●韓国人と日本人の違い
 『ワサビの日本人と唐辛子の韓国人』
 呉 善花(お そんふぁ)[祥伝社] は、韓国人と日本人の考え方や感じ方の違いを分かり易く書いてある。
以下、抜粋
---すべてを水に流す歴史観・・・そこには、何か絶対的な力に対する「徹底した受身の姿勢」が感じられてならない。・・・すべて、意識の深いところにある「自然力」に対する、強い崇敬の念に発するものではないかと思うのである。---

『日本人の宗教感覚』山折 哲雄[NHKライブラリー]
以下、抜粋
---【寺田 寅彦の「天災と国防」(1935)「日本人の自然観」(1948)を引用した部分
 日本は西欧の文明諸国とくらべて特殊な環境による支配を受けており、その最大ものが地震、津波、台風による脅威である。
 ・・・自然に逆らうかわりに自然にたいして従順になり、自然を師として学ぶ態度が生まれ、その結果日本における科学の独自の発達がうながされた。】
--山折の文、
以下、抜粋--私は、日本人における道徳と宗教の関係を考えるとき、和辻の「慈悲の道徳」と寺田の「天然の無常観」という考え方がたいへん参考になると思っています。この近代日本を代表する二人の知識人の思想のなかに、道徳と宗教にたいする日本人の根本的態度を探るカギがかくされているように思うのであります。---



 「山の神はしこめで、おこぜが好き。男根が好き」こういう神を愛し、川〜の神さま、どいとくれと言って川におしっこしたり、お盆にあの世から一時帰省するご先祖さまを迎えたり、ぼくには違和感ないけど、他の国の人には”ちょっと変”って思うところかもしれない。(2003.3.9)

■続き・・・”戦争責任”
  抜粋--
 韓国人の考えはふたつの点に集約できる。
 ひとつは加害者=日本人であることを忘れさせないために無限に責任を追及することが祖先に対する義務であり、もう一つは、アジアへの侵略は日本人の資質に由来しているとする考えだ。
 一方、日本人の多くは国家,社会,個人の責任を区別しているようである。---



 ぼくは、日本人は”外圧に対して受け入れが早く”、同時に”考えの切り替えが早い”と思う。 それは『自然に対して従順』とならざるを得ない、自然環境に由来するものかもしれないと思う。(2003.4.30)

●『ワサビの日本人と唐辛子の韓国人』キーワード”神を信じないで善を尽くそうとすることは、大きな罪だと思う””食器の文化””旅館文化””自然の洗い出し”
『今日の芸術』岡本 太郎[知恵の森文庫]・・・”私の十数年間のヨーロッパ生活と五年にわたる中国の生活をつうじて感じとったところでは、日本と中国の距離というものは、ヨーロッパとの距離とほとんどひとしいくらい、あるいはさらに遠くへだたっているようにさえ思えます。民衆のモラル、つまり道徳感情から美意識食べものの好み、人間どうしの交わり方など日本ではまったく想像もできないくらい正反対です”
『日本とは何かということ』司馬遼太郎 山折哲雄[NHKライブラリー]・・・”司馬-われわれは自分自身を説明する言葉をもてば、次の世紀は、日本人にとって、わりあい、やり甲斐のある時代になると思いますね”(2003.8.17)

●本
   『韓国民に告ぐ』詳伝社黄金文庫 金文学、金明学(2004.5.17)

日本人は、世界の中でもまれな感性を持った民族なのかもしれないと思い、顔も似ていて場所も近い韓国の人はどんな考えをもっているだろうか調べている。この本は韓国に批判的だ。日本にない韓国の一面でもあるのだと思う。韓国内で排除されている本だと知ったが載せておくことにした。(2004.5.30)

●リンク 在日韓国人の社会成層と社会意識全国調査報告書
        ↑ホームページ(2004.5.30)

●神道とイスラム教
神道は分かりづらい。教義がない。神道を分かりやすく説明している文がある。『神道は道徳をもとにした日本民族固有の信仰・思想として生まれたもので、遠い祖先以来連綿として続いた長い歴史を通じて、日本民族の伝統的信念および生活信条として発展した理想的な道徳であって、精神生活の上に貢献してきた』神道がよくわかる本・・・安部正路
一方、世界三大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教)の一つ、イスラム教は一神教で、信者は10億人くらいと言われているが、なじみがない。ここに、漠然とだが分かる文がある。『あるイスラム教徒はいう。「イスラム教は日本人が考える宗教というよりは人生のあり方”ウェイ・オブ・ライフ”と考えたほうがいいでしょうーと」』イスラム教の本・・・学研



神道とイスラム教の求めるものは人のあり方で、片方は人の中に行事風習としてあり、もう片方は教義としてあるところが異なるところだと思う。(2004.7.11)

●先祖の供養
韓国では、先祖の無念を晴らすことが、先祖の供養になる。だから、戦争加害者の相手の国を非難しないということは、先祖をおろそかにしていることになる。非難を自分の代で止めるなんてことは、とんでもないこと。・・・と韓国の人は考えているのではないか、と感じる。
一方、日本では、起きてしまったことは変えられない。それならば、未来をより良く変えることが、先祖の供養になる。・・・と、大方の人は考えていると思う。
このような日本人の考え方は、予期できず、一瞬にしてなにもかも破壊しつくす地震の脅威に対して、敵対心を持ってもしかたなく、ただ受け入れるしかないと思う心に拠っているように感じる。(2005.3.22)

●戦争で死んだ人のために
日本では多くの民間人が殺された。都市部への爆撃、原爆投下。これらの行為を正しかったと言う人々がいる。まさに爆弾を落とした国の人々だ。そんな彼らと打ち解けて付き合うことは心情的に確かに難しい。しかし、その行為を以って、日本への優遇を計らせることなどあってはならない。死んだ人への冒涜だ。やせ我慢して、自国も他国も正しい方向で導くことが、戦争で死んだ人のためになると信ずる。
苦しみをじっと抱えて付き合うことができれば、なにかしら良い方向に進めことができるはずだと信じたい。戦争で死んだ人を利用してはいけない。(2006.2.23)

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安曇野スイス村で山下清展をやっていた。記念品販売の机の上にあった。同時に絵の個展を開いていた人の作とのこと。スバラシイーナー。かぼちゃに絵。
[おばあちゃん]