っこした。
 頭は支えないと本当にプランプランの状態。
 保温のために、他の赤ちゃんよりも1枚多く巻かれたタオル越しに伝わってくる体温が温かかった。
 思ったよりもずっと重い感じ。
 今はおねむの時間のようで、今までに比べるとおとなしくしている。
 やっぱり目を開けてくれない。^^;
 それでも、時々、右眉のあたりをヒクヒクさせてみたり、口元だけニンマリしてみたりして可愛い。
 手を触ると、やわらかく握り返してくる。
 こんなに可愛いものだとは思わなかったなぁ… 早くお母さんにも抱っこさせてあげたいな。
 
 看護婦さんの話によると、昨日はお風呂も初めて入ったという。
 最初はちょっと暴れていたけれど、お湯につかると気持ち良さそう〜にしていたらしい。
 お風呂好きみたいですよと言われた。
 いつも、お母さんが「お風呂は気持ちいいんだよ」と聞かせていたしね。
 ミルクを飲む量も順調に増えているそうで、大変元気ですと言われた。
 どうやら、お母さんの風邪がうつった様子もないようなので安心した。
 
 病室に戻ってお母さんにも優輝のことを話してあげた。
 面会に行っている間に検査に行っていたお母さんの容態は、少し回復していたらしい。
 頑張れ、お母さん。
 
 明日から病院は正月休みに入る。
 誰もいなくなるわけじゃないけど、1月5日までは常時、普段の時間外のような扱いになるとのこと。
 先生や婦長さんの話だと、優輝はもう退院しても大丈夫な状態だというが、
 お母さんの方は、産婦人科としてではなく、内科としての治療がもう少し必要ということ。
 赤ちゃんだけ、先に退院しますか?と聞かれたが、現段階では俺一人で高槻で育てるのはちょっと危ない。
 何せ、自分自身がまだまともに生活できる状態にもなっていないのだから。
 車で移動するにしても、まだ小さ過ぎて、チャイルドシートも使えないし。
 伊丹の父母に任せるのも、やはり大変だし気が引ける。
 何よりも大切なのは、やっぱりお母さんの力。
 お母さんが育てられない状況のうちは、当面病院側で見てもらった方が安心と思える。
 お母さんも抱っこできないにしても、すぐ近くに優輝がいる方が、精神的にもいいだろうし。
 
 お母さんの容態が回復するには、1月6日まではかからないかもしれないけど、
 病院が休みのため、どちらにしても退院は早くても1月6日にしかできないらしい。
 お父さんも、病院に行っても、優輝を抱っこするような面会はできなくて、ガラス越しになるらしい。
 でも、まだお母さんが抱っこしてないので、もし病状が回復して抱っこできそうになったら、
 特別に抱けるように検討しておきますと言われた。
 
 優輝もしばらくは寂しい状態が続いちゃうね。
 もうちょっとだけ我慢しようね。
 その後は、お父さんもお母さんもいっぱい、いっぱい優輝のこと、愛してあげるからね。
 
 

_

No.95

 2002/12/28(Sat)
 
色々な届け物来たる
 
 
病院が休みの間の面会時間は、お母さんに会えるのは3〜8時。
 優輝にガラス越しで会えるのが3〜4時と、4時半〜6時。
 ということなので、午前中は必然的に引越の後片付けをすることになる。
 それに今日は、注文していた家具類が届けられる日なので、それが終わってから病院に行くしかない。
 家具屋さんは2〜4時の間に来るということになっている。
 
 片付けをしていると、小包の配達が来た。新居に移って初めての小包だ。
 宛先は妻宛の、出産祝いと思われるものだった。
 誰からか知らないけど、これは喜ぶぞ。
 そして、家具屋さんは2時前にやってきた。
 持って来た家具はTV台、収納棚、そして優輝の肌着とかを入れる整理タンスだ。
 そんなに高いものじゃなくても、やっぱり新しい家具っていいもんだね。
 
 家具を受け取ったので、次に市役所へ向かった。
 出生届を出すためだ。
 出産から2週間以内に届けなければならない。本来なら2人そろって、あるいは優輝も入れて3人で
 行きたかったのだけど、退院するころには2週間になってしまうので、やむなく一人で行くことに。
 市役所も休みということで、最終的な確認は結局、1月6日になるということなのだが、これで一応、
 優輝の戸籍登録もされるわけだ。
 
 病院につくと、お母さんの調子も少し良くなっているみたいだった。
 熱は37度、まあまあかな。
 ガラス越しの面会だけでも、本当は行きたいはずなのに、やめておくと言う。
 やはり、見た目以上にまだまだしんどいみたいだ。
 伊丹の父と一緒に面会するところに行くと、ガラス越しの優輝は時々、目を開けてくれた。
 手も足も元気良く動かしている。足は垂直の位置まで上がるし、頭も自分で左右に動かしている。
 優輝のほうは、もう大丈夫みたいだ。良かった良かった。
 
 お母さんを元気付けるために、届いた小包を見せてあげた。
 差出人は会社の同僚の女性5名の連名だった。
 小包を開けてみると、中から熊の絵のついた小さな箱が出てきた。
 さらに箱を開けると、中味は小さな靴と靴下だった。
 青色の靴は、靴の裏にも熊の柄が入った、とっても可愛いもので、お母さんも大喜び。
 サイズは13センチあるので、優輝が履くのはまだもう少し先かな。
 
 伊丹の実家にも今日、大きな荷物が1つ届いたそうだ。
 どんな荷物か説明を聞いて、それがベビーカーだということが分かった。
 1月以後になると思ってたけど、12月中に届いたね。ちょうど良かったなぁ。
 車のチャイルドシートもそろそろ、開封しておかないといけないね。
 
 

_

No.96

 2002/12/29(Sun)
 
キョロキョロ探してるのは…?
 
