●五重塔
建てた目的・・・って、、、
美しい形だ。
でも、なんで五重なんて形になったのだろう。
二階建てで飽き足らなくなったのか?
思うに、これは心柱の屋根なんじゃないだろうか。

太くて高い柱
は、象徴だった。
そうー、みんなのシンボル!心のよりどころ!
それを永く永く持たせるためには、雨風から守る必要がある。
屋根があった方がいい!
高さがあるだけに一つじゃ足りない。
そうなんだ。
五つの屋根が必要だったんだ。
(2002.3.16)

■さらに・・・
”心柱があった方が建てづらい”のであれば、”心柱のために造った建築物”と説明を付けられそうだ。
実際のところ、どうなのだろうか?
初期の塔の心柱は掘っ立て柱で深く埋まっていたそうな。
話は飛ぶが、太く長い柱を真っ直ぐに立てるのは、難しかったと思う。
出雲大社は24mの高さがあるが、その昔は48mとも96mとも伝説がある。
事実、3本合わせの柱が発掘されている。
太く長い柱を立てる技術があったことは事実のようだ。(2002.9.16)
★出雲大社
出雲大社の主人公の一つは『柱』だ。
その他の主人公は『千尋』,『板』・・・「日本書紀」によれば。その『柱』、
大社を成す中心の一本が、本来の象徴したいものだったかもしれない。
 「古代出雲 巨塔の謎 祖田浩一」を読んでいたら、そう思えた。
-------------以下、抜粋---------------
 古代における代表的な形が出雲と伊勢に伝えられた、大社造りの様式の特徴は、建物の平面にある。正面と側面はともに柱間が二つずつで、中央には『心御柱』(しんのみはしら)と呼ばれる柱があり、全部で9本の柱からなっている。
従って、平面は田の字形としている。
屋根は切り妻で、妻が正面を向き、妻入りとなる。これも特徴の一つである。
入り口は向かって右側についており、階(きざはし)も右側に寄せてある。
正面左側の柱間には、蔀度(しとみど)がはめられ、側面と背面は閉ざされ、板壁である。
内部の、心御柱と右の側柱との間には、間仕切壁がある。御内殿と称する上座は、西を向いている。
(入り口は南向き)従って、参拝者はいつも御神体を真横から拝む形になっている。
柱の太さは『心御柱』が最も太い。
次いで『宇津柱』(うずばしら)である妻側の中央の柱が二番目に太い。
この柱は少しだけ、外に飛び出している。この柱は少しだけ外側に飛び出している。
つまり、隅の柱の中心を結ぶ線より、わずかに外側に出ていて、上は棟木までの伸びている。
梁のところで、切られていないところに、特徴がある。
-中略-
この頃(西暦1,000年頃)の大社造りは掘立柱で、礎石などはなかった。
土を運び、幾人もで柱の根方を固く就き固めるやりかたであった。
精神的な祈りをこめて、ゆっくり回りながら突き固める。
これは、重要な儀式の一つでもあった。-------(2002.10.6)

●五重塔の構造
五つの層が心柱を風雨から守る屋根ならば、心柱とは接触してないのではないかと思っていた。
『宮大工 千年の知恵』祥伝社黄金文庫 宮浦昭次著 に、心柱が各層の梁や柱から独立して立っていて接触していないとあった。
法隆寺の五重塔の初層には塑像郡が安置されているが、2層以上は床も壁もない。。(2003.10.18)(2003.10.25)
塔の種類
三重塔,多宝塔などある。
多宝塔は下層の塔身が四角形、上層の塔身が円筒形になっている。
心柱は独立した構造である。
東大寺にはかって高さ100mの七重塔が東西にそびえていたそうだ(2003.10.25)
脇田英治のホームページ【日本の仏塔】
●法隆寺五重塔の上の鎌
相輪と呼ばれる金属の輪に鎌がささっているが、諏訪神社の御柱には薙鎌を打ち込む神事がある。
「諏訪神社 謎の古代史 清川 理一郎」(2003.11.3)

●法隆寺五重塔の高さ
『資財帳』には塔の高さを16丈(48.48m)としているが、実測値は
10.744丈(32.56m弱)である。 「隠された十字架 梅原 猛」
この差は何かと思う。。。
五重塔は建築の当初、屋根の上に心柱が露出していたが風雨で腐食してしまったため、金属製の飾り・象徴に変えたということはないか。
それと、16丈と言えば、出雲大社が元々あったと言われる高さを連想させる。
【1丈=303cm】
(2003.11.3)
●「五重塔はなぜ倒れないか 上田 篤編」で編者が書いている。
−−−以下、抜粋
『・・・そして五重塔は、その日本人の信仰対象ともいうべき心柱の覆い、つまり奥州平泉の中尊寺の金色堂を覆っているような一種の「鞘堂」ではなかったか。
伊勢神宮も、それが心の御柱の上に立つランドマークであるなら、あの華奢な五重塔の架構もじつはこのような心柱の鞘堂でしかない、という推測がなりたつのであろう。』−−−(2003.11.19)
★出雲大社のこと(2004.6.6)
古代出雲大社築造の謎(井上筑前守公式ホームページ)
出雲大社境内遺跡(山陰中央新報)
●薙鎌
神木に薙鎌を打つ、神事が大宮諏訪神社にある。
大宮諏訪神社の神事紹介のページ
同ホームページ(2004.6.10)
●人ならでは
岡本太郎の『美の呪力』を読んで思った。
柱を立てたところで、なにも生活が便利になるわけではない。
その行為に自分で意味を与えて感じることができるのは、人ならでは、人間ならではの事だと思う。
なんの変哲もないただの柱を信仰の対象とするとは、あきれるほどの想像力、意識の力だと思わずにはいられない。
一方で、一見無意味と思えることも、人には欠くことのできない必要なことなのかもしれないとも思う。
柱を立てる意味の延長線上に五重塔があり、出雲大社があったのではないかという考えがさらに深まった。
元来、神道の信仰とは自然崇拝であり、大雑把には自ら創造した対象物に対しての信仰であると言ってもいいと思う。

世界のほかの地域に、木や石やマウンドといったものを信仰する人がいるということは心強く、なにか救いを感じる。(2005.4.3)
■人ならでは2
石の遺跡と言えばピラミッドと印象だが、なぜ造ったのかという問いに想像力を必要とすると言う点ではピラミッドを超える遺跡がイギリスやアイスランドにある。

(2006.10.17)
●起源
そもそも、何故、立てた木を大事に思っていたのか。
ここが分からなかったが。
ひとつこんな風に考えてはどうだろう。
大昔、木を立てることは、とても基本的なことで大事な作業だった。
家を作るために不可欠だったからだ。
これは、一人ではできず、共同で行う大事な作業だった。
立て方を継承するために、定期的に立てていた。
永く、永く、行なわれた。
そうこうする内、いつも間にか柱自身が大事なものになってしまっていた。
当初の目的は、忘れられ、柱を大事に扱うようになった。

同じように、三内丸山にある盛り土は、大事なもののゴミ捨て場だ。
大事なものを捨てた場所だから、大事にしていたのだが。
いつの間にか盛り土になった場所を大事にするようになった。
そして、盛り上がった土を大事に思うようになった。

そんなことが起源ではないだろうか(2007.4.15)

富士山の斜面
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