☆桃兎の小説コーナー☆
(08.04.23(
16)更新)

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 レスは日記でしております〜。

 


 ドラゴンマウンテン 番外編  

  4. 友の為に出来る事 (メインキャラ・アレイス)(時系列・一話から5年前)
 
 
     

 そこは、ランタンの明かりだけが揺れる、薄暗い宿屋の一室だった。
「……カーテンくらい開けりゃええのに。昼間やで?」
 アレイスは予想通りだったその光景に、呆れて一つ溜息をついた。
 部屋の隅の椅子に座り、古びたランタンの炎をじっと見つめていた男が、その明るい声
に気付いてふと顔を上げる。
 男のくすんだ瞳に映ったのは、良く知っている男の姿だった。
「アレイス……か?」
 アレイスは只でさえ糸のように細い目をより一層細くしてにっと笑った。
 後ろで一つに纏められた、ピンと跳ねるクセのある明るい茶色の髪に細身の体。決して
顔はハンサムというわけではないが、どこか愛嬌のある顔立ちだ。背中に愛用の弓と矢筒
を背負い、そして胸には見慣れない金色のバッジが輝いている。地方の訛りの入った言葉
を話すこのアレイスという男は、男の友であり、戦友だった。
「まだ腐ってたんかいな。首都に居るとは知っとったけど、全く、お前を探すん苦労した
んやで? こんな首都のはずれの宿屋に居るとはなぁ。この引きこもりめ」
 アレイスは男に近づくと、そのおでこを人差し指でピンと弾いた。
 だが、弾かれた男は表情一つ変えず、すっと目線を反らしただけだった。

 男は無気力になっていた。生きる事に意味が見出せないでいた。
 友であるアレイスが一年ぶりに尋ねてきたにもかかわらず、この反応だ。
 月の光のように眩しかった銀髪は艶が無くなり、あの綺麗だった髪はもはやただの白髪
に見えるし、鋭く闇を射る様だった深い紺色の瞳には光が無い。
 ただ一つ、唯一一年前と変わらないのはその屈強な体だった。彫像の戦士の様な無駄の
無いしなやかな筋肉は、相変わらず見事の一言に尽きる。
 これだけ生気が無くなっているにも関わらずこの体を維持できているという事は、今も
変わらず鍛える事だけは忘れていないという証拠だろう。
 もしくは、その体を『稽古』という名を借りてただ苛め続けているか、だ。
 戦場で恐れられ、『銀色の炎』という二つ名を持っていた男とは思えない変貌っぷりで
はあったが、その体を確認してアレイスはにっと笑った。

「大分死んでるみたいやけど、ガタイだけは維持してんねんな?」
「……この拳を振るう気など……もう無い。帰ってくれ」
「そういうわけにもいかんねん」
 アレイスは明るくそういうと、この一年ずっと閉じられたままであろうカーテンをざっ
と開け放った。
 太陽から降り注ぐ眩しい光が、一気に部屋を照らしあげる。
「……っ!?」
 一年ぶりに浴びたであろうその日差しに、男は思わず顔を背ける。
 日差しは男の褐色の肌を照らし、白髪になったような銀髪に輝きを与えた。
 だが生気の無いその視線は、今だランタンに釘付けのままだった。
「そろそろ蓄えとった金も底つきるやろ? それともこのまま死ぬ気か?」
 アレイスの言った事は、正しかった。
 男が戦場で傭兵として稼いだ金は、もう僅かしか残っておらず、もう数日もすればこの
宿からも出て行かねばならなかった。
 そして、男の頭にあったのは、死という一文字だった。
 果てしない後悔の末に自分を見失った男に、生きる意味などもう無かったのだ。
「なぁ、ガント。お前にやらせたい仕事があるんや。今俺がやってる仕事やけどな? お
前にもぴったりやと思うんや。むしろ俺よりお前のが向いてる」
 アレイスは机に腰掛けるとランタンをひょいと取り上げ、灯っている炎をふっと消した。
「っ!!」
 突然、ガントが激しい勢いで立ち上がった。
 凄まじい気迫の怒りの表情で、アレイスを睨みつける。
 アレイスは普段の明るい雰囲気とは真逆の表情になって、ガントを睨み返した。
 お互いの額が触れるか触れないか、そんな距離での睨み合い。
 アレイスは細い目をすっと開いて、その緑色の瞳で濁った紺色の瞳の奥を睨んだ。
「そんなにあの子の所へ行きたいんか!? なら迷わず逝ってしまえっ! それすら出来な
いクセに、なぁ? ガントレット・アゲンスタ!」
「――っ!」
 言い返すことも出来ず、ガントはただ奥歯をかみ締めた。
 死ぬ事は簡単な事だ。
 戦場で幾人もの人を殺してきた二人にとって、それが如何に簡単に起こる事なのかは、
良く分かっている事だった。
 だが、死を望みつつもガントが死なないその訳を、アレイスは知っているのだった。
 だからこそアレイスは、彼の心を捉える『火』をあえて吹き消した。
 震えるガントの胸ぐらを掴み、アレイスはにっと笑った。
「傭兵と違って、平和的に自分の力を存分にふるえる仕事や。まぁ、試しに見に来いよ。
どうせ、金もないんやし、な?」
 ガントはアレイスの手を振りほどきランタンをひったくると、長い事使っていなかった
であろうバックパックの中にそれを押し込んだ。
 そして、くるりと反転して、部屋の奥のドアに手を掛けた。
「ガント、何処行くんや?」
 アレイスの問いかけに男は足を止め、振り返りもせずに一言告げた。
「……出かけるんだろう? 風呂に行く」
「そっか、行って来い」
 ドアの向こうに消えた男に向かって、アレイスはひらひらと手を振った。
「さーて、こっからやな」
 アレイスは機嫌よさ気に机に腰掛けると、その窓の外に目線を向けた。
 首都カデンツァからでも見える、巨大で偉大な山、ドラゴンマウンテン。
 隣の部屋から聞こえる水音に合わせて適当に鼻歌を歌いながら、アレイスはその先の事
を考えていた。
 だが、今頃になってじわりと嫌な汗が背中に滲んできた。
 体がカタカタと震え、今にも漏らしてしまいそうな程だ。
 アレイスはひきつった笑いを浮かべながら、その目をきゅっと閉じる。
「……それにしても、さっきは殺されるか思たわ。俺、超頑張ったな、マジ頑張った」
 後になってやってきた恐怖にふるふると首を振り、アレイスは自分のやったことを褒め
る様にうんうんと頷いた。

