中華人民共和国/江西省
江西省を訪ねて
Jiangxi
(2008.11.25〜12.1)
私にとって山西省はまだ未踏の省でした。2008年初冬、三清山と廬山を見る目的で江西省へ初めて足を踏み入れました。
廬山
殷、周の時代、匡(きょう)氏の七兄弟がいおり(廬)を結んで隠棲したことから廬山の名がついたといわれ、匡山(きょうざん)、匡廬(きょうろ)ともよばれる。廬山の歴史は古く書経や史記など紀元前の書物にも名があがっている。また道教、仏教、儒教など宗教にゆかりの深い山であるとともに、白楽天など歴代著名な文人たちが競ってこの地に遊び胸のうちを詠んでいる。
九江市内から見た廬山のやまなみ
景徳鎮から九景高速をバスは走る。九江に近づくと日が暮れてきた。紅に染まった雲はやがて色を失いあたりは夕闇に包まれてきた。右手に絶景が開けた。は陽湖の湖面は暗闇む空の光を映し輝き、その上に廬山の嶺が雄大なシルエットとなってあらわれた。それが感動の一瞬であった。長江を長旅してきた文人たちも船上でこのような景色にこころ奪われたであろうか?
廬山の三絶
廬山の三絶とは日の出、雲霧、瀑布である。
日の出
日の出を観察する絶景ポインは廬山の東南に位置する含ハ口にある。明け方含ハ口に登ると太陽がハ陽湖の水面から昇ってくるのが見える。このとき廬山の峰峰は金色に輝き水面に映る光芒のきらめきが絶景の一つであるというが。
午後のハ陽湖は霞んで見えるだけだ
雲霧
廬山の雲霧は煙のように立ち上ったり絹のように風になびいたり低く垂れ込めて人界を閉ざしたり変幻するというが。
絶景の霧に遭遇することなく錦繍谷を歩いた。
瀑布
五老峰の北の崖から流れ出した渓流が3段に分かれて落ちる三畳泉、五老峰と含ハ嶺の間に落ちる大口瀑布、秀峰にある廬山瀑布が有名である。遠くから眺めると長い川のように見えると李白が詠った廬山瀑布であるが。
廬山瀑布は11月は水枯れ時期で帯も細かった
廬山の峰
廬山の主たる嶺は南の標高1474米最高峰の漢陽峰、西の鉄船峰、南東の五老峰である。
五老峰
廬山の東南に位置する五老峰は五人の老人が並んで座っているように見えることから五老峰と呼ばれている。
麓から見上げた五老峰
含ハ口(がんはこう)から五老峰が間近に見える。
三門の石牌坊をくぐり石段を登ると頂上に含ハ亭がある
含ハ亭から見た五老峰
廬山瀑布
望廬山瀑布 李白
日照香炉生紫煙 日は香炉峰を照らして紫の煙を生じており
遥看瀑布挂長川 その中腹に瀑布が長い川のようにかかっているのが遥かに看える
飛流直下三千尺 それは飛流が三千尺を真直ぐに下っているので
疑是銀河落九天 銀河が大空から落ちているかと疑うばかりだ
上からの見下ろした廬山瀑布
廬山へ登る
山南公路から廬山へ登る。山南公路は湾湾と曲がりくねり太いプラタナスの街路樹が続いていた。所々に30Kの速度制限の標識があり湾湾慢行と警告が書かれている。やがて道はなだらかになり車は廬山南門へ到着した。ここでパスポートのチェックがを受けて廬山に入山した。
牛古嶺鎮(gulingzhen)
盧山の北嶺に位置する牛古嶺鎮の地形的は三面が山で囲まれ一面だけ谷に向き合っている。また北の方向に牛のような石があることから牛古牛嶺という故名をもつ。20世紀になって英国人らによって開発が進められ今では800戸もの別荘が建ち並ぶ現代的な別荘地である。斜面の土地に並ぶ建物、街路樹のプラタナス、公園、渓流などここ牛古嶺鎮は軽井沢のような雰囲気がある。
中心街の牛古嶺街は別荘地の雰囲気が漂う
美廬山荘
