映画とラフマニノフの音楽

 逢びき   逢びき
 「逢びき」と言えばこの曲、ラフマニノフの傑作、ピアノ協奏曲第2番です。映画ファンの誰もがこの映画のために書かれた音楽と信じていた曲でもあります。映画に使われたクラシック音楽の筆頭格とも言えます。

 駅の喫茶室でのローラとアレックの別れのシーン、ローラが逢びきを回想するシーン等、この作品は何度か繰り返される二人の出会いの場面に、あたかもモティーフのように用いられています。そしてこれらのシーンにおいては、ラフマニノフの作品が単にサウンドトラックとして用いられているのだけではありません。有名な主題を2,3箇所とかではなく、ほぼ全曲からあらゆるフレーズを引用し、物語に即して見事に配置されています(下表参照)。

 まさに、主人公達の心理を代弁するかのように、ラフマニノフの音楽が甘く、切なく観客に迫ってくるのです。しかも、劇的効果を考慮して、原曲を損なわぬ程度に巧みに編曲されたり、和音で終わらせられたり、フェード・アウトさせられたりしているのです。このような既成音楽の援用の手法は、1950年代以降の映画音楽のあり方に一石を投ずるものでもありました。さらに特筆すべきは、この映画で用いられているのは、このラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のみという徹底ぶりです(街角で演奏される手回しオルガン、レストランで演奏されるバンド・ミュージック(ピアノ・トリオ)と映画館での映画音楽とオルガン演奏は別です。)。バック・ミュージックとして用いられているのがこの曲1曲だけということも画期的と言えます。この曲が鳴っていないシーンは全く音楽なし進行するあたりも、昨今のお金ばかりかけてやたら喧しい中身の薄い映画にない味を出しています。

 なお、映画での演奏はオーストラリア出身の天才ピアニスト、アイリーン・ジョイスが弾いています。彼女はこの映画の後、ラインスドルフの指揮ロンドン・フィルハーモニーの伴奏でこの曲の全曲を録音しています。
アイリーン・ジョイス

[あらすじ]
 人妻と若い独身の医者のつかの間の恋。ローラ(シリア・ジョンソン)は、実業家の夫に小さな子供がふたりの何不自由のない幸せな生活を送る人妻。ある日、買い物帰りの駅の待合室で、目に入った汽車のススを取ってもらったことがきっかけで、やはり妻子のいる医者アレック(トレバー・ハワード) と危なっかしい、不器用な逢びきを重ねるようになる。

 ある日、とうとう医者の友人の留守の部屋で、一線を越えようとしますが、そこへ突然予定を変更した友人が帰ってきてしまい、ローラはあわてて逃げます。女物のスカーフを見つけた友人は、アレックを非難。良心の呵責に苛まれて、ふたりは別れる決心をし、アレックは南アフリカでの医療業務へ赴くことにします。

 アレックが旅立つ日、駅の待合室でふたりは沈痛な面持ちで汽車を待っています。と、そこへ偶然、今度はローラの方の友人がやって来て、ふたりにおかまいなくペラペラとしゃべり出します。ふたりは全く言葉を交わせぬまま、やがて汽車がやって来てアレックは行ってしまいます。ラストでの家に帰ったローラとその夫のとの会話は、映画史上でも有数の心に染みる台詞として有名です。(「遠く、旅をしたね。よく戻ってきた。」)