         1

「眩しいな」
 馬に跨ったガントが、すっと目を細めた。
 山へと続く街道を行く二つの影。
 周りは穏やかな何処までも続く大草原で、風は優しく、空は雲ひとつ無い青空だ。
 豊かに降りそそぐ光は草原の草に反射し、周りは息を呑むような美しさだった。
 グランディオーソの大平原。
 首都から続くこの道は、昼間であればモンスターが出る事も殆ど無いくらいの安全な道
だ。何も無い、延々と続くこの長閑な道を、遠く山からやってくる風が草を揺らすざわざ
わという音と、かっぽかっぽというリズミカルな馬の足音だけが、ただ響いていた。
「この国は良いよな。穏やかで、緑が生き生きしとる」
 両手離しで馬を操るアレイスは、ん〜! と背伸びをして、ぷはぁ! を深呼吸をした。
それを見たガントが表情を僅かに緩める。
「相変わらず、馬の扱いは一級品だな、アレイス」
「俺のたった二つの特技や。そういうお前も、一応ちゃんと馬に乗れてるやないか」
「お前に仕込まれたからな」
 アレイスが乗っている美しいの栗毛の馬とは対照的な軍馬の様な黒い馬を撫でて、ガン
トは苦笑した。黒い馬は嬉しそうにぶふぅと鼻を鳴らすと、頭をふるふると振った。
「あんだけ死に掛けてたのに、自分の馬を維持しとったんもビックリしたわ。とうに売り
払ってる思とってんけどな」
「戦場で手に入れた唯一の戦利品だ。それに、コイツは俺を乗せてくれる良いやつだ。売
る訳無いだろう」 
 ガントの体は一八六センチの長身で、体重も軽くは無い。
 それにガントからは僅かに獣の気配が漂っていた。常人には分からないその気配も、動
物には伝わってしまう。その事が災いして、ガントに懐く馬など、それまで一匹も居なか
ったのだった。
 だが、この黒い馬は違っていた。
 若い馬ではあったが、その体は大きく、誇り高く、そして肝が据わっていた。
 炎の戦場の中、激しい戦いの末打ち倒され地面に崩れ落ちた主を、この馬はじっと眺め
た後、敵であるはずのガントにすっと近寄って頭を下げたのだ。ガントを新たな主として
認めたという、この馬の意思だった。
 ガントには馬の意思など分からず、ただ不思議に思っただけだったが、自分に寄って来
てくれる馬に出会えた事が素直に嬉しくて、連れて帰ったのだった。
 馬に乗れないガントだったが、アレイスの特訓の甲斐もあって戦場で問題なく乗りこな
せるまでに腕を上げた。
 だが、腕前と馬への知識という点については、アレイスには遠く及ばない。
 アレイスは自身の愛する美しい馬に跨りながら、黒い馬を頭の先から尾の先までぐるっ
と眺めた。
 馬の毛並みは良く、黒く長い尾も鬣も、ちゃんと手入れしてあるようだった。
 馬の体の筋肉が若干落ちたようには感じるが、すぐに戻るだろうとアレイスは感じた。
「おー、ちゃんと乗ってやってたんだな?」
 嬉しそうに笑うアレイスに、ガントは浅く頷いた。
「一応、な。この一年夜しか俺は外に出なかったからな…。コイツにも悪い事をしたとは
思う」
 久しぶりの青空の下が気持ち良いのだろう。黒い馬は首都を出てからずっと機嫌が良い。
「乗ってやって、手入れをしてるなら良いさ。夜だろうが、昼だろうが」
 正直、怒られると思っていたガントは少し意外な顔をした。
 それを察して、アレイスがははんと笑う。
「まぁ、俺から言わせりゃ『ひでぇ』の一言やけどな? こんな主に忠実な馬、早々おら
へんっちゅうのに」
 アレイスのその一言に、「そんな事無い!」と主張するように、彼の愛馬が首をぶんぶ
んと振りだす。それに慌てて、アレイスは馬のすらりとした首にがばっと抱きついた。
「すまんすまん、お前が一番可愛ええ! 綺麗やし、俺の言う事よう聞いてくれるもんな
ぁ! 妬くな妬くな」
 目じりをだらりと下げて、アレイスは馬の首にすりすりと擦り寄る。
 茶色の雌馬もそれに答えるように頭を摺り寄せるが、足並みは乱れることなく、まっす
ぐだ。
「相変わらず、馬が好きなんだな」
「おうよ!」
 ガントの呟きにアレイスは勢い良く答えた。   
「所でだ」
 話を遮るように、ガントはぴしゃりと言い放った。
「俺を何処へ連れて行く気だ?」
 首都を出て二日。延々と続くこの道を馬で進んで、その最中、アレイスは何処へ向かっ
ているか、一切言わなかった。ガントも別段それを気にしていなかったのだが、流石に二
日も過ぎると気になってきた。ガントの問いかけに、アレイスはピッと北の方角を指差し
た。細く長い指の先に見えるのは、大きな、そしてこの国では知らぬ者など居ないほどに
有名な荘厳な山だった。
 決してレベルの低い人間では登る事の出来ないとされるその山を、ガントは曇った瞳に
映した。
「……ドラゴンマウンテン、か?」
「そうや、そこや」
 そう言いながらアレイスはすっと矢を番えると、きゅんと矢を斜め前方へと放った。
 どさりと言う音と共に、少し離れた所で野犬がごろりと倒れこんだ。
「寝てろー」
 アレイスは弓を背負いなおすと、再びその両手を頭の後ろで組んだ。
 アレイスの放った矢は殺す為の矢では無かった。
 安全に道を進む為の矢で、強力な睡眠毒の塗ってある矢だった。
 道中、アレイスはずっとこの調子だった。
 事前に危険を察知し、射程ぎりぎりに入ってから矢を放ち、しっかりと当ててモンスタ
ー達を黙らせていた。しかも、どの矢も急所をきっちりと外している。
 戦場で、必殺の一撃で敵を打ち抜くアレイスとは全く違うアレイスにガントは少し驚い
ていたが、今のアレイスの方がよりアレイスらしくて妙に納得してしまう。
「……殺さないんだな」
 ガントの問いかけに、アレイスはにっと笑って答えた。
「別に殺す必要は無いからな。それに今の俺は、一応町の子供達の憧れの存在なんやで?
いわゆるお手本みたいなもんや。せやから無駄に殺したりせぇへん。格好ええやろ?」
 そう言って、アレイスは胸に光る金色のバッジをぴっとガントに見せつけた。
「憧れ……手本?」
 ガントは分からないといった表情で、眉を寄せた。