牛古嶺鎮を流れる川は長冲河という。牛古嶺路を行き長冲河に沿って河東路を下ると左手の木立のなかに美廬山荘がある。蒋介石が結婚祝いに英国人から贈られたという別荘で国民政府の夏の首都とも言われるゆえんの建物である。また後年毛沢東もよくこの山荘を使ったという。
蒋介石・宋美麗の美廬山荘
蒋介石や毛沢東が会談した居間 | 寝室は英国製のピアノも置いてある |
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廬山会議旧址など牛古嶺鎮の街のなかはまだ見るものが多いので時間があればゆっくり歩いてみたいところである。牛古嶺街を北に進むと環山路が南に折れている。この先に如琴湖や花径公園、錦繍谷歩道など観光スポットがある。
如琴湖
バイオリン(小提琴)のような形をした湖で中心に湖心島があり九曲橋がかかっている。この湖は花径公園や錦繍谷歩道に行くハブとなっていて観光客がたむろしている。
湖心島の先端に建つ九琴亭
白楽天を思う
花径公園
白楽天が桃花の詩を詠じたという場所にあたり、公園内に花径亭や白居易草堂などがある。花径亭の足元にある石に刻んだ花径の文字は白楽天自筆と伝えられる。
大林寺桃花 白居易
人間四月芳菲盡 世間では四月には花はみな散ったが
山寺桃花始盛開 この山寺のももの花はいまが花盛りだ
長恨春帰無覓處 春が去ってどこにも見つからないのをしばらく残念がっていたが
不知転入此中來 ここへ転居して来ているとは知らなかった
白居易草堂
もともと白居易の草堂は北香炉峰の下にあったが、1987年花径公園内に白居易を称える殿堂として再建された。堂内に白居易に関係する資料が並べられている。
香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁 白居易 五架三間新草堂 五架三室の新しい萱葺きの家 石階桂柱竹編牆 石の階段、カツラの柱に竹編みの垣 南簷納日冬天暖 南の軒先は日が入るので冬もあたたかく 北戸迎風夏月涼 北の戸口は風が入るので夏も涼しい 灑砌飛泉纔有點 階段の下の石だたみには飛泉が水滴をとばし 拂窗斜竹不成行 窓ぎわの斜め竹はわざと乱雑に植えてある 來春更葺東廂屋 来年の春は東のひさしの間を増築し 紙閣蘆簾著孟光 紙の障子に葦簾をかけて孟光どのを入れようよ 長松樹下小渓頭 たけの高い松の木の下で小さい山川のほとりに 斑鹿胎巾白布裘 私は斑鹿胎の頭巾をつけ白い葛布の冬着を着ている 薬圃茶園為産業 薬草畑と茶畑とがわが財産で 野麋林鶴是交遊 野生のシカと林中のツルがわが友だ 雲生澗戸衣裳潤 雲が谷間から起ってきて衣裳をしめらせ 嵐隠山厨火燭幽 嵐がこの山中の我家の台所に入ってくるので灯りも暗い 最愛一泉新引得 わたしがもっともうれしいのは泉を一つ引けてそれが 清冷屈曲暁階流 清く涼しく我家の階下の石畳を巡り流れていることだ |
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錦繍谷を歩く
如琴湖から仙人洞まで断崖に一条の歩道がある。その名は錦繍谷歩道という。如琴湖から歩くと下り道である。
天 橋
錦繍谷の入り口にある断崖と相対する石の梁を天橋という。もともとは断崖に石橋がかかっていたが朱元璋と陳友諒の大戦のときに朱元璋がこの石橋を渡り終わったらすぐに橋が断烈してしまい今のような姿になったとの伝説がある。
登廬山 鮑照
懸装離水区 旅したくを整えていさかかの旅にでた
薄旅次山楹 わたしは川を渡ったりしながら、やがて山中のあずまやに宿をとった
