《ごあいさつ》
拝啓
私たちは、 JR・地下鉄目黒駅前の品川区『目黒駅前商店街振興組合青年部』
(通称・め組)と申します。
バブルの土地高騰により昔ながらの人々が出てゆき、生まれ育った目黒駅前はビルだらけの
冷たいまちになってしまいました。そこで我々青年部は若い柔軟な発想で団結し、駅前に
昔ながらの暖かさを呼び戻す為に平成8年から『目黒のさんま祭り』
を開催いたしております。
このイベントのきっかけはもちろん「さんまは目黒にかぎる!」のオチでおなじみの古典落語『目黒のさんま』です。
「目黒の良さ」と「さんまの良さ」の両方をわかってもらうために、さんまを炭火焼きと生で無料配布して、例年20000人以上の
お客さんに楽しんでいただいています。この辺りは、江戸時代に松平讃岐守・森伊豆守などの上屋敷があり『目黒のさんま』に登場する
お殿様(松平出羽守)の早駆けの場所とされています。つまり、訪れたお客さんたちはお殿様と同じ秋空の下でさんまを食べたことになるのです。
会場の中心となる誕生八幡神社も文明年間(1469年〜1487年)に太田道灌が夫人の懐妊にあたり、越前国(福岡県)の
宇美八幡をこの地に勧請したものと言われています。無事に男子が生まれたことから「誕生八幡」と呼ばれ、安産の守り神とされている。
まさに落語に出てきそうな神社なのです。日本に数ある八幡神社のなかでも「誕生」がつくのはここだけ。また、境内には明治42年に
合祀された徳川三代将軍・徳川家光ゆかりの「重箱稲荷神社」が祀られていて、重箱を使うお弁当屋さんが商売繁盛の祈願に訪れることでも有名です。
太田道灌がもたらしてくれたような不思議な出会いもありました。『目黒のさんま祭り』を始めて3回目の平成10年のこと。
新聞の記事を見た岩手県宮古市から連絡がありました。「なぜ、そちらでは毎年宮古のさんまを使っているのですか?」とのこと。
当時、商店街ではお客さんに一番鮮度の良いさんまを食べていただく為に、南下するさんまが9月中旬で最も脂がのっておいしい
宮古産を築地で仕入れていたのです。このことに感動していただき、平成11年の第4回より宮古市からさんまを無料で提供していただく
ことになりました。今年も7000匹の新鮮さんまがやってきます。
「さんま」と言えば「すだち」ということで、平成10年の第3回からすだちの日本一の産地・徳島県神山町とも友好関係を結び、
無料ですだちを提供していただくことになりました。今年も10000個の芳醇すだちやってきてさんまに香りを添えます。
普通では出会うことのない『目黒』と『神山町』と『宮古市』は姉妹都市になりました。そして、平成13年の第6回からは
栃木県那須塩原氏高林の青年団『高林雷の会』の皆さんに炭焼きさんまの必需品である大根おろしの提供を申し出ていただきました。
和歌山県みなべ町より、さんまを焼くのに欠かせない 備長炭を頂き 最高の焼き加減で 皆様に提供させていただきます。
「目黒のさんま」から生まれた輪はこれからも益々広がり続けます。
また、毎年行われている入場無料の落語会『目黒のさんま寄席』も大入り満員の大盛況。今年寄席会場はさんま祭りの本陣・誕生八幡神社。
落語『目黒のさんま』の名人・三遊亭吉窓師匠率いるレギュラー落語家陣と、誕生八幡神社を本拠地にする東西漫才研鑽会「お笑いセメントマッチ」の競演。
午前10時からの4部構成で、本物の「さんま」に負けない新鮮な笑いを皆様にお届けいたします。
今年は、場所の都合上 ペットボトルの駄菓子への交換は 行いません。
落語『目黒のさんま』
《あらすじ》ある大名(松平出羽守)が馬の早駆けに目黒へ行った時のこと、
空腹となり百姓家で焼きたてのサンマをわけてもらった。
屋敷に戻ったが脂が乗ったサンマの味が忘れられない。
しかし、屋敷の御膳にサンマが出る訳もなし。そこで親戚へ
食事のお呼ばれをしたので、ここぞとばかりにサンマを注文。
しかし、親戚の家来たちが体を気遣いサンマを脂を蒸して
抜いてしまった。ひと口食べたがおいしくも何ともない。
「このサンマはいずれより取り寄せた?」
「日本橋魚河岸にてございます」
「それはいかん。サンマは目黒に限る!」
《成 立》徳川家光が将軍在位の頃(1623年〜1651年)のおとし噺。
大名の世間知らずを笑った庶民の落語である。
皆様のお越しを商店街会員一同、心よりお待ちしております。
令和元年八月吉日
目黒駅前商店街振興組合