中華人民共和国/山西省
晋中市平遥県

平遥古城

                     

Jinzhongshi Pingyaoxian
Pingyaogucheng
(2006.5.21〜23)


平遥城の興りは紀元前800年ごろ周の時代である。当初は軍事上の砦であったが、魏の時代に土で固めた(はんちく)城壁で囲み現在の城の原型となった。
明の時代に防衛上の必要から増築、拡張を行い、はんちくに煉瓦(せん)や石材を積み現在の城壁に強化された。


力車に乗り古城の散策に出かけた。ホテルから西下門である鳳儀門へはものの5分で到着した。

力車は二人乗りである。かっては人力であったが現在はモータが付いている。ドライバーは小柄な中年のおじさんで愛想がとてもよかった。


平遥古城は亀城と呼ばれ、南北の二つの城門を亀の首尾、東西の四つの城門を亀の四足に譬えている。
城の周囲は6162.7メートルで、高さ約10メートルの城壁で囲まれている。
風儀門は右の後足にあたる門であり、見上げると城門の上に二重軒の城楼が建てられている。
力車を降り城門に登る。

西下門鳳儀門の城楼


城門の外側に甕城が設けられ進入路が屈曲するように二重の門になっている。
甕城の内壁に昔の脱穀機のような兵器が設けられて外敵を防いだ。

甕城の兵器


甕城の城壁から北側の城壁を眺めると突出部があり見張りのため望楼が点々と設けられている。
また、外側に幅、深さとも3丈もの城壕が廻らされている。

突出部と望楼と城壕


城壁頭部は凸凹の土朶口(duokou)が設けられていて、その数は3000個所もあるそうである。

土朶口(duokou)から城外の敵を弓で射る


城門から城内を眺めると東下門の親翰門に向けて幹道が貫いている。明や清の時代を思わせる風景に感動させられる。

東下門の親翰門へ直線の幹道(西大街〜東大街)が貫く


城門を降りて民家の立ち並ぶ細い路地を力車で進む。
壁は高く空を狭め如意式の門楼が入り口に懸けられている。

狭い路地を力車は進む

力車のドライバーさんはヘルメットなんかしていませせん。


県衙(県庁)
県衙と呼ばれる県庁にあたる建物が残っている。
興りは元代(1370年)であり、現存する建物は明、清代のものである。
県庁は行政機関ばかりでなく裁判機関でもあった。
中心の建物は、大門、儀門、大堂、宅門、ニ堂、内宅、大仙楼という順序で並んでいる。

民亊裁判所

刑罰を与える道具も陳列されている。


県庁の西側の建物群にある牢獄


平遥は山西商人発祥の地でもある。
1824年雷履泰が創立した日升昌という票号が為替取引きを開始したのが最も早かった。


県庁、日升昌を見てから、街の中心街へ
通りを歩いて行くとかなりの人出がありにぎやかである。
街の中心に高さ18.5メートル、三重軒の市楼が聳え、市楼を貫く通りは城内最大の繁華街である。

街の中心にある市楼


繁華街を歩き市楼にたどり着く。入場料を払い市楼に登る。
欄干から大通りを見渡すと昔ながらの風貌が開ける。
空には足をひっこめて燕がすいすい飛び交っていた。

燕が飛び交う城内の街並


どの店の軒先にも鮮やかな赤い提灯が吊るされている。

赤い提灯を吊り下げた商店


セストランの中庭

徳居源楼という店で昼食を食べた。
店の建物は中国の伝統的な四合院式であった。


2006年5月に山西省と河南省を16日間旅して来ました。
今回は太原盆地の南端にあたる歴史の古い城池都市の平遥古城です。
城郭、民家、県庁、商家など見ることで、当時の社会が想像できて大変興味あるものとなりました。
中国は行くところ行く所で新たなおもしろさが発見できます。
次回もお楽しみに

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