通真山 円常寺(岡山市御成町)
本尊 阿弥陀如来
縁起
知恩院派の浄土宗の寺である。、寛永四年(1627)巌上人が東中島に開基したものを元禄元年に門田字山手屋敷に移し、ついで明治三十年頃第六高等学校が国富と山手屋敷に亘って校地を設定したさい、現在の地に移した。この寺は創立の初期にあたり道心者の整理に備前藩が利用しており、その記録が池田家文書にのこっている。貞享元年十月二十三日の「留帳」に、
上道郡道心者多くありて郡奉行支配方困難なるにより彼方此方と片付けしに猶七人を残せり、此七人の事能勢勝右衛門に片付くべしとの事にて、中島町浄土宗円常寺は寺地三畝程ありしが、此寺を野田に移し寺地壱反を賜はり、内に七人の道心者が庵を悉く移し、一方口に藪又は生垣をなし、来春寺を引賜はるべし、尤重て道心者あるときは預けられるべきにより無異儀預るべしとの事なり。
また貞享四年十一月の「留帳」には、
上道郡道心者七人一所に預るべきに依り円常寺に預り支配すべくとの事なりしが、台宗寺へ賜はりし山屋敷の際へ道心者七人の庵を公儀より御引、井戸堀をせ給はり、円常寺庵は来春引るべしとの事なり
これによって貞享四年の翌年、元禄元年に山屋敷に移ったことがわかる。なお中島町の寺跡は東本願寺末の源照寺に編入した。現在の堂宇は山手屋敷当時の建物を移したもので、本堂は南面した入母屋造本瓦葺の建築、このほかに拏吉尼天堂、黒井山分霊堂、豊蔵稲荷宮、山門などがある。
報恩寺 知恩院系浄土宗の寺でもと浜田町にあった。院号を智耀院といい、本尊は阿弥陀如来である。創立年代を詳かにせず、本堂・庫裡・観音堂・地蔵堂・楠堂(本尊 不動明王)などが建っていたが戦災で一宇のこらず全焼した。戦後昭和二十二年に本堂と庫裡を再建し、二十六年に楠稲荷堂を建てた。また門田山手屋敷のあった同宗の圓常寺および門田御山後にあった常念仏寺を合併したが、現在円乗寺に合併したが、現在円乗寺に合併している。