「おう。お前かて聞いた事位はあるやろ? ドラゴンマウンテンのレンジャーって存在を」

 ガントは驚いて目を見開いた。
 アレイスはニヤリと笑い、ピンと跳ねた茶髪を風に躍らせた。

     2

「まさか……、レンジャーをやっているのか!?」
 ガントは目を見開き、思わず大声を出した。
 その声に驚き、アレイスの馬が一瞬跳ね上がる。
「そんな驚くなや。俺のシンシアがびっくりしたやろが」
 アレイスは愛馬をなだめるように撫でて、口を尖らせた。
「レンジャー……、あの過酷な山で……お前がレンジャーを?」
 信じられないといった表情のガントに、アレイスが目を細めて乾いた笑いを浮かべた。
「そりゃ、俺はレンジャーの中でも最弱や? 傭兵時代のまんま、力もあらへんし、体力
も無い。でもな?」
 アレイスはニヤリと笑い、ちらりとガントに視線を向ける。
「そこに森があれば、俺は……?」
「……最強だな」
 アレイスの問いに、ガントは確信をもって答えた。
 森の中でのアレイスは異常なほど強くなる。
 それは、一種の特技であり、アレイスが傭兵として無事生き抜いた理由の一つだった。
 どんな森であろうと、アレイスに掛かればものの数時間で全てが丸裸になってしまう。
 モンスターの位置、敵の位置、湧き水、川の場所。全てだ。
「あの山は、二合目までが森なんや。しかも通称『迷いの森』。まるで俺の為の職場や。
どんなに過酷だろうと、俺はどのレンジャーにも負けへん。役に立つ。あの森の中ならな」
 アレイスは胸を張り、腕組みをしてにっと笑う。
「レンジャー言うたら、ホンマは高いトコまで一人でいけるようにならなあかんけどな?
俺は特別に許されてる。俺の能力をみんなが認めたんや。別に森の仕事だけでも余裕で食
っていけんねんで? レンジャーは儲かるんや。命懸ける分だけな。死なんかったらええ
ねん。そして、森でやったら、俺は死なん」
「だろうな」
 戦場でのアレイスを思い出し、ガントは目を細めた。
 二人が最後に戦ったのは国境付近の森の中だった。
 それを思い出すと同時に暗い記憶がよぎり、少し明るくなりかけていたガントを再び暗
い気分にさせる。
「まぁ、他のレンジャーが俺を強引に上に連れてく事もあるんやけどな? 全く……。っ
て、おい、ガント?」
 アレイスに呼びかけられて、ガントははっと顔を上げる。
「あ、あぁ」
 慌てて返事をするが、その声に張りは無い。
 アレイスはあえてにっと笑い、馬をガントに寄せてその肩を叩いた。
「お前には俺と一緒のレンジャーになってもらおうと思ってるんや。どや? 大喰らいの
お前も食の心配する事無いくらい稼げるし、お前の強さがあれば、問題ないはずや。試験
かて、余裕でクリアできる……」
「ダメだ」
 明るく話すアレイスの言葉を、ガントが低く重い声で遮った。
「もう……拳は振るわない。自分の大事なものすら救えない、こんな拳は……!」
 ガントはその拳を握り締め、ぎりりと奥歯をかみ締める。
 怒り、後悔、自責、悲しみ。様々な思いの混じったその表情は、まさに苦悶の表情だっ
た。
「愛するものを失った痛みは、重い……か」
 アレイスは小さく呟いた。  


 ガントは、不器用な男だった。
 そんな男が、前線の戦場で見つけた一筋の光。
 前線の森の中にある村、そこに居た一人の女性。
 男と女は出会い、そして互いに恋に落ちた。
 男は不器用なりに女を愛した。
 お互いにまだ二十歳になったばかりで色々と未熟ではあったが、控えめで優しい女は、
男を支え、その愛に答えた。
 ガント達の隊でもその二人の恋は公認で、不器用な隊長の恋が長く続けば良いと、誰も
がそう思っていたのだった。
 戦場に出かけて行く男を女は見送り、夜遅く男が帰ってくるまでランタンを片手に女は
待っていた。
 血にまみれた戦場での、ささやかな幸せ。
 だが、悲劇は起きた。
 そこは戦場の村、戦場の最前線だ。
 敵に見つかってしまったその村は、あっという間に焼かれ、占領されてしまった。
 それは、ガント達の隊が他の現場に駆けつけていた最中に起こったのだった。
 ガント達が慌てて戻ってきた時にはもう、村は占領されていた状態だった。
 救い出そうにも、救い出せない。そんなぎりぎりの均衡を、女が破った。
 手には魔法の込められた弾が握られていた。
 一発目は敵を撹乱し、捕虜となっていた村民は敵の手から一斉に逃げ出した。
 ガント達の隊はそれに合わせて一気に村に突入した。
 アレイス他、隊の皆は村人を助け、そして女が更に二発目を放とうとした瞬間、事は起
きた。

 マジックアイテムの暴発。

 それはこの戦場では珍しく無い事だった。
 常に物資の足りない前線では、必要に駆られて粗悪品がまわってくる事があるのだ。
 それが、女の手の中で爆発したのだった。
 ガントが女を抱き上げた時には、女はもう瀕死の状態だった。
 ガントの腕の中でただ一言だけ言い残し、女はあっという間に逝ってしまった。


「あなたはどうか生きて」


 死を思うガントが、死ねなかった理由がそこにあった。
 アレイスはふぅと一つ息を吐き出すと、目線を山に向けて小さく告げた。
「別に、強制せぇへん? 拳もふるわんでかまへん。一回俺についてきて、それでもあか
んかったら好きにしたらええ」 
 アレイスはそういうと、パンと馬の腹を軽くたたいた。それに答えて美しい馬は駆け足
に変わる。それに気付いたガントも、慌てて追いかけ、それに追いつく。
「さ、急がな日ぃ暮れるぜ。もう少しで目指す町、チークや」
「……」
 馬は駆け出し、傾きかけた太陽がガントの銀髪を赤く染める。
 ガントはただ無言で、アレイスを追いかけた。

     3

「只今ー!」
 日も暮れた午後六時、明るくよく通る声と共にアレイスは扉を開けた。
 レンジャーたちの住む家であり本拠地である『今昔亭』。
 チークの町の最も山に近い位置にあるその建物は、町の中でもかなり大きな建物の一つ
だ。
 その明るい声に気付いて、宿の女将と一人のレンジャーがアレイスを出迎えた。
「お帰り。アレイス」
「只今女将さん。おみやげあるでー?」
 少し横に大きな優しい女将は、みんなの母とも言える存在だ。
 その暖かい笑顔は、旅の疲れを優しく癒してくれる。
 アレイスは片手に持っていたワインを女将に渡すと、女将は嬉しそうに「ありがとうね」
と笑った。
 女将の笑顔につられて笑顔になるアレイスに、レンジャーの一人であるクロフォードが
尋ねた。
「一週間とは早かったな。で、どうだったんだ? 例の『レンジャーになるだけの力のあ
る男』ってのは?」
 流れるような金髪の端正な顔の男がアレイスと拳を合わせて旅の成果を尋ねた。
 クロフォードの発するイケメンの存在感に押されながら、アレイスは小声で答える。
「おう、クロフォード。ちゃんと探して見つけてきたで。まぁ、本人がヤル気になるかは
別やけどな? 大丈夫や。一度山へ連れて行く」
 そう言うと、アレイスは今だ中に入ってこないガントをちょいちょいと呼び寄せた。
 それに答えてガントは遠慮がちに扉をくぐると、扉の向こうに居た二人に向かって会釈
した。
「ふぅん、でかいな」
 クロフォードは自分よりも背の高いその男をアイスブルーの瞳で一瞥し、呟いた。

