私の意見

 


・将棋図巧は合作集か?(2002年04月10日)

先日、近所のデパートの本屋で上田吉一氏の「極光21」をたまたまみつけた。 まさか一般の書店にあるとは驚きだったが早速購入した。 内容も素晴らしく、今迄の氏の主要作品が全て網羅されて、氏の詰将棋に対する哲学の ようなものを感じ取ることができる。ちなみに私個人としては97番の香の遠打を 繰り返す作品が一番好きです。

ところで、上田氏は「将棋図巧」は複数の作者による合作集だという説を唱えている。 確かな証拠がある訳ではないが、作品を1作ごとに検証してみると作風に一貫性が なく駄作もかなり混じっているということらしい。

確かに「将棋図巧」を私が最初に見た印象は、バラエティにとんでいる作品集 だというイメージが強かった。最後の90番台の作品群を見ても、遠打ち、短編、曲詰、 趣向作、1段目実戦初形、裸玉、煙、長手数とすごい。また、「無双」もどきの難解作 もいくつかある。駄作も数は少ないがいくつかある。98番の裸玉はご愛敬としても 34番、44番のように超短編の素材に前半をいらずらに何の見所もない逆算を しただけの作品もある。(見方によっては、44番の3手目2六金などは、意表をついて 新鮮に写ると言えなくはないが) 図巧は初形の玉位置を81格全てに配置した作品を集めるという狙いもある。 それを実現するために初手が野暮な手で始まり却ってぎこちない作品になってしまった ものがあることは事実だ。

「将棋図巧」が出来た背景を考えても、そういうことがあってもおかしくない。 何故なら「将棋図巧」は献上図式として作成されたものだからだ。現在我々が詰将棋 を作るように、自分の趣味で好きなときにというのではない。決まった期限までに 100局の詰将棋を作って幕府に献上せよという命令によって作らされたものだ。 100局の詰将棋を揃えるだけでも大変なことだっただろう。実際「養真図式」などは 既存の作品の焼き直しがかなりあることで有名だ。無論「養真」などと比較するのは それこそ冒涜であろうが、どんな優秀な作者でも一定の数というノルマを与えられると おかしくなるのでは。ましてや伊藤看寿は、今でいう長編作家である。元々数の上では それほどストックはなかったのかも知れない。

だからと言って「将棋図巧」が合作集と決め付けるのは早計である。 作品の内容をバラエティにとんでいると見るか、統一性がないと見るかは見る ものの判断であろう。「極光21」で言えば、23番などは、本来の上田氏の作品とは 言えない。無論、他人の作品を入れた訳ではなく、たまには違ったジャンルをということ だったのでしょう。図巧の作品にしてもせいぜいそういうレベルの話ではないのか。

私としては、看寿は、才能豊富な何でも屋で色々なものを入れることで、見る者を楽しま せようとしていたのだと思うのだが。 例え図巧が合作集だとしても、せいぜい兄宗看からネタを供給してもらってまとめたとか、 「無双」に収められなかった作品を入れたくらいのことではないかと思う。 (思いたいという願望も強いかも)

最後にひとこと。例え作者が誰であれ図巧1番を作った人は本当に偉いよ。


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