中華人民共和国/遼寧省/吉林省/黒龍江省
中国東三省国境の旅
Dong san sheng guojing
(2008.7.8〜20)
初夏に東三省の遺跡と中国と北朝鮮の国境を見てまわりました。
図們国境(tu men)
延辺朝鮮族自治州は6市2県で構成され州都は延吉(yan
ji)市である。6市とは延吉、図們、曖春、龍井、和龍、敦化であり2県とは安図、汪清である。延吉市の朝鮮族の割合は58%であり自治州全体にならしても41%と朝鮮族の割合が高い。延吉から図們へは延図高速が通っている。トンネルを抜けるとあたりが開け図們へ到着する。図們は豆満江(図們江)を挟んだ朝鮮との国境の街である。
図們江
中国と朝鮮(北)を隔てる国境の河は鴨緑江と図們江(豆満江)である。図們江は長白山東麓を源として全長479キロメートルの流れはまず東北方向に下り図們で急に右に湾曲して南に向きを変え日本海へそそいでいる。図們江の流線はそのまま中国、朝鮮(北)の国境線であるが、日本海へそそぐ図們江口あたりは朝鮮とロシアの国境線に変ってしまうようである。なお図們江口の緯度は日本で言えばちょうど北海道の室蘭市あたる。朝鮮とロシアの国境を頭でイメージするともっと高緯度にあたるような感じを受けるが意外とまじかであることを知り地理的認識を新たにするところである。
国境をまたぐ橋
図們江をまたいで橋が二本かかっている。一本は道路、上流にもう一本鉄道のものがある。図們江大橋と呼ばれる道路橋の中国側には集安の国境大橋にあったのと同じ国門が設けられている。図們口岸と看板を掲げた国門の屋上は展望台となっている。ここに登ってあたりを眺めると国境の雰囲気を感じることができる。国境大橋は監視の人影もなく白い道が真っ直ぐひかれているばかりである。橋上には両側に黄色い柱が立ち頭に棗の実の形をした白いガラスの街灯がついている。夜になるとこの電燈はどんな光で国境風情を照らしだすのであろうか。
国門を登り眺めると対岸に朝鮮(北)の山並みの麓に開けた南陽?の街が見える。山塊を背景に白い壁の建物が並んでいるが、肉眼では人影は確認できない。。双眼鏡で前方を覗いていた仲間が正面の建物に金正日将軍の肖像と「世紀の太陽金正日将軍万歳」とハングル文字で書かれた看板が見えると語った。(セギエテヤンキムジョンイルチャングンマンソエ。)僕には建物の上をかすかに煙りがたなびいているのが確認できただけである。 |
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赤と青の二本の国境線
国境大橋の上の国境線は二本引かれているようだ。中国側は赤で朝鮮(北)側は青でひいてあるらしい。中国側の赤い線は歩いて行って確認できたが、朝鮮(北)側の青線は向こうからでないと確認できない。いずれにしてもこの国境大橋に引かれた国境線はある程度バンドを持たせて引いてある(中立帯による国境とでもいうのかどうか)のである。
中国側の橋上は観光客でにぎやかである足元の赤い線が国境を示す。観光客は国境大橋の上をここまで歩いてきて朝鮮(北)に向かって盛んにディジカメのシャッターを押す。赤線を観光客が越えないように警備員が立ち監視しているが警備員の顔に緊張感は見えない。 |
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中朝両国友好の記念塔 | |
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朝鮮(北)に対する中国の認識としては北朝鮮でなくて朝鮮である。中国にとって朝鮮は友好国のひとつである。国門の右端の堤防に中朝両国の友好を現わす記念塔が建っていた。記念碑の形は朝鮮中央テレビのニュース画面に登場する塔と同じように見える。頭の像は天を駈ける天馬に人が乗っている姿であるようである。記念塔は木製であるようだ。永遠の硬い絆を現わすような頑丈な造りでないのが、なにか時代が変っても中華と小華の気持ちの持ちようの違いを思わざるを得ない。 |
延辺朝鮮族自治州周辺
ニ道白河から延吉・図們へ向う
今日の宿泊地は延辺朝鮮族自治州の延吉市である。ニ道白河のホテルを9時に出発し国道201号を松江まで、省道203号を松江〜永慶〜東清〜新合〜福興〜安図まで、安図から延吉へ車窓の風景を楽しみながら移動した。
農村の風景
車窓から眺める田園風景は美しい。牛が耕した大地は一面にとうもろこしが繁り街道はこれを縫って大地の起伏にあわせ上下湾曲しながら伸びていった。農民は帽子で日差しを避けながら草刈鎌をふるい牛は膝をおり身体を大地に下してゆっくりと草を食んでいる。福興を過ぎると名月湖という湖沼があるがやがて延吉界にいたると周辺は山塊に覆われてきた。
入母屋造りの朝鮮住居
峠を越えると緑の水田が開けた。人家は青いスレート屋根が多くなってくる。延辺朝鮮族自治州は朝鮮族が約半数を占め窓の外の集落も朝鮮族の民家の様相を呈してくる。建物の特徴は入母屋造りで屋根が青や赤のスレートであり、大屋根両端は尖って天を示しあたかも飛鶴のような形をしている。また建物の側面に必ず付いている煉瓦造りの煙突も印象的であった。飛鶴の屋根の建物より古い建物として縄を網状にかけたコッペパンの腹のような形をした草屋根(稲藁)の住居も残っている。こちらは朝鮮(韓国)へ出かけたときに見たものと同じ形である。この草葺の古い朝鮮住居には日本の農家の居宅につながるあたたかみを感じる。
朝鮮族居住地域と教会
朝鮮人居住地区の風景に欠かせないのが教会です。延辺朝鮮族自治区でも集落のなかに三角屋根に十字架を掲げた教会が目にとまりました。
延吉の街で
街道は朝鮮住居の集落と水田の風景から急に柳の並木が並ぶ都市空間へ突入した。ここ延吉市は朝鮮族の割合が58%ともっとも高い。街の目抜き通りは万国旗がはためき明日北京オリンピックの聖火を迎える市民の熱気が感じられた。今回の旅は沈陽、集安、延吉、牡丹江、ハルビンと回ったが、一番オリンピックの雰囲気が盛りあがっていたのが朝鮮族の多いこの延吉市であったのが印象的であったことを付け加えておく。
朝鮮料理店「海蘭江」
延吉の街で朝鮮料理を食べたのが朝鮮料理の民族宮の海蘭江でした。中国料理の味に慣れてしまったかせいかとてもうまかった。朝鮮の人の料理に対する勢いというものが感じられた。
多民族国家中国の朝鮮国境延辺朝鮮族自治州は朝鮮の風情を感じさせるところでありました。
国境の旅もいよいよ最後の黒龍江省に入ります。延吉より省道203号線で汪清〜天橋嶺を経て黒龍江省へつながっていきます。黒龍江省では渤海国古都や金朝古都を訪ねます。
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