「アレイス、こいつはアンデッドか? 目が死んでるぜ」

 まるで絵画のような端正な顔立ちに合わせて作られたような、澄んだアイスブルーの瞳。
 だがその瞳は、そのイメージとは真反対に鋭く研ぎ澄まされた戦士のものだった。
 曇ったガントの瞳を一瞬で見抜き、冷たい視線でガントを射抜く。
「ク、クロフォード?!」
 普段はどんな態度の悪い客にも負の感情など見せないクロフォードの突然の悪態に、女
将は慌てて声を上げる。
「な、なんやクロフォード?」
 流石のアレイスも驚き、うろたえる。
「アレイスと山に行くんだろ? アレイス、こんなヤツを山に連れて行ったら、確実に死
ぬぜ? この男もだが、お前も死ぬ。コイツの負の匂いに惹かれた魔物の餌食になって、
死んじまうぜ」
 クロフォードの言う事がどこまで真実なのか、ガントには解らなかった。
 だが、そこまで言われても、ガントは微動だにしなかった。
「まぁ、俺様が何を言おうが、お前はコイツを山へ連れてくんだろうがな」
 クロフォードはくるりとガントに背を向けるとそのまま奥の階段へと向かっていった。
 そして、階段に差し掛かったところでガント睨んだ。
「お前、そいつを殺してみろ? ここのレンジャー全員から恨まれるぜ」 
 クロフォードは冷たく言い放つと、上の階へと上がって行った。
「……」
 『今昔亭』から出て行こうとするガントを、アレイスはその腕を掴み引き止めた。
「気にすんな。アイツはアレでもレンジャー四年目にしてナンバーワンになった凄い奴な
んや。言うてみればみんなのリーダーみたいなモンや。大丈夫や。それに俺がこなす予定
の依頼は俺用の俺にしか出来ない依頼や」
 アレイスはカウンターのあった依頼書を一枚ひらりと引き抜くと、ぴっとガントに突き
つけた。
「迷いの森で……プラントベアを一体……捕獲してきて欲しい」
 ガントはその文面を読み上げ、アレイスが俺用の依頼といった意味が分かった気がした。
 森での依頼ということもあったが、プラントベアというモンスター名がそれを確かな物
にしていた。
 プラントベアはこの国ではそこそこ有名なレアモンスターだ。
 通常の小熊サイズのこのベアは、草食の体中に苔を生やした熊だ。
 依頼人が国の研究員という事からも、そのレア度が分かるというものだ。
 数の少ないモンスターを見つけて、更に捕獲するとなると、森を完全に把握している人
物でないと難しい。
「確かにその依頼はアレイスにしかできないだろうよ? でも一人じゃ……」
 アレイスははっきり言って非力だ。通常の男性より多少強い位の腕力しかない。
 ベアを倒すならまだしも、それを森を突っ切って帰りながら此処まで背負って帰ってく
るとなると話は別だ。
 女将の心配そうな声に、アレイスはうんうんと頷いた。
「だから、コイツをつれてくんや。女将」
 アレイスは自信満々にガントの腕を組み、親指を立てた。

「コイツはガントレット・アゲンスタ。俺の戦友で、大事な友人や」

 アレイスの何気ないその言葉に、ガントの心が僅かに揺れる。
「ガント、約束だ、金は半分やるよ。一〇〇〇ルートだ。一回山へ行って帰ってくるだけ
でこの大金だ。良いだろ? お前の仕事は俺が仕留めたベアを担ぐ事、それだけだ。な?
行くだろ?」
 アレイスは笑顔でガントに問いかけた。
 暫くの沈黙の後、ガントは縦に首を振った。
「……解った。行こう」
「そうと決まれば! よし、今日は俺の部屋に泊まれ!」
「いいのか? 部外者だぞ?」
「かまへん、な? 女将」
「仕方ないねぇ、特別に許可するよ」
「うーし! せやったら荷物を上に置きに行こうぜっ!」
「……」
 ガントは自分の唯一の荷物であるバックパックを手にもち、奥の階段へと向かうアレイ
スを追いかけた。
 歩く度に揺れるバックパック中で、古びたランタンがカシャリと音を立てた。

     4

「アレイス」
 朝、共用の洗面所で顔を洗うアレイスを呼び止めたのは、クロフォードだった。
「おう、おはようさん……ってうお?!」
 タオルを手に持ったまま、アレイスは洗面所の向かいにある裏口の扉の向こうへ強引に
連れて行かれた。
 そこは『今昔亭』の裏庭だった。
 アレイスは顔を拭きながら、真剣な表情のクロフォードに問いかけた。
「何や? いきなり」
 まだ新しいレンジャー服に飛び散った雫を拭きとりながら、アレイスは首を傾げた。
 アレイスのレンジャー服は鮮やかなオレンジ色だ。
「本当に行くのか? アイツを連れて」
「お前もわかってる癖に聞くんやなぁ。行くったら行くで」
 ダンッ!
 クロフォードが、アレイスの背中にある『今昔亭』の壁を激しく叩きつけた。
 突然の音に、アレイスはその細い目を思いっきり開いた。
「な、なんや」
 クロフォードは耳障りの良いその声をわざと低くしてアレイスに話を始めた。
「アレイスはレンジャーになってまだ二年目になった所だよな? そんなお前が一人で依
頼をこなす事を許されてるのは何故だ? 森限定とはいえ、皆がその実力を良く知ってる
からだ。でも、お前はまだ『誰か』を連れて山へ行った事は無い筈だ。言ってしまえば、
今回は『無力な依頼人を山へ連れて行く』依頼という事になるんだ」
 低く声を震わせながら、クロフォードは言った。
 整ったその顔を僅かに怒りで歪めるクロフォードの肩を、アレイスはぽんと叩き、にっ
と笑った。その顔に、不安の色はこれっぽっちもない。
「心配してくれてありがとうな。無茶なんは承知や。でも、アイツは『無力な依頼人』や
ないんや」
 アレイスは突きつけたままのクロフォードの拳を壁から外し、その拳をすっと降ろさせ
た。
「あいつはな、今はあんなんやけど戦場では背中を預けあい三年も一緒に戦ってきた仲な
んや。片方が動けばもう片方がどう動けば良いかなんて、言わんでも解るくらいや。あい
つは俺なんかよりもずっと真面目やし、人の命の重さだってよぉわかっとる。体力も力も
素早さも人間離れしてて、何て言うか、レンジャーにぴったりのヤツなんや。……俺はな、
アイツを、何とかしてやりたいんや」
 細い目は笑ったままに、眉だけがへにょりとハの字型になる。
「俺はさ、強くないから。どう頑張っても、弱いんや。クロが俺を山で何回もフォローし
てくれたみたいに、俺をフォローし続けてくれたんは、あのガントやねん。何時死んでも
おかしくない戦場で、俺を生かしてくれたんや。俺が此処で今レンジャーやれてるのも、
アイツのお陰で間違いない」
 アレイスは穏やかな顔のまま、話を続ける。
「な、解るやろ? 俺は、そんな友達がああやって腐ってんのをほっとくなんて、とても
やないけどできんねん。俺は、アイツが手遅れになる前に、俺が出来る事を、出来るだけ
の全部をしてやりたいねん。悪いな、解ってくれ。な? クロ」
「……ち、好きにしろ」
 クロフォードは背を向けると、ふんと鼻を鳴らした。
「ありがとな、クロ。大丈夫や。帰ってくる時には、立派なレンジャー一人と、ベアもっ
て帰ってくるからな!」
 アレイスはそう笑顔で答えると、静かに裏口の扉を開けて『今昔亭』の中へと帰ってい
った。

