中華人民共和国/河北省

承   徳

CHENG DE
清代の夏の離宮・・・承徳
(2004.11.5〜11.6)

北京より北東約250キロで長城の北側に位置する。
毎年皇帝はここに来て夏を過ごした。
北京から承徳の間には宿場町のようなものは見られない。
大勢の臣下を伴った皇帝一行はいったい何処に泊ったのであろうか。
パオを用いていたから宿場町が開かれることがなかったのか?


北京のホテルを8時に出発し承徳に向けてバスは走る。道路の両側はポプラやアカシアの並木となっている。途中、集落は密雲という大きな街があったが、そのほかは小さな農村である。山は岩肌が剥き出し、畑は収穫を終えたとうもろこしが立ち枯れている。いくつもの野菜ハウスが連なって見えた。


金山嶺長城付近の街道 野菜のハウスが続く
日差しは薄日である。肌をむき出した山並みが続く。
植林された松はか細くいつの日に大樹に育つのか。
 このような野菜のハウスがたくさん見える。
 夜になると上からむしろをかける。

12時を回ったころバスは承徳の街へ着いた。承徳は回りを山々に囲まれた盆地である。北から南に武烈河が流れている。街は盆地に開けている。発電所の煙突は真っ直ぐに煙を立ち上らせていた。
街は近代的なビルが立ち並びなかなかにぎやかである。街路樹は柳であり美しい。枝はふさふさと風になびいていた。饅頭の形をしているのでまんじゅう柳というのだそうだ。


道端にこのような店が軒を連ねているところもある。りんごはふじのようである。最近は露店でも良い品物が並んでいるようだ。



外八廟
外八廟とは避暑山荘のまわりに建てられた寺院の総称であり、当時は11もの寺院があったが、現存するものは普寧寺、普陀宗乗之廟、須弥福寿之廟、殊像寺など7つである。普寧寺と普陀宗乗之廟を見物した。いずれも山の斜面に建てられた壮大な寺である。モンゴル族はチベット仏教徒である。このためモンゴル族を懐柔させるためはチベット仏教の支配力を低下させる必要があった。清朝のチベット政策はチベット社会を支配するものでなくモンゴル族の懐柔するための宗教政策であった。明は長城を築いてモンゴルを防いだが、清は長城で築くことはなかったようである。


普寧寺
乾隆年間で最初に建立された寺院で1779年(乾隆24年)に完成した。世界最大の木彫観音像があることから大仏寺とも呼ばれている。南半分が中国式寺院で奥の北半分がチベット式寺院になっている。

山門を入ると正面に碑亭があり左に鼓楼右に鐘楼がある。天王殿には布袋様が安置され四天王が囲んでいる。中国式の中心は金漆木彫の三世仏が安置されている大雄宝殿である。チベット式の寺院は42段の階段を登る。ここの中心は木彫の千手千眼観音菩薩像が建っている三層構造の大乗之閣である。まわりを仏塔、白台、月殿、日殿が取り囲む形は曼陀羅の世界を表現しているそうである。
大乗之閣の前で赤い帽子を被った僧達が楽器を奏でていた。チベット仏教の調べが霧のように漂い、見上げると雄大な千手千眼観音が善財と龍女を伴って立っていた。

大雄宝殿
大乗之閣

普陀宗乗之廟
4年の歳月をかけて1771年(乾隆36年)に完成。チベットのラサにあるダライ=ラマの居城であるポタラ宮殿を模したもので小ポタラ宮の俗称で呼ばれている。大紅台を見上げると高く聳えるその壮大さに茫然自失の体に陥る。

山門を入ると碑亭があり五つの塔がある五塔寺がある。
窓はめくらになっており飾りである。白い壁が眩しい。
鮮やかな瓦の鳥居
 

五塔白台から大紅台を見上げる

この五塔を巡ると縁起がよろしいという。
大紅台
五塔白台を見下ろす

避暑山荘
承徳市街の北半分を占める離宮である。面積は560万平方キロメートルでまわりを城壁でめぐらせている。宮殿区、湖景区、平原区、山景区などに分かれている。見物に入ったのが夕刻になってしまいゆっくりと見ることはできなかった。


麗正門
漢族、満州族、チベット族、モンゴル族、ウイグル族のそれぞれの文字でで刻まれた石の額がかかっており、これには各民族の融和を図るとの融和を図るとの意味が込められている。

麗正門をくぐると狛犬を抱いた外牛門、内牛門と続く。内牛門には康熙帝直筆の「避暑山荘」の額がかかっている。その奥にすべて楠木で造られた正殿、澹泊敬誠殿がある。諸葛孔明が著した「誡子書」の一説「非澹泊無以明志、非寧静無以致遠」心が淡白で無欲で志がはっきりしていなければ、遠いところまでよく治めることはできない。御座の上に「澹泊敬誠」の額がかかっている。
さらに奥に進むと知微、知彰、知柔、知剛の四知書屋、煙波致爽殿、西太后の住んでいた西暖閣、2階から宮殿区の建物、湖景区の湖が一望できる雲山勝地楼と建物が続く。
裏門の岫雲門を出ると湖景区に続く。

湖景区
澄湖を中心とした湖景区は江南地方の風景を模している。

芝径雲堤
西湖の白提を模したもの。堤とつながっている環碧島、如意州、月色江声の三島は電設の蓬莱仙郷の名山三島を体現している。

金山
鎮江にある金山寺を模したものであるようだ。金山は白蛇伝の物語があることでも知られている。

煙雨楼
青蓮島に建っている最も有名な建物のひとつである煙雨楼。二階の乾隆帝直筆の煙雨楼の額がかかる。乾隆帝が気に入った浙江省嘉興の煙雨楼を再現させたものである。


平原区
万樹園はモンゴルの王侯貴族や使節と接見するモンゴル・パオが置かれている。

山景区
四面雲山亭、南山積雪亭、鐘峰落照などが配置されている。


体調がすくれず印象が定着できない旅となりました。あなたは満州族ですか??いいえ私は漢民族です・・・・。ここにも満州族は見当たりませんでした。皇帝の国は今皇帝のいない国に初めてなろうとしています。

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