千巖盛阻積 このやまは多くの谷がけわしく重なり合い
萬壑勢迴× 多くの谷がはげしく曲がりくねっている
××高昔貌 その高くそびえるさまは前に想像していた以上であるし
紛乱襲前名 複雑に入り組むさまは評判どおりの姿である
洞澗窺地脈 深い谷川はまるで地下の水脈をのぞくかのようだし
聳樹隠天經 高くそびえる木々は太陽をおおい隠さんばかりである
松磴上迷蜜 見上げると石の坂道がかすむばかりに生い茂る松林なかに続いているし
雲竇下縦横 見下ろすと洞穴から涌き出た雲があたりかまわずたちこめている
陰冰實夏結 一歩山を下りればそこは桂が冬にでも花をつけるほどの暑い土地なのに
炎樹信冬榮 ここでは夏でもなお日陰に氷が結ぶほどの涼しさである
騒賛晨鶤思 朝には鶤鶏が悲しげな音で鳴き騒ぎ
叫嘯夜猿清 夜には猿が声を長く引きつつ寂しげに泣き叫ぶ
深崖伏化迹 横たわる深いがけには神仙の行跡が残り
穹岫閉長霊 奥深い山の洞穴には神仙たちが姿をひそめているようだ
乗此楽山性 わたしは生まれつきの山好きの性格にまかせ
重以遠遊情 さらに屈原が遠遊でうたった神仙の世界と遊ぶ心持をわがこころとして抱きながら山の自然を満喫している
方躋羽人途 そして今ちょうど神仙の歩む道を登りつつ
永與煙霧并 たちこめるもやの中にいつまでも身を置きたいと願うことだ
仙人洞
邯鄲の夢に登場する唐代の仙人呂洞賓が修行したところといわれている。中心に呂洞賓の石像がたち、洞の奥に長年不断の一滴泉という泉がわいている。中国のひとびとは仙人の前でひざまずき不老長寿を願う。
二つの香炉峰
望廬山瀑布 李白
日照香炉生紫煙 日は香炉峰を照らして紫の煙を生じており
遥看瀑布挂長川 その中腹に瀑布が長い川のようにかかっているのが遥かに看える
飛流直下三千尺 それは飛流が三千尺を真直ぐに下っているので
疑是銀河落九天 銀河が大空から落ちているかと疑うばかりだ
廬山瀑布から見た南香炉峰
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香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁 白居易
日高睡足猶慵起 朝日は高くのぼり睡眠も十分なのに起きるのがめんどうだ
小閣重衾不怕寒 この部屋ではふとんを何枚もかけているので寒くもない
遺愛寺鐘欹枕聴 遺愛寺の鐘の音は枕の上の頭をちょっともたげてきくし
香炉峰雪撥簾看 香炉峰の雪もすだれをはねて見るだけだ
匡廬便是逃名地 ここ廬山こそは俗世間の評判からのがれる土地だし
司馬仍為送老官 司馬の職ももともと隠居に適した役だ
心泰身寧是帰處 こころが安泰で身体が安全ならばそこが安住の地で
故郷何獨在長安 故郷は長安にあるとはかぎってはいない
東林寺境内から見た北香炉峰
麓の綿花畑
綿花の畑が多くちょうど訪れた11月下旬は収穫時でした。
廬山を旅の目的地に選んだのは李白や白楽天の詩文で描かれた世界をこの目で見てみたいということでした。しかし避暑地、別荘地、観光地といった現代的なイメージが強かったのか廬山瀑布や香炉峰などを見ても深い感動は生まれませんでした。九景高速から初めて見た廬山のシルエットに感動しか核心がなかったとするとあまりにも瀑布や香炉峰を見ずして白楽天や李白に憧れた古代日本の歌人にものすごくすまないような気がしてくる。
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