 原題は Brief Encounter 「つかの間の出会い」というべきですが、「逢びき」という名訳が与えられています。


*カッコ内は練習番号
1  オープニング:汽車が駅を通過 第1楽章 冒頭のピアノ・ソロ(2台目の汽車の通過でかき消されます)
2  ローラがアレックと別れて放心状態で回想する。 第1楽章 (13) ホルンによる第2主題(再現部)
3  おしゃべりな友人が黙った後、アレックへの揺れ動く想いをめぐらす。 第2楽章 (27) コーダ
4  家に帰ったローラはレコードをかける。急に泣き出す。 第1楽章 (12) ホルンによる第2主題の再現の少し前から
5  再び物思いに耽り、回想シーンになる。 第1楽章 (13) ホルンによる第2主題(再現部)
6  駅の喫茶室でふたりが始めて出会う(ローラの目にススが入るところ) 第1楽章 (6−7) Un poco piu mosso
7  翌々週、レストランで偶然会い、二人は映画を見に行く。帰り際に駅の喫茶室で医者の話をするアレックを見つめるローラ。 第3楽章 (30-31) Moderato 第2主題。ラフマニノフの名旋律
8  アレックが再会を願い出るのに対してローラは初めて危険な匂いを感じ、その申し出を断る。 第3楽章 (32-33) 緊迫感を増す展開部の直前まで
9  しかし翌週、ローラはアレックと会うことにするが彼は待ち合わせの場所に現れない。彼女は帰ろうと駅の喫茶室を出るとアレックが走ってくる。感動的な出会いのシーン。 第3楽章 (38) 第2主題が終わり、緊迫感をもって次第に盛り上がる。
10  翌週ふたりは街でデート。映画の後、公園を散歩。池でボートに乗り彼は池に落ちる。 第1楽章 (5) 第2主題の途中から。チェロが朗々と歌うところ。
11  帰りの駅の構内。二人は初めてキスをする。 第1楽章 (10-11) Maestoso 勇壮な再現部
12  そのまま彼女の自宅に画面がつながり、レコードを聴きながら夢想に耽る。 第3楽章 冒頭
13  ローラは夫に嘘をつく。 第1楽章 (7-8) Moto precedente 展開部。
14  ローラはアレックをドライヴに出かける。車を降りた二人は橋の上で語らう。 第3楽章 (30-31) Moderato 第2主題。その頂点で二人はキスをする。
15  ローラはいったんアレックと別れるが発車直前の電車から降り、アレックのいる彼の友人の部屋に向う。 第1楽章 第1主題
16  二人でいる時に友人が帰ってくるので、ローラは逃げ出し、雨の街を走る。 第2楽章 (23-27) Piu animato 中間部の激しい箇所
17  駅の喫茶室で別れの手紙を書くローラのことろにアレックがやってくる。店を出る二人。アレックは南アフリカに行くことをローラに伝える。 第2楽章 (17-18) クラリネットによる主要主題の途中から。
18  汽車に乗って扉の窓から半身を出した彼女に許しを乞うアレック。「許してほしい。」「何を?」「何もかも、君に出会ったことも。愛してしまったことも、つらい思いをさせたことも。」「私も許して。」名場面である。 第2楽章 (19) 1stヴァイオリンが旋律を奏する。
19  翌週、別れを決心した二人は最後のデートをする。しかし、会話はない。 第2楽章 (19-21) Un poco piu animato ピアノが旋律を受け継ぐ。
20  駅に来た二人は喫茶室に入る。 I do love you so very much. I want to die. 第2楽章 (26-27) 再現部からコーダにかけて。アレックが「愛している」と言うときがちょうど(27)
21  とうとうアレックは汽車に乗って行ってしまう。急行の通過を知ったローラは思わずホームに駆け出す。しかし、飛び込む勇気はなく、喫茶室に戻ってくる。 第3楽章 (36-37) Moderato 再現部の第2主題。
22  帰宅したローラは放心状態。夫に泣きついて The end. 第3楽章 (36-38) Maestoso コーダを7小節間演奏してエンディング。


七年目の浮気  七年目の浮気  旅愁


映画に使われたラフマニノフの作品をご紹介します。 

「逢びき」 (ピアノ協奏曲第2番)
1945年 イギリス映画  86分
監督:デビッド・リーン  原作・脚色:ノエル・カワード
出演:シリア・ジョンソン/トレヴァー・ハワード/スタンリー・ホロウェイ/ジョイス・カーリー/シリル・レイモンド


「ある日どこかで」(パガニーニの主題による狂詩曲)
1980年 ユニヴァーサル映画  103分
制作:スティーヴン・ドイッチ  監督:ジーンノット・シュワルク  原作・脚本:リチャード・マシスン
撮影:イジドー・マンコフスキー  音楽:ジョン・バリー  演奏:ロジャー・ウィリアムス
出演:クリストファー・リーブ/ジェーン・セイモア/クリストファー・プラマー/ビル・アーウィン


「七年目の浮気」 (ピアノ協奏曲第2番)
1955年 米  104分
原題:The Seven Year Itch
製作:チャールズ・K・フェルドマン、ビリー・ワイルダー  脚本:ビリー・ワイルダー、ジョージ・アクセルロッド
撮影:ミルトン・クラスナー  音楽:アルフレッド・ニューマン
出演:マリリン・モンロー、トム・イーウェル、エルヴィン・キーズ、ソニー・タフツ


「アンナ・カレーニナ」(悲しみの三重奏曲第1番)
1997年 英米合作  108分
脚本・監督:バーナード・ローズ  プロデューサー:ブルース・ディビー
製作総指揮:スティーブ・マックエヴィーティ  原作:レオ・トルストイ
編集:ビィクトール・デュ・ボイス  撮影監督:ダリン・オカダ
音楽監督:サー・ゲオルグ・ショルティ
出演:ソフィー・マルソー/ショーン・ビーン/アルフレッド・モリーナ/ミア・カーシュナー/ジェームズ・フォックス


「シャイン」 (ピアノ協奏曲第3番)
1996年 オーストラリア映画
監督:スコット・ヒックス  脚本:ジャン・サルディ
撮影:ジェフリー・シンプソン  編集:ヒップ・カーメル
音楽:デヴィッド・ハーシュフェンダー


「旅愁」(ピアノ協奏曲第2番)
1950年 プラマウト映画
制作:ハル・B・ウォリス  監督:ウィリアム・ディターレ
原作:フリッツ・ロター  脚色:ロバート・トーレン
撮影:C・B・ラングJr/ビクター・ミルナー  音楽:ヴィクター・ヤーブ
出演:ジョーン・フォンテーン/ジョゼフ・コットン/フランソワーズ・ロゼー/ジェシカ・タンディ



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