 クロフォードはただその場に立っていた。

「一目見て解ってたさ。あのガントとか言うやつがレンジャーに向いているだろう事も、
この山で戦っていくだけの力が十分にある事も」
 おそらく、ガントの目があんな風でなかったら、その場で賛成したかもしれない。
 だが、あの無気力な覇気の無い生きる事を見失った目は、この山では確実に死を呼ぶ。
 握り締めた拳が震えていた。
 そしてクロフォードは勢いよく『今昔亭』の中へと戻って行き、真っ直ぐに自分の部屋
へと向かった。
「……あいつはああいうヤツだよな。だから……だから死んで欲しくないんだよ!」
 クロフォードは普段見せないような真剣な表情で、奥歯をぐっと噛み締めた。

     5

 ドラゴンマウンテンの入り口、そこは『迷いの森』の入り口でもあった。
 大人の足でも1日がかりになるその森は、生命力旺盛な生命の木の茂る薄暗い森だ。
 それに加えて、凶暴なイノシシや巨大な虫など、決して侮れないモンスターが数多く生
息している森でもある。
 レンジャーを雇わずにこの森を抜ける事が出来るのは、かなり上級のパーティーだけだ。
 ポーチを腰に下げ、弓と矢を背負ったアレイスは、アレイスの代わりに荷物を持つガン
トに人指し指をぴんと立てて、まるで引率の先生のようにリズムよく話し出した。
「注意点はさっきの三つや。絶対に離れない事。少しでも体に異変を感じたら言う事、そ
して……」
 アレイスはびしっとポーズを決めて、最後の注意点をガントに告げた。

「食料を勝手に食べへん事やー!」

 あまりにどうでもいい事に、ガントはがくりと頭を垂れた。
「あのな、基本だろうが」
「お前は大喰らいやからな。食うかもしれんやろ?」
「俺が隊長してた時に、そんな事したことあるか?」
「ないけどな〜。けど、今は隊長ちゃうしな」
「てめぇ」
「ちなみに、夕暮れまでには戻ってくる予定や。質問は?」
「無い」
「ほな、出発ー!」
 アレイスは明るく腕を振り上げ、元気よく声を上げた。
 アレイスが足取りも軽く森へ入っていくと、ガントも慌ててアレイスを追いかけた。


「……っ」
 ガントは微妙に息を切らせていた。
 森を歩いて三時間。
 多少鈍らないようにと体を動かしていたものの、所詮一年引きこもっていた体だ。
 微妙に体が動かず、ガントは歯がゆさを感じていた。
 そんなガントとは対照的に、アレイスはすいすいと先に進んでいく。
 体力の無いアレイスだったが、どういうわけか森の中では素早い上に足が速い。
 隊の仲間内では、『あいつはエルフに違いない』という噂がまことしやかに囁かれてい
たし、ガントもなんとなくそう思っていた。だが、アレイスの耳はまあるい人間の耳だっ
たし、エルフが得意とする魔法を使える訳でもない。
「おー、ガント、大丈夫か?」
「あぁ、……それにしてもなんだこの森は。木が僅かに動いているように感じるが」
 ガントはさっきから感じている違和感を振り払うように、頭を振って目を押さえた。
 そんなガントを見て、アレイスがひゅうと口笛を吹く。
「さっすがやなガント! 正解や。この森は全体が生き物みたいなモンやねん。勘が
良い ヤツやったら、この異変に気付くんやけどな。勘が良いのはあいかわらずやな」
「成る程な。この木の生命力が……この森を『迷いの森』にする訳か」
「その通りや。それにさえ気付ければレンジャーになったも同然や。お、みつけたぜぃ!」
 アレイスは矢を番えると、それを素早くひゅんと放った。
 ガントには全くモンスターの気配を感じられなかったが、アレイスの言っている事がお
そらく正しいという事は確実だったので、ガントは迷うことなく矢の放たれた方向へと歩
いていった。
 案の定、その狙いの先には麻痺して目を回すプラントベアがころりと横たわっていた。
「小さいが……いいのか?」
 ほんの小熊ほどのサイズの麻痺した熊を押さえながら、ガントはアレイスに問いかけた。
「これで大人サイズや。はよ見つかってよかったな」
 ガントは初めて見る草色の熊を手早く縛ると、これで良いのかとアレイスに確認を取っ
た。完璧な縄捌きに、アレイスは満足げにうんうんと頷く。
「早く見つかった……違うな。元から居る位置を把握して追いかけていただろう。恐らく
は絶対数も知ってるんだろう?」
 ガントの鋭い指摘に、アレイスはさっきまでの笑顔のままにぴたりと固まった。
「……流石に一発で気づかれるとはなぁ。他のレンジャーもそんな事気付いてへんのに」
「昨日夜中に起きたら、レンジャーの一人に捕まったんだ。酒を飲まされたついでに、レ
ンジャーの仕事について延々と聞かされた。その話の中に、レンジャーの仕事の一つに動
植物の保護っていうのがあったと思い出したんだ。だから、ちょっと考えてみただけだ」
「ちょっと考えた…か。それで気付くお前が凄いわ。……そうや。森に居るレアモンスタ
ー、例えばこいつらが居る場所、行動パターンは大体頭の中にはいってる。このベアで言
えば森に生息する数は五十二。今一匹仕留めたから五十一や」
 すらすらと答えるアレイスに、ガントはふぅと息を吐いた。
「森にお前が居たら、レアモンスターもレアじゃなくなるな」
「日頃の努力の賜物や」
 ガントは熊を背負い、ぐっと立ち上がった。
 流石に小熊サイズとはいえ、軽くは無い。
 確かにアレイスには背負えないな、と、ガントは頷き、麻痺した熊を背中に括りつけた。
「ところで、お前を夜中に捕まえたレンジャーって、誰や?」
「確か……マクスと言ったか」
「なんやと!?」
 アレイスの驚きっぷりに、ガントは眉を寄せる。
「何故そんなに驚く」
「何故ってなぁ、あの人の酒につきおうたって……あの人ザルってレベルやないで!? 二
日酔いは!? 大丈夫なんか!?」
「あぁ……、出掛ける事が解っていたから、誤魔化しながら飲んだ。三本くらいだ」
「……あぁ、お前も酒強かったっけな」
 アレイスは、酒の強さに関しては隊でも負け無しだったガントを思いだし、乾いた笑い
を浮かべた。十九の時に二十人の仲間を負かしたのは隊内では伝説だった。 
 あの頃のガントは口数は今のように多くは無かったが、それでも生き生きしていた。
 険しい戦場で、取るか取られるかの命のやり取りをしながら、そうするしか生きる道の
無かった仲間達と、出会い、別れを繰り返しながらも。
 アレイスは真剣な表情になり、ガントの正面を見据えた。
「な、ガント、一緒にやってみいひんか? レンジャーを。その拳を、今度は殺す為や無
く、生きる為に」
「……俺は……戦えない。俺には……!」
 ガントが震える拳を握り締めた、その瞬間だった。


