壇上山 清浄院 西宝寺(岡山市表町3丁目5-40)
本尊 阿弥陀如来
縁起
表町の旧紙屋町地内にある東本願寺派の真宗寺院である。この寺は享禄年中(1528〜1531)赤松右馬之助入道栄道がこの地に草庵を結び、天文三年(1534)に開基仏を安置する。と寺伝にあって、宇喜多氏が城下町を経営する以前、この地域にかなりの集落があったことを暗示している。
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最初は草庵であったが、元和年間二世明栄の代に播州飾西郡英賀御坊の本堂と山門を譲り受けて伽藍をととのえ、寛文元年(1661)三世了順の代に東本願寺の末寺となった。
東本願寺は慶長七年(1602)本願寺から分れて独立しており、西宝寺は東本願寺創立の初期に岡山地方へ教勢を拡張する基地ともなったのであろう。類纂につぎの記載がある。
延享二年九月十三日東本願寺門跡役者長安寺郡現寺より寺社奉行広沢喜之介へ書面を以て西宝寺自今以後本山抱寺に被致住持職之儀は上来之通無相違西宝寺了栄可相勤旨被申渡の趣通達、但本寺抱寺と申し候は本寺持之寺と申儀に御座候、只今までは自庵と唱候を西宝寺自分の寺に御座候、向後自庵とは唱へ不申由に御座候、尤寺柄一家の格に成不申候得ば抱寺には成不申由に御座候、畢竟住持異心御座候て改派等仕候ても寺を外へ渡させ申間敷儀と存候、御当地にては西宝寺長源寺二ヶ寺抱寺にて其他は何れも自庵にて御座候
上の記載にある長源寺は寛永年間に創立した真宗の寺で野田屋町にあったが、昭和六年二月に名古屋市中区葉場町へ移転した。
西宝寺は戦前まで本堂・庫裡・山門などがあったが戦災で全焼、昭和二十二年に庫裡を建て、同二十五年に三間五面入母屋造桟瓦葺の本堂を再建した。