 
今日の午前中は、新しい家具をはじめ、全ての家具類の拭き掃除をした。
 新居に据えつけられた下駄箱も含め、結構な数だけれど、全部拭けたので気分は上々。
 多分、お母さんがまだ優輝を産んでなくて、実家にいる状態だったらこんなに頑張ってないと思う。
 お母さんが病院で、しんどい思いをしていると思うと、自然と俺の方もやらないと…と思えるのかも。
 
 面会時間より少し前に病院に行ったが、会うことができた。
 熱は36.6度。
 ほとんど平熱ぐらいなので、あとはせきが止まればいいんだけどね。
 けど、お乳がたまった胸が張ってくると熱を持つらしくて、体温計の目盛は平熱でも、本人は結構、
 熱っぽい気がして仕方がないらしい。
 けど、まだ病室の中だけとはいえ、一人で歩けるようにもなっているので、回復してきたのは間違いない。
 
 今日もお母さんは、しんどいので面会はやめておくと言うので、お父さんが会いにいくことに。
 ガラス越ししか面会できないと聞いていたのだが、今日は特別に抱っこさせてもらえた。
 連れてこられた優輝は、ミルクを飲んだ直後ということもあってか、満足そうな落ちついた状態。
 抱っこしてすぐに、目を開けてくれた。可愛い。
 まだ薄く開ける状態だからなのか、黒目がやけに大きく感じた。
 お父さんって分かっているのかな?
 看護婦さんの話によると、ミルクを飲んだ後は、いつもキョロキョロと何か探しているみたいな感じだと言う。
 普通はすぐに寝てしまう赤ちゃんが多いらしいんだけどね。
 やっぱり探しているのはお母さんなのかな?
 もう1週間、お母さんの声、聞こえないもんね。不安だよね。
 
 一生懸命、お父さんなりにお話してあげた。
 お母さんのことも説明してあげたから、分かってくれたかな。
 早く家族3人で一緒にお話したいね。
 
 伊丹の父母が、お母さんがまだ病院食ぐらいしか食べられないのは承知の上で、お祝いの赤飯と、
 お鯛さんを持ってきてくれた。
 お母さんも一口だけ箸をつけることにして、今日はお父さんも一緒にご飯を食べた。
 お父さんも家で一人、お母さんも病院で一人の食事が続いていたので、気分的にいつもより美味しかった。
 料理は味だけじゃダメなんだね。
 どんな食事でも、家族で食べられればそれに勝る美味しさはないのかもしれないなぁ。
 
 

_

No.97

 2002/12/30(Mon)
 
お母さんが来てくれたよ
 
 
お母さんのせきが、ほとんど出なくなってきた。
 あとは、喉にたんが絡むのが残っているぐらい。
 顔色も昨日までとは全然違って、ようやく元気のかけらが見えてきた感じ。
 面会に行けそうと言うので、2人で一緒に優輝に会いに行った。
 
 4時前というのがミルクの時間の前だったのか、優輝は始終泣きっぱなしだった。
 お父さんも初めて優輝が泣いているところを見たんだけど、今までに機嫌良さそうなところを
 何回も見ているから、(今日はお腹空いているのかな?)ぐらいで済んだけれど、
 やっと面会に来れたお母さんは、ずっと泣いている優輝を見ているだけで、何もしてあげられないというのが
 とっても悲しかったみたいで、泣いていた。
 もちろん、会えた喜びも混じっているはずなんだけどね。
 あんまり泣き続けるので、看護婦さんに見てもらうことにして、面会は短めで切り上げることになった。
 
 家に帰ってからのお父さんは結構大変だった。
 昨日2時間、今日3時間かけて、150枚の年賀状に、優輝が産まれたことの説明を追加したり、
 顔写真のシールプリントを貼ったりしていたのだ。
 ちょっと疲れたけど、なんとか完成した。
 早く、お母さんが年賀状かけるようになればいいんだけどね。
 
 

_

No.98

 2002/12/31(Tue)
 
お母さんも大丈夫
 
 
入院して初めて、お母さんがシャワーを浴びることができた。
 髪の毛や体を拭いてもらってはいたけれど、やっぱり気分的にも随分と違うだろう。
 昨日も回復した感じはしたけれど、今日は間違いなく回復しているというのが分かった。
 顔色もそうだけど、おしゃべりも色々できるようになってきて、普段のお母さんに近くなっている。
 お母さん自身は、今日初めて鏡を見て、自分の顔がむくんでいるのにビックリしたらしい。
 でも、お父さんにしてみたら、今日は普段にだいぶ近付いたと思った。
 3〜4日前の調子の悪い時に鏡見ていたら、お母さんの熱もまた上がっていたかもしれないよ。^^;
 
 4時半を過ぎてから、優輝に会いに行くと、ミルクを飲んだあとなのか、スヤスヤと気持ち良く寝ている。
 時々、手足を動かすけれど、たまにニッコリしたりしたので、お母さんも安心したみたいだ。
 このまま行けば予定通り、3日の日には同室になれそうだね。
 看護婦さんからも、退院した後のアドバイスを色々と受けた。
 もうちょっとだ、頑張ろう。
 
 ちょっとホッとしたせいか、お父さんは疲れが出てきたような気がする。
 風邪気味かなぁ…
 優輝に移さないように気をつけないとね。
 
 実家でご飯を食べて、紅白歌合戦を見たあと、家に帰った。
 車を降りると、どこからか除夜の鐘の音が聞こえてきた。
 来年は3人で一緒に聞けるかなぁ。
 
 

_
_
_
HOME