「危ないっ、退けえええええええっ!」


 森を引き裂く様な鋭い叫びと共に、白い疾風が駆け抜ける。
「!?」
 何かがぶつかり合う音がして、白い影が二人の前でぴたりと止まる。
「言わんこっちゃない、見やがれ、お前のを嗅ぎつけて、出てきやがったッ!」
 剣を斜めに構えた白い剣士はクロフォードだった。
 そして目の前には、禍々しい黒い影。
 ぼとりぼとりと腐液を流しながら、四メートル近い大きさの影は笑うように三人に忍び
寄る。
 それは『生』に焦がれ『生』を望む人を喰らい『死』をもたらす竜、ドラゴンゾンビだ
った。

          6

「クロフォード、何でお前が……!?」
「そんな事はどうでも良いだろう! 死にたくなければ戦いやすい広い場所へ誘導してく
れっ!」
「わ、解った! ガント、走るぞ!」
「あ、あぁ!」
 突然の邪竜の出現に驚きつつも、ガントは二人を追いかける様に走った。
「くっそ、道中全くモンスターが出ぇへんと思ったら! こういうオチかいな!」
「こういう事はこの山じゃ基本だ! 二人とも覚えておけッ!」
「了解!」
「了解! ……って、俺もか?」
 突然話をふられた事にガントは驚きつつも、直ぐに緊張感を取り戻し、前を行く二人の
後を必死に追う。
 流石にレンジャーと言う所か。
 二人は軽く森を駆け抜けているように見えたが、ガントは全力でやっと追いついている
状態だった。
(俺達について来れるのか、成る程)
 後ろから確実についてくるガントを確認して、クロフォードはニヤリと笑った。
 一番後ろを走るガントは必死だった。
 予想外のスピードで迫るモンスターが今にも追いつこうとしていたからだ。
 此処まで必死に走ったのは、戦場以来だろうか。
 ただ、戦場よりも恐ろしいのは、後ろに迫るものが人ではなく、魔物、しかもドラゴン
であるという事だろう。   

 ドラゴンゾンビは、山で打ち倒されたドラゴンの成れの果てだ。
 ただ、死んだドラゴンが皆こうなるわけではなかった。
 死ぬ時の生への渇望が強い者が、魔力を暴発させ彷徨えるアンデッドとなってしまうの
だった。
 命を持たないこの竜は、死ぬ事が無い。
 腐敗したその肉体が完全に破壊されるまで、命を求め、生命の力を吸い取ろうと襲って
くるのである。
 死体である為に、ブレスによる攻撃や魔法を使ったりはしないが、力は倍増しており危
険な存在である事には変わりは無かった。

「この辺でどうや?!」
 アレイスが足を止めて、矢を番えた。
「あぁ、此処なら何とか! 流石だアレイス!」
 木が鬱蒼と茂る森の中で、木がまばらになっているその場所は確かにまだ戦いやすい場
所ではあった。
「こんな強い魔物が良く出るのか…!? この山は」
 息を整えつつ、ガントが少し遅れて到着する。
「出るわけ無いだろう? お前が『生』に執着しながら『死』んでるから、その波動に引
き寄せられてきたんだ」
「俺が……『生』に?」
「そう言う中途半端が死を招くんだよ! お前は戦場に居たんだろ? 一番知ってそうだ
が、何迷ってんだ! 俺様は詳しい事はしらねぇがな、あのアレイスがあそこまで言うん
だ。生きたいか死にたいか解らんやつを守るなんざ本当は御免だが、今回は特別に『守っ
て』やる! いいかっ、戦う気が無いなら邪魔をするなよ!?」
 そう言うとクロフォードは、剣を振り上げ所々骨のむき出しになったドラゴンへと飛び
掛った。迷いの無い斬撃がドラゴンゾンビの肉を切り裂き、その肉を骨から引き剥がす。
 だが、ドラゴンはそんな事気にもせずに、アレイスに向かって腐り溶けかけた尻尾を振
り回した。
「っ!!」
 アレイスは慌てて回避したもののその肩を僅かに尻尾が掠めた。
「ぐあっ!?」
 ただ掠めただけだった。それでも、アレイスは派手に吹っ飛んだ。
 ドラゴンの破壊力はそれほどまでに強力なのだった。
 アレイスの呻きを聞いて、ガントの体がビクリと震える。
「……アレイスっ!?」
 ガントは吹っ飛ぶアレイスを受け止めようとしたが、アレイスの姿は消えて目の前から
居なくなってしまった。
「?!」
 何が起こったかわからず、ガントは受け止めようと差し出した手を見た。
 確かにアレイスに触れた感触が合った。
 だが、アレイスは何処にも居なかった。
 ガントはアレイスに問いたかった。
 こんな自分と一緒に山に居て、ドラゴンゾンビがくる事をアレイスが知らなかった訳が
無い。
 ならば何故自分を山に連れてきたのか、問いたかった。
 不意に知った気配を感じて、ガントは後ろへ飛びのいた。頭で考えるよりも、体が先に
そう動いた。
「お、言わんでも解るか! 流石や!」
 声は頭上から聞こえてきた。
 ガントの腕には、靴の跡が一つ。
 真上に交差する生命の木の枝の上に、アレイスは居た。
 弓を引き絞り、アレイスは正確な狙いと共に矢を放つ。
 矢は宙を奔りながら炎を噴き出し、そのままドラゴンゾンビの首元に深く刺さった。
 だが。
「イカン、火が弱いっ!」
 ドラゴンゾンビには火が有効だ。
 だがその腐液に引火させるにはそれなりの火力が必要だ。
「せやったら連打でっ…!」
「待て!」
 剣を振るいながら、クロフォードがアレイスを制止する。
「確かに火で倒すのは有効な方法だ! だが一度引火したらコイツは物凄い勢いで燃える!
普通の火なら森に引火する事はないが、流石にこいつが燃えたら山火事だっ!」
 それを聞いてアレイスがぴたりと動きを止める。
 ドラゴンゾンビは唸りを上げ、命を喰らおうとクロフォードに幾度も噛み付こうとして
いた。だが、ドラゴンは思い出したかのようにくるりと方向を変え、ガントにその口を向
けたのだった。
「やはりアイツの狙いは俺……、俺のせいか……っ!」
 未だに戻ってこない気力と、見つからない生きる意味。
 ドラゴンの強力な腕は周りの木をなぎ倒し、足元の緑を体から滲む腐液で腐らせる。

