西念寺(備前市日生町日生980)
本尊 阿弥陀如来木像
縁起
真言宗本願寺派の寺。天正年間(1573〜1580)大和の住人で高瀬能登守暁明が石山合戦(織田信長と一向宗門徒の間に戦われた一揆で、いまの大阪城本丸の地にあった石本本願寺に信長が築城の計画をたて、寺を移築することを要求したが、時の法王顕如の拒絶により、十一年間にわたる戦いをひき起こした)で顕如上人に加勢して戦った末、日生の地に逃れ、奥の川に坊を建てたのが寺のはじまりで、いまでもその跡地が大門坊、中門坊、小門坊と呼ばれている。
元禄二年(1689)木仏が許可され、西念寺の寺号を用いることが許可された。本堂がはじめて建立された年代は明らかでないが、正徳元年(1711)八月に寺が再興され、安政四年(1792)に本堂、鐘楼等が改築された。これには当寺日生の豪商、田淵屋甚九郎の力が預かって大きいものがあった。
庭園は宝永の頃(1704〜1709)岡山後楽園の造園、閑谷学校の造営、大多府築港、福浦新田の造成等で名高い津田永忠が築造したもので、自然と人口の調和が
美しく保たれ、日本造園芸術の真髄というべき庭園美を発揮している。
書院は寒河にあった池田家別荘(藩主が鹿久居島で鹿狩などの際、宿泊所にしていた)の一建築物を賜わり移築したもので、西念寺と池田家との深い関係があったためと思われる。
山門は赤磐郡佐伯町の池田家家老、土倉邸の門を移築したもので、本堂との均衡を保ったぼう大な建築で、四本の角柱を立てて三間とし、中央の間に大とびらをつり込み、左右の間はくぐり戸とした三間棟門の様式がとられ、柱をはじめ冠木等は見るから剛健重厚な気風がみなぎっている。
年中行事
正月21日 | 初大師 |
正月28日 | 初不動 |
毎月21日 | 大師講 |
○勝英二郡交通死亡者供養 ○戦病死英霊供養
寺宝・文化財
弘法大師極彩色御座像 | 一体(100センチ) | |
聖観音立像 | 一体(70センチ) | |
浪切浮動尊木像 | 一体(70センチ) | |
毘沙門天王木像 | 一体(70センチ) |