ショスタコーヴィチ:交響曲第7番『レニングラード』

付録  - 年表 -

 
                               ショスタコーヴィチ

ショスタコーヴィチ


 ドイツ軍の侵攻やレニングラードにおける音楽活動などに、交響曲第7番作曲と初演の過程を年表に重ねてみました。

1941年
6月22日 ドイツ軍ソヴィエト国境を越えて攻撃開始
ショスタコーヴィチ、友人とサッカーを見に行く途中この開戦の知らせを聞く
7月2日 ショスタコーヴィチ、軍隊への2回目の入隊を志願するも断られる
その後、義勇軍への入隊を志願し音楽院の消防の任務を与えられる
7月中旬 文化省からレニングラード在住の重要な芸術団体、芸術家、文化人に体して疎開命令が下る
7月19日 ショスタコーヴィチ、レニングラードに留まり交響曲第7番の作曲に着手
8月30日 ドイツ軍、レニングラード包囲を開始
9月6日 ドイツ軍、レニングラードへの空襲と砲撃を開始
9月13日 ショスタコーヴィチ、第1楽章を完成し、第2楽章の作曲を開始
9月14日 市内でコンサートが開催され、ショスタコーヴィチは自作の前奏曲を弾く
9月17日 ショスタコーヴィチ、ラジオ出演
自分のアパートで友人らを招き交響曲第7番の第1、2楽章をピアノで披露
9月26日 レニングラード・ラジオ管弦楽団、活動を再開
9月29日 市内及びイギリス向けにチャイコフスキーの交響曲第5番をライブ放送
9月29日 ショスタコーヴィチ、第3楽章を完成
10月1日 ショスタコーヴィチ、強制的な疎開命令によりモスクワへ
             (残っていた文化人、芸術家やボリショイ劇場の団員と共に)
10月12日 レニングラード・ラジオ管弦楽団、公開演奏会を開催
10月15日 ショスタコーヴィチ、モスクワも危険となりクイビシェフ(*)へ疎開
12月9日 クイビシェフでピアノがあるアパートに落ち着き、第4楽章の作曲再開
12月下旬 ボリショイ劇場管弦楽団が交響曲第7番の第1〜3楽章のリハーサル開始
12月27日 交響曲第7番、第4楽章を完成させ、全曲が完成
               自宅に友人を招き、ピアノで全曲披露

1942年
3月5日 交響曲第7番、クイビシェフにて初演
            (サムイル・サモスード指揮ボリショイ劇場管弦楽団)
            演奏会の模様はソヴィエト全土及びイギリスに向けて放送
3月29, 30日 モスクワ初演
            (サムイル・サモスード指揮ボリショイ劇場管弦楽団&モスクワ放送交響楽団)
6月22日 イギリス初演(BBCによる放送初演)
            (ヘンリー・ウッド指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)
6月29日 イギリス公開初演(ロイヤル・アルバート・ホール)
            (ヘンリー・ウッド指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)
7月1日 第7番のスコアが包囲されているレニングラードに到着
7月9, 11, 12, 15日 ノヴォシビルスク初演
            (エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団)
7月19日 アメリカ放送初演(全世界に放送)
            (アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団)
8月9日 包囲されているレニングラードで初演
            (カール・イリイチ・エリアスベルク指揮レニングラード・ラジオ管弦楽団)
8月14日 アメリカ公開初演
            (セルゲイ・クーセヴィツキー指揮ボストンの学生オーケストラ)
*多くの出版物に「ボストン交響楽団」と書かれていますがそれは間違い。

1950年
5月17日  日本初演(日比谷公会堂:上田仁指揮東宝交響楽団)



(*)クイビシェフ:サマーラの旧名。モスクワから東南東へ直線で約900km離れたヴォルガ川東岸にある都市で、モスクワがドイツ軍に占領された場合のソ連の臨時首都候補に選ばれました。




*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。
 


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