 ガントは奥歯を噛み締め、走り出した。
 それに反応して、ドラゴンが素早く後を追う。
「ば、馬鹿かアイツはっ!! 死にたいのか!? この森の事も何も知らないのに!」
「い、いや、違う……、クロ、ガントを追いかけるんや!」
「何!?」
「アイツの考えが読めた! 悪いな、もう少し付き合ってくれ!」
「……ちっ、仕方ないなっ!」
 枝から枝へと飛びながら移動するアレイスを下から見ながら、クロフォードは冷や汗を
かきながらも追いかけた。

        7

 走りながら、ガントは考えていた。
 ドラゴンが自分を追う理由を、アレイスが山に連れてきた理由を。
 考えは上手く纏まらなかったが、ただ、一つだけ分かった事があった。
 左の拳が、震えていた。
 答えなんて、見つかっていない。
 ただ、確かめる為にガントは拳を握り締めた。

 数分走ると、目の前が一気に開けた。
 どうやら森を抜けたらしく、目の前には夕日の平原が広がっていた。  

 その景色に感動する間も無く、ドラゴンゾンビが後でごふぅと笑う。
 ガントは背中のベアを一旦地面に降ろすと、迫るドラゴンと対峙した。
 ドラゴンは目の前のご馳走に喜びの声をあげ、口を大きく開けガントを飲み込もうと迫
った。
「……俺は……俺はっ!」
 震える左手をもう一度強く握り締め、ガントは全身の力で地面を蹴った。  

 ガオンッ!!

 ガントの気を込められた拳は、ドラゴンの頬にヒットした。
 拳はドラゴンの顔を歪ませ、ガントは一気にその頬を打ち抜いた。
 肉と骨を砕き散らしながら、生に飢えたゾンビは唸るような悲鳴を上げる。
「ガントが……打ちよった」
 森を出たアレイスが、搾り出すように声を出す。
「……良い破壊力してるじゃねぇか。得物は何かと思ってたら、自分の拳かよ」
 クロフォードも少し驚いたように、一瞬立ち止まった。
「……俺は、戦える。今、少なくとも、友を死なせない為にっ!!」
 ガントは闘気を体中にみなぎらせると、ドラゴンに向かってビッと構えた。
 その構えは誰に教わったわけでもなく、生きる為に戦場で自らが編み出した体術だった。
「おう、ガントと言ったな! コイツをばらばらに破壊するぞ!」
「あぁ。……いや、粉々に粉砕するっ!」
 クロフォードの剣戟に合わせて、ガントはその拳を振りぬいた。
 ドラゴンの足が切り飛ばされ、その吹っ飛んだ再びくっつき再生する前にガントが打ち
砕く。
 咄嗟のコンビネーションだったが、それは思いのほか良い連携になっていた。
「……、ふっ、おもしれぇ。何だコイツ? えらく自由に攻撃に絡んできやがる」
「戦場ではこのくらいのこと、日常茶飯事だ。むしろ上手く動けなくて申し訳ないくらい
だ」
「よく言うぜ!」
 二人の攻撃は、ドラゴンの攻撃する隙を全く与えず、それどころかドラゴンの体をどん
どんと削っていった。
 その様子に、アレイスはただ俯いて震えていた。
 目から流れ落ちる透明な雫。
 アレイスはぐっとその雫を拭い取ると、震える声で呟いた。

「……この、やろ、楽しそうにしよってからに。俺の心配を返せーーーーーーーーっ!」

 アレイスは矢を連続で放ち、ドラゴンの背中に十数本も突き刺した。
「ガント、アレや! 何とかしろ!」
「……了解!」
 ガントは自分のバックパックを拾い上げると、その中の一つに手を掛けた。
 一瞬ガントの動きがピタリと止まる。
「……、俺は生きたかったんだな。馬鹿だな、何故もっと早く気付かなかったんだ」
 ガントは素早く何かを抱えると、一気にドラゴンの懐へと飛び込んでいった。
「クロ! 飛べ!」
「!?」
 アレイスの一言で、ドラゴンに斬り付けようとしていたクロフォードが飛び上がる。
 アレイスは素早くドラゴンの正面に回りこみ、スライディングしながら矢を複数放った。
 矢はドスドスとドラゴンに突き刺さり、そしてその後を追うようにガントがドラゴンの
正面に飛び掛った。
「お前の生きたかった分は俺が生きる」
 濁ったドラゴンの目を見据えて、ガントは腕を振り下ろした。
 ガントの手の先でガシャリと壊れる音と共に、炎がドラゴンを包む。
 ガントが手放したのは、砕けたランタンだった。
 ランタンから放たれた炎が油を溜め込んだ矢へ一気に引火し、ドラゴンの腐液をも燃料
に変えて激しく燃えていく。
 ドラゴンゾンビは体が脆い。
 一度こうなったら、燃え尽きるまでそのままだ。
 ドラゴンはごろごろと崩れ落ち、炎にどんどんと飲み込まれていくのだった。

     8

「……、何だ、お前達の連携は」
 何か打ち合わせたわけでもないのに目の前で繰り広げられた見事な連携に、クロフォー
ドはただ驚いていた。
 ガントはアレイスの前に戻って来ると、すっと頭を下げた。
「……アレイス、すまなかったな」
 短く謝ったガントの紺色の瞳には、僅かに光が戻っていた。
「ガント、お前の拳は死んでへん」
 アレイスは明るい声のまま、言葉を続けた。
「お前は生きてるんや。しかもまだ二十一やで? 全てを諦めるにはまだ早いんや。ゆっ
くりでかまへん。自分の道をもっかいさがしてみいや。此処のレンジャーは、だれもせか
したりせぇへん。な?」
 その言葉に、隣にいたクロフォードも頷きはしないが納得したように笑っていた。
「ガント、後ろ見てみぃ?」
 ガントは言われるままに後ろを向いた。
 そしてその光景に息を呑んだ。

