2023年12月1日 歌が好きだ。生まれて初めて歌ったと記憶しているのは春日八郎の「お富さん」。 この歌は昭和29年に発表されているので、私が4歳ということになる。 ラジオがつけっぱなしだったので、当時はやりの歌謡曲が何度も流れ、 歌詞の意味も理解せず、自然に覚えてしまったらしい。 高校、大学では合唱部で下手な歌を歌っていた。その後パソコンが普及し、 15年ほど前から大容量の記憶媒体(ハード・ディスク)が手頃な価格で 売り出されるようになったので、早速これを入手し、若い頃から買い集めていたLPやCDの音楽をパソコンに取りこみ、パソコンの演奏ソフトからオーディオ装置に信号を流して聴くようになった。 最初は1TB(千GB)のハードディスクを使っていたが、「いくらでも取りこめる」ので調子に乗り、どんどん曲が増え、その都度ハード・ディスクを容量の大きなものに買い換えることを繰り返し、とうとう2023年10月には6TB(6千GB)のものを使うことになった。ちなみに現在使用している領域は3.6TB(曲数にしておよそ5万曲)である。 そこで、やっと本題。 いわゆる「詩文を語る」日本の芸能には、古くから琵琶法師による音曲や、 長唄、端唄、小唄、浪曲、詩吟、浄瑠璃など多くの種類があるが、 これらを対象にすると話が拡がりすぎるので、主に明治以降、西洋音階で 日本語の詩を「歌う」ことに限定します。 私は常々、「歌曲」というのは「メロディーにのせて詩文を語ること」だと 考えている。 ところが、さまざまな曲を聴いていると、特に日本の叙情歌、歌曲で、語るような歌い方をしている歌手(特に声楽家といわれるクラッシックの歌手)が非常に少ないので、このことをいつも残念かつ不満に思っている。 そしてつい先日、YouTubeで偶然見つけた「くちなし;高野喜久雄;詩 高田三郎;曲」という曲がまさに語られているのを見つけたので、この駄文を書く動機になった。 歌手は橋爪明子さん。リンクを張っておきますので、ぜひお聴きあれ。 ほかにも「くちなし 髙野喜久雄」で検索すると数多くの歌手が ヒットしますので、聴き比べてみてください。 橋爪明子;くちなし 日本の歌手で語るように歌う人はまず藤原義江がいる。この人に続くのが 森繁久彌だ。 藤原義江;この道 森繁久彌;ゴンドラの唄 お三方とも詩文のフレーズ間の微妙な「間(*)」が何ともいえず 心に沁みわたる歌いかたです。 例えるなら、飛び石の連なる小径を片足で交互に一歩ずつ踏みしめ、ときにはそのまま少しのあいだ片足で立ち止まって微妙な「間」をあけ、聞き手が詩文を噛みしめて充分味わうのを待ち、おもむろに次のフレーズに進むという歌い方である。 「要するにゆっくり歌えばいいんだろう」などと言うなかれ。 片足でじっとしていると、体幹が弱ければずっこけてしまうように、 歌もずっこけてしまうのだ。皆さんそれが怖いので、どうしても さっさと、あるいはボロが出ないように脱兎のごとく、跳ぶように歌ってしまうのである。 また、単にゆっくり歌うだけで、詩の文言を聞き手の胸に沁み込ませるという緊張感がないと、のびきった麺を食べているような味気なさになってしまう。 これでは余韻も何もあったものではない。 絵画や書において「余白」が大事であるのと同じことだと私は思っている。 おっと,あやうく書き漏らすところだった。奥田良三さん(故人)と田村麻子さんがいた。この人たちも肺活量がすごくあるようで、充分な間を取って歌っています。 奥田良三;初恋 石川啄木 越谷達之助 奥田良三;からたちの花 北原白秋 山田耕筰 田村麻子;赤とんぼ 田村麻子;宵待草 クラシックの声楽家でなければ、何人か挙げることができる。すぐに思いつくのが長谷川きよしさんだ。この人、ほとんどバックバンドを使わず、ギターだけの弾き語りだから、間をいれるのは自由自在だ。デビュー当時のヒット曲、別れのサンバを始め、カバー曲もいくつかYouTubeに出ている。自演のギターも抜群にうまい。 長谷川きよし;別れのサンバ 長谷川きよし;傘がない;井上陽水 長谷川きよし;三月の歌、谷川俊太郎、武満徹 ギターの弾き語りといえば、「すぎもとまさと」だ。吾亦紅その他、 情感こめて語っている。 すぎもとまさと;吾亦紅 すぎもとまさと;冬隣 すぎもとまさと;紅い花 すぎもとまさと;かもめの街 すぎもとまさと;惚れた女が死んだ夜は すぎもとまさとの関連で、ちあきなおみの曲もいくつか上げておきます。 どれも有名な曲なので、あえてリンクは張りません。YouTubeで検索すると、すぐに出てきます。 ちあきなおみの曲: *星影の小径 *黄昏のビギン *喝采 *ルイ *ねえあんた *矢切の渡し *ルージュ *秘恋 *かもめの街 *冬隣 *役者 *紅い花 以上、健康サプリメントのただし書きではないけれど、これはあくまでも私個人の好み、感想ですので、そこのところをよろしく。(笑) 60歳以下の方で、幼い頃からリズムの強い歌ばかり聴いて育った人には、 このような歌い方はまったく理解できないかもしれませんな。 (*)歌の「間」に関しては、かつて歌手のやしきたかじん(故人)が、歌のレコーディングの実状をテレビ番組で話していたことがある。それによると(いつ頃からそうなったかはしらないが)、レコーディングは伴奏部分を各パートごとに数回にわけて別個に録音し、それを重ね合わせて歌手に聞かせながら声を録音するのだそうな。だから歌い手はカラオケの伴奏を聞きながら歌うのと同じで、間の取りようが全くない、と嘆くように語っていたのを覚えている。 また別の番組での話であるが、現在のレコーディング技術では、22チャンネルの録音が可能だそうな。すなわち最大で22回の録音を重ねることができるということだ。 "らくがき帖"へ "カイロプラクティック・アーカイブス"へ |