コンサートの大成功の後、私たちは彼の自宅を訪ねました。聴いたばかりの新鮮な印象を受けたディミトリ・ドミトリエヴィチは、『私の交響曲第4番は、多くの点で最近の作品よりもはるかに優れているように思います』と私に言いました。驚くべき告白です!この発言には誇張の要素が含まれていましたが、それでも、過去25年間不当に忘れ去られてきた作品を守りたいという彼の衝動に駆られたものでした。この長い期間、作曲家自身はこの作品を冷たく客観的な目で見ていました。しかし、実際に音となって命を吹き込まれたとき、彼はこの失われた子供の圧倒的な音楽的力に完全に共感したのです(
“Shostakovich : A Life Remembered” by Elizabeth Wilson p.144及び “Story of
a Friendship” by Isaak Glikman & Anthony Phillips, Preface p.xxiii-iv
)。」
「いや、いや、それは悪い噂だ。真実ではない…。キリル・コンドラシンが演奏してくれた時、彼はとても喜んでいました。本当に嬉しかったのです。素晴らしい交響曲です。彼の交響曲の中でも最高傑作のひとつです。1小節でも削れるところがあれば教えてください。この交響曲にはカットすべき小節はひとつも見つけられないのです。なぜなら彼は形式と全体の構成に長けているのですから。第4交響曲の構成は素晴らしい!
重要なのは、彼の壮大な構想には壮大な交響曲が必要だったということなのです。つまりすべてがうまく整っているのです(
Shostakovichiana by Ian MacDonald )。
「戦時中、暖房のためにあらゆるものが燃やされたため、楽譜は失われたと思われていました。幸いにも復元が可能であることが分かり、ショスタコーヴィチに演奏に興味があるかどうか尋ねました。(復元させた楽譜には多数の誤りがあったため、作業は複雑になり、彼の助言が必要でした。)ショスタコーヴィチは楽譜を受け取り、数日間じっくりと検討した後、交響曲に満足しており、私に演奏してもらっても構わないと申し出てくれました(
Shostakovichiana by Ian MacDonald )。」
「1961年の初演に先立ち、ショスタコーヴィチはスコアを見直した際に一音も変更したくないと感じました。コンドラシンは、ショスタコーヴィチが音符の多くを忘れていると言って、チェックするために自分用の楽譜のコピーを求めてきた時の様子をこう描写しています。翌日、彼は私に電話をかけてきました。『キリル・ペトロヴィッチさん、この交響曲を演奏していただければ大変嬉しいです。変更する必要はありません。この作品は私にとって、そのままであることがとても大切なのです(
"A Soviet Credo: Shostakovich's Fourth Symphony" by Pauline Fairclough,
xvii )』。」
ショスタコーヴィチはプレッシャーの中で、時折自分自身と作品への自信を失っていたことで知られています。しかし1962年の交響曲第4番に対する彼の評価は非常に高く、1936年後半に彼がこの作品への信頼を失ってそれが撤回につながったという主張は表向き説得力を失います。彼がその交響曲が当時の状況でどのように受け止められるかを恐れていた、という方が妥当でしょう。この作品は、社会主義リアリストの独裁下でソヴィエトの交響曲に求められたものと形式的に相容れないだけでなく、『ソヴィエトの現実』そのものとも明らかに矛盾していたのです。『交響曲第4番を聴くと、その時代の息吹を感じる』とマクシム・ショスタコーヴィチは言いました。1989年にルイ・ブロワにインタビューされたマクシムは、この点についてより明確に、『交響曲第4番をソヴィエト政権の政策とその終末を描写することに捧げられた作品である』と語りました(
Shostakovichiana by Ian MacDonald )。」
「初めて聴いた時、あまりの強烈さに打ちのめされる程の印象を受けました。ドミトリー・ドミトリエヴィチの最近の作品には、なぜこのような衝動性、躍動感、リズムと色彩のコントラスト、優しさと尖鋭さといった要素が欠けているのでしょう。もし彼の魂を歪めた『歴史的法令』がなければ、彼はどれほど違う道を歩み、どれほど違った人生を送っていただろうかと、思わず考えてしまいました(
“Shostakovich : A Life Remembered” by Elizabeth Wilson p.389-390)。」
「交響曲第4番を作曲していた時に追求していた路線は、間違いなく私の作品においてより力強く、より鋭敏なものになっていたでしょう。もっと輝きを放ち、もっと皮肉を効かせ、カモフラージュに頼ることなく自分の考えを率直に表現できたでしょう。もっと純粋な音楽を書けたでしょう。しかし、私は自分の書いたものを恥じていません。自分の作品はどれも気に入っています(“Shostakovich
: A Life Remembered” by Elizabeth Wilson p.481-482)。」