 夕日を受けて、燃えるように輝くドラゴンマウンテン。
 なんとも形容しがたいその光景に、ガントは圧倒されていた。 

「この山、綺麗やろ?」
「あぁ……綺麗だ」
「な、ガント。レンジャーになってみいひんか? この山で。もう一回、生きてみいひん
か?」
 アレイスはガントの肩に手を置き、一言一言噛み締めるように話した。
 ガントは小さく笑い、アレイスの手を払った。
 地面に放置していたベアを拾い上げ、ガントはアレイスに背を向けた。
「……、何を今更。試験、受けなければならんのだろう? いいさ受けるぜ」
「……、ぷっ、コノヤロ、よぉ言うわ!」

 二人は、ただ笑っていた。
 何も無かったかの様に笑っていた。

「お、燃え尽きたぜ?」
 クロフォードがドラゴンが完全に灰になったのを確認して、その灰を足で蹴飛ばした。

 燃え尽きた灰を見て、ガントは過去の光景をだぶらせていた。

 燃え尽きた村、死んでしまった女。
 女の事は忘れられそうに無かった。
 だが、忘れなければいけないという事はないのだ。
 ガントはまだ生きる目的を見つけた訳ではなかった。
 だが、生きても良い、とそう思うようになった。
 どうせ自分にはこの拳をふるう事でしか生きる事の出来ない男だ。
 ならばそれを、せめて人の為にふるえるのなら、それでも良いと思えた。

「な、レンジャーになったら冒険者を護衛する事も、依頼人を山まで導く事もあるんや。
もちろん女の子も来ることあんで? ガント、お前も良い人にまためぐりあうかもしれん
ねんで?」
 アレイスの言葉に、ガントは首を振った。
「……ねぇよ。女など……もう今の俺には必要ないさ」
 少し冷めたように話すガントに、クロフォードがニヤリと笑う。
「どうだかなー。この山は運命を変えるっていうぜ?」
「楽しみやなぁ。こんな不器用な男に寄り添う女。想像も出来ん」
「だから、もう止めろ」
 二人をによによと眺めながら、クロフォードがふと思い出したように呟いた。
「そうだ、ガント。お前、熊背負ったままよく俺達の速さについてこれたよな」
「そういやそうやな! お前、ホントに引きこもってたのかよ」
「宿での俺を見ただろう? あの通りだったんだよ」
 少し顔を赤くしながら、ガントはぷいと目を反らす。
「そうだクロフォード! コイツ、あのマクスと飲んだらしいんや! しかも昨日!」
「な、何!? それであんだけ走ったってのか!? まじかよ……」
「よし、これからはマクスの事は任せた。先輩命令だ」
「……なっ!? 待てよ! あの人の飲み方は俺は好きじゃない!」
「あきらめぇ、ガント」
「なぁ!?」
 色々と聞かれ問われうろたえるガントに、アレイスがふと気付いて手をぽんと叩いた。
「馬、どうするんや? この仕事に着いたらきっと忙しぃておそらく乗ってやれんと思う
んやけど?」
 その問いにはっとなり、ガントは黒い愛馬を思い出しどきりとなる。
「困ったな、手放す気は無いんだが」
 それを聞いてアレイスは安心した顔をすると、小さく笑って話を続けた。
「なら良い所を知ってんねん。大草原の村に、馬の配合が趣味の牧場主が知り合いでおる
んや。そこでは馬が何頭が放牧されててな、そこに預けたらええ。金さえ年一回忘れずに
渡しておけば、馬をちゃんと面倒みてくれるんや。都合の良いときにたまに見に行けばい
い。子供が生まれたら、一番良い仔を一頭くれるしな。それ以外の仔は主のもんになるん
がそこのルールやけどな。それでもよけりゃ、どうや?」
「広い草原を自由にできる……という事か。首都では狭い馬小屋に閉じ込めていたからな。
それもいいかもしれん」
「よし、今度一緒に連れて行こな」
 山の上から、穏やかな風が三人の男を通り過ぎ、一気に下へと駆け抜けていく。
 ガントの心は、昨日よりもずっと穏やかになっていた。

 その後ろでアレイスとクロフォードがなにやらぶつぶつと話し、ニヤリと同時に笑う。
 二人はガントの前に来るとぴっと手を上げ、素早くその手を振った。
 ガントはそれが何事か解らず、あ? と顔を歪ませた。

「じゃ、そういう事で! お前はその熊を背負って、一人で『今昔亭』まで帰ってきてく
れ! 一人でこの森を抜ける事! それが試験の一つだからな!」
 突然の事にガントは目を見開き、がっと口を開ける。
「な、ナンだと!?」
「大丈夫や! 期限は一日や。俺らが隠れて見といたるから、遭難の心配はせんでえぇ!」
 すたすたと去っていく二人に、ガントは愕然とする。
 良く考えなくても、全力で森を抜けて、ドラゴンと戦った後なのだ。
 引きこもり明けの体はもう悲鳴を上げているし、片手には目を回した熊と荷物がある。
「まてっ! この熊はどうすんだよ!!」
「ちゃんともって来るんやで!? それ無いとあと半分、つまりお前の取り分の金は無いっ
て事や!」
「アレイス! てめぇっっ!!!!」
 ガントは両手に荷物を抱えたまま、森にダッシュで消えていく二人に全力で叫ぶ。
 だが二人は何やら嬉しそうに手を振りながら全力で走って去っていくだけだ。
「おう、新人! がんばれよー!!」
「じゃな、ガントー!」
「やろっぉおおお! 道もわからネェ、しかもこれから夜だぞ!? …ったく!」
 ガントは肩に荷物を担ぐと、全力で走り出した。

「そういや、クロ、えらい今回は感情的やったな?」
 ガントから逃げながら、アレイスはクロフォードに尋ねた。
 どうもクロフォードがいつもとは違うような気がして、アレイスは気になっていたのだ
った。
 だが、クロフォードはフフンと笑うだけだった。
 森の中に入り、ガントの後ろに回りこむと、クロフォードがおもむろに口を開いた。
「テメェみたいな面白い奴が死んだら、つまんネェだろうが。……今回みたいに面白いや
つを連れてくるしな」
「そうか?」
「お前が二十歳で俺とガントが二十一歳。歳がバラバラなレンジャーで良い感じに同年代
が集まったじゃねぇか。さて、あいつは無事に森を抜けるかな?」
 真っ暗な森の中でその場で簡単なたいまつを作り、それを片手に進むガントを見て、嬉
しそうにクロフォードは口の端を上げた。
「あいつは鼻が良いんや、匂いで下まで帰るかもな」
「犬かよ」
 二人はつかず離れずでガントを追いかけた。
 ガントが森を抜ける寸前にクロフォードが見たアレイスの表情は、これまで見た事無い
程に嬉しそうなものだった。




終わり
    
   


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